違和感

雨の降る日だった。

梅雨とは少し違うじめっとした雨。

湿度と気温によって汗が滲む。

喉の調子は相変わらず絶好調で、特に今日はよく声が響く。

他のメンバーも調子良さげだ。


ただ1人を除いては。


「ごめん。もう1回良いかな。」

「うん。もう1回やろう。」

いつもは完璧な碧音が今日は不調だ。

決して責めているわけではない。

沢山間違えて、沢山練習すれば出来るようになると思っているから。

でも、今日は何かが違う。

いや、今日というかここ最近はずっと。

前までのマイペースで自身に満ち溢れている碧音の姿はない。

ピリピリしているわけではないんだけど。

「ごめん······。」

挙動不審。

見てるこっちも辛い。

何かに怯えているように見える。

純粋で真っ直ぐな瞳も、濁っている。

「大丈夫。私も沢山歌いたいし。沢山練習しよう。」

奏でられる音が狂う。

きっと、音程とかは合っているのだろうけど、私にしか分からない僅かな波長の違い。

喉の調子は良いのに気持ち良く歌えない。

今は歌うことに集中しなくてはいけないのにどうしても他のことを考えてしまう。


碧音は何かが変わった。

それが何かは分からない。

しかし、隣にいて安心出来たはずなのに、今はぎこちなさを感じる。

何となく避けられている気もする。

被害妄想もいいところだ。

最初は前に休んだ時の風邪が治っていないのだと思っていた。

けれど、こんなに風邪が長引くのだろうか。

これは全くの勘だが、碧音はあの日、風邪で休んだのではないと思う。

確信はない。

ただ、碧音の言葉には偶に"嘘"がある。

何かを隠しているように。

あんなに真っ直ぐ見ていた碧音が嘘吐きピエロと化してしまっているように思える。

あくまで推測だけど。

私達はそんなに頼りないかな······。

しとしとと降り続ける雨を眺める。

焦れったい。

私は何も辛くないはずなのに。

胸が締め付けられる。

「春架。」

「ん?」

歌い終わった後、駿が話しかけてきた。

これまた珍しい。

「具合悪そうだけど大丈夫?」

「大丈夫。少しボーっとしてただけ。····一旦休憩する?」

今日は随分と歌ったし。

チラリと碧音を見ると目が合った。

「そうだね。皆疲れてるだろうし。それよりも春架、本当に大丈夫?」

「大丈夫だよ。」

本当に大丈夫じゃないのは碧音のくせに。

薄っぺらい笑顔なんて貼り付けて。

ああ、イライラするな。

碧音は好きだけど、今の碧音は大嫌いだ。

悩みを全て打ち明けてくれなくても良い。

誰だって言いたくないことの1つや2つあるだろうから。

でも、辛いなら辛いって言って欲しい。

隠すならもっと上手に隠して欲しい。


何を隠しているの?

何に怯えているの?


