出会い


 これは夢だ、とわかる時がある。今がそう。サヤは今、夢の中に居た。既に夢の中にしかない光景、冷たい研究所の景色が、目の前に広がっていた。


 物心がついたばかりの頃、息をするのと同じように超能力を使ってしまってから数日後。両親に捨てられて、行き着いた先がこの研究所だった。気味の悪い目をした研究員達が、身体を好き勝手に触り弄り回す感覚が肌を伝う。

 最初の頃はもちろん抵抗した。力の限り暴れた。でもそれがだんだん無駄だとわかってくると、次第にサヤは抵抗するのを止めた。考えることもしなくなった。その方が楽だったから。理不尽な運命の前に、サヤは完全に屈服した。

 そんな、ある日のことだ。実験が終わって、サヤは次の実験が始まるまで檻の中に戻された。その中には、同じように疲弊した人外の子供達が数人。彼等もサヤと同じように、最早喋ることもはしゃぐことも無かった。

 ただ身体を縮め、呼吸を繰り返すだけ。いや、それすらも出来ているかどうかわからない。一番年少の子は、きっと明日になれば二度と此処には戻って来ないだろう。それが日常だった。

 サヤも部屋の隅で膝を抱え、顔を埋めた。寒い。指先が痺れるように痛み、冷たい空気に肺が軋む。明日になる前に、永遠の眠りに落ちることが出来たらどんなに楽か。そんなことを思って、滲む涙を必死に堪えていた時だった。

 ふわりと、身体を包む柔らかい感触。少々黴臭いが、十分に温かい。慌てて顔を上げると、目の前には埃っぽい毛布をサヤに被せようと奮闘する子猫が居た。

 薄暗い空間でも映える鮮やかな金髪。ひょこひょこと動く三角耳に尻尾。大きな金色の双眸と目が合った瞬間、少年はぴたりと動きを止めた。


「あの、その……さむそうだ、と思って……」


 ぼそぼそと、少年が気まずそうに呟く。そういえば、初めてテュランと言葉を交わしたのがこの時だったな。ぼうっとした懐かしさを感じていると、サヤの意識が徐々に浮上していった――




「……う、ううん」


 心地良い微睡みから覚醒するや否や、肩と背筋を駆ける鈍い痛みに思わずうめく。不自然な姿勢で転寝うたたねなんてしてしまっていたせいだ。一体どれくらいの間、寝てしまっていたのだろう。引きつる身体を無理矢理に起こすと、肩に柔らかい感触を感じた。


「あれ、毛布……?」


 まだ、夢の続きなのだろうか。しかし、この毛布は夢の中よりもずっと新しいものだ。部屋の様子も似ているが、違う。

 そういえば、転寝する前に自分は一体何をやっていたんだったっけ?


「……何だ、もう起きたんだ」


 おねえちゃん。懐かしい声がサヤを呼ぶ。寝ぼけていた視界が、弾けるように鮮やかになる。違う、これは夢なんかではない。

 目の前に居るのも、以前の子猫とはまるで違う。だが、ちゃんと面影がある。


「……トラちゃん?」

「あのさ……言いにくいんだけど、結構長い間このままだからさ。肩とか腰とか痛いんだよね」

「え……あ、ああ! ご、ごめんなさい!!」


 パッ、と繋いでいた手を離す。あれから再び眠り込んでしまったテュランの傍に居たくて、ベッドの脇に簡素なパイプ椅子を置いてずっと様子を見守っていたことは覚えている。

 大量に血を失ったからか、青白い顔の彼が心配で。ボロボロになった冷たい手を握って暫く、いつの間にかそのままサヤも寝てしまったらしい。


「あー……別に、謝って貰うことでもないけど」


 気まずそうに、テュランが頬を掻く。そして、固まった肩を解すかのように、ゆっくりと回し始める。そういえば、この毛布はサヤがテュランに掛けてあげたものの筈。


「トラちゃん。もしかして、この毛布……」

「ん? ああ……寒そう、だったから」


 何でもないことのように言うものだから、やっぱり夢でも見ているのではないかと思ってしまう。今の彼からは狂おしい程の殺気も、自らを傷付けるまでに錯乱する様子は見られない。

 不自然なまでに、落ち着いている。


「………トラちゃん、大丈夫?」

「身体中が痛い」

「いや、そういう意味じゃなくて……えっと、本当にトラちゃん……だよね?」


 気まずい沈黙が、二人の間を流れる。ああ、この金色の瞳はまるで感情を素直に表す鏡のようだ。昔からそうだった。

 だから今、テュランが何を思っているのか手に取るようにわかる。突き刺さるような視線に堪えられず、思わず視線を落とす。


「……ごめんなさい、何でも――」

「ガキの頃、俺達の部屋に一回だけ『アイツ』が入ってきたことがあったの覚えてるか? ほら、随分前から壁に小さな穴が空いてただろ。黒光りしたすばしっこいのが一匹、ちょろちょろと迷い込んできたじゃん」


 サヤの謝罪を遮るように、テュランが語り始める。一瞬、何のことかわからなかった。でも、すぐに思い出した。思い出した、というよりも二度と開けるつもりがなかったパンドラの箱が開いてしまったかのような。

 かあっ、と顔が火照るのを感じる。


「ま、待ってトラちゃん」

「皆、大して気にしてなかったっていうか……気にする余裕も無かったのに、おねえちゃんってばキャーキャー騒いじゃってさー? しかも、変に暴れ回ってたからか、そのお客さんがおねえちゃんの服の中に入っちゃって。覚えてる? シャツの中に入っただけなのに、あの時のおねえちゃんってば服全部脱い――」

「あー!! 覚えてない、覚えてないー!」

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