24 やれることをやれるだけ




 昼ご飯は食べた。トイレにも立った。期末テストの範囲もちゃんと聞いていた。なんならいつもよりびっちりノートをとった位だ。

 それでも、気が付いたら放課後だった。

 梅雨間の夕焼け。外はそれなりに明るく、自分は教室の席に座ったまま。

 よし。決めた。

 行こう。

 そう思って鞄を握り、ふと、可愛くデフォルメされた『蜂さん』がちくちく刺して来るような視線に気が付いて顔を上げる。

 すると。


「~~~っ」


 斜め右前に四つほど机を数えた所からぎゅっと唇を結んだ愛らしい鬼が、半分泣きそうな顔でこちらを思いっきり睨んでいた。


「……ええっ、と」


 精一杯困って見せても、彼女は睨むのをやめてくれない。


「……えっと」


 出口の方を向きながら立ち上がっても、とりもちの様にじとりと低く、粘り強く。


(……やめろ)


 試しに思念派を射出しても、耳の裏に特殊な無効化装置を埋め込んでいるかのように無視されてしまう。


(……ソワカッ)


 なので人差し指と中指を唇に当てて小鬼に向かって呪文を唱えて見ると、効果あり。術に耐えかねたように両足でぴょこんと床を蹴ったブラウス姿の小鬼が、ずいずいずいと肩をいからせながら恭平に向かって歩いて来て。


「…………知らないよっ」


 と愛らしい顔をうにーっと潰して捨て台詞。


 その言葉は今朝方尋ねた『尾張ユリカは君が万遍マンデーを聞いたという事を知っているのか』という問いの答えなのか、はたまた『長江君なんてもう知らないっ』と言う意味なのか。


 ただ、御園さんが割と怒っているという事ははっきりしているわけで。

 そんなに聞いて欲しかったのかと頭を掻く。

 御園志桜梨と言う人は、長江恭平にとって一番番組の感想を聞いてみたい相手でもあり、聞きたく無い人でもあり、聞くべきタイプの人だとも思っている。

 でもまあ今日の様子なら、どのみちその内、尾張ユリカ経由で情報は入って来るだろうと甘く見て、積極的に無視をしていたわけだけれども。

 何と言うか、ああやって面と向かって怒られると、別段悪い事をしたわけでもないのに申し訳ない気分になる。

 振り向けば、教室のドアを出ていく彼女がもう一度ちらりとこちらを見て『ふぅ~っ』と猫の様に唸って廊下へと消えていくのが見えた。


 女子って、面倒くせえ。


 童貞が童貞であることの正当性を主張する台詞第四位の言葉とニヒルな笑みを浮かべた少年は、早足で好きな女の子が残した微かな制汗剤の匂いを追いかけた。



「御園さん、御園さん、例の話、聞かせてくださいな」


 校舎を出た辺りの中庭で後ろから声を掛けてきた罪な男を、当然の様に女子高生は相手にしてくれない。


「もう駄目です。募集は締切りました」


 なので。


「そこを何とか、姐さん、頼みます。この通り」


 精一杯ツンとした素振りで歩いていた御園さんが、ちらりと恭平の方を振り向いた。よし、チャンス。特に何も用意はしていなかったので、長江恭平は軽く謝罪のポーズを見せながら彼女の視界に入る位置まで前に出た。


 そのまましばらく長江流 《誠意ある謝罪の構え》を見つめていた御園さんは、再びぷいっと膨れ返し。


「駄目だよ。だって私、怒ってるんだもん。こんなにだよ」

「え? そうなの?」


 とぼけたわけじゃないけれど、思わず反射で聞き返していた。ポジションは、両手でつかんだ鞄を膝の前にぶら下げ歩きだした彼女の斜め前。自然といつかネットで読んだ『狙いの異性と話すときは斜め前の席に座れ』という教えを実践している自分に気付き、足の位置を誤魔化しながら。


「そうだよ。怒ってるの。実は怒ってるんです、私」


 血中に溜まった怒り成分を逃さぬようにこくりこくりと頷く御園さんの仕草は可愛らしくて、一般的よりやや気持ち悪い部類に所属する少年は、思わず『へへへ』と愛想笑う。


 そして。


「……えっと、何で怒ってるのかな?」


 苦笑いの恭平の顔を見て、御園さんはぱちくりと瞬き。


「えっ? だって、今朝長江君が私にインタビューしてくれるって約束……? あれ? したよね、約束?」


 きょとんとした顔の彼女に合わせて、恭平もまた瞬きをして。


「いや、してないけど」


 本当はそんなの、覚えちゃいないけど。


「え? うそうそ。したよ。したもん。……し、しましたぁ~」


 両手で鞄を持ってすっとぼける鼻とは対照的に、僅かな動揺が美しい黒瞳に滲んでいるのが実にかわいい。ので、まじまじと見つめる。すると、御園さん家のお嬢様はすっかりしどろもどろになって。


「あ、うう……そ、その……ホントはし、してなかったかも。ご、ごめんなさい」


 と言いながら、黒絹の髪先が地面を撫でる程に深く頭を下げて『……むぅ~』と恥ずかしそうに唸りながら首を竦めると。


「な、内緒ねっ、また明日っ」


 と、一声残して花壇の向こうの校門へとびゅーんと走り去っていた。揺れるスカートの残像が残る程の意外な俊敏さに面食らっていた恭平は、我に返ると苦笑いで髪を掻く。


 結局教えてはくれないんだな、とか。

 一体何が『内緒』なんだろう、とか。

 いざ喋ってみると、割と普通に話せるもんだな、とか。

 これならラジオの方が緊張するな、とか。


 あとはなんだろう、少し勘違いをしていたのかも知れないな、と。あの二人が友人関係にあるのは、沼底の泥をすすって生きるミミズネコこと尾張ユリカが、ペルシャの猫皮を被って接しているからだろうと思っていたけど。


「さて」


 そんなことより、今は。


「尾張さんにバレなきゃ、いいんだよね」


 一人こくりと頷き自答を終えた長江恭平は、踵を返して歩き出した。

 プロデューサーもネットのご意見番も楽しく聞いてくれる人達も、等しく全てをぶっとばすために、出来る事ってあるはずだと。

 限られた放送回数の中、のんびりしてる時間は無い。

 ああ、どうやって尾張さんにバラそうか。『御園さん、聞いてるらしいよ』なんて言ったら、きっとあいつは面白い顔するんだろうな。


 そう思ってニヤニヤと。


 一人乗り込んだ火曜日三階の廊下、すれ違う三年生達が訝しげな顔で見る程の気持ちの悪い笑みは、高校一年の有象無象なりの防弾チョッキだ。



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