犠牲
「九……八……七……」
流石のテュランでも、目の前で恋人を殺されれば少しは動揺するだろう。その隙を突いて、大統領を保護する。だが、それではテュランはきっと射殺されてしまうだろう。
「…………ッ」
果たして、本当にそれで良いのか。本当に、テュランは話の通じない獣なのだろうか。
「六……五……四……」
アーサーの胸中で、葛藤が渦巻く。自分は大統領を第一に考え、行動しなければならない。わかっているのに。どうしても身体が動かない。決心出来ないのだ。
昨夜、無防備に眠るサヤへ毛布をかけてあげていた時の、彼の表情がどうしても忘れられないから。
「三……」
「ッ、トラちゃん」
駆け寄ろうと構えるサヤを制止させる。確かに、テュランは星の数程の罪を犯した。だが、こんなやり方では人外と同じだ。
彼を殺したとしても、人外達を皆殺しにしたとしても、根本的な解決にはならない。
「アクトン隊長!!」
アクトン隊長の、引き金にかかる指に力が籠る。何とか止めさせなければ。アーサーが叫ぶ。
だが、無駄だった。
「二――」
「そうか……流石に、それは読めなかった」
不意に、テュランが口を開いた。己のミスを認めて、降伏する。とうとう彼が観念したのかと、きっと誰もが思ったことだろう。しかし、アーサーにはわかった。
絞り出すような声に、怖気立つ程の殺意が孕んでいることを。
「わかった、わかったよ……だったら……」
テュランの銃口が、ローランのこめかみから外れ宙を彷徨う。そして、すぐに次の獲物を捕らえる。瞬きをする暇さえ、与えられなかった。
「だったら――テメェから先に死ね!!」
テュランが吼えると同時に、凄まじい爆音が轟く。立て続けに四発もの弾丸が、テュランの銃口から放たれる。全ては一瞬の出来事だった。
「う、そ……テュ、ラン……なんで」
「が、は……このっ……ば、けもの……め……」
くぐもった咳と共に、粘着質な水音が零れる。鼻を掠める鉄錆の臭いに、命が削ぎ落とされていく音。
そして何よりも、哀れな少女の泣き声がアーサーの心を引っ掻く。
「テュラ、ン……いっしょ、に……ゆ……ち、行くって。やくそく、したのに……」
白く、雪のような髪が毒々しいまでの紅に染まっていく。崩れるように倒れ込んだヴァニラとアクトン隊長。二人共、広がる血の海に沈んだままピクリとも動かない。刹那の間に、二つの命が奪われた。
凶暴な四発の弾丸は、ヴァニラの身体を貫くだけでは満たされず、アクトン隊長を無残なまでに食い散らかしたのだ。それは間違いなく、テュランの銃のもの。
つまり――テュランは自らの手で恋人を、ヴァニラを撃ち殺したのだ。
「ひ、ひいい!?」
情けない悲鳴を上げたのは、ローランだった。目の前で行われた凶行に、見せつけられた狂気に大統領としての虚勢は完全に打ち砕かれたのだろう。
滑稽なまでに必死に身を捩る。すると、テュランが大統領から手を離した。突然のことに勢いづいた身体は左右の足を絡ませ、ローランがその場に無様に倒れ込んでしまう。テュランはそれを狙っていた。
リボルバーの銃口が、這いつくばる大統領に狙いを定める。
「死ね、大統領!!」
「――トラちゃん!」
アーサーとサヤが、同時に動いた。アーサーはローランを護る為に、彼の身体に覆いかぶさるように庇う。次の瞬間、獰猛なマグナム弾がアーサーの左太腿を抉った。
「ぐっ!? しまった、脚が」
アーサーの四肢は人工物である為、どれだけ損傷したとしても出血はの心配は不必要な上に大した痛みもない。だが、損傷が激しければ動けなくなるのは生身の身体と同じなのだ。
テュランの弾丸は、太腿の外装だけでなく内部構造までもを破壊したらしい。アベルのナイフを仕込む為の改造が仇となった。火花を散らし、異音を漏らす脚は思うように動かない。
「うっ、ああ!!」
次の爆音と共に、サヤが悲鳴を上げた。眼前の床に、鮮血が飛び散る。
「サヤ!?」
「くそっ、邪魔しやがって……」
サヤが脇腹を押さえ、蹲るように片膝を付いた。じわじわと、サヤの服に赤黒い染みが広がっていく。テュランに撃たれたのだ。幸いにも傷はそれ程深くは無いようだが、早く手当をしなければ。
「な、何をしている!? 相手は全弾撃ち尽くしたぞ!」
悲鳴じみた声で、ローランが叫ぶ。テュランの手にあるリボルバーは装弾数六発。テュランがいくら引き金を絞っても、撃鉄が叩く音が虚しく響くだけ。
「ちっ!」
「殺せ! 早く、ヤツを殺せぇ!!」
ローランの声に、軍人達が我に帰ったかのように引き金に指をかける。いくらテュランの身体能力が優れているとしても、数十の自動小銃から逃れることは不可能だろう。
「や、め……」
サヤが何か言おうとするも、激しく咳き込むばかりで言葉にならなかった。誰もがテュランの死を確信した。アーサーでさえ、次に起こる惨劇に目を背けそうになった。
「撃て、撃ち殺――」
「貴方達に『命令』します。テュランくんに向けて発砲することを、彼に傷一つ付ける行為を全て禁じます」
それは、ローランの喚きを掻き消す程の声ではない。むしろ、落ち着き払った声音は喧騒に押し潰されてもおかしくはなかった。
「ふふっ、皆さん良い子ですねぇ。そのまま、そのまま。大人しくしていれば、少しは長生き出来ますよ」
だが、何故か。異様な程に落ち着き払った声に、誰もが引き金を絞ることが出来なかった。
「はあ、それにしても……テュランくん。やっぱりこの剣、重いですよ。腕が……つりそうです」
両手で、辛うじて引き摺らないようにしながら巨大な剣を運ぶのは、あろうことかアルジェント国軍の軍服を着込んだ軍人だった。見覚えがある、先程サヤが探していた男だ。それがわかった瞬間、恐ろしい事実に気がついてしまった。もしかすると、自分は大きな間違いを犯していたのではないか。
第一上級学校で倒した、あの赤い吸血鬼。思い返せば、テュランは彼を一度も『名前』で呼んでいなかった。
確信する。全てが繋がった。
「アンタが運動不足なだけだろ。つか、来るのが遅えよ!」
「怒らないでくださいよ、この剣を探すのに手間取ってしまったんです。……ああ、ヴァニラさん。可哀想に、やはり助けられませんでしたか」
でも。一旦歩を止めて、足元に広がる血溜まりを見下ろす。大した感慨を抱いた様子もなく、ただヴァニラの冷たい亡骸を見つめながら、あっけらかんと男が呟く。
「お約束通り。今度はちゃんと助けてあげますよ、テュランくん。それから……初めまして、人間の皆さん」
テュランの元まで歩み寄り、大剣を彼に渡す。そして、目深に被った軍帽を脱いで、足元に捨てた。
鮮やかな真紅の髪に、冷たく嗤う紅い瞳。内ポケットから取り出した銀縁の眼鏡をかけ、鋭く発達した犬歯を唇から覗かせて。胸元に片手を添えて、まるで舞台上の演者のように、男が恭しく頭を下げた。
「ジェズアルドと申します。短いお付き合いになると思いますが、どうぞよろしくお願いします」
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