夏の向上計画

蒸し暑い。

とにかく蒸し暑い。

風も吹かない蝉が鳴き始めた暑い夏の日。

もう夏休みも近い今日このごろ。

学校の隅にある小さな部室で、私達は今日も音楽を奏でていた。

ペットボトルのスポーツドリンクも1本では足りなくなり、約2時間の活動の中で2本を飲み干すようになっていた。

流れる汗のせいで、背中に纒わり付く制服が気持ち悪い。

それでも、湿気があるからか喉の調子は良く、いくら歌っても問題なかった。

夏仕様の制服を身に纏い、今日もいつも通りに全力で歌う。

だけど、今日は違った。

私はいつも通りマイクを握って歌っているのに、教室内には楽器の音が響き渡っているのに、足りないものがあった。


リーダーである碧音だ。


先生は体調不良だと言っていたが、昨日まではうるさいくらい元気だったのだ。

だからこそ、私やチームメイトの舞、駿も相当心配している。

「そろそろ終わるか。」

「そうだね。今日も沢山歌えたなぁ。」

大きく伸びをする。

「そういえば役場の人との話し合いっていつだっけ。そろそろだよね。」

「来週だよ。」

「ああ、そうだった。」

駿とも普通に話せるようになった。

最初の時のようなギクシャクとした空気は全く感じ取れないが、やはり碧音がいないと少し固くなってしまう。

何とかやりくりはしているが、ベースもバンドには大切な存在。

いくら練習をしても物足りない。

それに、ムードメーカー的存在である彼がいなくなれば、私達は静かな部活動を過ごすことになる。

練習はしっかりとやったが、成果はそれほど良くはなかった。

声は出るけれど、音程は合わない。

小さいようで大きな違和感が私達の調子を狂わせる。

どれだけすごいリーダーなのかが身にしみて分かった1日でもあった。

なんて考えているとガラガラと音がする。

一斉に振り向くと、顧問の木下先生がだるそうに頭を掻きながら立っていた。

「あ、木下先生。·····後ろの人は?」

そんな先生の後ろには見慣れない人。

髪は金色に染まり、Yシャツはボタンが2つくらい開いている。胸元にはネックレス。

ニコニコと笑い、手を振ってくるものだから私は手を振り返してみた。

見たことない人だ。

先輩だろうか。

「ああ、こいつは2年の山城 悠人ゆうと。まあ、新入部員·····?」

「部員?」

キーボードだろうか。

それともボーカル?

「担当は?」

「マネジャーだよ!」

ピースしながらパチっとウインクを決める。

この数分の仕草で大体のことは分かった。

この人、かなりのチャラ男だ。

顔が整っていてチャラチャラしている。

今どきの女子高生にはモテるのだろうと女子高校生である私は思っていた。

今も手を振り続けてるし。

「このチャラ男先輩がマネジャーなんですか。そもそも、そんなのいりませんけど。」

別に有名になったわけではないのに。

マネジャーだなんて贅沢な。

それに、マネジャーならもう少ししっかりとした人が良かった。

「チャラ男先輩は帰宅部なんですか。」

駿も面白そうに私に便乗する。

「ふ、2人とも、酷いよぉ!」

少しだけ、碧音に似ているかも。

というよりも先生に似ている気がする。

きっと、打たれ弱い人だ。

「やあ、舞ちゃんだっけ?可愛いね!」

私と駿に辛い言葉を言われ、舞に助けを求めるように寄っていく。

舞は可愛いから狙われるかも·····。

「チャラ男先輩。黙ってください。」

そんな心配も杞憂に終わり、舞はチャラ男先輩から逃げるように後ずさりする。

「君まで!?」

そんな私達を黙って見ていた先生が、やっと呆れたように口を開いた。

「お前ら、自分たちの動画見てるか。」

「見てますよ。」

当たり前だ。

私達は学校祭が終わってすぐに、"アルストロメリア"の動画を投稿した。

バイトで集まったお金を使ってパソコンやマイクを購入し、美術部にイラストを依頼し、自分達で録音とMIXを行なった。

投稿には手間がかかったが、周りの協力のおかげで早いスピードで作業を進めれた。

MIXは私がやった。

初めてでよく分からなかったが、これから練習していこうと思う。

それからというもの、生徒や先生、地域の人達などがそれを拡散してくれたおかげで再生回数は5000回を超えた。

初めての投稿で、しかも投稿してから2週間足らずでだ。

私達の中では歓喜で溢れている。

もちろん否定のコメントもあるが、大体のコメントは褒め言葉だ。

そんな恵まれたスタートを決めた私達は、夏祭りライブを控えている。

2回目のライブだ。

今回はこの街で1番大きな祭り。

沢山の人達が行き交う。

そんな中で歌えることに感謝をしながら、毎日練習に励んでいる。

そろそろ新曲も作らないといけない。

役場の人達とも話し合いがあるし、この夏は忙しくなりそうだ。

「これから忙しくなりそうだからな。少しでも負担をなくそうかと。ほら、こいつ暇だしさ。でも、なんだかんだ言って優秀なんだよな。成績トップだし。それに、性格もかなり良いぞ。」

