25 誰にも聞こえない


 翌日、水曜。マスク姿で登校してきた尾張ユリカは、ほぼほぼ元気にちんまりと御園さんの机の脇のいつもの場所に鎮座する様になっていた。

 恭平の目から見たその様は、なんだか不思議な光景だった。


 あの二人は、互いに同じ秘密を隠している。


 主に聞き役に回っている尾張ユリカは、内に秘めた深夜ラジオ仕込みの下品なキャラクターを隠していて、ほぼ一方的にのんびりとお喋りをしている御園さんは、目の前の少女がやっているそんなラジオを聞いたという事を伏せている。


 言っても、自分もそうなのか、と思って学内図書館で借りたエッセイ本に目を落とす。


 話し言葉に近い語り口であれやこれやと短い話題に思い出話や妄想を絡めた文章の感じが、ラジオに近い。どちらかと言うと一人喋りに似ているけれど、『こないだこんなことがあってさ』と相方が話していると仮定して胸の中で相槌を打ってみたり突っ込んだり。


 うまいなあ、と感心する。当然と言えば当然だけど、万遍マンデーの様に思い付きでぎゃあぎゃあボケ合っているだけじゃない。状況を説明しながら軽く掴み、きちんと振りを作って話を盛り上げ、最後にはしっかり落として――。


 溜息と同時に、顔を上げた。


 期末テストを控えた昼休みの教室は、少しだけいつもと違う雰囲気だった。それもそうだ。入学試験によって同程度の学力の持ち主が集められた学校の中でも、勉強の出来る出来ないは確実にある。中学まではそこそこできる方だった恭平自身も、初めての中間テストでは真ん中くらいの成績だったわけで。勉強が出来る、という事を密かに自分自身を形成するパーツの一つにしていた身としては、ちょっと凹んだ。

『ここに長江恭平という少年がいる。容姿端麗にして、成績は優秀であり――』で始まるエッセイの冒頭が書き換えられた気分とも言える。


 思えば三か月ほど前、入学当初に蔓延していたあの緊張感は新しいポジションの探りあいだったんだろうなと。


 窓枠に腰を預けて明るく男子と話す女子。落書きが施された黒板を黙々と消す今週の担当者。集まってトランプに興じるグループ。ピエロを演じる様に馬鹿な顔をしている奴や、マニアックなアニメの話をしている奴ら。同じ中学の同じクラスの出身で入学当初はやたらと話しかけて来てくれた人の顔も、公欠している野球部ですら、すでに風景の一つに溶け込んでいた。


 どうしてそんなに。どうしてそんなに素直に受け入れられるのだろう。新しい自分を。


 そこで馬鹿を演じている君だって、この学校にいるという事は、中学ではそうでもなかったんだろう? 髪を染めて不良っぽく振る舞っている君だって、そこそこ真面目なはずだったんじゃないのかい? 周りにいじられておどけている君は、それでいいのかい? これはこれでと言い訳と正当化を繰り返しているのかな。それとも、不平や不満をどこかでこっそり吐き出しているのだろうか。あるいは彼らは本当に見たままそのままの人で、昔の自分も今の自分も『変化と成長』の中に置いてけぼりなのかな、とか。


 ふと思う。それぞれがそれぞれのおさまり所を教室と自分の中に見つけた今、長江恭平はどうなんだろう、と。


 そいつはいつも休み時間の度に一人で本を読んだり、机で寝ていたり、無駄にトイレに行ったり、階段を上ったり下りたりなどをしたりけり。


 友達がいない様に見えるのかな。中学ではそこそこいたんだけれど。


 もしかして、本が好きだと思われているのかな。教室で他にやることが無いだけなんだ。

 話しかけづらいとか思われているのかな。本当は、誰よりも話したいと思っているのに。話題が見つからないだけなんだよね。


 誰かの中では、どんな自分がここにいるんだろうか。誰かの中で、自分はここにいるんだろうか。その人は、長江恭平と同じ分類の誰かであっても、問題は無いんじゃあるまいか。


 じゃあ、この自分はどうしてここにいるのかな。


 胸の中で渦巻いた無数の小さな虚しさがこすりあって熱を持つように。愚にもつかない事を考える度、じりじりと炎は広がっていって。


『俺、ラジオやってるんだ!』


 衝動的に込み上げたこの上なく恥ずかしい言葉をぐっと飲み込みこんで、机に額を落とす。


 思うのは、ただ。もっと面白いラジオがしたい。やってやりたい。聞いた人の頭がぶっ飛んじゃうくらいの劇薬を。


 そう思って額を机の天板にコツンと落とし、腕の肉を少し噛む。雑ヶ谷の暑さが滲み出たのか、それともただの緊張なのか、実にしょっぱい人間の味がした。

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