二章 失われた歴史と未来と

 翌朝俺は、すっきりと目を覚ました。

 同じベッドの上にはリィートがいる。

 この状況で昨夜の出来事はおおよそさっしはつくと思うが、リィートが処女であったことは付け加えておこう。

 とりあえず身を起こすと、リィートが挨拶をしてきた。


「おはようございます、ハジメさま」


 朝の光を浴びたリィートの素肌が眩しい。


「おう」


 俺はそんなリィートに軽く返事をかえす。

 本音はリィートの裸体を思う存分眺めていたかったが、ここはビシっとかっこを付けたい。

 それよりも、当面気になる問題点がけっこう身近に存在した。


「なぁ、リィート。あれはなんだ?」


 俺が指差すと。


「魔族のプリンセス、シヴィラのようですね」


 リィートは丁寧に説明してくれる。

 だが、俺が聞きたいことは、そこではなかった。


「いや、そうではなくて、なぜあんな所で寝ているんだ?」


 部屋の反対側に置かれたソファーの上で、気持ちよさそうに寝ている見た目女子中生。

 しかも、シヴィラはなぜか全裸であった。

 全裸であることについては、やぶさかではない。

 だが、なぜ俺らの部屋にあいつがいるのか、ということに関しては見過ごせるようなものではない。

 俺はあの後、宿に帰ったさいに宿と交渉して金塊を追加することで、わざわざ別の部屋をとってやっている。

 もちろん、シヴィラ用である。

 特に、その部屋で寝ろという命令はしていなかったので、朝起きたら姿を消しているかも知れないな、ということくらいには考えていた。

 だが、それならそれで俺としては構わなかった。

 リィートのように使徒にしたわけではない。ようするに行きずりの女のようなものだ。

 一時的な関係が終われば、とっとといなくなってくれたほうがむしろありがたい。

 部屋を取ったのは、貴重な情報を教えてくれた謝礼のつもりであった。

 だが、しかし、俺とリィートのいる部屋にやってきて、あまつさえ我が物顔で、すやすやと爆睡するというのはあまりに発想が斜め上すぎて俺には予測がつかなかった。

 それに関しては、リィートも俺と同様のようで、


「さぁ? 本人を起こして確認されますか?」


 肩をすくめた後、そんな提案をしてきた。


「まずは服を着よう。裸じゃかっこがつかん。やつの始末はその後だ」


 俺がそう判断を下すと。


「はい、ハジメさま。でも、もう少しだけこうしていたかったですけど……しかたありませんね」


 リィートは残念そうにそう言った。

 うーむ。

 芸術作品めいた見た目の美しさからは想像つかないくらい可愛いやつである。

 まぁ、それはともかく、今日はやることが多い、目先の問題はとっとと片付けよう。

 俺はベッドから出ると、昨日入手した服に着替える。

 今日は仕方ないが、やはり着替え用に数着の服は、リィートの分も含めて入手しておく必要があるだろう。

 身支度をすませた後、俺は床の上に脱ぎ散らかしたままになっている服を拾い上げて、真っ裸で寝ているシヴィラに向かって放り投げる。

 上着は体にかかったが、パンツが顔の上に乗っかった。

 この状態で、どんな顔をして起きるのか見てやろうと思っていると。


「うにゃうにゃ。あたいは、まだまだ食べられるぞぅ。なめんなぁ……うにゃぁ……」


 へんな声を立てながら、寝言を言ったあとお尻の辺りをボリボリとひっかいて、また寝てしまった。

 どうやら、このくらいで起きるようなタマではないらしい。

 いったい、どんな夢を見ているのか非常にわかりやすかったが、別に興味などないので、別の手段で現実の世界に戻って来てもらうことにする。

 俺は黙ったまま近づくと、爪あとの形に少し赤くなっている辺りを蹴飛ばした。


「ふんぎゃっあぁぁぁ!」


 けっこう痛かったらしく、シヴィラは大きな声を上げて飛び起きた。

 起きろと命令すれば、シヴィラはそれに従って起きざるをえないのだが、ムカついていたので少しばかり手荒な手段をとったのだ。

「いたいっ、いたいっ」

 何が起こったのかすぐには理解できない様子で、素っ裸のままシヴィラは辺りをキョロキョロと見回しながら喚いていたのだが。

 自分のお尻が赤くなっていて、俺がすぐそばに立っていることで、何をされたか察したらしく激しく抗議を始める。


「暴力反対! か弱く可愛い女の子のお尻をけとばすなんて、いけないことだぞっ!」


 色々と突っ込むところが多すぎて手間がかかりそうなので、俺はその抗議を無視することに決める。


「まず服を着ろ。それから、なんで俺たちの部屋にいるのか、理由を話せ」


 俺は今度は命令する。

 すると、シヴィラはぐぬぬとなりながらも俺の命令に従った。


「あんな狭い部屋で寝れるわけないでしょ。あたいは、魔族の王女なんだから」


 服を着終えたシヴィラが話す。

 魔界の王女だかなんだかは知らんが、他人の金で泊まっておいて随分と偉そうな言い分である。


「で、その王女様がなんだってこんな場所にいる? とっとと帰って贅沢な暮らしを堪能すればいいだろ」


 俺は色々と言いたくなる衝動を押さえて核心的なツッコミをする。

 すると、シヴィラは急に固まった。


「そ、それはだね……あれですよ……色々とあたいにも事情というものがですね……」


 いきなり敬語になって、ひきつった笑みを浮かべ、説得力皆無な言い訳をはじめる。

 これが漫画なら、額のあたりにたらりと汗が流れているタイプのコマ割りになっているだろう。

 百人中二百人くらいが、絶対に怪しいと答えそうな勢いの怪しさであった。

 命令して聞き出してもよかったが、もう少しスマートな方法を取ることにする。

 シヴィラにマーカーをセットして、シヴィラのプロフィールを確認する。

 すると、シヴィラの魔人国における行状が記載されていた。

 それを見てみると、話したくない、あるいは話せない理由がよくわかる。

 父親、すなわち魔族の王が戦いの時に使用する武具を、こいつは売り払っている。

 魔力炉で作られた鉄を使い、魔法工房において、この惑星に一つしか存在していない賢者の石を使って精錬した、強大な魔力の込められた武具である。

 それを大陸南方にいる趣味で武具を収集している大金持ちに、とんでもない金額で売っぱらったのだ。

 それを知った魔族の王は激怒したが、こいつはとっくに姿をくらましており、手にした金で豪遊旅行の真っ最中であった。

 その後、こいつは一年と経たずに手持ちの金をすべて使い切った。

 金が無くなったこいつは、今度請け負ったようなヤバイ仕事を受けては金を稼ぎ、使い切るまで豪遊を続けるということを繰り返していたようだ。

 さすがにこんな状況で、のこのこ帰ることができるわけがない。

 偉そうに魔界の王女などと名乗ってはいるが、はっきり言ってこいつはただのクズである。

 もしこいつの見た目が可愛くなければ、今すぐ魔人国に送りつけている所である。

 ということであれば、逃げずに俺の下に留まっている理由だとて、どうせろくでもないものだろう。

 まぁいい。

 こいつのお里は知れたことだし、当面はほっとくことにする。

 今日はこいつにかまっている暇はない。


「俺とリィートは飯を食いにいくが、お前も食いたければさっさと服を来てついてこい。いならければ好きにしろ。リィートいくぞ」


 俺はそれだけ言うと、リィートと一緒に外に出た。

 通りを歩いていると、後ろから美少女が追い越していき、俺たちの目の前で急停止する。

 その場でクルリと振り返って、ビシッと指差して言う。


「シヴィラ参上。逃さないよっ!」


 もちろん俺とリィートはそれを無視して歩き続ける。


「リィート、食事が終わったら元老院と会いたいんだが、どうすればいい?」


 それは今日一番最初の予定だった。


「わたしには人間の王族に知り合いはおりませんが、ちょうどこの国の魔術師として、わたしの従姉妹が働いております」


 黙ってはいるが、そのことはプロフィールで確認した上で聞いている。


「ほう?」


 俺は水を向けるように話す。


「ティータと申しますが、よろしければ話しを通してもらいましょうか?」


 俺の想定通りの答えが返ってきた。


「そうして貰えるとたすかる」


 知らないフリを続けながら、俺が礼を口にすると。


「ありがとう御座います。このリィート、ハジメさまのお役に立てて、望外の喜びにございます」


 リィートはその美しい顔に、満面の笑みを浮かべて喜びの気持ちを口にした。

 何もかも、俺が判断してやっていくようだと、今後のことを考えると自分の首を締めることになるからそうしただけなのだが。

 まぁ、喜んでいるし、問題はあるまい。


「まてぇい!」


 そこにいきなり割り込んできた人物がいる。

 もちろん、シヴィラである。


「あたいも、この国の王と繋がりがあるぜぃ! なんなら、紹介してやってもいいんだけどなっ」


 含みを持たせてはいるが、なんらかの見返りを求めてそういったのはバレバレである。

 もちろん俺の答えは決まっている。


「お前の裏ルートなんぞ、危なすぎてつかえるか」


 言下に却下してやった。

 その上で付け加える。


「言っとくが、交渉にお前は連れて行かんぞ。おとなしく宿にいるか、それともどこかに消えてくれてもかまわん」


 俺は本音を包み隠さずに言ってやる。


「はぁ? あたいのことを好きにしてやる、とか言って完全支配したのはあんたじゃないか。今更、それはないよ。いたいけな美少女をもて遊んで、いらなくなったらポイ捨てなんて、あんた鬼だよっ!」


