18 もっと、君と。


 木曜日、昼休み。

 一時間前に更新された『感動ウェ~ンズデー』の初回アーカイブをぼんやりと聞きながら、長江恭平はパンを食べていた。本日の場所は、理科棟につながる人気のない廊下。窓は梅雨に濡れて冷えていた。


 あの日以来、何となく尾張ユリカに顔を見られたくなくて、休み時間の度に出歩いている。


 イヤホンからは、ゲストの瓜実公をそっちのけで『気持ち悪い』だの『かわいい』だのときゃぴきゃぴ話し合う楽しいトーク。

 ぼんやりとその仲良しトークを聞いていた夕べ、生放送のアクセス数は100を超えていた。


 それなりに美人揃いの現役女子高生ダンス部が繰り広げるあけすけなお喋り。意外としっかり者の小柄なあの人を中心に据え、緊張してガチガチになっている誰かを弄ったり等々、温くはあるけど元気があって滑舌も良いし。仲がいいだけあってエピソードも豊富で『ダンス部の宣伝』という目的がはっきりしてる分、番組構成も分かりやすい。そりゃあ人気もあるでしょうよ。


 対する万遍マンデーの初回アーカイブは、五十二のまま。うえ~んずで~の第一回アーカイブが更新されると同時に、二人でギャーギャー騒ぎながら何かに追われているかのように早口でまくし立てる先週のプレ放送が『第一回』と名を変えて配信され始めたのだ。公開された《パーソナリティ紹介》の写真も、ロックバンドのジャケットみたいに格好つけた金曜の劇団員や放送ブースに座ったまま小窓に向かってピースサインを向ける先輩女子高生ズと違って《ノーイメージ》という文字だけだった。


 アーカイブ更新係のアスカさんから届いた『すまん!』というメッセージに、『瓜実公のせいではありませんよ』と返事をし、廊下端の謎ロッカーに腰を掛け、窓にもたれる様にもぐもぐとパンを咀嚼する。


 誰にも謝られる様な覚えはない。

 だって、誰のせいかなんて明白じゃないかと。

 どうして、誰もそれを言わないのかと。


 頭の中を色々な考えと感情が廻ったが、それにつけてもナイススティックは美味いなあと考えて。そんな自分をへらへら笑っていると。


「……おい」

 廊下の向こうからやってきた小女の顔を、視界の端で見る。

「……おい、長江」

 再びの呼びかけに、恭平は首を傾げて。

「ん? 話しかけてもいいの? 学校で」

 彼女はふん、と鼻を鳴らした。

「私に話しかけるよりも、無視をする方が罪が重いんだぞ」

「あ、そ」

 言って、腰かけていたロッカーから飛び降りる。

「で、何?」

 いざ学校で話すとなると何だか気恥ずかしくて、言い方が粗暴になってしまうなあと横を向きながら。

「悪かったな」

 彼女もまたそっぽを向きながらそう言った。腰に片手を当てて窓の方を向くその立ち姿は、とても人に謝っている様には見えないけれど。

「別に」

 反対側の壁を見ながら恭平は言って、パンを口にする。

「……アーカイブ、見たか?」

 頷く。パンをもぐもぐやりながら。

 ユリカはむすっと唇を尖がらせたまま。

「こないだの奴、無かった事にされたみたいだ」

「みたいだね」

「…………すまん」

 彼女はもう一度、今度は反対の手を腰に当て、さっきとは反対側を向きながらそう言った。

「いや、別に」

 今度は窓を向きながら、恭平は薄く笑った。何て言うか、自分自身こうなるとは思わなかった。まさか、ここまでやられるとは、だ。わかってるつもりが分かっていなかった。自分達がやった事の重大さとか、やっている番組の感じとか。だから、仕方ない。思っていたよりもずっと、ちゃんとした番組だったのだ。


