合宿1日目の悲劇

山奥にひっそりと佇む大きな別荘。

私達はここで4泊5日の長期合宿を行う。

地獄と称されたその合宿はまさに鬼畜。

もしかしたら、私の最期をここで迎えることになるかもしれない。

それくらいの覚悟で来た。

近くのスーパーまでは約1キロ。

車も通らないような道を下っていくのだ。

まさにサバイバル。

夏だから、虫も多い。

今は朝の9時だが、もう既に耳を塞ぎたくなるほど蝉が鳴いていた。

今日は8時集合で5時に起きて来たから、もう体力はない。

これから私には沢山の試練が待ち受けているというのに。

「まあ、ここが俺の別荘だ。」

南国にありそうな大きな赤い屋根の別荘。

「教師ってこんなにお金あるの?」

舞がヒソヒソと話しかけてきた。

その広いおでこには汗が滲んでいる。

「いや、でもゲームとかでお金飛んでってるじゃん?本当は廃虚なんじゃない?」

「ここは俺んちの別荘だよ。親が金持ちだからさ。廃虚には見えないだろ。」

後ろから声をかけられたと思ったら、ゾンビと化した先生が立っていた。

顔色が悪い。

「先生、もう熱中症ですか。」

私達よりも先に先生が倒れそうだ。

「俺は運転したからな。お前らがはしゃいだせいでこっちはハラハラしながらハンドル握ってたよ。」

疲れたと言って自分の肩を揉む。

「すみませんでした。早く入りたいです。」

「心こもってないな·····。まあ、同感だ。」


ジャラジャラと鍵を開けた。

ギィと大きな音を立てて扉が開く。

「おお······。」

広い玄関。

真っ暗だが、廊下が長いのも分かる。

本当に別荘だ。

「まあ、入れ。」

私達は頷いて靴を脱ぎ、1歩踏み出す。

その時、何か違和感を感じた。

目が痒くて、鼻もムズムズしてきた。

バツが悪そうに先生は顔を背ける。

そして、私達は悟った。


掃除をしていない。


よく見ると、天井の隅などもクモの巣が張っていてそれこそ廃虚のようだ。

先生を睨んでからズカズカと1番手前にある扉を引いた。

その瞬間、埃が舞う。

真ん中にはテーブルがあり、その近くにソファ、テレビが置いてある。

壁には高そうな絵画。

「·····先生。最後に来たのいつですか。」

埃を掬いながら問う。

「あー·····3年前の夏以来·····かな。」

3年近くここは開けられていない。

ここには誰も立ち入ってない。

こんな所で約1週間も過ごすなんて無理だ。

今日は練習なんてやっている暇はない。

「掃除しよう。」

前を見た。

駿と舞は何度も首を立てに振ったが、碧音と先生はポカンとしている。

何がそんなに不思議なのだろうか。

「え、何で?」

碧音が呟く。

それはこっちのセリフだけど······。

逆にどうして、この汚い中で練習しようと思うのだろう。

これじゃあ、喉にも良くない。

「こんな所にいたら病気になっちゃう。先生、箒、モップ、雑巾、バケツはどこですか。すぐに掃除します。」

「あー。隣の部屋に掃除用具入ってるから。勝手に使って。」

私はすぐに箒を手にした。

舞も駿も雑巾やモップを取り出す。


合宿初日の地獄は掃除だった。



「いらないですね。これも捨てますから。」

笑顔でゴミ袋にガラクタを詰め込んでいく。

今は午前11時。

2時間掃除し続けている。

一刻も早く練習を始めるために、私達は急ピッチで進めていた。

こんな大きな別荘だから、部屋なども沢山あるが、ある程度綺麗にすれば良かった。

しかし途中、問題が発生。

1人ずつが使うはずの部屋が全てガラクタだらけなのだ。

しかも、ネズミが行き交っている部屋まであり、舞はすっかり怯えている。

まあ、3年も放置していればネズミの1匹や2匹いてもおかしくはない。

「何ですか。このガラクタ。」

今ではもう使われていないゲーム機を持つ。

「あ、待て!それは俺の青春が詰まった·····」

「はーい。さよならー。」

容赦なくゴミ袋に投げ入れる。

うなだれる先生の隣で、駿が渡してくるガラクタをひたすらに捨てていく。

「俺の·····俺の財産·····。」

「あ、これ売ったら部費になるんじゃね?」

「あー。良いかも。」

昔のものって結構高価で買い取られるから。

それを聞いて蹲る先生。

少し可哀想だけど、それよりもこんなに汚されてるこの建物が可哀想。

「春架、こんなの出てきたけど。」

碧音の手には可愛い熊のぬいぐるみ。

·····先生が持ってたのだろうか。

「俺、こんなの知らない。」

先生が首を傾げてぬいぐるみを受け取る。

「覚えてないなぁ。」

「結構新品ですよね。」

毛並みは綺麗で、汚れていない。

どこから持ってきたのだか。

「これ·····俺のじゃないよ。でも、ここは俺の別荘で誰も来てないはず·····。」

私達の顔が青ざめていく。

「そ、それって······」


幽霊?