 シヴィラは通りの真ん中で、そんな事を喚き始めた。

 くそっ、俺はとんでもないくずを支配してしまったようだ。

 俺は、急いでシヴィラの口を右手で塞ぐ。


「わかった。連れて行ってやるから、とりあえず喚くのをやめろ」


 シヴィラの耳元に口を寄せて小声で話すと頷いた。

 それを確認して右手を話すと、シヴィラはやたらと嬉しそうな笑みを浮かべていて、俺は思わず殴りたくなってしまった。

 もちろん、通りの真ん中でそんなことをしたりはしない。

 そんなことして恥をかくのは俺だからだ。


「おいっしぃ朝ごはんたっべたいなぁ。アッさご飯♪ アッさご飯♪」


 シヴィラは調子に乗って、楽しそうに鼻歌まじりにスキップを始めた。

 こんなに他人の神経を逆なでするような、見た目美少女も珍しいだろう。


「ハジメさま。わたしがシメましょうか?」


 美しい顔で微笑みながら、俺と一緒に歩いている美女が聞いてくる。

 こっちはこっちで物騒だ。


「ほっとけばいい。今日は忙しくなるから、さっさと行くぞ」


 俺とリィートは、おまけ美少女と一緒に朝食をすませる。

 食堂を出た所でマップを確認して、リィートの従姉妹である宮廷魔術師がどこにいるのかを確認する。

 すでにマーカーはセットしてあったので、見つけるのは簡単だ。

 今は王宮の中にいるようであった。

 俺は王宮の詳細が確認できるようになるまで拡大して、人の位置と視界がわかるように表示する。

 これで転移位置の候補を絞り込めたけだが、問題はタイミングだ。

 それを決めるために、まず俺はマーカーから概要を表示する。

 種族はハイ・エルフ、名前の欄はティータとなっている。

 リィートの話しと符号は一致しているので、本人であることは間違いない。

 でも今はそこのところは重要ではない。

 俺はさらに項目を飛ばして、未来から位置特定を選択、マップに表示にチェックを入れる。

 すると、マーカーと同じ色をしたラインがマップ上に表示された。

 この後、ティータが移動することになる動線を示している。

 ただ、このままではまだ使えない。

 動線は複雑な動きをしてはいるが、ほとんど広がってはおらず、その理由として縦の移動が考えられるからだ。

 俺はマップを3D表示に切り替える。

 すると、俺の推測通りに王宮内を下に移動していることがわかった。

 ただ、推測と違ったのは、一階を超えてさらに下へと動線が伸びていたことだ。

 かなり地中深くまで伸びており、終点位置で計測すると地下百メートルとなっている。

 その位置には、百メートル平米ほどの広さを持った部屋があった。

 興味が湧いたので、この部屋のことを調べると、どうやら古代エルフ族の遺産が封印されているらしい。

 俺がデータとして知っている、エルフ族が高度な魔法文明を築いた当時の遺産のようだ。

 さらに調べれば、詳しいこともわかるだろうが、今のところこれだけ分かれば十分だ。

 それに、なんでハイ・エルフが人間の王に仕えているのかという素朴な疑問もこれで解けた。

 そして、転移するべき位置も決定した。

 さっきから、じっと俺の顔を見ている美女と見た目美少女をこれ以上待たせておくのはまずいだろう。

 それぞれ、別な理由でまずいわけだが、その辺りにはあまり深く入りしたくない。


「よし、転移するぞ」


 俺は言って、二人の手を掴んで、すぐに転移した。

 ちなみに手をつかむ必要はなかったのだが、美女と見た目美少女の体に触れることは俺にとってはやぶさかではない。

 転移した直後、世界は暗黒だった。

 完全に閉ざされた空間にいるのだから当然ではある。


「光よ」


 リィートがライトの呪文を唱えると、空中に光源が出現する。

 周囲は明るくなったが、部屋の端の方はぼんやりとしかわからない。

 俺はすぐに、この部屋の明かりを確保するためのスイッチの位置を検索する。

 右手の方に、マーカーがセットされた。

 入り切りは魔力で行うらしく、魔法を使ったことのない俺だと、ハッキングを行う必要があり面倒なのでリィートに命令する。


「リィート、ここにスイッチがあるから、入れてみろ」


 すぐにリィートが近づいてきて、魔法装置に手をかざすとすぐに部屋中が明るくなった。

 どうやら、天井全体が照明となっているらしく、部屋全体がまんべんなく明るい。

 広い部屋の中には、あれこれ細かい道具が置かれているが、どれもこれもティータが持ち込んだ魔法具のようだ。

 ただ、部屋の中央部に鎮座している棺のような箱は、古代エルフ時代からそこに置かれていたもので、それこそがこの部屋の核心部分であるようだ。


「なぁ、ハジメ。あれから、ヤバイ感じがビシバシ伝わってくるけど、なんなんだよここわ」


 それまで調子に乗りまくっていたシヴィラが、急に弱気になった様子で俺に聞いてくる。

 俺は、その箱がなんであるのかすでに確認できている。


「そいつが、古代エルフ文明を滅亡に導いた元凶さ。そして、この場所はその力を封印しようとしたひつぎだな」


 すでに伝説となっているが、さすがに古代エルフ文明のことは知っているらしく。


「ええっ? ヤバイじゃん、超ヤバイじゃん」


 あのシヴィラが本気で怯えていた。

 より魔的な存在である魔族、クズとは言っても純血の王族であるシヴィラには、その危険さがリアルに感じられるらしい。

 ちなみに、俺にはまったく何も感じられない。


「そんな場所で、ティータは一体何をやっているのでしょう?」


 シヴィラと同じように危険を感じているのだろう。

 リィートがかすれたような声で聞いてきた。


「すでに、察しはついているのだろ? おそらく、そういうことだろうさ。それに、確認なら本人にすればいい。もう、ドアの前にいる」


 俺が告げると同時に、部屋のドアが開いた。

 そこに立っていたのは、リィートと比べても甲乙つけがたい程の美女である。その美女こそが、リィートの従姉妹にして宮廷魔術師であるティータであった。

 部屋が明るく、そして俺たちの存在に心底驚いている様子で硬直していた。

 二三回呼吸するくらいの間を開けて、俺たちに向かって誰何してくる。


「あなた達、どうやってここに入ったの!?」


 その質問にどうやって答えたものかと俺が迷っていると、リィートが先に答えていた。


「その質問に答える前に、ここで何をやっているのかお答えいただけますか? お姉さま」


 すると、どうやら従姉妹の存在に気づいたらしく、ティータの視線がリィートに固定される。


「まさか、リィートですか? なぜ、こんなところに? それより、どうしてここの存在を知ったのです?」