1番は何も出来ない私が大嫌い。

微妙な距離感の中で、それぞれが孤独であるような空間。

仲間とかそういう概念は今はない。

前まではこんなことなかったのに。

もっと一体感があったはず。

なのに、ただ1人のメンバーにそれが崩されているよう。

大切な人物なのに、何故か凄く遠くにいるようで悲しい。

「皆!スポーツドリンクとタオル!」

山城先輩はマネジャーとして、1人のメンバーとして私達のことをよく理解してくれた。

私達が何を欲しているか。

何を思っているか。

全てを分かってくれる。

人は本当に見かけに寄らない。

ムードメーカーにもなってくれた。

最初は苦手だったけれど、今では素敵な先輩だと思う。

「ありがとうございます。チャラ男先輩。」

「まだその呼び方してるの!?」

だからだろうか。

頼りに出来る人だと感じたのは。

「チャラ男先輩······。」

誰にも気付かれないようにそっと手招きをして耳打ちをする。

「部活終わりに話したいことあるんで、残っててもらえますか。」

「え!もしかして愛の告白かな!?」

2人でコソコソと話す。

「なわけないじゃないですか。少し相談事があるので。」

私がそう言うと、先輩は何のことだか分かったようで、ふと頬を緩ませた。

「分かったよ。」

駿と舞は気付いていないのだろうか。

この違和感に。

3人が楽しそうに話す姿を眺める。

辛そう。

心が張り裂けそうに痛い。

私ってこんなんだっけ。

人の辛さを自分の痛みに出来るほど優しかっただろうか。

「よし、そろそろ再開しよ!」

舞がソワソワしながらギターを持つ。

本当に舞のやる気には驚かされる。

私も見習わないと。

私だって。

沢山、気持ち良く歌いたいのだ。



「で、相談とは?」

静かになった部室で、先輩と2人きり。

相談をする為。

先輩は椅子に座って、私は窓辺で降り続ける雨を見ていた。

「分かってるくせに······。」

ボソッと呟くと先輩はケラケラと笑った。

「流石だねえ。」

「褒められた気がしません。」

つい先程まで楽器の音が鳴り響いていたとは思えないほど静か。

「碧音、何かあったのでしょうか。最近様子がおかしくて。」

「·······そうだね。」

先輩は1つため息を吐いてから、私の隣にやって来た。

「碧音君が今、何かを抱え込んでいるのは分かる。でも、それが何かは分からない。もしかしたらくだらないことかもしれないし、周りじゃ何も出来ないような大きなことかもしれない。」

きっと、碧音が抱え込んでいるものは後者の方だろう。

そう、周りでは何も出来ないような。

「春架ちゃんは優しいね。」

優しく微笑む先輩を見る。

「でも、私何も出来ないです·····。」

今、泣きそうだ。

視界がぼんやりとしてきた。

「寄り添ってあげるだけで良いんだよ。隣にいてあげるだけで、碧音君は元気になる。」

先輩の大きな手が私の頭を撫でる。

「私は碧音の隣にいることも許されない。そんな気がするんです。誰も、あの人の隣になんて立てない。」

「どうして?」

それは自分でもよく分からない。

でも、何故か碧音の隣にいると前のような安心感はなくて、逆に息苦しさを感じる。

それを伝えると、先輩は口に手を当てて考え込んでしまった。

「碧音君もなかなかの馬鹿なんだけどね。うーん、そうだなぁ。」

「先輩?」

「このままじゃ、壊れてしまうよ。」

「······え?」

深刻そうな顔。

その顔にドキッとした。

それがあまりにもリアルだったから。

先輩は何が壊れるのか言わなかった。

それは碧音自身かもしれない。あるいはこの部活自体かもしれない。

どちらにせよ、私の大切な物を失いかけているということ。

私はこのまま、やっと手に入れた幸せを手放さなければいけないのだろうか。

たった3ヶ月ほどで。

私の青春はそんなにも短く、醜いものだったのだろうか。

やっとスタートをしたというのに。

これからだというのに。

グルグルと回る思考。

ああ、嫌だな。

どうしてだろう。

やっと私も前を見れると思ったのに。

「この世の終わり、みたいな顔してるね。」

愉快に笑う先輩を睨む。

「ははっ。そんな顔しないでよ。」

また視界が歪む。

「ほら、泣かないで?君は笑顔の方が似合うからさ。」

水色のハンカチを貸してくれた。

止まらない涙を拭う。

「私じゃ······何もっ····出来ないんですか····!」

叫ぶように問う。

先輩にこんなこと言っても仕方ないだろうけど、今はこの人に頼るしかなかった。

「君も馬鹿だよね·····。」

静かに目線を上げる。

「春架ちゃんには"他人"《ほかのひと》にはないもの、持っているだろう?」

「え?」

私を撫でる手が止まる。

「考えてごらん。君が何故ここにいるのか。存在しているのかを。」

「何故存在しているか······。」

「ゆっくりで良い。これから3年もあるんだから。ゆっくり、自分のペースで答えを探せば良いよ。」

やけに大人びた顔をまじまじと見る。

「······先輩ってそんなこと言うんですね。」

「失礼な!俺だって一応先輩だし。国語の順位1位だし!」

「国語関係なくないですか。」

「うるさいな!」

いつものペースに戻る。

私はいつの間にか笑っていた。


ねえ、碧音。

何を隠してるの?

