26 番宣しよう



 そしてその日、水曜の学校終り。

 夏の放課後を坂下の新古書店で過ごしていた恭平の右肩を、ポンと叩いた手があった。


「きみきみ。万引きは駄目だよ」


 少し驚き振り向けば、ふふっと拳で口元を隠した学年でも指折りの美少女の笑顔があった。


「えへへ、私でした。びっくりした? 奇遇だね」


 などとにこにこ話しかけて来る同じ中学出身にして現クラスメイトの、


「あ、うん。御園さんと――」


 目の前に咲くいたずらなひまわりの瞳から斜め下に視線を逸らせば、そこにいたのは不幸をもたらすタイプの座敷童こと仏頂面の日本人形でお馴染みの


「……名古屋さん?」

「尾張だ。尾張ユリカ、十五歳と十か月。担当ポジションは《噂の美少女の親友兼美少女》だ。くれぐれもよろしく、長江君」


 偉そうに腕組みをした彼女はまるで威嚇をするかのように、フンッとマスクを外した小さな鼻を鳴らして見せた。


「はは、変な人だね。よろしく」


 愛想笑いを浮かべながら、ちらりと御園さんの顔を窺う。別にたまたま偶然手にしていたグラビアアイドルの肢体を、えいっと彼女の首から下に影送りするというわけではなく――。見えないのだ、御園さんの意図が。あの番組を知っているという事を内緒にしろと言っておきながら、何故わざわざこの状況を作ったのか。


 が、彼女の次の一言で恭平は思い知らされることになる。見た目は可愛いあの子の本性を。


「ふふふ。あれれ? もしかして二人は喋った事無いのかな? 同じクラスなのに」


 にっこりほほ笑み可愛らしく小首を傾げた黒髪の彼女に、その三日月の様な怪しい瞳に。


「言っておくけど、しーちゃん。私は同じクラスだからと言う理由だけで見知らぬ男に口を開く様な軽い女じゃ無いぞ」


「ふふ。知ってる知ってる、知ってるよ。ゆりちんはお高くとまってるんだもんね」


「まあ、そ……ん?」


 『今のおかしくないか?』と言う視線を一瞬向けて来た相方がその目を慌てて本棚に逃がすのを横目に、恭平はまじまじと御園志桜梨の楽しそうな横鼻辺りを見つめていた。


 御園さん、まさか、君は。


「ふふふ。実は私ね、二人はきっと仲良くなれると思うんだっ♪」


「……は?」


 割と月曜日の彼女に近い顔でリアクションした元風邪っぴきの前で、恭平は苦笑い。


「うん。だってゆりちんも長江君も面白いし。それに何て言うか、ほら、二人って似てるもん。えへへ」


 そのまさかだった。御園志桜梨は、この状況を最大限に楽しむつもりなのだ。つまり、自分に何も言わずにラジオを始めた親友の秘密を逆手にとって『ゆりちん』だか『ゆりぴょん』だかの慌てる姿を堪能しようと、そういう腹。そう言う顔。そう言う笑み。何と言うナチュラルサディスティックガールっぷり。


 ――か、可愛い。


 声を押し殺そうとするかのような彼女の少しくぐもった控えめな笑い方を見て、心の赤い実がきゅんと来た恭平の斜め向かい、軽く頭を振ったユリカは。


「頭は大丈夫か、しーちゃん。私の知る限り、四月のド寒い自己紹介以来、長江君が面白かった事など一度もないが」


 ――うん、可愛く無え。


「大体この虫――あっと、長江君は休み時間の度にトイレに行った振りをするか寝たふりをしているような典型的自意識過剰の精神的引きこもりだとお見受けする。一体しーちゃんはこのゲテモノのどこが面白いと思うんだ? 存在か? それなら確かに笑えるが」


