失ったもの

 強い口調で、ジェズアルド。その言葉は相手を束縛し、鮮血色の視線が服従を命じる。


「もう一度だけ言います。その子たちは見逃して、さっさと自分の持ち場に戻りなさい。これは、です」

「……はい、わかりました」


 力無く、男が頷く。それはまるで、手足を見えない糸で操られる人形のよう。ふらふらと不自然な歩みで、ジェズアルドが通って来た道を引き返して姿を消した。

 後に残ったのはジェズアルドと、人間の少年が二人。改めて、唖然とする子供たちに向き直る。


「さて……初めまして、人間のお子様たち?」


 ジェズアルドはにっこりと笑って、二人に歩み寄る。出来るだけ態度は弛緩させた筈だが、背が高い方の少年に鋭く睨まれてしまう。


「く、来るな! お前も、人外なんだろ!? おれたちを喰う気なんだろ!」

「確かに人外なんですけど……喰うって、どっちの意味でしょう?」

「はあ!?」

「に、にいちゃん……怖いよぅ」


 少年の背後から、声が聞こえた。薄暗い路地裏に消え入りそうな、か細いそれ。少年がはっと後ろを振り返って、怒鳴るように叫んだ。


「バカ! 隠れてろって言っただろ!!」

「だ、だってぇ……」

「ふうん? きみたち、やっぱり兄弟なんですね」


 ジェズアルドが酷薄とした笑みを浮かべる。少年は、兄である彼はきっと幼い弟を守ろうとしたのだ。

 目の前には自分という吸血鬼。助けを求めようにも、近くには彼等以外の人間は居ない。それでも彼は、弟を護る為に身を呈して戦おうとしているのだ。


「……ねえ、きみ。もしも、弟を僕に差し出せば見逃してあげるって言ったら……どうします?」


 無意識に、先ほどの吸血鬼と同じ問いかけを投げかける。悪趣味だな、と自虐的に笑いながら。


「弟なんて、きみの足手まといでしかないでしょう? きみ一人であったのなら、いくらでも逃げるチャンスはあったんじゃないですか? そもそも、弟くんが生まれる前はきみが、ご両親や近しい人達の愛情を独り占め出来ていたのに。彼が居るから分け与える羽目になり、今ではこうして自由を制限されている。ねえ、弟って……ただ邪魔なだけの存在だと思いませんか?」


 ――お前さえ、居なければ。あの方の寵愛を受けたのは私だけ、このカインだけで済んだのに。お前のような弟なんか、最初から要らなかった――


「……バッカじゃねぇの!?」


 ジェズアルドの問いかけに、少年が吐き捨てる。その手には、銃もナイフも無い。ジェズアルドに対抗出来る術は一つもない。それでも、幼い弟を庇うようにして、彼は叫んだ。


「おれは、コイツのにいちゃんなんだよ! にいちゃんは、弟をまもらなきゃダメなんだ! ジャマなワケあるか、コイツはおれの大事な弟なんだ!!」

「ククッ……あっははは! そうですか、そうですか。きみは、立派なお兄さんですね。全く、まさか以外にその答えを出せる者が居るとは」


 迷いのない、凛然とした答え。堪えきれず、ジェズアルドが声を上げて笑う。あまりにも幼稚で、馬鹿馬鹿しくて。


「それ……正解ですよ」


 そして、崇高な答えだ。羨ましいくらいに。


「は、はあ? 正解って」

「正解は、正解です。良かったですね、弟くん。強く、優しいお兄さんを持てて。大事にしないといけませんよ」


 そう言って、ジェズアルドは踵を返す。


「そうそう、この路地裏を出て向かい側の角のお店。輸入品の食糧やお菓子が置いてあるみたいですよ? 人外達が見逃したのでしょう、商品はそのまま手つかず置き去りにされていました。そこに二人で籠れば、まあ一か月くらいは余裕で生き残れるでしょう。食べ過ぎたりしなければ」

「な、何言って」

「死にたくなければ泥水をすすってでも、ゴミを喰らってでも、そして人外に頭を垂れてでも生き残りなさい。それが、君たちが出来る僕たちへの唯一の『復讐』です」


 それでは。そう言い残して、ジェズアルドはその場を後にした。彼等がどうなろうと、知ったことではない。

 ただ、思う。


「……羨ましいなぁ」


 遥か遠く、膨大な時に押し流された過去を思い出して。ジェズアルドは再び濃厚な夜闇へと姿を消した。

 

 

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