和解

 前言撤回、彼は間違いなくテュランだ。そんな幼き日の痴態を知っているだなんて、彼以外に居ない。


「あーあ、そんなに大声出しちゃって……聞こえるよ、彼氏に」


 クスクスと、意地悪く笑うテュラン。運の悪いことに、今は彼が言う通りアーサーが監視カメラのモニターを見ている。どうしてここまで勘が良いのだろうか。サンドイッチでも食べて気が逸れているよう願うしかない。


「……どうして、俺を助けたんだ?」


 サヤが落ち着くのを待って、テュランが切り出した。単刀直入。記憶の中に居る震える子猫は、こんなにも強気な物言いは出来なかったのに。


「俺は多くの人間を殺した。誇ろうとは思わないケド、詫びるつもりもない。そんなケダモノの前で、あんなに無防備に寝ちゃって……首を圧し折られても文句は言えないと思うんだケド?」

「そうね……でも、この通り無事だし。むしろ、敵である私に毛布を貸してくれるなんて、どういうつもり?」

「さあ、どうだろうな。昔のよしみで見逃してくれるように口説き落そうと思ったのかも?」


 昔はサヤが軽口を言っても、テュランはただ素直に真に受けてしまうだけだった。すっかり変わってしまった幼馴染に、寂しいような嬉しいような、そんな切ない感情が込み上げてくる。

 きっと、とてつもなく情けない顔をしてしまっている。


「……ねえ、トラちゃん」

「え……うわっ、何だよ!」


 顔面を隠すように、毛布を被る。ついでに、テュランにも被せてしまう。研究所に居た頃、一枚の毛布の中にこうやって二人で潜ったことを思い出したのだ。

 二人分の温もりが温かい。しかし、自分達も大きくなったからか、少々狭い。必然的にサヤがベッドに押しかけて、テュランの隣にぴったりとくっつく形になってしまう。


「ふふっ、懐かしいね?」


 何だかくすぐったくて、ついつい笑みが零れてしまう。彼と初めて話をした時も、こんな風に隣に寄り添って一つの毛布を被っていた。

 本当に、あの頃に戻れたみたいだ。


「全く……一体何がしたいんだよ」

「良いじゃない。温かいし、それに……こうしていれば内緒話も聞こえないよ」


 どんなに小声で喋ろうとも、監視カメラがある限り唇の動きで会話内容を読まれてしまう可能性がある。でも、これなら大丈夫。


「内緒話?」

「ねえ、トラちゃん……ここから逃げ出すの、手伝ってあげようか?」


 サヤがそう言った瞬間、テュランの表情が一変する。それは怒りのようにも、怯えているようにも見える。


「……どういう意味?」

「そのままよ。きみがこの部屋から……いえ、この国から脱出するのを手助けする」

「アンタのそういう台詞、物凄くトラウマなんだケド。どうせ、また裏切る気なんだろ?」

「私は本気よ? それに、今度は一緒に逃げるつもりはないから」


 最早、アルジェントに住まう全ての人間がテュランへの極刑を望んでいることだろう。それを、テュラン自身もわかっている。だが、サヤは彼を助けると決めた。


「確かに、きみはとてつもない大罪を犯した。国民の誰もが、トラちゃんに出来るだけ苦しく重い刑罰を望んでいるとおもう。でも私は、きみに生きていて欲しい。生きて、そして死ぬまで罪を償って欲しい」

「だから、逃がしてくれるってコト?」

「もうきみは、こんなに大きくなったんだもの。私が居なくても大丈夫でしょう? むしろ、トラちゃんの言う通りだから……私は一緒に居ない方が良いと思うし」


 本当は、昔のように一緒に居たい。だが、彼との間に生まれた壁はもう取り除けないのだ。ならば、せめて生きていて欲しい。

 それが大統領を、国民達を裏切ることになっても。


「この国にはね、昔の大戦時に作られた秘密の地下通路がいくつもあるの。既に老朽化した為に埋めたり、別の施設に利用されているものもあるけど……非常時に大統領や他の重役が国外に脱出出来るよう整備されているものがあるの。その道を教えてあげる」

「そんなの教えたら、アンタの立場がヤバいんじゃない?」

「良いのよ。だって……またトラちゃんとこうして話が出来たから。これは、きみへの罪滅ぼし。きみが生きていてくれた、そしてこれからも生きていてくれる。そうなればもう、私には何も思い残すことはない。二度と会えなくなっても、大丈夫」


 この程度のことで、テュランへの裏切りを無かったことにするなんて不可能。それは、わかっている。でも、これくらいしか彼にしてやることが無い。

 その後に待ち構える罰が何であろうと、この命を捧げることになろうとも構わない。


「だからきみはこの国を出て、これからを精一杯に生きて。この大陸の東にある島国では、アルジェント程人外の差別が酷くないって聞いたことがある。きみは頭が良いから、きっと平穏な暮らしを手にすることが出来るよ。だからもう、人を殺すことは止めて? それだけが、私の最後のお願い……かな」

「おねえちゃん……」


 暫しの間、テュランが瞼を閉じる。そういえば、何かを迷う時に彼はいつもこんな風に目を瞑って考えていた。子供の頃はその無防備な姿に悪戯したくなって、頬を軽く抓ったり脇を突っついたりしたものだ。

 隣に居るのは、紛れもなく自分が知っているテュランだ。それがやっと確信出来て、何だかどうしようもなく嬉しくなる。

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