17 相方



 放送終り、プロデューサーのおばさんにこってりと絞られて、それから村田ディレクターにも『さすがに、このご時世にね。公式番組だから』と注意をされた帰り道。

「……分かってて言ったろ?」

 ぼんやりと夜闇に滲むような雑楽坂の灯りの下を下りながら。自転車を押していた恭平は隣を歩くおかっぱ黒髪に声を掛けた。

「……何がだ?」

 怒られている間中ツンと尖らせていた唇に未だ不満の色を残したままの相方がこちらを向く。

「……ああいう事言ったら、こうなるって」

 浮遊霊の様な恭平の声に、憧れのハガキ職人かんざしさんこと、尾張ユリカはふんと鼻を天に向けて。

「別に。私は私が面白いと思う事を言っただけだ」

 苦笑。

「でもさ、さすがに国政批判はね」

「……ふん。そんなつもりはさらさらないわ。私は思想も理想も持ち合わせちゃいない。私がやりたかったのは、何かそういう感じでふわふわした事を言う奴だ」

 まあ、多分そうだろうとは思っていたけれど。政治批判と言うより、政治家だとか活動家とか、そういうのに群がる人達を弄るつもりだったんだろうけど。そう言う人達にとってはいくらでも曲解できる発言なのは間違いない。そして、向こうには向こうの立場があるわけで。

「これから面白くなるとこだったのに、あの糞プロデューサーが邪魔したんだ」

 ぽりぽりと、頬を掻く。片手を外そうとハンドルを握り直した弾みでチリンと情けなくベルが鳴った。それでも、道行く人達が振り向くわけも無く。

「あんなおばさんにクビにされる位なら、伝説残してやめてやるわ、私は」

「……そっか」

 肩を怒らせて歩く相方に、再びハンドルを握り直した恭平は追いついて。分かっているなら、それでいいんだよなと頷きながら。

「……そうか」

「何だ? 言いたいことがあるなら言えよな」

 じろりと振り向いた相棒に、言葉にならない気持ちを笑みに変えながら。

「別に。それならいいやって、思ったんだ」

「……それなら?」

 低く呟いた尾張ユリカの視線に宿った敵意から、視線を逸らす。

「……それならって、何だ?」

 お前に何が分かるとでも言いたげな、若者の目。ちょっと笑う。あのかんざしさんにも、こういうベタな所があるんだなって。自分には、逆立ちしても無いよなあって。長江恭平は微妙な笑みで。

「かんざしさんが良いなら、間違いなく、それでいいんだってこと。俺が一人でやったって、他の誰かとやったって、あんなに面白くは出来ないから」

 プレ放送も含めて、まだ二回しかやっていないけど。割と満足してるから。思うに自分は、ラジオがやってみたかっただけで、それが出来たからには、別にもう。これ以上は、特に。望みも無く。

「君が嫌なら、いいんだ。プロデューサーの顔見ながら無理矢理続けなくても、別にいい。かんざしさんとラジオがやれて、俺は本当に楽しかったし、戦争を知りかけてる世代って言い回しは、実にあほらしくって笑えると思ったのも本当。きっと俺がリスナーだったらニヤニヤしてた。だから、もしそれで番組が終わるなら別にいいやって……ええと、何て言うか、つまり、一応、今までありがとう」

 ほんの数週間前の遠い昔に、かんざしさんに泣いて縋った坂の途中の交差点。ここを左に曲がれば、家に帰れる。これ以上一緒に下ってしまえば、帰り道は面倒だ。

「じゃ」

 信号が青に変わるのを見届けて、長江恭平はサドルの上にアナルを乗せてペダルを漕いだ。

「……尾張ユリカだ、馬鹿野郎」

 じろりと睨んで来る相方に流れだけの笑いを残して、夏の湿気にぼやける街灯の下へ。


 右、左とリズムよく漕ぐうちにやがて体は機械帝国に乗っ取られ自転車こぎマシーンと化し、手の空いた脳味噌が自動的に思考を始めた。ああすればよかったとか、こう返せばよかったとか。そんな一人反省会の最中に思い出すのは、『笑えないわよ』というプロデューサーのその言葉。

 そりゃ彼女の立場や、番組の在り方を考えれば、そうなのだろうけど。でも、だから面白いんじゃん。と考えて。

 そういう建前を吹き飛ばすくらい、内側に。例えば藤井さんが家で一人で聞いている時に、思わずニヤリとするような。そういうモノだってあるはずだって。右も左も、微関心で生きてるほとんどの人も。それらのどれにだってなれるし成らなくてもいいガキだって。

 きっとみんな、ラジオの前じゃ一人なわけで。

 彼女の言葉は、そこに届くセンスがあったはずじゃないのかと。誤解はあろうと、よってたかって曲解さえされなければ、分かってもらえるはずだったと。

 じゃあ、どうしてそれが『笑えなかった』のか。

 ……多分、それは。

 多分、それが――

 遅くなった。親に何か言われるかもしれないと考えて、雑ヶ谷の熱風に顔を上げて自転車を漕いで行く。路側帯一杯に広がって歩く酔っぱらった大学生風の奴等に絡まれぬ様、一生懸命避けながら。



 その夜、ヘッドフォンをしたまま寝転がった長江恭平の枕元に、美しい肉体のおじさんが現れた。

 両手を頭の上で縛られて身動きの取れない長江恭平にニタニタ笑って近づいてきた眼鏡に長髪の綺麗なおじさんは、羽ペンで恭平の右乳首をこちょぐりながら反対側のペン先を自分の薄ピンクの左乳首にそっとさした。瞬間、はふんはふんやってた恭平に、ニヤリと笑ったディレクターおじさんの頭の中の景色が見える。

 わかっていても認め辛かった事を、彼ははっきりと教えてくれた。


『それは君のせいだよ、恭平君』


 幸か不幸か、翌日を越えて水曜日になっても打ち切りの連絡は無く。代わりに、『万遍マンデー』の記念すべき第一回放送のアーカイブが配信されることもなかった。

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