 ゆっくりと部屋の中に入りながら、ティータがさらに質問をしてくる。

 互いに質問しあう形になっているが、ここは口出しせずになりゆきを見守っていたほうがいいだろうと俺は判断を下す。


「ここに来たのは、お姉さまにお願いしたいことがあったからです。ここに来たのはたまたまですが、ついてみたらソレがありました。実際にこの目で見るのは初めてですが、伝承の中に伝わる災厄の箱『アズィス』ですね? かつて、それによってエルフ文明は滅びました。そんなものをどうしようと言うのです?」


 もちろん俺は来る前に知っていたが、そこは黙っておく。


「どうやって入ったのかには、答えてもらっていませんが、いいでしょう。あなただけには見せてあげます。ですが、その前にそちらの二人はどなたですか? 一人は魔族、それも王族の女性。ただ、男性の方はまったくわかりません。人間のように見えますが、どこか違うようです。教えていただけますか?」


 ティータは『アズィス』のすぐ横に設置してある魔道具の前に移動しながら話しかけてくる。

 さすがに、俺とシヴィラのことを無視するつもりはないようだ。


「さすがですね、お姉さま。そこの女性はシヴィラさん。魔族の王女です。そして、こちらのお方が、我がしゅサトウ・ハジメさまです。今の私は主に仕える使徒なのです」


 リィートは簡単に俺たち二人のことを紹介してくれる。

 ただし、この紹介は色々と波紋を生じそうだ。


「何を言ってるのです? 正気ですか、リィートさん?」


 まぁ、そうなるわなぁと思いながら俺が聞いていると。


「へん、あんたもそう思うだろ? けどね、このクソ女。たかがエルフのくせに、バカみたいに強くなってんだよな。このあたいが、コテンパンにやられたんだ。あんたじゃ、手も足もでないに決まってるよ」


 横からシヴィラが口を挟んできた。

 すると、ティータはシヴィラに顔を向ける。


「あなたのことは知っています。魔族のプリンセス、シヴィラさんですね。たしか、あちこちでアブナイ仕事を請け負っているとか。あまり良い噂はお聞きしませんが、相当な力をお持ちなのは間違いないのでしょうね」


 どうもシヴィラの悪名は各所に鳴り響いているようだ。

 こいつを頻繁に連れて歩くのは、今後考えなおしたほうがよさそうだ。


「あったりめぇだろっ! あたいを、誰だと思ってんだ!」


 だからシヴィラだろ、というツッコミはおいといて、とりあえずティータの関心は俺に向いたようだ。


「サトウ・ハジメさまとおっしゃいましたか。あなたのことが、まったくわかりません。一体あなたは何者です?」


 ティータの視線は圧力を感じるくらい、強く俺に向けられている。


「話してもいいが、信じるのか?」


 俺は根本的な質問をしておく。

 信じないだろうと断定しても構わないが、リィートの手前表現を抑えたのだ。


「あなたの話す内容次第ですね」


 そうだろうな、という返答が返ってきた。

 俺は代わりに何か発言しようとしたリィートに向かい、右手を上げて押しとどめる。

 その上で、話し始める。

 ただし、直接説明をするのではなく、かなり大外からの角度をつけた説明だ。


「その装置は『イゼラ・オーゼ』において『アヴィル』と呼ばれていた。作らたれのは、ちょうど今から12665年前だ。開発に携わったのは、当時魔法応用学における画期的な技術革新を成し遂げる発明をしたエルフ『マイノ・ロウィング』博士。古来、魔法力は固有の生命における内在する力と考えられていたが、その理論を根底から覆し、特定のシステムを構築することで、ほぼ無尽蔵に入手できるエネルギーであることを証明してみせた。『アヴィル』はその理論を応用することで生まれた、生命体破壊兵器だ。具体的には、魔力を有する生命体の魔力を無尽蔵に増幅させてしまう。そうすることで、魔力を体内に抱えきれなくなった生命体は内側から破壊されることになる。早い話しが、無差別大量殺戮を目的とした兵器だな。しかも、有効範囲内にいる魔力を有する生命体には防ぐ手段がない。なにしろ、自分の体が爆弾そのものになるわけだから、使用されたらそれで終わりだ。死ぬ以外の選択肢は残されていない」


 俺はそこで話しを切った。

 というのも、驚きのあまり、ティータが目をむいていたからだ。


「な、なぜそんなに詳しく知ることができるのです? 私は研究を続けてエルフに伝わる伝承の中で『アズィス』と呼ばれるものが、かつて『アヴィル』と呼ばれていて、それが魔法兵器である事実を突き止めました。たったそれだけで、五十年の時を費やしています。その調査の中で、この国の王宮の地下に、封印されている事実が判明しました。それでわたしは、宮廷魔術師となり誰にも気づかれることのないように、細心の注意を払いながら『アヴィル』の調査研究を行ってまいりました。でも、未だに『アヴァル』の正体には至っておりません。なのに、あなたはわたしが突き止められなかったことも含めて、随分とたくさんのことを知っている。あなたは……誰なのですか?」


 またティータの質問はそこに戻ってしまった。

 でも、俺の話しは途中だ。


「まだ続きがある。この魔法兵器『アヴィル』は、『イゼラ・オーゼ』に反抗する最大の勢力であった魔族に対して使用される予定だった。魔族には『アヴィル』のことを知らないし、また理解もできないから気にもしていなかったが、ここで人間族が関わってくる。当時魔族の攻撃によって絶滅寸前にまで追いつめられていた人間が、エルフの内通者から『アヴィル』の存在を知り『イゼラ・オーゼ』に忍びこんで『アヴィル』を強奪してしまった。だが、兵器の起動方法を知らなかった人間には使用することができない。そこで、地中深くに埋めて、誰の手にも届かないようにした。仮に使用されたとしても、地中深くにあれば影響は無いだろうと思ったんだな。なんの知識もないままに、それをやってしまった。ところが『アヴィル』は、理論上空中にあるより地中にある方がいっそう伝搬率が高まり、より広範囲に被害が広まるようなシステムであった。しかも、兵器としての性質上、起動は『トリガー』による遠隔操作で行うようになっていた。『アヴィル』を盗まれたエルフ達は、盗みだした不届き物ごと反抗する魔族を殲滅するために『アヴィル』を起動してしまう。開発者である『マイノ・ロウィング』博士は止めたが、その警告に耳を貸すものはいなかった。起動した『アヴィル』は強い魔力を持った生命体から優先的に爆殺し、真っ先に魔族、次にエルフ族、最後に人間族を殺した。爆殺を免れたのは、有効範囲の外に居た者と魔力を体内にまったく持たなかった存在のみ。後は……」


