取り引き


 完全に出遅れた。アーサーが懐の銃を抜くよりも先に、軍人達が銃口を向けるよりも速くテュランは動いた。彼の両手首に嵌められていた筈の手錠は細工でもされていたのだろう、既に鎖の真ん中辺りで千切れてしまっている。


「ぐっ、ああ!!」

「ッ、閣下!?」

「全員動くな!! 少しでも動いてみろ、テメェらの大事な大統領の頭をぶち抜くぜ?」


 瞬く間にローランの背後に回ると、その両手を自由になった手できつく締め上げる。そしてあろうことか、彼は人質にした大統領のこめかみに拳銃を突き付けてみせたのだ。

 それもテュランの手にあるのは、ハルス病院で子供に向けていた大型のリボルバーである。一度でも火を噴けば、ローランの頭は木端微塵に吹き飛んでしまうだろう。


「くそっ、どうなっているんだ……」


 テュランを第一上級学校で捕獲した時、あの銃は間違いなく持っていなかった。汎用品では無いから、簡単に手に入る代物ではないし、ましてや隠し持つには大きすぎる。少なくともアーサーが先程、彼の着替えを手伝った際にはどこにも無かった。

 ならば。考えられるのは、アーサーが去った後、誰かが彼に銃を渡した。では、それは一体誰であると言うのか。


「っ……テュラン、馬鹿な真似は止めろ。今すぐ銃を捨てて、閣下を解放するんだ。大人しく言うことを聞くなら、お前に危害は加えない」


 アーサーの言葉に、テュランが意外そうに目を見開いた。アーサー自身、どうしてそんな甘やかすような説得を投げかけてしまったのかはわからない。

 僅かにでも隙を作らせようとしたのか、それとも……。答えを探し出すよりも先に、テュランが冷たい嘲笑を漏らした。


「それは流石に……嘘としてはレベルが低過ぎるぞ、ヒーロー。どうせなら、もっと気の利いたこと言ってくれよ。ここから逃がしてやる、とかさぁ?」

「テュラン、落ち着いて話を――」

「ふざけるな!! ローラン大統領に傷一つでも負わせてみろ、貴様の顔面を蜂の巣にしてやる!」


 我慢の限界だったのだろう、アーサーの声を遮り怒号が飛んだ。軍人達は皆、己の銃をテュランに向けている。それを鋭く見返すと、テュランは更にローランの腕をきつく捻る。

 体格はローランの方が上であるものの、人外であるテュランを振り解くことは出来ずにいた。無理に身じろげば、彼は難無くローランの腕を圧し折って見せるだろう。


「良いぜ? 撃ってみろよ。今、すぐに。ここで俺を殺せれば、これ以上の被害は出ないかもよ?」


 出来るものならな。挑発的な台詞に、軍人達が低く呻く。ローランとテュランの距離が近過ぎる。テュランだけを狙撃するなど、容易な芸当ではない。

 せめて、テュランの銃だけでも撃ち落とせれば。その時だった。


「ふっ、くく……はははは!」


 突如、ローランが声を上げて笑った。思いもよらぬ大統領の挙動にテュランだけでなく、アーサーまでもが虚を衝かれた。


「……どうした、大統領? 頭がおかしくなったのか?」

「くくく……テュランよ、貴様は本当に頭が良い……だが、人間が何度も人外ごときに遅れを取ると思うな」


 ローランの含みのある言い方に、テュランが困惑の表情を浮かべる。しかし、アーサーにも彼の言葉の意味がわからなかった。


「閣下、一体何を……」

「……まさ、か」


 傍らで、サヤがぽつりと呟く。彼女の顔面は、今にも倒れてしまいそうだと思ってしまう程に真っ青で。


「はあ? アンタ、一体何を――」

「そこまでだ、テュラン!!」


 聞き覚えのある怒号。テュランを含めた全員が、声の主を探す。慌ただしい足音に、悲痛な少女の声が響き渡る。


「いたっ、痛いってば! 離してよ、オッサン!!」

「なっ、ヴァニラ!?」

「アクトン隊長、何故ここに……」


 おかしい。アクトン隊長率いるランサー部隊は、別の任務で大統領府を離れていた筈。しかも、どうして彼女が彼に捕らわれているのか。

 右肩と左腕、骨折している脚は変わらず、顔にも痣や切り傷が目立つ。間違いない、彼女はヴァニラだ。アーサーは数日前に拳を合わしているのだ、テュランの動揺を窺うまでもない。


「テメェ……ヴァニラに一体何を」

「ふっ、流石にこれは貴様にも想定出来なかったか? 貴様が改心するかどうかなど、最早どうでも良かった。私にすべきことは、一人でも多くの国民を護ることだけ」

「やはり、閣下……ハルス病院を見捨てたのですね?」


 サヤの震える声は、まるで抜き身の刃そのものであった。今、この瞬間まで大統領のことを信じていた軍人達が一様に戦慄している。


「……なるほど。というコトは……何の罪もない人質達を、大統領は何百人も殺したわけか」


 最初に口を開いたのは、テュランだった。アクトン隊長とローランは、否定はおろか肯定もしなかった。それこそが、答えなのだろう。


「ごめんね、テュラン……ごめんなさい」


 やがて、ヴァニラがテュランに縋るように見た。声を絞り出す度に、表情がきつく歪む。どうやら内臓にも相当のダメージを負っているようだ。


「ハルス病院に居た人外は全て始末した。ランサー部隊は引き続き、国内に潜む人外の掃討作戦を開始している。終末作戦など、既に導火線を抜かれた爆弾そのもの。何の意味も持たないガラクタと化したんだ」


 そう言って、アクトン隊長がヴァニラのこめかみに拳銃を突きつけた。たったそれだけでも、ヴァニラの表情が苦痛に引きつる。足の怪我は治っていない上、体力をかなり消耗している。彼女自身の力で拘束を解くことは不可能だろう。


「くそっ、人間の癖にゲスなことをしてくれるじゃねぇか……とっととその汚い手をヴァニラから離せ!」

「この後に及んで、見苦しいぞテュラン。ローラン大統領を解放しろ、さもなくば貴様の恋人は殺す」


 アクトン隊長もまた、ヴァニラを盾にするように自分の前に立たせる。形勢は完全に逆転した。軍人達が勝利を確信し、銃を構え直す。ローランを解放すれば、すぐにテュランへ弾丸の雨が降り注ぐことになるだろう。

 それでも、テュランはローランと言う盾を手放すしかない。そうしなければ、ヴァニラが目の前で殺されてしまうのだから。


「十秒、数える間に閣下を解放しろ。でなければ、貴様の恋人を殺す!」


 そう言って、アクトン隊長がゆっくりとカウントダウンを始めた。徐々に緊張の糸が張り詰め、尖った空気が肌を刺すようにさえ感じられる。

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