どうして音が狂うの?

教えてくれないかな。



♪♪♪


「んー······おかしいな。」

「どーしたの?」

目の前では梨香がお菓子を頬張っている。

バイトが終わり、寛ぐ時間だ。

最近はよくここに泊まらせてもらっている。

家に帰っても誰もいないから寂しいのだ。

大きな旅館だからか空いている部屋も多く、女将さんは快く泊まらせてくれる。

本当に感謝の毎日。


そんな私が感じる違和感。


「最近、目がおかしいんだよ。視界がぼやけるというか、前が見えなくなるというか。」

目を擦る。

白内障だろうか。

授業中も視界がぼやけことが多い。

「1回眼科行ってみたら?」

「そんな時間もお金もない。」

はぁと息を吐いて、頬杖をつく。

梨香がポテトチップスの袋を向けてくるが、拒否をした。

夕飯にハンバーグを食べたというのに、よくお菓子など食べれるなと感心する。

「でも病気だったら大変じゃん。」

「まだまだ元気だよ。」

どっと疲れが溜まる。

体重に任せて床に寝転んだ。

気を緩めたら寝てしまいそう。

思いっ切り腕を伸ばす。

ここ最近はずっとこうなのだ。

お客さんの数は増えていないのに、前以上に疲れやすくなった。


·······老化だろうか。


「あ、明日体育ある!やった。」

「梨香は若いな。」

「何で急にお婆ちゃんみたいなこと言ってるのさ。高校3年生。」

質の良い髪を揺らしながら笑う梨香を見て、微笑む。

私の大切な親友。

歳は違うけれど、ずっと昔から一緒にいる無二の人物。

「·····ねえ、もう寝たら?」

「え?」

少しだけ低い声が聞こえる。

驚いて梨香を見つめる。

私を見つめ返す梨香。

「隈、酷い。寝れてないんじゃない?」

「そう?」

梨香は私の頬をそっと撫でる。

確かに少し寝不足気味だが、それには訳があるのだ。

私は大きな悩みを抱えてしまった。

「花、抱え込んじゃダメだよ?」

瞳を潤ませて覗き込む。

やはり気付かれてしまっていたか。

梨香は子供っぽいが、こういうのはすぐに気付いてしまうから。

でも私の悩みを言うわけにはいかない。

それを言うと目の前にいる梨香を悲しませてしまうかもしれない。

もしかしたら怒るかもしれない。

確実に今まで通りの楽しい毎日は過ごせなくなるはず。

そんな大きな悩み。

毎日不安で不安で仕方ない。

重すぎて壊れそうなくらいだ。

「何も抱え込んでない。悩みなんてない。」

誤魔化そうと決めたのだ。

例え嘘つきだと言われても。

傷付けたくないから。

傷付くのは私だけで充分だ。

「本当?」

疑いの目を向けてくるが、私は屈しない。

言わないって決めたのだ。

「花は昔から抱え込んじゃうからね。家のことだって旅館のことだって全て。1度に失うものが多過ぎたんだよ。」

フラッシュバック過去。

思わず頭を抱える。

「あ、ごめん·····。今のは忘れて。」

梨香が眉を寄せて抱きついてくる。

「大丈夫·····。少し頭痛がしただけだから。」

いつものおちゃらけた梨香は今は見られず。

たまに見せる真面目な顔。

私よりもずっと大人な顔。

「梨香。」

「ん?」

「·····やっぱり何でもない。」

1度開いた口を閉じる。

やはり言えない。

「ちょっと、散歩してくる。」

「え·····ちょっと、外雨だよ?」

「大丈夫。少しだから。」

私は制止の声も聞かずにパーカーのフードを深く被った。


しとしとと降る雨に風情を感じる。

やはり夜は肌寒い。

身震いをして、空を見上げる。

矢のように降る銀の雨を手で受け止めた。


「どうしてこうなったんだろう。」


神様。どうして。

私からも、私の大切な親友からも、大事なものを奪っていくのですか。

どうして、花を散らしていくのですか。

ねえ、どうして?