「ま、まさかぁ!泥棒が置いてったかもしれませんよ?ぬいぐるみ置いていくおっちょこちょいな幽霊いませんって!」

先生の背中をバシバシ叩く。

ネズミは大丈夫でも幽霊だけはゴメンだ。

「ぬいぐるみ置いてくようなおっちょこちょいな泥棒、いないと思うけどな。」

私達、ここにいてはいけないのではないか。

ふと隣を見ると、舞が真っ赤な顔をして俯いていた。

暑いのだろかと考えたが、数秒後に悟った。

「このぬいぐるみ、舞の?」

「ひょわっ!?い、いや·····あの·····」

手を弄り始める。

これは確信犯だ。

先生の手からぬいぐるみを奪い取って、舞の方に突き出す。

「はいっ!きっとぬいぐるみなしじゃ、寝れないんだよね?」

「あ·····う······。」

顔を真っ赤にしてぬいぐるみを抱き抱える舞はなかなか可愛い。

「何だ、舞のか。幽霊じゃなくて良かったよ。ね、春架?」

碧音が呑気に笑う。

私は本当に怖かったのに。

「結構片付いたし、昼食にしようか。今日はさっき買ってきたカップ麺だよ。食べたら少しだけ休憩してから練習しよう。」

「おーす。」

こんな馬鹿みたいに暑い日に、五人丸くなってカップラーメンを啜った。



「ここからは僕と駿、舞で1時間作曲。その間、ランニング。山の麓まで行って、帰ってくる。早く終わったなら休んで良いけど。」

掃除も辛かったけど本当の地獄はこれから。

昼食を食べてから30分の休憩時間を取ってから、活動を始めた。

時計を見ると、2時。

一番太陽が高くて暑い時間。

この中を私は1人で走るのだ。

「駿、舞。行こうか。」

碧音が2人の背中を押して部屋を出ていく。

私だけ残されて悲しくなったが、少しでも早く終わらせて休みたかったからそのまま外へ向かった。

1歩土に踏み出すと、もわっとした空気。

湿気がある。

軽く25度は超えている気がする。

「よしっ。」

ゆっくりと走り出す。

たまに吹く風が気持ち良い。

木々に挟まれた細い道路を進んでいく。

足が軽いのは下り坂だからだろうか。

麓までは1キロ。

たった1キロだ。

学校で走る距離。

そう考えると案外行けるかもしれない。

私は鼻歌を歌い出した。

あの大切な歌を。

考えごとをする余裕だってある。


次はどんな歌詞にしようかな、とか。

晩ご飯は私が作ろう、とか。


それからはあっという間だった。

麓につき、ベンチに座る。

バス停、スーパー、街灯。

山の上とは全く違う景色。

人数は少ない。

青い空にトンビの鳴き声が響く。

先程まで騒がしい所にいたからか、落ち着いていて良い。


このまま寝てしまおうかと思った時だった。

少し離れた掲示板の前でポスターをじっと見つめる男の人の姿。

気になって少し近付くと、見ていたのは私達の夏祭りライブの案内だった。

「あ、あの······」

人見知りだけど、勇気を振り絞って話しかけてみる。

「夏祭り、来られるんですか。」

男の人は驚いて振り返った後、嬉しそうに笑った。

「あ、はい。俺、会いたい人がいるんです。無二の親友なんですけど。」

金色の髪が太陽の光に照らされる。