 俺は、ここで話しをうち切った。

 というのも、ここから先は伝承で伝わっている内容とほぼ同じはずだからだ。


「それが、古代エルフ文明を滅亡に導いた真実ということですか……。では、いくら調べてみても『アヴィル』がどうやって起動するのかわからなかったのは『トリガー』がなかったから、というわけですね」


『アヴィル』に取り付けた魔法具を操作しながら、ティータが話す。

 どこか、すっきりとした顔をしているのは、おそらく俺の気のせいではないだろう。


「ちなみに付け加えておくが、『トリガー』は失われてはいないぞ。気をつけることだ」


 もちろん俺には、それが今どこにあるのかもわかるが、ここで伝える必要はないだろう。


「それも分かるのですね? では、もう一度、お尋ねします。あなたは、誰なのですか?」


 そこにまた回帰するが……。


「もう、とっくに気付いているはずだろう? 君は賢い娘だ」


 一度は言ってみたかったセリフであった。


「神……あるいは、それに類する存在、ですね?」


 長々と遠回りしたおかげで、ティータは自分でその結論にたどり着いてくれた。

 目配せをする必要もなく、ここでリィートが登場してくる。


「ハジメさまは、創造主です。この世の全てをお創りになられました」


 簡素な説明だったが、今のティータにはそれで十分だった。

 ただ、俺の方が驚いたのは、シヴィラの反応だ。

 明らかに、えーっという表情をしている。

 どうやら、まるで気付いていなかったらしい。


「今までのご無礼、どうかお許し下さい、我らがしゅよ」


 その場に片膝をついて、ティータが頭を下げていた。

 まさに見事という他無い美しい姿である。

 まるで、一枚の名画を見ているような光景であった。

 なのに、


「えっ、ええっ。聞いてないよぅ。そんじゃなに? あたいさ、神さまに捧げられちゃっちわけ? 神さまの女になっちゃったってこと? それじゃ、誰もあたいに手出しできないじゃん、あたいのオヤジなんていちころぢゃん。あはははっ。やっぱ、あたいってついてるぜ!」


 すぐ横でシヴィラが大はしゃぎを始めた。

 根本的に隠し事ができないタイプらしく、心の声を大声で喚き散らしている。

 とことんクズであるという前提を踏まえた上でなら、ある意味可愛いのかもしれないが。

 今は邪魔だ。

 リィートがつつっとシヴィラに近づき、有無を言わせずスリーパーホールドを決めた。

 シヴィラはチョークチョークと喚いていたが、すぐにおとなしくなる。

 落ちたのだ。


「お騒がせいたしました」


 自分の責任ではないのに、リィートが頭を下げた。

 実によく出来た使徒である。


「俺はただの創造主であって神ではない。俺にへりくだる必要はないさ。使徒は別だがな。そして今俺の使徒はリィートだけだ」


 神は信仰が力となるが、俺にとってはそんなの関係ない。崇めたてられても迷惑なだけだ。

 ただ、使徒はいわば俺の一部と言ってもいい存在だ、同列に論じることはナンセンスである。

 そこの所は間違いなくリィートが一番理解している。

 おそらくは俺よりも。

 俺の言葉を聞き、誰にも気づかれぬくらい小さく微笑んだことが何よりの証だった。


「寛大なるお言葉、いたみいります」


 ティータは立ち上がり、俺に向かって一礼する。

 へりくだる必要はないと言ってあるのだが、なんとも律儀なやつである。

 ただ、俺としてはそろそろ話しを先に進めたい。

 ここにある『アヴィル』がいかにとんでもない魔法兵器であっても、所詮は過去の遺物だ。俺は未来のためにここに来ている。


「今現在、ハッシュビルの街を一人の元老院が訪れていることを知っているか?」


 俺はいきなりそう切り出した。


「ハッシュビル……そういえば、カラン・クゥリ様が国境近くの街を訪れるという話をされていましたね。そのことでしょうか?」


 頭がいい女との会話は話が早くて助かる。


「そうだ。そのカラン・クゥリと誰にも知られず密会がしたい。そのためのつなぎを頼めないだろうか? 無理なようなら断ってくれてもかまわん」


 俺はいたって率直に希望を伝える。その上で、ことわりもいれておいた。

 俺にとっては、他にも方法があるので、無理に頼む必要がないからだ。


「よろしければ、理由をお聞かせいただけますか?」


 ティータは当然の要求をしてきた。俺としては、どの道話すつもりであったから、かえって都合がいい。


「昨夜、ハッシュビルの街を襲撃しようとした魔族がいた。俺とリィートでふせいだが、そいつの目的は強力な魔法で街ごと元老院を消滅させてしまうことだった。ちなみにさっしはついていると思うが、実行犯はそこで寝ている馬鹿娘だ」


 俺が顎で示すと、ティータは苦笑を浮かべる。


「なるほど。そのことをカラン・クゥリ様にわざわわざ御自らお伝えになりたいと?」


 ティータは察したようにそう言ったのだが。


「ことは、そう単純ではない。問題なのは、こいつの雇い主だ」


 俺は、気持ちよさそうに床の上でのびているシヴィラのお尻を、靴のつま先で軽く蹴りながら言った。


「ほう? それは、私が聞いても大丈夫な人物なのでしょうか?」


 おそらくは、半ば察しがついているのだろう。

 ティータはそんな言い方をする。

 もちろん、俺が黙っているはずもなく。


「アヴァルランド王国国王ネリフ・ハズ・カルフ三世。君の雇い主だな」


 俺はあっさりと告げてしまう。

 すると、ティータは苦笑を浮かべていた。


「なるほど、色々と厄介そうな事態になっていますね。しゅはなぜにこのような事態に介入されることになされたのでしょうか? 失礼ですが、なんの建設的な状況になりそうもないと思いますが?」


 頭の良い女と話すのは本当に気持ちがいい。

 こちらの話したかったことに先んじて質問をしてくれる。


「結論から先に言うと、俺の影響力が及ぶ国が一つ欲しかったからだ。それに、本格的にこの国に介入するかどうかは、まだ決めていない。すべては、元老院であるカラン・クゥリと直接会って決めるつもりだ」


 俺はこの星で産業革命を起こすつもりでいる。

 そのためには、どうしても法整備が必要であり、そのための前提として立憲君主制へと政治体制を変更してもらう必要がある。

 国王の独断で決められるような体制の下では、飛躍的な民間産業の拡大は不可能だからだ。

 もちろんそのためには、俺が表にでるわけにはいかない。

 国王の代わりに俺がなってしまっては、結局のところ何も変わらないからだ。

 俺はこの世界で好き勝手できるが、それは個人的な意味合いでしかない。

 社会そのものの未来を決めるのは、所詮人々の理念や理想それに欲求欲望といったもののせめぎあいなのだ。

 俺が介入するとしたら、そういうところにならざるを得ない。

 砂漠を渡る風が、どんな地形をつくるかなんて、結局風には分かりようがないように、俺の関与がどんな未来をつくるかは俺の意思とはまた別のところにある。

 俺個人はこの宇宙においてできないことはないが、俺が与えた影響が俺の意思どおりになるという保証はない。

 そんなことは、俺でなくても普通に生きていればわかることだ。

 当然、この世界に存在している神々であってもそれは変わらない。

 いくら力を持った神であろうと、所詮は人の祈りの受け皿にすぎないのだから。

 だから、俺はカラン・クゥリと会って話す必要があるのである。


「わかりました。それでは、私がカラン・クゥリ様に向けて紹介状を書きましょう。ですが、さすがに身分は別に必要ですね。創造主などと名乗るわけにはいかないでしょうし」


 ティータは俺が言おうとしていたことを先回りして検討を始めた。

 これだけ美しく、宮廷魔術師という身分もありながら、なぜ独り身なのかということにもこれならうなずける。

 これだけ非の打ち所のない完璧無比の女を妻にすれば、男は息苦しくてたまらなくなるだろう。

 まぁ、中にはそれがいいと思う男もいるかも知れないが、たぶん俺には無理だ。

 などと俺が勝手な妄想を抱いていると。


「そうですね。私の師ということにしましょう。エルフではありませんが、強力な魔術師なら老化を遅らせ、エルフ以上に長生きをする人間もいると聞きます。それに、私の師ということになれば、ぞんざいな扱いをされることもないでしょうし、リィートがいて話を合わせてくれれば説得力も増すはずです」