人は必ず別れが来る。

生まれてきたのなら死ぬ。

1枚の紙のように。

表が"生"なら、裏は"死"。

私だって、まだ生きる予定だけれど、高校を卒業すればどこか違う場所で生きなければいけない。

そんな世の中だけど。

でも、時間というものがあるでしょう?

どうしてわざわざ大切なものを消してしまうのだろうか。

どうして傷を付けてしまうのだろうか。

世界に存在する皆が美しく最期まで生きていけたら良いのに。

私達は失いすぎた。

そして私は、知りすぎてしまった。

この好奇心と人脈と過去によって、私は知らなくても良いことを、知ってはいけないことを知ってしまった。

今更どうこう出来る問題ではない。

1度失ったものはもう2度と、取り戻すことは出来ない。


痛い。苦しい。


ある日突然背負わされた重荷を担ぐ。

私の家族も、私達の親友も全てを失ってしまった。恐らくこれまでも。これからも。

今まで散々悲しみの波に溺れてきたのに。

私は新たな悲しみを、1人きりで背負っていかなければいけないのだ。

こんな人生なんて。


希望を抱えて生まれてきたはずなのに。

笑顔に囲まれて生まれてきたはずなのに。

今では周りには誰もいない。

今では希望ではなく、哀しみと怒りを抱えてしまっている。

これからも降りかかるであろう絶望を、私は乗り越えられるだろうか。

これ以上、何を失うというのだ。

梨香や春架まで失えば、私はもう生きていることにはならない。

心臓は動いても、私は生きていない。

それならいっそ、私を消してくれれば良いのに。神様はそれを許さない。

雲で覆われていたはずの空はいつの間にか晴れ、月がぼんやりと浮かんでいる。


あんなに月は綺麗なのに。

私の目には映らない。

この手は届かない。


「私はどうすれば良いですか。」


あるはずもない返事。

また視界が歪む。

本当にかなりの寝不足なのかもしれない。

少し危ないかも·····。


「お嬢さん。」

そろそろ戻ろうかと振り返った時。

後ろから男性の声が聞こえた。

「は、はい。」

ゆっくりと声のする方を見る。

「こんばんわ。」

暗くてよく見えないが、恐らくそこにいるのは杖を持った老人。

「こんばんわ·····。」

少し怖かった。

辺りは暗いし、不審者かもしれない、と。

「ああ、そんなに警戒しなくても大丈夫だよ。ただ私は貴方に言いたいことが会って来たのだから。」

驚いた。

知らない人なのに。

私に限ってストーカーなんてことはないだろうし、本当に私に用事があるのだ。

「私は貴方に真実を話しに来たのです。」

「真実······。」

その言葉に私の心は反応した。

真実を知りたい。

そう思う反面、もう何も知りたくないと思う自分もいる。

この人は全てを知っていると言うのか。

知りすぎてしまった私以上に。

だとすると何者だろう。

少なくとも私はこの人のことを知らない。

「すぐには決められないでしょう。この話はもしかすると、貴方の傷を抉る凶器になるかもしれない。しかし、貴方の傷を癒す薬にもなりうる。·····もし、真実を知る覚悟が出来たのなら、20時にここにおいでなさい。いつでも良いから。」

男は近付いて来て、紙切れを渡す。

ハット帽を被っていて顔は見えない。

それでも悪い人ではなさそうだ。

「分かりました。」

そう返事すると、男はいなくなった。

「·····あれ?」

不思議に思いながらも、貰った紙切れをポケットにしまい、私の帰る場所へと戻った。


見える世界に違和感を感じながら。

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