「えー、意外です。」

私の言葉に舞と駿も首を縦に振る。

いかにも授業サボってそうなのに。この人は先生がそんなにベタ褒めするほど優秀な生徒なのか。

世の中は本当に分からないものだ。

「君達さっきから失礼だね····。」

「気にするな、いつものことだ。」

「いつもこうなんですか!?」

先生は哀れみの目で先輩の肩を叩く。

先輩を弄るのは普段はなかなか出来ないからか、楽しかった。

駿もこのやりとりを楽しんでいるらしい。

隠しているつもりなのだろうが、口角が上がっている。

「碧音には言ってるからさ。」

じゃあ納得だ。

碧音が良いと言っているのなら間違いない。

他の2人も同じことを思ったのか、納得した表情だ。

「よろしくね!」

渾身のテヘペロ&ピースを決めた先輩は、私達の冷たい視線を浴びた。


「あー、それで·····」

先生が黒板に何やら書き始める。

大事な話があると言われてミーティングが始まったのだが。

どこか、そわそわとした雰囲気。

先輩はもう知っているらしく、先程からニヤニヤと見てくる。

そんなチャラ男に一発蹴りを入れたくなったが、そんな気持ちも抑えた。

「えー····夏休みに合宿を行う。」

だるそうな少し低い声の方を向く。

黒板には「まだまだ未熟な僕達。そんな僕達も技術、心身ともに向上しちゃおう!春風高校軽音部の真夏の地獄合宿♪inどっかにある別荘〜僕らのたった1度だけの青春〜」と書かれている。

やる気なさそうな声にしては、やけにテンションが高いネーミング。

どこから突っ込めば良いのやら。

「その名前、誰が考えたんですか。」

そう。まずはそこだ。

だいたい予想はついてるけど。

「ああ、俺と中岡。」

やはりそうか。

碧音のネーミングセンスが最高に悪いというのは知っていたが、先生もか。

碧音といい、駿といい、先生といい、本当にこの部活は大丈夫だろうか。

ネーミングセンス悪すぎる人が多い。

·····頭が痛くなってきた。

「で、別荘ってどこですか。誰のですか。そもそもいつやるんですか。地獄って何ですか。何でわざわざ、そんな長ったらしい名前にしたんですか。そもそもサブタイトルいらないと思います。」

何も言いたくない私の代わりに、駿が質問攻めをする。ナイス、ありがたい。

「まあまあ、そう焦るなって。ちゃんと説明するからさ、な?落ち着いて?」

駿を黙らせると、先生は1つ息をついて私達の方を真っ直ぐ見た。

「さっきも言った通り、合宿を行う。場所は近くにある俺の別荘。期間は8月11日から8月16日の4泊5日。」

その日は用事入っていないから大丈夫だろうけれど。

それよりも気になることが1つ。

「その、地獄って何ですか。」

「真夏の地獄合宿♪」だなんて、誰もが気になるだろう。

この長い文の中でも1番目立つ。

というより、その部分しか目に入らない。

「それはこの中岡と俺が考えて、俺が徹夜で打ち込んだスケジュールを見れば分かる。」

渡されたプリントの束。

スケジュールを見ると、言葉を失った。

練習、筋トレ、食事、作曲(その間春架はランニング)、買出し&料理、個人練習をずっと繰り返す。


鬼畜だ。

まさに鬼。


「これくらいやれよ。特に春架。身体を鍛えれば歌ももっと上手くなる。」

酷い。これは酷い。

辛すぎるだろう。

1日中歌うくらいなら出来ると思っていた。

きっと、ずっと練習をする約1週間になるのだとばかり思っていたが。

これは予想外。

体育の成績が悪い私にとってはまさに地獄そのもの。

音符マークが腹立たしい。

しかも、他のメンバーは作曲をするというのに、私だけランニングだなんて。

いくら作曲ができないからと言って、私だけ走らされるのはおかしい。

私達の成長を考えてのことだから文句は言いたくはないのだが、言わざるを得ない。

「これ、私辛すぎませんか。」

「うるせえ。中岡が言うんだから仕方ないだろ。まあ、俺も考えたが。」

明日にでも学校に来たら、説教でもしておこう。ただでは済ませない。

無茶すぎる。

「ユルサナイ」

「わわっ!落ち着けって。その代わり、今回の合宿はすごいんだそ!」

音を立てて立ち上がった私を、先生が慌てて宥める。

「何がですか。」

「別荘からは美しい海が見えて、庭も広い。もちろん1人で1つの部屋だし、風呂だってデカイ。テラスもあるし、プールもあるぞ。」

どうやらかなりの好物件のようだ。

ゲームばかり買っているような人のどこからそんな大金が出てくるのだか。

それも嘘だとしたら今度こそ許さない。

後ろを見れば、舞はキラキラとした目で見ている。

「·····分かりましたよ。じゃあ、夏休み向上合宿をやりましょう。」

「あれ、名前変えられた?」なんて呟いている先生を無視してカレンダーに書き込む。

なんだかんだ言って結構楽しみにしているのかもしれない。

友達と泊まれるだなんて、修学旅行くらいしかないからか。

沢山歌えるのも良い。

1日中歌っていたい。

早く新曲を歌いたい。

どんどん歌に対する欲求が深まっていく。

早くライブをしたい。

前まではライブをやるのが怖くて怖くて拒否していたというのに、かなりの変わり様。

今でも怖いという気持ちは変わらない。

本当は怖いが、学校祭の日の快感を思い出すとそんなことも言っていられなくなるのだ。

1週間前のことが随分と昔のように思える。

今でも夢だったのではと思うが、本棚に立てられた写真を見ると、現実だというのを思い出す。


ああ、きっと良い夏になる。


夏の風が私の髪を揺らした。

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