 ティータの言葉を聞いて、リィートも頷いていた。

 どうやら最適解を見つけてくれたようだ。

 次善の案よりだいぶマシな結論に落ち着いたようで助かった。

 ちなみに次善の案というのは、俺が出向くのではなくカラン・クゥリを適当な場所に転移させてそこで話すという力技であった。


「ありがとう、助かる」


 俺が礼を言うと。


「いえ、これしきのこと、先ほどお教えいただけたことに比べれば、幾ばくも無きこと。それに、我らがしゅである貴方様のお役にたつことができれば、それだけでも光栄にございます」


 そう言って、ティータは完璧という肩書のついた名刺を作ってやりたくなるくらい見事な礼をしてみせる。


「それでは、書類をお作りしますので、私の執務室にお越しください」


 そう言って、ティータはこの部屋を出ていこうとしたので、俺はリィートに目配せをして床の上に転がったまま気持ちよさそうに寝ている荷物を拾い上げさせて、四人まとめてリィートの執務室に転移した。


「こ、これは?」


 転移にはまったく予兆もなにもない。

 ただ、今いる場所が変わるだけだ。

 そのことに、ティータは驚いていたが。


「なるほど、こうやってあの場所にも来られたのですね?」


 すぐに察して、最初の疑問に自ら答えを出した。


「そういうことだ。それでは、よろしくたのむ」


 俺の言葉に軽く頭を下げてティータは動き出す。

 書類の作成には慣れているのだろう、気持よい動きで瞬く間に書簡ができてきた。


「この書類の内容は内密の話しがある旨を匂わす程度にとどめて、ただの紹介状となっております」


 簡単な説明をしながら、ティータが俺に書簡を手渡した。


「助かる。礼と言ってはなんだが、これ預けよう。どう使うかは、君の勝手だ」


 そう言って、俺は『ゴッド・マザー』に出力させた用紙をティータに渡す。

 突然出現した紙に驚いたはずだが、ティータはそのことには触れなかった。


「これは?」


 代わりにそう聞いてくる。

 印刷されているのは、メルカトル図法で書かれたこの惑星の地図である。

 よく見ればその中に、赤点が記されているはずだ。


「『トリガー』の現在位置だ。それをどう使うかは君に任せる」


 俺の言葉に、ティータは絶句していた。

 地図を持つ手が震えているように見えるのは、けして気のせいではないだろう。


「よ、よろしいのですか?」


 ようやく絞りだすように言った言葉はそれだった。


「ああ、すべて君の判断に任せる」


 ティータはおそらく現在における『アヴィル』研究の第一人者だ。

 この情報を託すに、彼女以外の人材はいないだろう。


「泡沫のごときエルフの身でございますが、身命を賭してもご期待を裏切らぬよう尽くしてまいります。今日は私が生まれていらい、最も重要な日になりました。こうして直接お会い出来たことを、生涯の宝といたします」


 ティータはそんな言葉を口にして頭を下げる。

 しかし、その中にお礼の言葉が含まれなかったのは『トリガー』を託されたことへの重責を彼女なりに感じてのことだろう。

 正直、俺にとってはどうでもいいことだったのだが。

 それよりも、だ。


「一応言っておく。これから先どうなるにせよ、あまり力を入れすぎると息切れするぞ。付き合いは始まったばかりなんだからな」


 俺の使徒であるリィートの従姉妹でもあるのだから、縁が切れるということはありえない。

 もちろん、俺個人としての下心はたんまりとある。

 だがそれは、また後の話しだ。


「それじゃ、いこうか?」


 俺が話しをリィートに振ると、


「いつなりとも」


 すぐに返事が帰ってくる。

 デカイ荷物を抱えているが、特に気にもしていない様子だった。

 俺はリィートに軽く手を触れて、転移する。

 場所は宿だ。

 そこですやすやと気を失ったままの荷物を放り出した後、カラン・クゥリが滞在している宿に向かった。

 もちろんこれは自分の足でだ。

 距離的に近いこともあるが、いきなり転移してきた人物を不審者扱いしない人間はいないだろう、という常識的な判断からである。

 目的の宿は街中を通っている街道からは少し離れた場所にあった。

 あまり目立たない地味な宿で、屈強そうな警護の男二人が立っていなければ、そうだとは気づかれそうもない。

 俺はリィートに書簡を渡して、警護の男との交渉をたのむ。

 リィートは宮廷魔術師の従姉妹である旨を警護の男に伝え、カラン・クゥリへの取次を申し込んだ。

 すぐに面会は受理されて、俺とリィートは宿の中へと案内される。

 宿の中には、外からは想像もつかない、みごとな中庭があり、美しい景色がそこにあった。

 俺とリィートが案内されたのは、その中庭の真ん中に置かれている、石造りの長椅子の前であった。

 長椅子には高齢の男性が一人で座っており、手には湯のみが握られている。


「これはこれは。宮廷魔術師の従姉妹どのと、そのお連れの方がこの老人にいかなる御用がおありかな?」


 見た目は痩せていて、着ている服も何度も洗いざらしたような貧素なものだが、この老人を舐めてかかることが出来るような者はそうはいまい。

 そこにそうしてただ座っているだけで、まるで抜身の刀を前にしているような怖さがあった。

 わざわざプロフィールを見るまでもなく、この老人が屈強の兵法者であることはたやすく見て取ることができる。

 おそらく、護衛が二人しかついていないのは、それだけしか必要ないからなのだろうと思われる。

 もしかしたら、本当はまるで必要ないのかも知れないが。


「まずはこちらを」


 そう言って、リィートが書簡を渡す。


「ほう? ティータ殿の書簡ですな。拝見いたしましょう」


 カラン・クゥリはすぐに書簡開いて中身を確認する。


「では、あなたが宮廷魔術師殿のご師匠ということになられるわけですかな? 失礼ですが、それにしては随分とお若いようにお見受けいたしますが」


 当然のような疑問を口にしてくる。

 その質問に答えたのは、俺ではなくリィートだった。


「サトウ・ハジメさまは、わたくしの師でもあります。幼少期に師と出会い、その当時から現在まで、お姿はまったく変わられておりません」


 もちろんそれは大嘘だ。

 ただ、それが嘘であることを立証することはまず不可能だろう。


「なるほど。では、そういうことにいたしましょう。それでは、ご用件の方をお聞かせいただけますかな?」


 さっそくバレている。

 歴戦の経歴を重ねてきた老人を騙そうというのは、やはり無理がある。

 ただまぁ、それに関してはどうでもいいことなので俺の方もこれ以上触れるつもりはなかった。


「昨夜、魔族の王女とここにいるリィートが闘った」


 俺はいきなりそう切り出した。


「ほう?」


 興味深そうな反応をカラン・クゥリが見せる。


「魔族の王女の目的は、強力な魔法を使ってあなたごと、この街を消し去ることだった。その証拠となる魔族の王女は俺の支配下においてあるので、この場に連れてこれるがいかがか?」