「そうなんですか。会えると良いですね!」

「あの、それであなたはどちら様ですか。」

「あ、私は星野 春架です。」

私が名乗ると、彼は目を丸くした。

「もしかしてハルノートのボーカルの人ですか。」

「そうです。」

春風高校の生徒以外の人に名前を覚えられていることに感動していると、手を握られた。

「学校祭のライブ見ました!すごく良かったです。歌も胸に響いてきました!」

嬉しそうに話すものだから、余計感動が胸を襲ってくる。

友達や先輩、動画のコメントでは結構褒められてるけど、見ず知らずの人に直接こんなこと言われるのはなかなかない。

目頭が熱くなるのを感じる。

「これからも歌い続けてください。僕はあの歌に救われてるんですから。」

「も、もちろんです!ありがとうございます。」

太陽のような笑顔。

私が歌うことで笑ってくれる人が本当に、この世にいるのだ。

これからも歌うしかない。

「あ、もう行かないと。」

そこでランニングの途中だと気付いた。

「夏祭り、是非見に来てください。」

「はい!······あの、彼にもよろしく伝えといてください。」

「え?」

彼とは誰のことか訊こうと思ったが、彼はスタスタと歩いていってしまった。

私は名前訊いてなかったな、なんて思いながら別荘まで走った。


もちろん、山を登るのは辛かった。



夕方5時。

春風高校軽音部内で争いが起きた。


「誰が作る?」

「私作りたい。」

調理をするのは2人。

もう2人はまだ掃除していない部屋を綺麗にする仕事。

もちろん、掃除をしたい人などおらず、4人とも調理をしたがった。

ちなみに、昼食は2人は調理をしてもう2人が買い出しとなっている。

「やっぱり、料理は女子だよ!」

「いや、男子って結構出来るんだぜ?」

「じゃあ俺作るか。」

「先生は黙っててください。」

「酷い·····。」

先程からこんな言い合いをしている。

珍しく駿も譲らない。

「じゃあ公平な決め方をしようよ。」

笑顔で提案する碧音。

私達はそれが何なのか分かった。

この世の中に公平な決め方は1つしかない。

「さいしょーはぐー!」

突然始めた碧音に、皆焦り出す。

私は予想は出来ていたから焦ることはない。

「ジャンケンポン!」

静寂。

数秒経った後にそれぞれの声が響いた。

「やったぁー!」

「ちっ······。」

私と碧音はパー。

舞と駿はグー。

焦って出せば、人はグーを出しやすい気がしてパーを出した。

予想通り。

今日の晩御飯は私と碧音特製料理。

初日だし、美味しいものを作らなければ。

私達が笑っていると、舞と駿は嫌そうな顔をした。

悔しいのだろうか。

「えー······。この2人、心配。」

「えっ!?まあ、春架は心配だけど。僕は大丈夫だよ!」

頭に手を当てて碧音は笑う。

私的には碧音の方が心配だ。

料理とかやってなさそう。

私もやってないけど。

「何かあったら言ってね?」

2人は顔を見合わせてため息を吐いてから、どこかに行ってしまった。

私にだって料理くらいできるんだと証明しなければ。


「今日はハンバーグだね!」

ハンバーグは授業でやったことがある。

