懺悔の時


 不意に、テュランの身体がふらりと傾く。慌ててサヤが振り返るよりも先に、後ろで控えていた男が彼を抱き抱えるように支えた。


「大丈夫ですか?」

「あ……すみません」

「大丈夫、トラちゃん?」

「ああ、ちょっと眩暈がしただけ……もう大丈夫」

「そう……気持ち悪くなったら、すぐに言ってね」


 見れば、テュランの顔色が悪い。否、数分前より明らかに表情が固い。彼も、緊張しているのだろうか。

 思わず、空いている手を彼の手に伸ばす。


「おねえちゃん……?」

「大丈夫……大丈夫、だから」


 彼に、そして自分自身に言い聞かせるように何度も大丈夫と繰り返すサヤ。そうして、冷えた指先を握り込むように手を繋ぐ。果たして、少しでも気を紛らわせてやることが出来たのかはわからないが。

 テュランの方から握り返してくることは、最後まで無かった。



「我が国は、人外達のテロ行為により多くの被害をこうむってしまった。偉人達が残してくれた遺産や、建造物。何よりも、我々が愛する者達。罰するべきは人外だが、このアルジェントを護るべき私の無力さを先ずは詫びたい。本当に、申し訳なかった」


 国内中へ向かって、拡声器で声を飛ばすローラン。その表情は、ここ数日間で何年も歳を重ねたようにも見える。

 自分の無力を嘆き、深々と頭を下げる大統領の姿を国民達はどんな思いで見ているのか。


「……おねえちゃん、手……離した方が良いと思う」


 隣でテュランが、サヤにだけ聞こえるように声を潜める。見れば、周囲の軍人達が自分達に鋭い視線を向けていた。

 多くが自動小銃を携えている。大統領の命があるものの、誰もがテュランに向かって引き金を絞ってもおかしくない。怖気立つような殺意に、隣に立つサヤの背筋まで凍てつくようだ。


「……大丈夫だから」

「うん、わかった……あれ?」


 言われた通りに、テュランの手を離すサヤ。ふと、彼の背後に付いていた筈の男が居なくなっていることに気がついた。

 周りに居る、軍人達の中にも見当たらない。別の持ち場に移ったのだろうか。

 しかし、サヤへ何も言わずに?


「……サヤ」


 男を目で探していると、アーサーが小声で名前を呼ぶ。サヤは小さく頷くと、テュランに向き直り腰の鎖を解いた。


「トラちゃん……」

「………」


 掛ける言葉が、何も見つからない。何か、彼に言葉をかけてあげたいのに。何も言えないでいると、サヤに背を向けて、テュランが自ら前に出た。


「だが、こんな悲劇は今日で終わらせて見せよう。聞け、下等な人外共よ。貴様等を率いていたテュランは既に我々が捕らえた。そして、ヤツは人間の前に膝を付いた。その証拠を今から見せてやろう」


 ローランが意気揚々と勝利を宣言する。辺りの軍人達もまたローランの言葉を誇りに思い、汚物でも見るかのようにテュランを睨み付けている。その中にやはり、男の姿はない。

 そもそも、あの男には見覚えが無い。大統領府にはかなりの数の人間が所属しているから、全ての軍人の顔を知っているわけではないが。


「……アーサー」


 放送画面に映り込まないよう、壁際に控えているアーサーに歩み寄る。アーサーはローランから目を離さないまま、意識だけをサヤに向けてくれた。


「どうした?」

「あの……さっきの人、姿が見えないのだけれど……何処に行ったか、貴方は見ていなかった?」


 この部屋の出入り口は一か所だけ。誰かが出入りすれば嫌でも気になってしまう。それに、テュランが共に居たのだ。どうしても目立つ筈。

 先に来ていたアーサーも当然、サヤ達が入室したところを見ているに違いない。だが、訝しんだのはアーサーの方だった。


「……さっきの、人?」

「貴方を呼びに来た、背の高い軍人よ。その人と二人でトラちゃんをここまで連れて来たのだけれど、いつの間にか居なくなっていて」

「何を言っているんだ、サヤ? それはきみが……」


 此方を向いたアーサーの表情が、困惑したものに変わる。どうして、そんな顔をするのか。


「さて、テュラン。汚らわしき野良猫よ、何か言いたいことがあるそうだが。丁度良い、この場を貸してやる。思う存分、己の愚行を恥じ国民に向かって懺悔をすると良い」

「…………」


 ローランの声に、テュランは何も言わない。ただ、静かに目蓋を閉じる。そして、促されるままにカメラの前に立ち、ゆっくりと目を開く。それを見て、アーサーが口をつぐもうとするが、サヤは続きを急かした。

 不気味なまでに嫌な悪寒が、背筋をつうっと這う。


「私が、何? 何なの?」

「……俺は、サヤがテュランを一人で移送するよう予定を変更したと聞いたが。今は落ち着いているが、知らない人間が居ればテュランはまた錯乱してしまうかもしれないから、と。だから、この部屋へテュランを連れて来たのは」


 サヤ一人だけだった。そうアーサーが言い切った。彼はこんな場所で、つまらない冗談を言うような男ではない。

 ならば、その男は一体何だったというのか。


「懺悔、か……」


 テュランがぽつりと呟き、カメラを真っ直ぐに見据える。アーサーの言葉を疑う余裕も無かった。思考が完全に混乱していた。

 それでも、テュランを信じたい。冷たい檻の中で、唯一暖かな毛布をかけてくれた大切な人を、疑いたくなんてなかった。


「……確かに、俺は大勢の人を殺した。その中にはまだ生まれたばかりの赤ん坊も、身体の弱い病人や老い先短い年寄りも居たことだろう。この国に住まう全ての人達を悲しませ、危険に晒してしまった。それは、俺の命だけでは償いきれない程の大罪だ」


 嘘だと言って欲しい、夢であるなら今すぐ目覚めたかった。それはただの甘えだと、頭ではわかっている。

 テュランの言葉が、聞き間違えなんかではないと、頭の中で誰かが叫んでいるのに。遅すぎた。愚かなことに、サヤは裏切られていたことを漸く思い知ったのだ。


「でも……だから、何? そんなくだらない罪を償う気なんて、俺にはこれっぽっちも存在しないんですケド?」


 見開かれた金色の双眸は、狂気を孕んで嗤っている。マイクを掴み、カメラのレンズ越しにアルジェントを、人間達を睨み付ける。


「おい、ヴァニラ。それから、この放送を聞いている全ての人外達。俺からの最後の命令だ、今すぐ終末作戦を実行しろ。以降、誰であろうと作戦を中止させることは許さない。近くに居る人間を全て惨たらしく殺せ! あらゆる物を粉々に破壊し尽くせ!! その命が燃え尽きるまで、俺達が生きてきた地獄がどういう代物だったか、おめでたいバカな人間達に思い知らせてやれ!!」

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