 俺は余計な回り道はせずに事実だけを話す。

 この老人に嘘が通用しないことはわかっている。

 ここで妙な策を弄せば、信頼を失いかねない。


「それには及ばない。昨夜、妙な魔波動を感じもうした。その後、かつてないほどの強力な魔法が使われたなと感じていたのですが、結局何事もなかった。今の話しを聞けば、なるほどと腑に落ちる。この老人の目も、まだまだ霞んではおらなんだと、今の話しを聞いて安心いたした」


 カラン・クゥリはそう話した後、カカカと豪快に笑ってみせた。

 やはり下手な韜晦とうかいでもしたなら、たちどころに看破されていたところだろう。

 つくづく恐ろしい老人である。


「そこで、問題なのは魔界の王女の雇い主なのだが……」


 俺が言葉をそこで止める。

 すると、その理由を言外にさっして、老人はこの場に立ち会っていた警護の男に向かって、軽く手を振った。

 すると警護の男はなにも言わずにこの場を立ち去る。


「もう、われら三人以外にこの話しを聞くものはおらんよ」


 カラン・クゥリの保証通り、マップで確認しても可聴圏内に人はいなかった。

 俺は、安心して続きを話す。


「ネリフ・ハズ・カルフ三世」


 俺は、名前だけを伝えた。

 カラン・クゥリは驚いた様子も見せずに、ただその目が鋭く光る。


「そのことを知るものは?」


 短い質問だったが、剣で突き刺すような感覚だった。


「もちろん俺。紹介状を書いてくれた宮廷魔術師のティータと、実際に闘った、ここにいるリィート。そして、俺が今支配下に置いている仕事を請け負った当人である魔界の王女。そして、あなただ、ご老人」


 それを聞いたカラン・クゥリは、人差し指で自分の顎を軽く撫でながら、しばしの間黙って何かを考えていた。


「このことは、一切他言無用に願いたいのだが、ご承知いただけますかな?」


 口を開いたカラン・クゥリはそんな提案をしてきた。


「もとより」


 俺はうなずきながら、短く答えた。


「それは重畳ちょうじょう。そうなると、問題は魔界の王女シヴィラがどうでるかということになりますな。金で危険な仕事を受けては、あちこちで派手に暴れまわっていると聞きますが。金を積まれたら、すぐにばらしてしまうのではないですかな?」


 やはり、シヴィラの名前はすぐに特定されてしまった。

 特に隠すつもりもなかったのだが、それにしても早々にバレ過ぎだろう。

 それはともかく、カラン・クゥリがしてきた質問は、当然と言えるものだったので、答えておく必要があるだろう。


「シヴィラは未来永劫俺の支配下にある。この話しは誰にもするなと命じてあるので、本人の意思とは関係なく話すことは出来ない。つまり、この話しがシヴィラ経由で漏れることを心配されるなら、その点に関しては無用に願いたい」


 俺は断定的に言い切った。

 シヴィラの個人的な事情からも、その心配はなさそうなのだが、そこの所は伏せておく。

 俺自身があまり触れたくなかったからだ。

 考えるだけで気分が悪くなる。


「ふむ。そういうことならば、信頼申し上げるといたそう。では、そちらの要件をお聞きしましょうかな」


 カラン・クゥリが話しの水を向けてくる。

 さすがに長年要職を務め上げた人物である。この辺りは実務的な考え方ができるようだ。

 ただ、本題に入る前に、まだ話しておかなくてはならないことがある。


「俺の要件に入る前に、もう一つの事実を伝えておきたいのだが、よろしいか?」


 俺は確認を取るように言ったが、ここに来て断られることはないと確信していた。


「否、とは言えんでしょうな、さすがに」


 カラン・クゥリもそう言った後笑った。


「あと一年とずにアヴァルランド王国は滅亡する。国土は二分され、魔人国と隣国タイズランド公国による分割統治を受けることになる。ただし、このまま手をこまねいていれば、という条件つきで」


 俺は歴史書を読み上げているような口調で言った。

 じっさいそうであったし。


「それは……どうも、冗談に聞こえませんが、そうだとしても笑って済ませられるような話しではないですな」


 カラン・クゥリの視線が、まるで切り結ぶ真剣のようだ。

 俺が創造主でなければ、震え上がっているところだろう。


「もちろん、冗談ではない。今この場で詳しい話しは差し控えるが、後ほどこの書類に目を通されるといい。現在進行形で進んでいる陰謀がつぶさに書かれている」


 俺はこの国に関係する情報を『ゴッド・マザー』から出力させて、そのままカラン・クゥリに手渡した。

 もちろんその内容は全てリアルタイムに行われている事実である。

 ただし、その中の情報には若干未来の出来事も混ぜてあるのだが、それを読んで検討する頃には現実のものとなっているだろう。


「うむむ、これは……」


 受け取った書類をパラパラとめくる程度だが、軽く目を通しただけでカラン・クゥリが唸っていた。


「内容に関しては、どうぞそちらで判断を。俺の話したことが現実のものとなることがはっきりと理解できるはず」


 俺としては、内容をじっくりと検討している時間がもったいなかったので、先を促すべくそう言った。


「承知いたした。あなたの話したことは前提条件として一旦受け入ることといたそう。その上で、この老人に何をお求めか?」


 カラン・クゥリが聞いてくる。

 受け入れたといったにもかかわらず、抜身のような鋭い視線に変化はない。

 俺は本心を直球でぶつけることにする。

 この老人に、回りくどい話し方は逆効果にしかならない。


「できる限り早急に、この国を立憲君主制に移行させるべきだ。議会を作り、臣民からの代表者と貴族からの代表者で議論を尽くし法を定め、法のもとに国家を運営していくようにする。今のままの体制では、この国の未来はない。俺はそれをあんたに、そそのかすためににきた」


 もちろん俺の最終的な目標はそんなところにはない。

 ただ、産業革命を起こすためには、これは必須の前提条件であった。

 民間企業が育たなくては、経済が拡大することはないからだ。

 もちろん、他にも色々となすべきことはあるが、まずはここからである。


「とすると、あなたは謀反を唆すために来られたということですかな?」


 カラン・クゥリから恐ろしく強烈な殺気が放たれる。

 正直、いつ戦闘モードが発動しても不思議ではないレベルだ。


「そうではない。国王には今の身分のまま居てもらう。ただし、政治に関する実権はすべて手放していただき、国会へと権限を移行する。どのみち今のままなら国ごと消えてしまうだけだ、それとどちらがいいかという選択をするだけのこと。いかがなされるか、ご判断を」


 俺は殺気を受けながら、カラン・クゥリに詰め寄る。


「その話、断ったらそなたはどうなされる?」


 カラン・クゥリは逆に質問してきた。

 俺の覚悟を問おうというのだろう。


「この国を見捨てるだけのこと。滅びる国では何事もなしえないからな」


 はっきりと言い切る。俺にとって必要なことは、自分の思い描く未来を目指すこと。自ら滅びようとしている国に拘るつもりはない。


「ふっ。それもそうですな。では、あと一つ教えてくだされ。なぜ、拙者にこの話を持ち込まれたのかな?」


 その質問に関しては、もっと早くにあるだろうと予測していたが、このタイミングできたか。

 俺はとっくに決まっていた答えをそのまま返す。


「街ごと消そうと依頼されるような人物が見たくなった、ということもある。ただそれ以上に、この国の王と対立することをじさないような人物であることが確定しているから、ということを考慮した」