調理実習だと定番のメニューだ。

レシピを調べてから食材を取り出す。

挽肉や牛乳、玉ねぎやパン粉。

それに、お米も炊かなければいけない。

「僕、お米炊くよ。」

「ん、ありがと。」

私は玉ねぎの皮を剥いてみじん切りにする。

やはり玉ねぎは目に染みてしまう。

皮を剥いている時点で泣きそう。

包丁を取り出し、ゆっくりと切っていく。

本格的に涙が出てきた。

「あれ?春架、泣いてるの?」

ニヤニヤしながら見てくる。

なるべく見られないようにそっぽを向いた。

「泣いてないし。」

今の絶対鼻声。

さっさと終わらせたくてスピードを早めた。

フライパンを取り出して、切った玉ねぎを炒めていく。

玉ねぎが透明になったらボウルに挽肉、塩コショウ、玉ねぎ、パン粉を混ぜる。

それを5等分にする。

ここからが本番だ。

手に油を付け、両手で叩きつけるようにしながら、形を整えた。

フライパンに油を入れる。

キャップを締めると、碧音が不思議そうにフライパンを見つめた。

「どうしたの?」

「これ·····」

何の変哲もないフライパンを指さす。

「油多くない?水溜りみたいになってる。」

「そうかな?」

少し入れすぎたくらいだけど。

「まあ、大丈夫でしょ。」

特別変とは思わず、お肉を置いていく。

1つ1つがかなりの大きさ。

蓋をしてから少しだけ放置した。

「美味しくなれば良いね!」

「う、うん······。」

碧音は浮かない顔をしている。

何かしただろうか。

「碧音も作りたかった?ハンバーグ。」

私が全てやってしまったから·····。

「え?ああ、いや、違うよ。それよりもそろそろ開けても良いんじゃないかな。」

慌てて蓋を開ける。

白い煙が立つ。

「お、良い感じに焼けてる。」

「え······黒いんだけど。」

「ん?何か言った?」

「何でもない······。」

碧音の様子が変だ。

今日は色々やったから疲れたのだろうか。

「あ、スープも作ろうか。」

ハンバーグを裏返してから、余った玉ねぎを切っていく。

今日は玉ねぎスープにしよう。

切り方は適当。

たまにハンバーグの様子を見る。

「目に染みる······。」

泣きそうになるのを堪えながら切った。

切り終わった頃、大きな音が響いた。

「え!?」

驚いてフライパンを見る。

急いで蓋を取ろうとすると、あまりの熱さに手を引っ込めてしまった。

それを見て、碧音が蓋を取ってくれる。

中を覗いた瞬間、目を疑った。

ハンバーグが破裂しているのだ。

「え!?何で!?」

困惑。

普通に作ったはずなのに。

「春架、これ真ん中へこませた?」

顔を青ざめて見てくる。

「あ·····。」

そういえばへこませた記憶がない。

原因はそれだ。

「ま、いっか。」

私達は火を止めて笑い合った。


♪♪♪


「うぇ·····ナニコレ。」

食卓に並べられたのは、焦げたご飯に真っ黒で原型が分からない物体。それにスープ。

今日はジャンケンに負けて春架と碧音が料理をしている時、私は駿と浴場を綺麗にしてお湯を張ってたのだけど。


その間、一体何があった?


