油断


「もー! どうして人間はこう、自分勝手なのかなー!! さっさとテュランを返しなさいよー!」


 地平線の彼方に沈んでいた太陽が、反対側から顔を覗かせようとする頃。足が思うように動かないもどかしさと、人間達への苛立ちでヴァニラは爆発寸前だった。


「ば、ヴァニラちゃん落ち着いて」

「ああ?」

「すみません、何でもないです……」


 テュランが居なくなる前日に、ヴァニラの世話役に付けたヘビ男が逆鱗に触れないようにおどおどと湯気の立つカップを彼女の前に置いた。

 砂糖とミルクがたっぷり入った紅茶を勢いよくすすって、その熱さにきゃんっとヴァニラが喚く。


「熱い!」

「ひいっ、ごめんなさい!!」

「もー! アタシは狼だけど……猫舌なの、覚えてよ!!」

「ごめんなさいごめんなさい! す、すぐにお水を持ってきますっ」


 がたがたと肩を震わせながら、ヘビ男が部屋から逃げて行った。ダメだ、些細なことにもイライラしてしまう。それもこれも、テュランのせいだ。


「うううー! テュラン、大丈夫かな……ジェズさんとも連絡付かないし」


 苛立ちを誤魔化すように、親指の爪を噛む。既に何度も噛み千切ってしまってボロボロだ。少し前まではテュランに止めろと言われていたので意識していたが、最近では我慢出来なくなってしまっている。

 テュランの声を聞くことすら叶わず、ジェズアルドとも連絡が付かなくなった。とりあえずテュランの安否は確認したが、ジェズアルドについては未だに不明。

 恋人だけではなく、親しかった年長者まで居なくなった。得体の知れない不安に、焦りが募る一方だ。


「うう……どうしよう、どうすれば良いの……?」


 既にヴァニラの手元に残るのは、終末作戦という切り札のみ。これさえ見せ付ければ、テュランを返して貰えると思ったのに、人間達は想像以上に頑固だった。

 ヴァニラはテュランのように頭が良くない。ジェズアルドのように達観していられる程に人格も出来ていない。

 人外達も口にこそ出さないが、この短期間でトップの二人を失ったことに不信感を抱いている。数日前まで確かにあった信頼や団結力が弱まっている。


「何とかしないと……でも、どうすれば」


 こんな時、テュランならどうするだろう。考えてみるも、答えなんか出ない。このままでは、内部分裂さえも起こしかけない。それはわかっている。

 でも、何日も寝ずに悩んでみても、ヴァニラには皆を導く術が何も無かった。


「どうすれば良いのよ……テュラン、会いたいよ」


 ソファの上で、痛む脚を抱えて膝に顔を埋める。テュランに会いたい。ただ、それだけなのに。どうしてこうも上手くいかないのか。

 人外だから、ダメなのか。もしも、もしも二人が人間だったら……そんなバカバカしい妄想に縋るなんて。


「……テュラン」


 いくら名前を読んでも、答える者など居らず。このまま、少し眠ってしまおうか。そう思って目を閉じた、その時だった。


「――ッ、爆発音!?」


 慌てて身構えるヴァニラ。咄嗟に立ち上がろうとするも、負傷した右足に激痛が走りその場に膝を付くように倒れ込んでしまう。


「いっ……たーい!!」

「ヴァニラちゃん、逃げよう!! 人間達が――」


 痛みを紛らわすように患部を擦っていると、先程のヘビ男が血相を変えて戻ってきた。鱗に覆われた顔面は恐怖に引きつり、その手には水の入ったコップではなく自動小銃を携えている。先程苛立ちの捌け口にされたにも関わらず、ヴァニラを助けに来てくれたのだろう。

 だが、彼の声は悲鳴と発砲音で虚しく掻き消されてしまう。


「な、何――」


 立ち上がることすら出来ず、身構えるヴァニラの眼前にスプレー缶のようなものが転がる。どうしてこんなものが。それが何かわかった時には既に遅く、みるみるうちに催眠効果のあるガスが部屋に充満していった。

 呼吸を止めることも出来ずに、ヴァニラの肺はガスで満たされて。ここ数日間の寝不足も相乗して、意思とは関係なく瞼が鉛のように重くなる。


「う、そ……人間なんかに」


 ヘビ男の亡骸をゴミのように踏みつけて、何人もの人間達が入ってきた。それを視界に認めたが最後、ヴァニラの意識が電源を落とすかのようにぷつりと暗転した。

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