第一話 黒き少年

 ―ねえ、ねえってば、こっち、こっちだって―


 重なる木の葉によって薄暗くなった森の中。青々しく生い茂っている背の高木々の下で、一生懸命に手を降って女の子がこっちに来いという自分を呼んでいる。


 ―ねえ、面白いね森って、色んな動物がいる―


 一カ所だけ光が入り、スポットライトに照らされているかの様な切り株に座った少女の周りには、可愛く歌を歌う小さな小鳥、頬いっぱいに木の実を詰め込んだリス、まるまるしたウリ坊や静かに見守る鹿。そこには、森に住む大部分の動物が集まっていた。


 ―やっぱり、動物って可愛いねー


 そう言う女の子は、彼女に擦り寄る動物たちの表情よりも可愛い笑顔をしていた。木漏れ日に照らされるそれは、まるで天使のそれのようだ。


 ―ねえ、森って良いね。明日も来ようね―


 ひとしきり遊んだ少女は、満足そうな顔をすると、膝の上に乗っていた野良猫を地面に下ろすと立ち上がった。周りの子たちに手を振ると、女の子は自分の手を引っ張り、その場から走る。枝や葉を避け、地面に張り巡らされた根を踏んづけ、自分たちが住む木造の家の前に着く。


 ニコッと僕の方を見て笑った少女は、玄関の方に体を向けると、そのまま家の中に入っていった。僕も女の子がしたのと同じように扉を開けると、家に入っていく。


 しかし、扉を開け、家の中に入ったそこの景色は、本来あったはずの部屋では無く、見慣れた森の中の世界が広がっていた。


 だが、いつも女の子と遊んでいる昼の景色ではない。森は傾いた夕日の明かりを受け、影が重なりあい、薄暗い中、禍々しさを表したかのような赤色の光で包まれていた。その不気味な雰囲気は、僕の警報を最大音量で鳴らしている。


 少女が見当たらないことに気がついた僕は周りを見回す。すると、自分の正面にある藪の奥の方から、先程の女の子が、足から血を滴らし、引き摺りながら歩いてきた。


 ふらっと力が抜けて体のバランスを崩した女の子を抱き抱えると、女の子は弱々しく言った。


 ―助、けて......助けて、よ。あの、怪物、を......倒して、よ―


 女の子がそう言うと、気を失ったのか、腕の中に沈んでしまった。抱えた

少女から視線を上げた時、自分はその怪物を見た。見てしまった。


 ビックフットの様に大きな足を持ち、巨人の様に腕はしっかりした筋肉の塊で出来ている。 木々の隙間から見える体長は、二メートルを優に越すほど。その姿は大きな人であったが、その顔は人ではなかった。


 何処を見つめているのかもわからず、垂れ落ちた目は、無機質に僕達を映している。人というより、醜いものに見えるそれは、一歩。また一歩と足を動かす。ドシン、ドシンと、地鳴りの様な足音が轟き、僕の体は恐怖で動けなくなっていた。


 来るな。来るなよ! 誰か、誰でもいいんだよ、彼女を、僕の大切な彼女を、助けてくれ!


 気がつけば、女の子を強く抱き締めていた。


「......よ」


 そして何かを呟いていた。


「消え、ろよ」


 自分が何を言ったのかも分かっていなかった。


「僕......の、僕の」


 バッと顔を上げ、怪物を睨む。


「僕の大切な人に、近づくな!!」


 自分の叫びと同時に、世界が止まった。いや、動いている。動いているのだが、そのスピードが余りにも遅くなっていた。そして、その世界には、色がなかった。違う。色はある。が、二色、世界の色が白と黒だけになっているのだ。


 よく観察すると、自分を中心に白く半透明な球体が広がっている。恐らくではあるが、この中で色が変わっているのだろう。その、徐々に広がる球体が怪物に触れたとたん、音もなく、ボロボロと崩れるように、形がなくなり消えていった。そして、同心球体状に拡がっていたツートーンの世界が伸縮し、ゆっくりと消えたる。