 俺の言葉にカラン・クゥリは笑い出す。

 たった今まであった殺気は綺麗に消えていた。


「ははは。それもそうですな。この状態ではごまかしようもありますまい。ここまで率直に話されたのなら、こちらも誠意を見せましょうぞ。どうぞ、ついて来てくだされ」


 そう言って、カラン・クゥリはいきなり立ち上がる。

 そして、先頭に立って歩き始めて、宿の奥に入っていく。

 そこは、他の建物とは別棟となっており、茶室のような小さな建物であった。

 そこに、にじり口のような場所から靴を脱いで入っていく。

 俺とリィートもそれに続いた。

 中はさすがに畳ではなく板張りだったが、材質の良い古木が使われており、繰り返し延々と磨き上げられて落ち着いた色の光沢を放っている。

 調度品というものといえば、中央に置かれている古めかしい座卓と部屋の隅にある花瓶くらいのもので、それも含めて贅沢品と呼べるようなものは何もなかった。

 おそらく花瓶にはそれなりの価値があるのだろうが、俺にはわからない。

 せいぜい三メートル四方ほどの狭い空間に三人で入ると、けっこうな窮屈感があるがなぜか居心地は悪くなかった。

 丸い座卓を挟む形で俺とカラン・クゥリが向い合って座る。俺の右手にリィートが座った。

 カラン・クゥリが自分の横の床をトンと叩くと、板が一枚浮き上がる。

 浮いた床をはぐると、そこには畳まれた書類が入っていた。


「まずは、これをご覧あれ」


 カラン・クゥリは取り出した書類を座卓の上に広げる。


「これは、密約書。それも、魔族の王ダートナーから送られたもの。送り先の相手は書かれていないが、当然ご承知なのでは?」


 俺はさっと目を通してそう尋ねた。

 ちなみに書かれている内容は、我が娘シヴィラをそっちに向かわせるから、ネリフ王に引きあわせてカラン・クゥリ暗殺のために利用するように進言しろというものであった。

 どうやら、シヴィラは好き勝手やっているつもりだったようだが、魔族の王ダートナーの掌の上で転がされていただけのようだ。

 請け負ってきた仕事の内容を考えれば当然だとは思うが、あのシヴィラならこの先気づくことはあるまい。

 それはともかく、問題なのはこの手紙の受取人だ。

 その人物が王国内の内通者ということになる。


「サリド・ハズ・カーン王子。この国の、第二王位継承者にあらせられる」


 苦虫を噛み潰したような顔をして、カラン・クゥリがそう告げた。

 一方俺は、ただ頷いた。

 というのも、この手の話しは良くある話しだからだ。

 国が滅びる時には、内側からだと相場は決まっている。


「それが、ここに来た理由である、と。返り討ちにできればそれでよし。失敗しても、王都に被害は及ばない。懸命な判断ではあるが、現状解決の役にはたたない」


 けっこうな批判になることを承知のうえで、あえて俺は言った。

 ここで終わるようならともかく、この先につなげるためにはそれだけではダメだった。


「ズバリといいなさる。ただ儂は、初めて弓を取り戦場に立ちし時より五十年、ずっとこの国の禄を食んできた身なれば、あえて王族の方々にも口やかましく接してきもうした。それでも、現王とその王位継承者が結託して我が身を狙ってくるとなれば、さすがにいかんともし難いと覚悟を決めており申した」


 それはそうなるよなとは思ったが、あえて口には出さず、新たな質問をする。


「いま、第二継承者とおっしゃったが、それならば第一継承者はいかがなされている?」


 調べればすぐに確認できることだが、意図的にそれはせずにあえて質問をする。


「ファリス・ハズ・リム王女殿下は現在病床に臥っておいでになられる。もう一年以上にもなり、病状は日増しに悪化されており明日おも知れぬ状態だ。もう誰もファリス王女殿下に対して何かを期待する者はおらぬでありましょう。残念なことではありますがな」


 俺は、それを聞いて目を細める。

 今、カラン・クゥリの口から率直な意見が聞けた。

 それこそが俺の聞きたかったこと。

 データー上からはけして確認できないことだ。


「その口ぶりからすると、ファリス王女というのは優れたご見識をお持ち方とお見受けするが?」


 俺の質問に、カラン・クゥリほどの漢が目を伏せる。

 おそらくは、ずっと自身の中に言いたいことを沈めてきたのであろう。

 涙こそ流してはいなかったが、その想いはそれだけでも痛いほど感じられる。


「ファリス王女殿下は聡明なお方で、しかもまっとうなご見識をお持ちの方であらせられた。父王陛下におかれましても、一歩も引くことなくまっすぐご正論をぶつける胆力をお持ちで。もちろん、まだお若くおいでなので、早急過ぎるきらいはございましたが、それもまた魅力になっておられた。サリド王子は妾腹の子ということもあり、ファリス王女殿下が王座につくことは間違いなきことと誰もが思っていたのですがな……」


 最後の言葉を言いづらそうにしていたので、俺が引き取る。


「一年前に病に倒れたと」


 俺の言葉に、カラン・クゥリは黙って頷く。

 正直言って、カラン・クゥリにここまで言わせる人物に会いたくなってきた。

 むろん、若き王女ということもあるが、それ以上にその人となりに興味が湧いてきたのである。

 俺の目的を達成するために、最適な人材ではないのかと思える。

 是非にでも会う必要があるだろう。

 それも早急に。

 ただし、カラン・クゥリと同じように、直接会ってみなくては最終的な判断は下せない。


「ならば……」


 俺は話す。カラン・クゥリに向かって。

 カラン・クゥリが俺の顔を見るのを待って、話しを続ける。


「ならば、話しは簡単だ。ファリス王女の病が回復すればいい。それだけで、現在の状況は随分と好転するはずだ」


 俺の言葉を聞いたカラン・クゥリに、また殺気が生まれる。

 横にいたリィートが腰を浮かしかけている。

 先ほどに比べて数倍するような殺気であった。

 俺は、リィートの行動を目で制して、カラン・クゥリの言葉を待った。


「そんなことが可能であれば、この老体の身などどうなろうが構わぬ。それが叶うならば、神であろうが悪魔であろうが、この命を投げ出してご覧にいれよう。だが、あだおろそかにそのようなことを口にするようであれば、そなたであろうと切らねばならぬ。いかなる了見か、お聞かせいただきましょうぞ」


 吹き付けてくる殺気には、怒りだけではない何かがはっきりと感じられたが、俺はあえてそれを言葉にしようとは思わない。

 そういう想いもあるべきだと感じたからだ。


「俺はたとえどういう病であれ、回復させることが可能だ。ただし、そのためにはいくつかの条件が存在する」


 俺ははっきりと言い切る。


「それは、本気で言っておられるのか?」


 カラン・クゥリはまったく殺気を緩めることなく俺を問いただす。


「むろん」


 俺は短く頷く。


「では、その条件をお聞かせくだされ」


 言葉にしてはそれだけであったが、言外に事と次第では生かしてはおかぬ、と放たれる殺気がはっきりと物語っている。


「まずは、直接に会うこと。俺が会って話し、その人となりを判断する。だが、一番重要なのはその後だ。俺が決めたとしても、本人の同意が必要となる。具体的に言えば同意書にサインをもらえないようならば、この話しを成立することは不可能だ」


