嫌悪

 身体能力は言うまでもないが、テュランは状況把握や戦略的思考に長けており、特にサヤのように特殊能力を持つ敵への順応力が圧倒的に高い。サヤのように実力がある者は自分の力を過信しそれに固執する傾向があるが、テュランの場合は一つ手を試して、無駄だと判断するなりすぐに次の手を考え実行することが出来るのだ。

 加えて、無意識に自身の弱点を把握しすぐに補完することまで出来てしまっている。何という鬼才。自惚れていたわけではないが、こちらが積み重ねてきたことを簡単に崩してくれるだなんて。


「ったく、本当すばしっこいなーアンタ。俺も結構足速い方なんだケド、超能力者だとしても人間に負けるとか超屈辱ってカンジ」


 口では悪態を吐いているが、その表情はまるで悪戯を企んでいる子供のようだ。まずい、サヤの意識に焦りが混じり始めた。

 このまま戦い続けて、果たしてサヤに勝ち目があるのか。そんなことばかり考えてしまう。


「どうした、サヤ! 大丈夫か!?」


 不意に聞こえたアーサーの声に、サヤはハッと目が覚めた。そうだ、今度はテュランだけではなくジェズアルドが居るのだ。あの得体の知れない吸血鬼と長時間戦い続けることなんて、無謀以外何物でもない。


「クククッ、余所見なんて随分余裕ですねぇ? 立派な体格の癖に、意外とすばしっこいようですし」


 ジェズアルドが嘲笑あざわらいながら、幾つもの炎の矢をアーサーに向けて次々と放つ。雨のように降り注ぐ炎の僅かな隙間を縫いながら、大切なパートナーがサヤを見た。


「……ありがとう、アーサー」


 頼れる相棒と目が合う。たったそれだけのことで、サヤの焦りがすとんと何処かへ消えていった。

 気持ちが落ち着くと、身体が軽くなったように感じる。


「なになに? もしかして、愛の力ってヤツ?」


 テュランが厭らしく笑う。目を細める様は本当に猫のようだ。落ち着け、そう自分に言い聞かせる。彼を侮っていたことがわかった今、サヤもテュランを超えるつもりで挑まなければ。


「……ねえ、トラちゃん。私達、小さい頃はずっと一緒に居たのに、こんな風に遊んだことは一度もなかったよね?」


 ぴくりと、テュランの肩が跳ねる。一瞬にして、彼の表情から笑みが消えた。テュランに対抗するには、こちらも手段を選んでいる余裕は無い。

 とにかく、まずはこの場の主導権を奪い取らなければ。その為には、テュランから余裕を削ぐ必要がある。数日前にように逆上させてしまうことになるかもしれないが、彼のようなタイプは怒りに我を忘れれば行動が単純になる。

 そこを突いて、彼を無力化させてみせる。


「貴方を護ることが、私の存在意義だと思っていた。でも、私は裏切ってしまった。あの時、貴方と手が離れてしまった時、すぐに戻るべきだったのに」

「それは、どうだろうな。立ち止まった瞬間、研究者達に嬲り殺されてたかもよ?」

「それでも、私は戻るべきだった。貴方を護るって約束したのに」

「はあ……だから? あの時アレすれば良かった、こうしてたら間違いは起こらなかったって?」


 苛立ちを吐き出すように、テュランが嘆息した。露骨に見せつけられる殺気に、肌が泡立つ。


「人間はそうやって、過去の出来事に一々後悔してるけど……それに一体何の意味があるんだ? 反省してるつもり? どうせ同じことを繰り返すくせに、バカバカしい」

「それは、違うわ。人間は……」


 ふと、サヤは言葉を詰まらせる。自分自身の言葉に、疑問を持ってしまったのだ。かつて、サヤは人外として扱われ、テュランと研究所で知り合い同じ仕打ちを受けた。そして研究所から逃げ出して、街中まで駆け抜けて。いつの間にかセイヴィアに収容されて、アーサーと共に人間として大統領の側近になっていた。

 サヤは、人間と人外の両方として生きてきた。だが、どの瞬間を取ってもサヤはサヤだった。人間だとか人外だとか、そういう区別が急に無意味なものに思えてしまう。


「……人間だけじゃない。私達『人』は、過去を思い返して未来に繋ぐことが出来る。研究所で貴方から手を離してしまったことをずっと後悔していて、それこそ死んで償うしか無いとさえ思っていた。でも、トラちゃんとこうしてまた会うことが出来た」


 そうだ。もしも神様がこの世界に実在するのなら、この再会は罰では無く救いなのだろう。今度こそテュランを護る。約束を果たすことが出来る、一回だけ与えられたチャンス。

 絶対に無駄にするわけにはいかない。


「だから、お願いトラちゃん。私を信じて。もう二度と、貴方を裏切ったりしないから、だから――」

「それで、言い残すことはそれだけか?」


 底冷えするような声。大剣が空を両断し、真っ正面からサヤに襲いかかる。凶暴性を増した刃を何とか避けるも、獲物を逃した大剣は体育館の床を思い切り噛み砕いて見せた。


「っく!?」

「好きと嫌いは表裏一体って言うケド、本当だったんだな。俺、アンタのこと好きだったのに。初恋の人だったのに……今はその顔面、骨ごと叩き潰したくてどうしようもねえよ」


 もはや、テュランの顔に笑みや余裕は無かった。代わりにあらわとなったのは、押し潰されてしまいそうな憎悪と、嫌悪。それだけだ。

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