「何で? いや、分かっているか」


 木が数多く並び、葉が綺麗な青色を写していた森は消えていた。虚しい赤が眩しく僕を貫き、針のように細い影が伸びている。、ただ、朽ち果て、荒れた木々が拡がっていた。


「っん、ん」


 抱えていた女の子が目を覚まし、目を開く。パチパチと瞬きすると自分を見た。


「......れ」


 何を言ったのか聞き取れず、僕は優しい口調で聞き返した。


「あな......た、は......誰?」


 ぼそっと紡がれた女の子の質問が、自分には飲み込めなかった。


「あなた、いったい、誰、なの?」

「俺、俺は......」


 自分は女の子を地面に置くと、その場に立ち上がり、名乗った。


「俺の名は、――――」


 ◆◆◆◆◆


 少年は、町外れの宿屋で目覚めた。


「また、あの夢か......」


 懐かしい夢だと思った。実際にあった過去の夢。あの時の自分の年齢はたったの五歳、あれから十年が過ぎ、今は十五歳になった。


 夢の中に出てきた女の子の顔も出てこなくなってしまったことに、時間の経過を感じた少年は、何処かポッカリと空いた心をに蓋を閉じた。


「そろそろ起きないとな」


 髪も瞳も、何もかもを飲み込んでしまうような黒色を持つ少年はベッドの上で体を起こした。少しだけ開けた窓から涼しい風を受けた俺は、よいしょと声を出して立ち上がり、カーテンと窓を全開にし、町を一望した。


 自分が住む宿の前の通りでは、元気な男の子たちが走り回り、鬼ごっこをして遊んでいる。可愛らしい服に身を包んだ女の子たちは、公園を取り囲む花壇に咲く鮮やかな花々を愛でていた。青年や所帯を持つ男たちは、各々の仕事道具を片手にそれぞれの職場へと向かい、仲の良い主婦たちはご近所の奥さんたちと井戸端会議だ。カップルは腕を組み合わせて仲良く歩き、そうでないものがゆっくり過ごす。


 この町特有の、穏やかでゆっくりとした時間が流れるこの場所は、少年にとって、とても住みやすい場所だった。かつて、自分が育てられた村から追い出された少年は、世界各地を転々としてきたのだが、一定の期間を持って流転する少年は、町との別れを視野に入れ始めた。


「そろそろ出ないといけないよな。この町、結構好きだったのに......」


 あらゆる町、村を二年から三年で巡ってきた少年の、この町での生活が二年半が過ぎようとしていた。


「次の町を見つけないと」


 一言そう呟いた少年は窓から離れると、ハンガーに掛けてあったこの宿の作業服を身にまとう。カッターシャツに茶色のベストを着る。首元のネクタイをきっちりと締めて準備を進めていると、廊下から声が聞こえた。


「パガン君。起きたら手伝って。今日もよろしくね」


 寝床をお世話になっている宿の女将からの年齢を感じさせない軽い呼び出しに、俺は元気良くはいと答えドアを開けて廊下を進み、階段を降りて、たった今入ってきたお客の前に立つ。


「いらっしゃいませ! ようこそお越しくださいました。宿屋スカイエンダーへようこそ」


 パガルは、やって来たお客にそう言いお辞儀すると、何時もと変わらない今日の1日が始まった。


 ◆◆◆◆◆


 とある日の朝。


「パガン君。ちょっとしたら普段のとは違うお仕事をしてもらうことになるんだけど、大丈夫かな?」


 一部屋ずつ声をかけるというなかなかに原始的なモーニングコールの仕事を終えた時、宿の女将であるマターにそう言われた。


「内容にもよりますけど……。出来る限りは頑張りますよ」

「良かったぁ」


 胸の前に両手を合わせながら出して喜ぶ女将を見て、本当に四十過ぎなのか確かめたくなってくる。


「今度ね、お昼前から凄いお客さんが来るの」

「凄い客。ですか」


 そうよと楽しそうに言うマターは話を続けた。


「王都のレクスブルからすっごい商人が、エンダーに観光しに来るらしくてね。その宿がここに決まったって電話を受けたのよ。それで、その商人は家族三人と秘書一人で来るって言ってたんだけど……。あのね。女の子が来るの」