今日はハンバーグにするつもりで、材料を買ったはず。

でも、今目の前にあるのはハンバーグではない。

「お米は碧音。ハンバーグは私。スープは2人で作ったんだ!」

春架が自慢げに言う。

が、これを自慢出来る人はそうそういない。

スープだって玉ねぎ切れてないし。

「まあ、食べようよ。いただきます。」

「いただきます!」

「いただきます······。」

「·······ます。」

春架も碧音も美味しい美味しいと頬張るが、私と駿はなかなか手をつけれない。

「2人とも、早く食べないと冷めちゃうよ。」

そういえば、と思って先生を見る。

瞬間、察した。

黙々と食べているが、顔は青ざめている。

目を見て合図までしてきている。

「た、食べる。」

恐る恐る黒い物体を口に入れた。

予想はしていた。

していたけど、これは予想以上。

焦げのせいで少し苦く、随分と油を使ったようで、こってりしている。

すぐに胸焼けしそうだ。

急いでスープを入れる。

美味しくないスープはあまり作れない。

これくらいなら簡単だろう。

そう考えた自分が馬鹿だった。

辛い·····。

目に見えるほど塩コショウがかかっている。

「どう?美味しい?」

ふにゃっと笑って尋ねてくる春架の顔はキラキラしていて、「美味しくない」なんてとてもじゃないが言えなかった。

「う、うん。美味しいよ·····。」

良かったーなんて喜ぶ春架。

どうして食べれるのだろうか。

駿も何も言わずに食べ続ける。

きっと、早く食べてなくしたいと思ってるに違いない。

顔がそう言っている。

「そういえば春架はちゃんと走ったの?」

口にソースをつけながらん?と顔を上げる。

「ちゃんと走ったよ。麓まで走って、少し休んでからまた登った。」

その言葉に私達は感嘆の声を上げた。

「すごいね!」

1日目から随分と頑張ったと思う。

その分私達も精一杯作曲をしている。

「あ、そういえば」

春架はハンバーグを頬張りながら思い出したかのように声を出した。

「麓で金髪の人に会ってね、その人私達のポスター見てて、声をかけたの。夏祭り、来るんですかって。そしたら会いたい人がいるから行くって言っててね、凄く嬉しかった!」

嬉しそうに話し出す春架。

それを見て私達も頬が綻んだ。

しかし、私は見逃さなかった。

春架の目の前で顔を青ざめている人を。

具合でも悪いのだろうか。

駿も気付いたのか心配そうに見つめる。

「は、春架。ど、どんなの歌いたい?」

わざと話しを逸らす。

「ん?あー······切ない歌、歌ってみたい。」

不思議に思わなかったのか、考え込む。

歌のことになると食べるのも忘れてしまう。

相変わらずだ。

その話を聞いて碧音の顔色も治ったから一先ずは安心。

「夏祭りらしい曲が良いな。」

「誰か笛吹けないの?」


私達は料理のまずさを忘れてしまうくらい熱心に話した。



「ふぅ······」

ポチャンと音が鳴る。

今日1日で疲れた体を癒してくれるちょうど良い温度。

先生の別荘の大浴場。

こんなの、あの先生には少々勿体ない。

「舞はさぁ、今回の合宿どうだと思う?」

「え?」

隣で頭にタオルを乗せながら歌っていた春架が、突然真面目な声で話しかけてきた。

「何か、何かが違う。これはただの勘だけどこのまま、普通に終わる気がしない。」

「どういうこと?」

妙に真剣な面持ちで前を見る春架に、私もつい眉をひそめる。

「分からない。勘だから。でも、何かが起きると思う。」

碧音が言いそうな言葉。

いつの間にか、その勘は春架にも伝染していったようだ。

私には春架の言葉が本当のように聞こえて、お湯の中だというのに、身震いがした。

皆、無事に過ごせると良いけど。

「私、さっきの金髪の人に彼によろしくって言われたんだけど、あの人、碧音の知り合いかなって思って。」

「どうして?駿や先生かもよ?」

「これも勘。」

参ったというように笑う。

でも、それがどうしたと言うのだろう。

「······まあ良いや。それより舞は碧音のことどう思う?」

「え?別に普通だと思うけど。」

急にどうしたのだろう。

今日の春架は可笑しい。

いつもとは少し違う。

「そう····そっか······。そうだよね。」

薄っぺらい笑みを浮かべる春架。

何かあったのだろうか。

気にはなったが深くは聞かなかった。

