* 21 *

 いつもより早い電車に乗ると、普段の車両より空いていた。

 同じ光景でも、何となく違和感を持つのは、いつもと違う人の密度と普段見かける人がいないからだろう。

 ウォークマンで姉のおすすめを聴きながら、流れる車窓しゃそうの風景をぼんやり眺めた。


 電車に乗って、30分。


 学校近くの駅に電車が到着する。ドアが開くと同時に、ホームに降りて改札口へ向かう階段をのぼる。

 改札を通り、コンコースを横切って東口に進む。

 いつもより人通りの少ない道を、あくびを噛み殺しながら歩く。

「おはようございますぅ」

 間延びした独特の口調。


 ドクン、と心臓が大きく鳴る。


 立ち止まって後ろを見れば、名本さんがふんわりとした笑みを浮かべていた。

「…おはよう」

 オレの横に名本さんが来るのを待ってから、2人並んで歩き出す。

「森井くん、今日は早いのですねぇ」

「うん。昨日、あまり眠れなくて…」

 のまま答えたのは、名本さんのほんわかとした雰囲気のせい。

「寝不足は、お肌に悪いですよ」

 無邪気に告げる名本さんに、言葉に詰まる。

「肌に悪いって………」


 ――女性じゃあるまいし……。


「おはよう」

 元気な男子の声が後ろからした。

 振り返る前に、名本さんの右隣に並んだ山谷は、親しみのこもった笑みを名本さんに向けた。

「おはようございます」

 山谷に返した名本さんの声は、心なしかかたく、聞きなれたおっとりとしたしゃべり方と違う。

「山谷くんは、これから練習ですか?」

「うん、そう」

 お決まりのくだけた言い方をしない名本さんに、山谷は気にするふうも見せずに答えた。

「頑張って下さいね」

「ありがとう」

 名本さんらしくない様子が引っかかり、彼女を注視ちゅうししていたら、ものすごい勢いでオレの方を向いた。

 がつん、と目が合う。

「森井くんは、どうして今日、早いんでしたっけ?」


 ――少し前に、同じようなことを訊かれた気がするんだけど。


「早く目が覚めて、二度寝する気にもなれなくて、そのまま家を出てきた」

 それには触れずに説明すると、

「そうだったんですねぇ」

 名本さんがのほほんと呟く。

 その口調に、「あぁ、いつもの名本さんだ」と感じた。

「珍しい人が珍しい時間にいる。しかも意外な組み合わせで」

 後ろから聞こえたのは、オレを茶化ちゃかす小谷野の声。見返すと、あんじょう小谷野が含み笑いで立っていた。

「うるさい」

 挨拶もそこそこに、茶々を入れた小谷野に向けて吐き捨てるように言う。

「和哉が、こんなに早い時間にいるなんて、珍しいからねぇ」

 にがり切った顔つきのオレを見て、小谷野は面白がる。

「……」

「ごめん、ごめん。取りあえず、学校に行こう」

 眉間にしわを寄せたオレに取り成すように告げた小谷野は、山谷と並んで歩き出した。

 小谷野たちの後に続いて歩き出そうとして、横を見ると名本さんの姿がなかった。

 慌てて振り返ると、名本さんは佇んだまま、じっと上を眺めていた。


 ――どうしたんだろう。


 「…どうしたの?」

 見上げる顔に静かに問いかけると、名本さんの瞳がオレに向く。

 太陽の光が反射して、キラキラ輝いていた。

「キレイな紺碧こんぺきです」

 そう言うと、名本さんは空を指しながら破顔一笑する。

 圧倒されるほどの笑顔。

 逃げるように、頭上を見上げる。

 彼女の右人差し指の先、快晴の空が広がっていた。


 ――連休明けに見たのと、同じ色の空。

 ラピスラズリに似た。


「紺碧?」

「はい。こういう、深く濃い青のことを、そう言います」

 聞き返すと、空を見上げたまま名本さんが教えてくれた。

「紺碧よりも淡く、澄んだ空のような鮮やかな青色は、天色あまいろです」

 楽しそうな、嬉しそうな横顔。

「あまいろ?」

てんの色で、天色って言います」

 どんな字を書くのか疑問に思ったオレに、ねんごろに説明をする名本さん。


 紺碧。天色。


「綺麗な表現だね」

 そう呟くと、名本さんは空からオレに目線を移す。

「そうなんですっ。日本の伝統でんとうしょくって、響きがキレーですよねぇ」

 喜色の満ちた相貌そうぼうで頷く。そして、

「この前、一緒に見た空と同じですね」

 名本さんは、オレの目をまっすぐ見つめて、満面の笑みでそう言った。


 あまりの眩しさに、オレは目を細めた。


「おーい。突っ立っていると、迷惑だよ」

 離れた所から聞こえた声に、オレははじかれたように小谷野を見る。

「あぁ」

「はーい」

 一斉に答えて、名本さんとオレは隣り合って歩き出した。

 

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