「……。女の子ですか。それがどうか」

「間があった理由は聞かないとして、パガン君には、その女の子のお相手をしてほしいの。三日間ほど」


 ………………。


「はい?」

「今度は間が空いた理由を聞こうかしら」


 女将は笑顔で問い詰めようと顔を近づけてくる。口元はにんまり笑っているが、目が全く笑っていない。


「マターさん。顔が怖いです。目が笑ってないですよ!」


 あらあらとあどけない表情をした彼女に、危機が去ったとホッとしていると、一旦この場から逃げようと体の向きを変えようとした。のだが、ガシっと肩を掴まれ、見動きが取れなくなってしまっている。


「パ〜ガ〜ン〜くぅ~ん。話は終わってないよねぇ」

「パガン。諦めろ。その状態の女将さんが相手を逃すわけがないぞ」


 笑って見続ける先輩に、見てないで助けてくれよ。などとは言わないまでも、それに似た目を向ける。が、あっさりと無視されどっかに行ってしまったため、なす術がなくなってた。


「引っ込み思案の娘らしいんだけど、楽しませてあげてね」


 語尾に音符がついてしまいそうなほどに楽しそうに言ったマターは、俺の返答も聞かずに、受付へと走っていった。


「子供って言われてもなぁ。教会の孤児ぐらいしか相手にしたことないし」


 そう愚痴をこぼすと、重大なことに気がついた。


「いつ来るか聞いてないな」


 夜にでも聞こうと思った俺は、厨房から料理を大広間へ運びに行った。


 ◆◆◆◆◆


 午後三時。


 朝の七時頃から休憩なしで働いていたパガンの労働時間は、あと少しで八時間を過ぎようとしていた。


「パガン君。そろそろ上がっていいよ。教会の子たちも待ってるでしょうしね。約束のあと一時間は夕食のタイミングで使ってほしいから」


 俺は夢でのことを村の大人に見られてしまったため、忌み子として、村から追い出された。そこから、様々な町や村を転々としながら二年半前。この町へとやってきた。宿屋の女将に、 働くので、居候させて下さいと頭を下げて、一泊毎に九時間労働が約束で住まわせてもらっている。


 今となっては自分の余裕次第で九時間以上働いているのだが、今日のノルマである九時間までは残り一時間。


「ありがとうございます」


 女将にそう言うと、俺はそのままの服装で外に出た。


 空高く浮かんでいる太陽の眩しい光を受け、若干汗ばみながらも、目的地である聖エクレシアス教会へ急ぐ。通りで出店を出す店員たちに挨拶をしながら走る。図書館の横を通り抜け、噴水のある公園を横切り、町のシンボルである時計台の裏を回って、目的の教会へと到着する。


 この町ができた時からある聖エクレシアス教会。その裏手へと回ると、教会が運営する孤児院。アニムスがあった。俺は、何も持ってきていないことに気づくと、何処かのお店で買うべきか悩んだが、結論が出る前に、お目当ての人物がやってきた。


「あっ、パガン君。来てくれたんだ」

「久しぶり。シスター・エミリー」


 やってきたのは、黒色の修道服に身を包んだ少女。帽子から少しだけはみ出たピンクの髪の毛が、整った顔にあどけなさを映し出している。ここの教会に住む二人のシスター。そのうちの一人である少女。エミリーだ。


