気まぐれの慈悲


 ※


 夜。廃墟と化した街は、なお一層冷たい静寂に包まれる。灯りを無くした建物、人気ひとけの無い道。それらを全て、銀色の月が青白く照らす。月光だけに頼るなんて何百年ぶりだろう、とジェズアルドは思った。

 もっとも、吸血鬼は夜目が効く。例え今夜、月が顔を出していなくともさわりは無い。


「いやー……ここは静かで、良いですねぇ。癒されます」


 特に、ジェズアルドは五感が鋭い。焼け焦げた新聞紙が、風に押されて地面を滑る音。どこかから漂うすえた臭い。全てを余すことなく楽しむ。

 若者達と言葉を交わすことも楽しいが、一人でこうして居るのも悪くない。独り言で何を言っても、誰も文句を言ったりしない。

 答えてくれる者も居ないのは、多少寂しいが。


「やれやれ。テュランくんもヴァニラさんも、あんなに大怪我して帰って来なくても良いでしょうに……ん?」


 ふと、何か聞こえて立ち止まる。話し声だ。すぐ近く……恐らく、脇に見える路地裏の奥だろう。


「……」


 ジェズアルドは迷わず、路地裏に入った。じめじめと黴臭い空気が、肌を撫でる。この感じは、あまり好きじゃない。それでも、何か面白そうな様子に出来るだけ気配を消して、足音を忍ばせる。

 気配を消そうとしてしまうのは、ジェズアルドの昔からの癖だった。いつからこんな癖がついていたのかは、もう覚えていない。


「ギャハハ! おチビちゃんたちよぉ、もう逃げねぇのかー?」


 下品な笑い声が聞こえる。入り組んだ建物の陰から様子を窺えば、そこには男が一人居た。ジェズアルドよりも背は低く、焦げ茶色の髪を伸ばし一つに結んでいる。

 どうやら、彼も吸血鬼のようだ。そして、ここからではよく見えないが、行き止まりとなった奥にもう一人居る。

 否、一人ではないようだ。


「うっ……く、来るな! こっちに来るな、人外!!」

「おいおい、指図してんじゃねぇよクソガキ。何も二人とも喰ってやろうとは言ってねぇだろ? 一人で良いんだよ、だから……どっちかがおれ様のエサになれよ。そうしたら、一人は見逃してやっても良いぜ? なんなら、この国の外に逃がしてやるよ」

「そんなバカなこと、出来るわけないだろ!」

「それなら、二人とも殺して半分ずつ喰ってやるよ。首を絞めて、腐りかけた頃になぁ!」


 うわー、性格悪い。ついでに趣味も悪い。ジェズアルドは茶髪の男の耳障りな声に辟易へきえきしながら、気配を消すのを止めた。


「ちょっと、そこのお兄さん。そんな悪趣味な血ばかり飲んでいたら、舌が麻痺してしまいますよ?」

「ああ? ……うわっ、ジェズアルドさん!?」


 何でこんな場所に! 男が振り返り、カエルのように跳ねた。よく見れば、やはり彼の背後に二人の子供が居た。

 二人ともよく似た、栗毛の髪に青い瞳を持っている。


「それで、きみはこんな場所で何をしているんですか?」

「あ、あのー……おれ、今日見回りの番なんすけど……どうしても腹が減っちゃって。我慢できなくて、ダチと代わってもらって。それで、この辺りならそろそろいい感じに腐った死体があるかなって思って物色していたら、このガキ共が居て」

「ふうん……テュランくんが怪我を負って寝込んでいるというのに、きみはサボってこんな場所でつまみ食いですか」


 もっとも、僕も他人のことを言えませんけどね。内心だけで笑いつつ、出来るだけ厳しい口調で叱責してみる。びくりと、男が肩を震わせた。


「うう……で、でも。あ、そうだ! ジェズアルドさんも、一人どうですか?」

「は?」

「ちょうど二人居ますし、ね?」


 あらあら、この子ってば僕を買収しようとしてますよ。ジェズアルドが重々しくため息を吐く。

 全く、これだから最近の若僧は。


「とにかく、きみはさっさと持ち場に戻りなさい。その子達を見逃せば、僕も見なかったことにしてあげますから」

「え、ええ!? で、でもぉ!」

「言ったでしょう? 腐った血ばっかり飲んでいたら、どんどん『悪食』が進んでしまいますよ。きみはまだ若そうですし、もっと気をつけなさい」


 眼鏡を押し上げて、ジェズアルド。だが、男も引かなかった。


「ぐっ……あ、アンタにはわかんねーよな! この悪食がどれくらいキツイかなんて。普通の血じゃ物足りなくて、喉を何度も掻き毟って飢えを誤魔化すなんてわかんねーんだろ!! アンタには、悪食なんて関係無い話だもんな!!」


 うわ、これが若者によくある逆ギレというやつですか。髪よりも明るい茶色の瞳が怒りにぎらつき、白目の部分は真っ赤に血走っている。


「……きみと争うつもりはありません。さっさと持ち場に戻りなさい、僕の言うことが聞けませんか?」

「くそっ、『真祖様』だからって偉そうに――」

「僕の命令が、聞けないのですか?」

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る