待ち伏せ



 雨風に晒されている為か、少々錆びついた外階段ではどうしても足音を隠せそうにない。踏み締める度にじゃりつく音に、サヤは焦る気持ちを抑えられずにいた。


「……これも、きっとトラちゃんの思惑の内ね」

「全く、人外でなかったら相当優れた指揮官になっただろうな」


 サヤの呟く声に、後ろに居るアーサーが皮肉を返す。聴力に優れた人外達には、サヤ達が外から大体育館に侵入しようとしていることを既に察知しているだろう。階段はサヤとアーサーがやっと並べるくらいの広さしかなく、襲われれば不利なのはこちらだ。

 焦燥に背中を押され、そんなことにも気がつけなかったなんて。


「大丈夫だ、サヤ。お前の背中は俺が護る」


 そんなサヤの焦りに気がついたのか、アーサーが言った。思わず振り向いてみれば、いつも通りの真剣な面持ちの彼。

 大丈夫。どんな任務でも、常に二人で乗り越えてきたのだ。いつの間にか、荒れ狂っていた心が徐々に落ち着いているのを感じた。


「……ええ、頼りにしてる」


 階段を上がった先にあったのは、非常口と記された簡易なドアが一つだけ。施錠されているようだが、鍵は二人とも持っていない。


「どうする、蹴破ろうか?」

「いいえ、これくらいなら任せて」


 後ろから声をかけてきたアーサーに、サヤは首を横に振る。腰元に差した刀の柄に手をかけて、精神を研ぎ澄ませる。


「――はあっ!!」


 正に瞬きの間の出来事だった。サヤが抜き放った刀はまるで鎌鼬のように、薄いドアを幾重にも斬り刻んでみせた。跡形もなく粉々になった残骸を踏み鳴らし、サヤが中へと飛び込む。

 その表情には、焦りも躊躇も無かった。体育倉庫だろうか、邪魔なボールの籠や跳び箱などを薙ぎ払いながら、サヤはテュランの名前を叫ぶ。


「……トラちゃん!!」

「ハイハーイ、何か用か……おねえちゃん?」


 おねえちゃん。そう呼んでくれる声は、遠い記憶にあるものよりも低い。本当に別人ならば良かったのに。そんな甘えた考えを振り払い、サヤは声の主を探す。すぐに見つけた。彼はステージの縁に脚を組んで座っていた。

 憎悪と呼ぶにはあまりに複雑な感情が、どくどくと脈打つ心を更に掻き乱す。


「あーあ、アンタ達来るの早過ぎ。せっかくここまでお膳立てしたのに、学生達の殺し合い見られなかったじゃん。温室育ちのお坊ちゃんお嬢サマ達がエゴ丸出しで殺し合うの、楽しみだったのに……残念、つまんねーなぁ?」


 つまらない、と訴える割にはその表情は薄気味悪い笑みが貼り付いている。テュランはサヤ達の姿を認めると、傍らに置いてあった大剣を片手で持ちひらりとステージから飛び降りた。


「ていうかさ、アンタ達ホント、仲良いよなー。今日も二人一緒だなんて、見せつけてんの? 妬けるー」

「……テュラン、貴様の身柄を拘束する。痛い思いをしたくなければ、大人しく投降しろ」


 隣に立ったアーサーが銃を抜き、銃口をテュランに向ける。だが彼は両手を上げるどころか、狼狽える素振りすら見せなかった。

 顔面から笑みを消して、金色の双眸がじっと銃口を見つめている。


「……拒否権は?」

「そんなもの、貴様に用意されていると思うか?」

「デスヨネー。でも、それはあくまでそっちの都合でしかねぇワケで……従う義理はねぇよな」

「ならば、それなりの措置を取らせて貰う。腕の一本や二本、失う覚悟はしておけ」

「アッハハ、超こえーじゃんヒーロー? ……でも、その言葉はそのままお返しするぜ。今回も、俺が独りぼっちだと思ってたら大間違いだぜ」

「トラちゃん、どういうこと?」


 言ってから、自分がどれだけ間抜けなのかと思い知った。校舎の中に居た人外が妙に少なかったことを完全に忘れてしまっていたのだ。テュランが自分達の襲撃に気が付き、自分の周辺に仲間達を置いている可能性は高い。

 もっと早くに気が付けた筈なのに、無鉄砲にも敵陣のど真ん中にたった二人で突入してしまったのだ。


「まあまあ、俺はアンタ達と違って数の暴力は好きじゃねぇからさ。どちらかと言えば、少数で大勢をブッ殺す方がカッコイイだろ。てっきりお仲間をもっとぞろぞろと引き連れてくるかと思ってたケド……これなら、タイマンでイケるな?」

「――ハイ、もちろん」


 耳慣れない無い声が聞こえた、その時だった。


「サヤ!!」


 アーサーが叫ぶと同時に、サヤが床を強く蹴って横へ飛ぶ。一瞬遅れて、今まで自分達が立っていた足元に真紅の炎が広がった。何が起きたのかわからない。発砲音も、他の機械音も何もしなかった筈。

 不気味な灼熱が、ワックスで磨かれた床をねっとりと舐める。


「これは、一体……」

「なかなか良い動きです。さすが、ヴァニラさんに重傷を負わせただけあります」


 嘲笑を隠そうともしない声色。炎は見る見るうちに小さくなり、跡形も無く消え失せた。幻でも見ていたのかとさえ思ってしまうが、焦げ付いた空気に黒々と炭化した床板が生々しい事実を見せつける。


「アーサー、大丈夫?」

「ああ、何ともない」


 アーサーもサヤの反対側へと飛んでいた為に、難を逃れられたようだ。ほっと安堵しつつ、サヤは新たな敵を静かに見据える。

 いつの間にそこに居たのか、校舎と繋がる出入り口の前に一人の男が立っていた。背が高くすらりとした体躯の、およそ戦場には不釣り合いなスーツ姿の男だ。

 その手には、火炎放射器どころか拳銃すら握られていない。ただ、右手の人差し指に毒々しいまでに紅い宝石を抱いた指輪をしているくらいだ。否、紅いのは宝石だけではない。

 髪も、眼鏡の奥で細められる瞳も。端正な顔立ちを彩る紅は、事前に調べた資料と一致する。


「……貴様がジェズアルド、か?」

「よくその名前をご存知ですね」

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