「お宿。忙しくなかった?」

「いや、いつも通りだったよ。それより……。俺、何でこんなに集られてる」


 気がつけば、自分の周りには、孤児院に住む女の子の大部分が集まっていた。誰かが何かしらを話しかけて来るため、とてつもなく姦しい。


「みんな。ここで集まられたら入れないから。後で遊んであげるからさ、少しだけエミリーと話させてもらっても……良いかな?」


 みんなは何故か妙にニヤついた笑顔で頷くと、庭を取り囲むゲージの中へ入ると、エミリーと一緒に、部屋の中へと入っていった。


 応接室に入った二人は、子どもたちから一旦離れ、ゆっくりとお茶を啜っていた。


「俺ってあんなに人気あったっけ?」

「なんだかんだで人気がありますよ。面倒見は良いし、料理は上手だし、子どもたちと遊んでくれるし……」

「私が優っている部分がないって言ったら怒る」


 うグッと声を詰まらしたエミリーを他所に、俺は話しかける。


「最近、子どもたちに何かあったか?」

「いいえ。いつも通り元気いっぱいだけど」

「それなら良かった。なら、俺の悩み事を聞いてもらっても良いかな」


 この時、エミリーは、どうせろくでもないことなんだろうと思っていたのだが、それは見事に正解であった。


「今度、宿に商人の一家が来るんだけどさ、俺が女の子の面倒を見ないといけなくなったんだけど……」

「けど?」

「控えめな女の子をエスコートすることなんて出来る気がしないんだ」


 ………………。

 ··················。


「何でm」

「そんなことで悩んでるの?」


 そんなことって、とパガンが落ち込んでいるのを見て、ごめんとエミリーは慰める。


「でも、パガン君って、人馴れしてるから、そういう事は得意なんだと思ってたな」

「確かに、いろんな場所を巡ってきたから、人と触れ合うのは好きなんだけど、自分から女の子を誘ったりしたことは無いんだよ。育てられた村の女の子は活発な子だったから、俺は振り回されてただけだし」


 その時、扉の外から、ヒソヒソと話す声が聞こえてきた。声から推測するに、おそらく五人ほどだろう。俺は音を立てずに立ち上がると、扉の前に立つ。


「パガン兄って、以外と奥手なんだね」

「今までの場所とかで、いろんなことしてきただろうに」


 若干ムカつく言い方をされたパガンは、一気に扉を開けた。扉に凭れていた少年が盛大に転けると、他の皆も支えがなくなり、結果的に五人全員が応接室に流れ込んだ。


「お前たちっ!」

「うげっ、兄ちゃんにバレた!」

「逃げろ逃げろ!」


 予想通り五人いた子供のうち、三人の少年は、きゃはははと愉快に笑いながら、部屋から走って逃げていった。しかし、残り二人の女の子はの場にまだいる。


「ミッシェル? サーシャ? これはどういうことですか? 分かっているとは思いますが、私が納得できる理由をしてくれるまで、少なくともあなたたちを外に出すつもりはありませんよ」


 エミリーの顔は笑顔だった。とてもとても、初対面人が、怒っていると分かるぐらいの笑顔だ。口元だけはすごく笑っているが、目が少しも笑っていない。


「本当に怒ってる人って、あんな笑顔をするんだ」


 自分に被害が来ないからと、そんな軽い態度をとっていたのだが、当の二人は軽く涙目だ。ぷるぷる震えてしまっている。ちょっとこちらが悪い気がしてならない。


「ち、違うもん! シスターがいつまで経っても素直にならないからなんだもん!」

「す、素直?」

「お兄ちゃん。女の子をエスコートするなら、シスターを誘ってあげてよ! その子より年上だと思うけど、練習にはなるよ」

「それは······そうだな。それじゃあ明日。ピクニック気分で散歩でもしようか。エミリー」


 その場の雰囲気に流されるように頷いたエミリーであったが、パガンは、後々になってから、エミリーの機嫌を悪くさせることに気づいていなかった。

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Fight Against one's World 咲弥生 @thanatos

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