 だからきっと、このまま番組が終わったとしても、それはそれで仕方が無い。


「プロデューサーの判断じゃないかな。さすがにあれはまずかったってことじゃない?」

 苦笑した恭平に、ユリカはこくりと頷いて。

「……ごめん」

 と今度は小さく正面に頭を下げた。

「だから、俺はいいって。謝るなら、藤井さんにじゃないかな?」

 雑ヶ谷の魅力を伝えるために恐らく公的なお金を使ってやってるってのに、放送できないんじゃ意味が無いもの。

「……まあ、うん、そうかもな」

 もともと小さい彼女が、シューンと一回り小さくなった。

 ちょっと感動。なんとしおらしいことか。不覚にも、ほんの少しだけ、可愛く無くは無いかもしれないと思った。愛玩動物としては。

「うん。そうしよう。今度、ちゃんと二人で謝ろう」

 一日のほとんどが日陰になるカビっぽい埃だらけの廊下で、彼女はぱちくりと瞬きをして。

「……お前は別に、悪くないだろう?」

 等とふざけた事を言ったので、さすがの長江恭平少年もカチンときて。

「それはない」

 と頬をピクリと引き攣らせながら。


「俺は、かんざしさんが面白いのは知ってる。かんざしさんの考えてる事は面白いし、言ってることも面白い。だから、万遍なんとかが面白いのは当たり前で、つまんねえって言われるなら――君が面白いと思って言ったことが、プロデューサーに『笑えない』なんていわれるんなら、それは全部、俺のせいなんだ」


 この数日、言葉にならなかった汚泥の様な感情が、堰を切ったように溢れ出す。形になる。右手の中で、ナイススティックがへなへなと萎えていく。


「俺、こないだの同録データ、聞いたんだ。やっぱりあそこまで、結構面白かった。あの発言だって、絶対もっと面白くできた。ていうか、ああいうのこそ面白くしなきゃいけなかった。じゃなきゃ、俺が居る意味なんてない。なのに、曲開け、あの盆踊りの後、俺、なんも出来なかった。びっくりして、動揺して、しどろもどろで、藤井プロデューサーと君と……どうしたらいいか決めきれなくて、最悪だった。アーカイブ聞けなくなって良かったって位に、つまんなかった。誰がどう聞いたって、俺が、君の足を、引っ張ってた」


 何が『生放送にハプニングは付き物』だ。何が『それに対処するのが生放送の醍醐味』だ。オーディションの時に言った自分の言葉が猛烈に恥ずかしい。思えばあの時だって、何一つ。結局どこかで聞いた様なラジオの真似事をしただけで。何一つ。多分、そんなの、本当は村田Dだって見透かしていて――。


 多分、最初から自分には無理だったんじゃないのかとか。

 スタッフブースの中にどうしましょうかと視線を送る度、冷たく微笑んでいたディレクターの顔を思い出して吐き気がする。


 ああ、最悪だ。

 こういうの、駄目だろ。こういうのは違うんだって。

 結局、自分はただ楽しくラジオごっこがしたかっただけで。

 何回聞いても、尾張ユリカは悪くない。彼女はただ、彼女であったというだけ。悪かったのは、相方気取りだった自分の至らなさ。


 だからもう、いっそこのま全部終りに。尾張さんのあの発言で番組は潰れたって事になっちゃえば――。


 もう、十分なんだから。やりたいことがやれて、これ以上望むことはないんだから。このまま終りにしてしまえば――。


 これ以上、醜態をさらしたら。ラジオ自体を嫌いになってしまいそうで。

 だから、もう。謝って、責任取って、終りにしよう。

 頬の内側を噛む様な恭平の言葉に面食らい、きょどきょどと瞳を動かす少女の顔。


 呼吸をする。ゆっくりと。


 それから青白く冷えた頬をさらしたまま、頭を掻く。


「尾張さん」

「……あ、え? う、うん、尾張だな」

 夢であくびをした様な顔の女子高生に苦笑しながら。

「今度、どっか行こう、土曜か日曜辺り、二人で」

 もっと、尾張さんの感じを知りたい。もっと、尾張さんの喋りを、理解しないと。このまま後悔だけで終わりたくはないのなら。あの楽しい時間を、また味わいたいのなら。

 勝手に口が喋ったと同時に、この脳内乙女には誤解されるかもしれないぞと考えて。

「えっと、別に、デートとかじゃ――」

 ちょっと引き攣った笑みを浮かべた恭平に、尾張ユリカはぷちっと切れて。

「んなっ!? き、気持ちの悪い事を言うな! お前とキスとか吐き気がするわ! このおたんこなすが!」

 どうやらデート=キスであるらしい彼女は、心底そう思っている顔で吐き捨てた。うん、よかった。相方が可愛げのない乙女で。


 そんな愉快な相方は、ふと思いついた様ににやりと得意の悪い笑みを浮かべると。

「まさかお前、御園志桜梨を連れて来てもらえるとでも思っているんじゃないだろうな?」

「お呼びじゃないって」

 可愛く無い上に性格にも問題があるんだよな、と肩を竦めた恭平は黙ってロッカーの上へと戻りイヤホンで耳に蓋をする。ちょうど同じタイミングで、尾張ユリカもまた黙って廊下の向こうへと戻って行った。


 そういえば、よくここにいるとわかったなと。恭平はその小さな背を見送りながら、あいつ昼飯食べる時間あるのかなとか考えた。




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