「いやいや、ちょっと待ってよコーチンさん。俺は水を飲んでる振りもしてるってば」

「だから名古屋で広げるな。私は尾張。人をコーチンなどと卑猥……おほん、鶏みたいに言うなよな、長江君」


 にっこり笑顔の恭平をじろりと睨み上げる尾張ユリカ。表情こそ違えど心は共に『この野郎』で一致する。


「頼むよ御園さん。中学を共にした仲間として俺の面白いとこを教えてやってよ。このひつまぶしさんに」


 そんな恭平の頼みに『ふむふむ』と顎に指を当てて天井を向き、真剣に考えた可愛い彼女は、


「……えっと、顔……かな? うん、顔」


 と半疑問形で呟いた答えに自ら納得の首肯をした。


「……ん?」


「ぷふっ。そうか、よし、ここは友人として私も全面的にしーちゃんに同意しよう。あはは。良かったな、長江君」


「……ん?」


「うわっ、やめろよ長江君。そんな面白い顔を向けられたら、このクールなユリカちゃんが笑い死んでしまうじゃないか」


「……おいホンダ」

「トヨタじゃ! じゃなくて尾張なっ!」


 すると。


「ふふっ。やっぱり二人は相性良いね」


 などとくすくす笑った御園さんが、すかさず反論しようとした尾張ユリカの言葉を制し。


「えへへ、実は私気付いてたんだぁ。最近ユリカちゃんが、ちらちらって長江君を見てたこと」


「……あぁん?」


 思わずしゃくれたユリカの顎の先で、にっこり頷いた御園さんは若干の引き笑いを拳で隠しつつ。


「ひっひっひ、言っちゃった。ね、長江君、ユリカちゃんてこう見えてすっっごい可愛いんだよ。だから、仲良くしてあげてね」


「いやいや、しーちゃん、ちょっと待て。まず『こう見えて可愛い』とはどういう事かとあえて問おう」


 ぴしっと片手を伸ばして友人を見つめたユリカを見ながら、恭平は笑って。


「そうだね。中日さんはきっと可愛さを内に秘めてるんだよ」


「丸出しだっつうの、尾張ゆりかちゃんの可愛さは。この顔面に」


 持ち前の仏頂面をくるくる指さしながら睨み付けてくるユリカに微笑みを残し、店の時計を見やった長江恭平は。


「じゃ、俺、そろそろ行かなきゃだから。ゴディバさんは風邪お大事に。来週の月曜までには全快すると良いね」


「……っ、おい長江君。いろいろと、おい」


 背中に敵意をぶつけてくる相方に、いいから早く帰って寝ろよと胸の中で悪態をつきながら。


 よし。いくぞ。


 と頷いて愛車に跨る。


 手元のスマホで、時刻は水曜十七時五十二分。


『キョーヘー、すね毛は剃った方が良い。剃刀無けりゃ用意しとくぜ?』


 というアスカさんからのメッセージを確認。


 向かう先は、なんだか愛着めいたものが湧き始めているあのボロいスタジオ。


 今宵、あの場所に間違いなく血と涙の雨が降る。


 そんな事を考えつつ必死にペダルを漕いで古臭い個人商店と小洒落たチェーン店が混在する坂を上がっていく。気分はホームタウンを乗っ取った魔女達の中へ単身乗り込む騎士のそれ。あるいはライバル高校の番長達が待ち構える喫茶店の扉を押し開ける無頼の不良と言った所だろうか。


『えっ? 宣伝? ウチで? う~ん、しょうがないなあ。でへっ。じゃあじゃあ後輩君がなんか面白い格好で来てくれたらさせてあ・げ・る♪』


 昨日、大人気なダンス部様の元へとゲスト出演させて欲しい旨をお願いに上がった恭平をきゃっきゃと笑った先輩お姉さんズに滑り殺されたとしても。この身から噴き出る液体が最高に面白い形で流れてくれればいいのだと。


 もしもそれでたった一人・たった一秒でもあの下らないラジオを聞いてくれるなら全力で滑らせていただきましょうと心の底に決意を置いて、むせかえる程の夕焼けに染まる雑ヶ谷の坂に向かってペダルを押しこんだ。

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