「ずっと、歌いたいなぁ。」


♪♪♪


夜9時。

私が部屋でゴロゴロしている時、ノックの音が聞こえて扉を開けた。

そこに立っていたのは碧音、舞、駿。

どうしたのかと訊ねると、やることがなくて暇だったのだとか。

私は1人の時間が欲しかったが、折角の泊まりだから語り合おうと提案した。


そして、今この状態である。


舞は疲れたのか、大きなぬいぐるみを抱えてベッドの上で寝ている。

碧音はユラユラしながら床に座り、駿は机の椅子に座っている。

もちろん、私の座る場所などない。

仕方ないから部屋の隅に座っていた。

舞も寝るくらいなら来なければ良いのに。

駿だってわざわざこの部屋で読まなくても。

本当に分からない。

「ねえねえ、何か話そうよ。」

恐る恐る静寂を破る。

こんな時にしか話せないことだって、幾らかあるはず。

私も、もっとメンバーのこと知りたいし。

聞きたいこと、沢山あるから。

「良いよ。何話す?」

舞の寝息が聞こえるが、もう気にしないようにしようと思う。

「······ふ、2人って私のこと、どう思う?」

駿に嫌われてるってことは知ってるけど。

私だって、メンバーに認められるように頑張っているんだ。

「え?春架のこと?」

2人がうーんと首を捻る。

「俺は変な奴だと思う。別に好きなわけではないけど······嫌いでも······ない。」

照れながらもそう言う駿に心が温まった。

最初は怒らせてばかりだったけれど、お互い心を開いているのかも。

「そ、そっか。」

「僕はね、変わったと思うよ。ほら、前まですぐに傷付いて泣いてたじゃん?でも今ではポジティブだよね。」

「ああ、確かに。雰囲気が変わったよな。明るくなったというかなんというか。」

「そう?それは良かった。」

この何ヶ月かで変われているのかな。

だとしたら、それはこの人達のおかげだ。

「ねえ、僕は?僕はどんな感じ?」

碧音が身を乗り出す。

「え?碧音?」

少し口で言うのは照れ臭いけど、こんな時にしか言えないから思っていることを言おう。

「碧音は変人だけど、凄く優しくて、賢くて、リーダーであるべき人だと思うよ。」

いつもの私は絶対こんな事言わない。

照れた碧音が首を振る。

「駿はクールだけど仲間思いだよね!」

「はあ?」

自分のことを言われるとは思っていなかったらしく、本を落とす。

舞が寝返りをうち、私達は黙る。

「······本当に軽音部を作って良かった。」

あまりにも碧音が改まった声でいうものだから、私と駿は息を呑んだ。

一瞬見えた切ない微笑みが胸騒ぎを起こす。

「······そういうこと言うなら······もっと大きな舞台に立ってからにしてよね。」

何とか普通の雰囲気ムードに戻そうとしたけれど、動揺は隠せない。

何も焦ることはないのに。

しばらく続いた沈黙を破ったのは碧音。

「春架は何で歌が好きなの?」


私は気付かないフリをした。

その笑顔が薄っぺらいこと。


背筋が凍る。

ある日から、私は突然碧音に違和感を感じるようになった。

しかしそれは、ほんの少しのもので季節のせいなのだとか考えていた。

でも、今ハッキリと分かった。

きっと碧音は何かを隠している。

それを無理やり聞き出そうとは思わない。

私だって悩んでいる時は深入りしないで欲しかったから。

「歌が好きなことに理由なんている?」

だから私も笑顔を装う。

本当は凄く不安で心配。

「春架ならそう言うと思ったよー!」

駿は気付いていないのだろうか。

「2人はどうなの?」

どことなく、ぎこちない。

「僕は歌は凄いから······かな。」

「どうして?」

「歌は人を繋げる力がある。人を変えられる力があるから。」

その言葉にとても力強い確信を感じた。

学校祭前の突然のカミングアウト。

最初は驚いたけれど、今では少し昔の碧音を想像できる気がする。

「駿は?」

「んー·····俺はそこにあるから。歌がそこにあるから好き。」

駿の答えは少し難しかった。

思考を巡らせる。

「んっと······つまり私と同じってこと?」

「まあ、そんな感じだな。少し違うけど。正しく言えば、歌がそこになかったら好きじゃないってこと。」

「どういうこと?」

「すまん·····説明は難しい。」

きっと、頭の良い駿だからこそ思えることなのだろう。

「歌に会えて良かった·····。」

