三章 作戦会議

暗躍する影

「サヤ、居るか?」


 控えめに叩いた筈なのに、グローブを外した剥き出しの義手によるノックはやけに大きく響いた。病院という場所は、どうしてこうも不自然に静かなのか。手足から漏れる金属音が自分の耳に届く程の静寂が、アーサーは苦手だった。


 いや、そもそも此処は病院ではない。大統領府が存在するアルジェント第八区、そこに建てられた医療研究機関『セイヴィア』である。

 セイヴィア機関はあらゆる薬剤や技術、機器を研究し開発を行うことを生業なりわいとしている。しかし、それはあくまでも表向きの顔であり、裏では最新の医療技術で不正な試験を繰り返す非人道的な実験場である。

 どうして非人道的なのかと言うと、此処には被験体にマウス、そして使方針であることが理由だ。国の為、などという大義名分で好きなだけ人体実験が出来る。

 そんな暗黒で、アーサーとサヤは育てられた。言ってしまえば、此処が二人の家なのだ。


「サヤ……入るぞ」


 ドアには鍵がかかっていない。ゆっくりとドアを押しながら、室内の様子を伺う。病室のような、彼女の部屋。長年暮らしているとは思えない程に生活感が無い。

 サヤはベッド横の床に直接座り込んでいた。抱えた膝に顔を埋めている為に、表情はわからない。


「大丈夫か?」

「……………」


 返事はないが、眠っているわけでもないらしい。アーサーも隣に座って、差し入れに持参した菓子の小箱を置く。水羊羹は甘いもの好きな彼女の一番の大好物である。

 いつもは何か大きな仕事をこなした後の労いに贈るのだが、今回は事情が違っていた。


「大統領から、その……例の件について再度出撃要請が出ている。だが……嫌なら、拒否して貰っても構わない。きみは体調不良だと言い張れば良い」

「…………」

 

 サヤは何も答えない。無理もないか。彼女には悪いが、彼女の過去のことを調べさせて貰った。そして、サヤが幼少期に人外として生物研究所に連れ込まれ、テュランと出会っていたことを知ったのだ。

 人間と人外の違いは、国によって基準が異なる場合が多い。アルジェントなどは数年前に漸くはっきりとした基準が設けられた程で、昔はその区分がもっとあやふやだった。

 ゆえに、サヤは超能力という人ならざる力を持っていた為に、人外という枠に押し込められてしまった。


「きみがテュランに対してどういう思いを抱いているかはわからないし、それを咎めるつもりはない。親しかった相手を殺害せよなどという命令に従う必要も無い。だから――」

「彼が殺されるのを、黙って見ていろって言うのね」


 ゆっくりと、サヤが顔を上げた。両目とも赤く腫れている。ずっと泣いていたのだろう、声も掠れていた。


「私……あの襲撃でトラちゃんを殺せたら、すぐに私も後を追おうと思っていたの」


 ぼそぼそと喋るサヤに、アーサーは動揺した。いや、予想はしていた。彼女は責任感が高く、仕事でちょっとしたミスを犯す度に罰を受けようと自ら進言する程だ。

 自分が助かる為にテュランを見捨てた結果、彼が殺戮に狂った。その責任を取って、否、彼に対するケジメとして命を捨てる。実にサヤらしい行動だと思う。


「彼を見捨てて、私だけがのうのうと生きるだなんて……そんなの、絶対に許されない。私が私を許せない」

「サヤ、落ち着いてくれ」

「彼を狂わせてしまったのは私のせい! 私が悪いの、トラちゃんは悪くない!!」


 金切り声を上げて、サヤが髪を掻きむしる。ぎょろりと見開いた双眸は血走っており、その剣幕はまるで鬼のよう。尋常ではない様子に慌てて彼女の手首を掴み、止めさせる。長く艶やかな黒髪が数本、はらはらと床に落ちた。


「……トラちゃんは悪くないの。あの子は凄く気が弱くて、でも本当に優しくて……大好きだったのに」


 両腕をだらりと下ろして、力無く項垂れるサヤ。そのことは、アーサーも改めて資料を読み返して来たから知ってはいる。

 だが、アーサーが実際に対峙したテュランに気弱な面影は無かった。しかも、負傷しているにも関わらず、痛みを感じていないかのように凶悪な大剣を振りかざしていた。接近戦に置いて、彼のようなタイプが一番手強い。

 左の義手を軽く握る。ヴァニラとの遭遇により、義手と義足にかなりのダメージが出た。約半日をメンテナンスに費やした上に、結果的に左腕は肩から取り替えることになってしまった為、何となく違和感が残るがこのまま暫くは我慢するしかない。

 いや、違う。アーサーが感じている違和感は、自身の義手に対してではない。


「……臆病だったテュランが、どうして此処まで変わったんだ?」


 テュランに向けられた仕打ちは確かに、アーサーから見ても目を背けたくなる程に醜悪なものだった。だが、資料によれば彼は自殺未遂やパニック状態には幾度となく陥っているものの、他者や物など外に怒りをぶつける行動は皆無であった。どちらかというとテュランは内側から壊れていくタイプなのだろうと思われる。

 そんな彼が、此処まで攻撃的になることなんか有り得るのか。いや、人間に激しい憎悪を抱いていたのなら何かをきっかけにして感情を爆発させることくらい、何もおかしいことではない。しかし、それでもやはり今のテュランと資料に記された彼とは余りにも結び付かない。

 では、一体何がきっかけとなり彼を豹変させた?

 サヤと再会しても少しも心を揺らさなかった理由は何だ? 何が原因だ? 否、そうではない。


 一体、『誰』のせいだ?


「……俺が思うに、テュランは確かに人間に憎悪抱いていた。だが、こんな復讐へと背中を押した存在が、彼の近くに居るんじゃないか?」


 アーサーの言葉に、サヤが顔を上げる。人外には人間のような権利が与えられない以上、此処までの被害を出したテュランは捕まれば必ず殺される。だから、こんな考えは何の意味も無いのかもしれない。

 だが、アーサーの中には仄暗い思考が渦巻いていた。


「ヴァニラは……恋慕の情はあるようだが、それゆえにテュランを変に焚き付けるよりは傍で見守る、もしくは護ろうとするタイプだろう」


 拳を合わせてみて――なんて言ったら、流石にサヤも思うことがあるだろうから口には出さないが――ヴァニラは人間を憎んでいる、というよりはテュランを傷付ける人間を警戒していると考えた方が良さそうだ。

 ならば、ヴァニラ以外にテュランの傍に居る者が彼を殺戮へと誘った筈。


 ――しか、居ない。


「吸血鬼……ジェズアルド」


 それは不老であり、長寿の種族。吸血鬼は強大な力を持つ上に狡猾で、特に恐れられている人外である。

 そして、アーサーにとっては因縁の存在。


「ジェズアルド……指名手配もされていない吸血鬼なら、そこまで脅威とは思えないけれど」


 ぼそぼそと、サヤが呟く。吸血鬼は自尊心の高い者が多く、世界に名を知らしめることが一種のステータスだという風潮がある。だが、それは精々二百歳程度の若い吸血鬼だ。

 本当に恐るべき力を持つ吸血鬼は、その程度で喜んだりしない。


「サヤ、吸血鬼には年齢とは別に『階級』が存在することを知っているか?」

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