 横でリィートが複雑な表情をしている。

 どうやら気付いたようだ。

 これは、俺の第二使徒を生み出そうという話しである。

 自分と同格の者が生まれるのだから、複雑な気持ちだろう。

 だが、第一使徒としての意識を持ってもらう必要があるので、これはその意味でもいい機会となろう。

 とはいえ、カラン・クゥリに示した通り、まだ決定事項ではない。

 俺が見捨てる可能性もあるし、向こうが拒む可能性もある。

 リィートの場合は使徒になる以外の道を俺が塞いだ上で、サインをさせたが、今回はそんなことをするつもりはない。

 俺にそこまでやる義理はないからだ。


「ならば、ぜひお会いくだされ。このカラン・クゥリが、お会いできるよう取り計らいましょうぞ。ただし、その条件を満たした上で、病状が回復なされない上は、そのお命亡き者ご覚悟めされい」


 殺気はそのままだが、それでもさきほどまでと違い絶望感が消えている。

 俺は、その言葉に無言で頷くだけにとどめた。

 俺の所有物となれば、自動的に人ではなくなり使徒となる。

 それはすなわち真の意味で、永遠不滅の存在となるということである。

 当然病気などで死ぬことはなくなるし、その他の一切の攻撃は通らなくなる。

 もちろん、俺に攻撃が通るはずもない。

 どれほどの達人であろうと、俺の命を絶つことは不可能だ。

 ただ、俺はその事実をこの老人に告げるつもりはなかった。


「わかり申した。では、今すぐファリス王女殿下へ向けた書状と、宮廷を自由に歩けるように、近衛兵への指示書をご用意いたす」


 カラン・クゥリは座卓の上で書類を幾つか書き上げて、書簡の形にする。

 そのうち一つは蝋を垂らして指輪を使い封じた。

 おそらくそれが、ファリス王女への書状だろう。

 義理堅い老人である。


「どうぞ、これをお持ちくだされ。封蝋を施してあるのは、ファリス王女殿下へ向けたもの。後の二通は我が名を出して、近衛兵に師団長のカシム・アーギル宛だと言ってお渡しくだされればよい」


 そう言って俺に向かって三通の書簡を手渡してくれた。

 俺はありがたく受け取ると、そのままリィートに渡す。


「わたしが責任を持って、お持ちいたします」


 俺が無言で渡した書簡を、リィートはそう言いながら受け取った。

 これで、もうここに用はなくなった。

 想像以上の収穫があったといえるだろう。

 俺とリィートは、狭いが居心地の良い空間から外にでて、そのままカラン・クゥリに別れを告げる。


「それでは俺とリィートは、このまますぐに王宮へと向かう。結果は自ずとすぐに知れることになるだろう。それではご老人。今日の所はこれで」


 俺の言葉にこたえて、カラン・クゥリが頭を下げた所で、そいつは現れた。

 黒装束に身を包み、顔も黒い布ですっぽりと覆っている。

 目のあたりだけが空いており、そこから瞳だけが見えてこちらを覗いている。

 俺とリィートはすでに戦闘モードに移行しており、時間の流れはゆっくりと感じられるようになっていた。

 だが、そいつはその時間の流れで普通の速度で動いている。

 俺としては、少しばかり驚いてはいたが、そのことは、黒装束の敵も似たような驚きだったらしく、明らかにこちらを凝視していた。

 だが、それもしばしのこと。

 すぐに高速で移動を始める。

 俺の体感時間はそれに合わせてステップアップしているので、逆にゆっくりと感じられるようになった。

 ただし、黒装束の敵が狙っているのは俺ではなく、明らかにカラン・クゥリである。

 俺とリィートがいない場所を狙って距離を詰めてくる。

 リィートがそこに割ってはいろうとするが、俺はそれを止めた。

 カラン・クゥリの目は鋭くはっきりと敵を捉えている。

 何かを仕掛けるつもりか、それとも誘っているのか。

 そこに興味が湧いたからだ。

 速度は明らかに圧倒的な違いがある。

 俺はそれを一段上の速度から見ているからよく見える。

 だが、カラン・クゥリにもはっきりと見えていることもわかる。

 圧倒的な速度差で、近づく黒装束の敵は両手にシミターを手にしている。

 どちらで刺しても、確実に命を奪える武器だ。

 それが左右同時に動き、挟み込むようにカラン・クゥリの体に吸い込まれる……かのように見えた。

 だが、現実には届かない。

 黒装束の敵とカラン・クゥリの間に、まるで障害物のように左の拳が置かれていいたからだ。

 位置は心臓のあたり、その拳に向かってトップスピードのままでぶつかった。

 俺が見ていた限り、カラン・クゥリの左拳は目に止まらぬような速度で動いていたわけではない。

 予めその場所に置かれていて、黒装束の敵が自ら突っ込んでいったのだ。

 心臓を直撃した一撃は、瞬間的にその動きを止めてしまう。

 動きの止まった黒装束の敵の頭を、カラン・クゥリが両手を使い拝むような形でゆっくりと叩いた。

 すると、黒装束から覗いている瞳から血が溢れだす。

 そのまま、糸が切れたマリオネットのように、その場にかくんと膝から崩れ落ちる。

 カラン・クゥリは両手で挟み込むように敵の頭を叩くことで、強烈な振動を与えたのだ。

 脳は頭蓋骨にたたきつけられて、地面に落とした豆腐みたいになっていることだろう。

 おそらくは、即死だったはずだ。

 自分が死ぬことを認識できたかも怪しいものだ。

 カラン・クゥリが黒装束の頭部をはぐと、坊主頭をした男の顔が現れた。

 いたって平凡そうな顔だが、見開いたままの目だけではなく、耳と鼻からも血が溢れ出している。

 なんとも恐ろしい技だった。

 完全に無手の技だが、これならば武器を持とうがもつまいが何も変わるまい。

 それに、どれほど早く動けようと、カラン・クゥリには通用しないこともわかった。

 それどころか、未だこの老人の底が見えない。

 おそらくこれでは、あのシヴィラであっても勝つことは無理そうだ。

 この老人に勝つ手段は、技で上回るしかないのだろう。

 むろん、俺とリィートは別であるが。


「これは、黒きアサシンとして名高いロウッツのようですな。魔族の王女が失敗した時のための予備として用意していたようだ。敵はかなり本気になっていると見える。儂のことはご覧のとおりなんら問題ないので、そちらの方は急がれた方がよいですな。特別な移動手段があったにしても、日があるうちに宮殿に赴いたほうがよろしかろう」


 何事もなかったかのように、平然と話しけてくるカラン・クゥリに俺は少し驚いた。


「移動手段があると、なぜわかられた?」


 俺は、宿からここへは歩いてきたし、これまでの会話の中でそんな話は一言もでていない。


「おや、儂をからかわれるおつもりか? 昨夜魔族の王女を倒し、その後ティータ殿から紹介状をもらってきたとなれば、なんらかの特別な移動手段がない限りそのようなことはでき申せぬ。そうではありませぬかな、サトウ殿」


 確かに、指摘されれば見ればそのとおりである。

 俺はどうやら肝心なところが抜けていたようである。


「ご慧眼いたみいる」


 ただ、そのことを最後まで一切触れなかったのは、なんと老獪なことだろう。

 話がこの流れにならなければ、カラン・クゥリはこのことを一生話すことはなかったはずだ。

 そういうことのできる人物であるということである。


「それでは、朗報に期待しておりますぞ」


 カラン・クゥリが別れを告げる。

 俺がリィートに目配せをすると、察したリィートが俺の右腕を取った。


「では、また」


 俺は、短く別れを告げて、王宮の近くへと転移した。

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