私の呟きに2人はこちらを見る。

そんな2人に笑いかけた。

「私はずっと1人だと思ってた。辛くないことも辛いと感じるようになって。世の中に息苦しさを感じた。すぐに傷付いて、泣いてばかりで。」

話していると懐かしく思えた。

「でも、この部活に入ってから沢山の人と出逢って、それぞれの生き方を知って。まだまだ知らないことばかりだけど、私も前を向ける気がしたんだ。」

私がそう言い終えると、黙って聞いていた2人はフッと頬を緩めた。

「お前、変わったよな。」

「そ、そう?」

自分でも思うけど、やはり誰かに言われるのは擽ったい。

「春架、本当に変わったよ。3ヶ月前とはえらい違いだ。」

皆も変わったと思う。

碧音も、駿も舞も。

それが良いことなのかは分からない。

「あ、もう10時だよ。もう寝ないと。」

明日も早朝からハードスケジュールだから。

少しでも体力は温存しておかないと。

特に碧音は最近よく眠れてないようだし。

「そうだね。部屋戻るよ······舞はどうする?」

スヤスヤと気持ち良さそうに眠る舞を見る。

起こすのも可哀想だ。

私はもう少し作詞でもして寝ようか。

「このままで大丈夫。」

「そう。じゃあもう寝るね。おやすみ。」

「おやすみなさい。」

ドアが閉まる音がし、静寂に包まれる。

聞こえるのは舞の寝息だけ。

「さて······と。」

どうしようかな。

私は大きく伸びをした。



目覚めるととても静かだった。

どうやら作詞の途中で寝てしまったようだ。

机の上には単語が並べられたノートと、青いシャープペンが転がっている。

ひとつアクビをして時計を見る。


午前2時。


そう。まさに丑三つ時真っ只中。

何となく背筋が凍る感覚になる。

もう1回寝ようとベッドに向かうが、そこには舞がいるから寝ることは出来ない。

「·····床で寝る·····?」

あまり無理な体勢では寝たくない。

と、なるとやはり床で寝るしかない。

「やっぱりやだ。」

どうしよう。

これじゃあ、寝れない。

明日もハードスケジュールなのに。

少しお散歩でもするか。

歩いていれば気も紛れるかな。

月明かりが綺麗だ。

テラスから外に出る。

涼しい風が私を包む。

「私、変われてるかな。」

月に向かって問いかけてみた。

もちろん返事などない。

それでも、「大丈夫。」と優しく囁いてくれているような気がする。

「ちゃんと、私として生きたい。」

真っ暗な空間で、唯一輝く満月。

怖さなど忘れてしまっていた。


······しかし。


部屋に戻る時に悲劇は起きた。


3時頃。

そろそろ部屋に戻ろうと玄関から入った。

薄暗く長い廊下を恐る恐る歩く。

こんな時間なら幽霊も来ないだろうと思い込もうとするが、やはり怖いものは怖い。

額に浮かぶ汗を拭いながら1番奥にある自分の部屋を目指す。


ガコンッ


「ひゃあ!」

突然の大きな音に肩を揺らす。

今の音はきっと風呂場からだ。

そして、その風呂場は今横にある。


サーと引いていく血の気。

固まる足。

ガクガクと震える。


扉に人影が映る。

これは確実に"何か"いる。

近付いてくる影。

ガチャりと音を立てて扉が開く。

止まらない汗。


「ひゃああああああああああああああ!」


目の前には自分よりも遥かに背が高い人影。

暗くて顔は見えないが髪が垂れていて怖い。

「わあ、ビックリした。」

廊下の電気が点けられる。

目の前に立っていたのはTシャツにスウェット姿の木下先生だった。

「······ふぇ?」

「星野か······。何してんだ······。」

私の叫び声で皆起きたのか、メンバー達が次々と部屋から出てくる。

「え·····お、お散歩してたらここから大きな音がして······。怖くて怖くて······。」

そう主張すると、皆は笑い出した。

「ははっ。舞、本当にビビリだね。お化けが怖いだなんて可愛い!」

舞がハイテンションで私の肩を叩く。

昼間はネズミに怯えていたくせに。

それに私が寝れなかったのは大体、舞のせいなのだが。

平気な顔して私の部屋から出てきてるし。

「ご、ごめんなさい······。」


そして彼らを起こしてしまったことにより、私の睡眠時間は削れていくのだった。

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