第28話 日本は平和か?

 宿に着いた時、すでにカラツァはいなかった。


 実際は、宿の人に話を聞いたものの、軍人のことだから答えていいものかわからないという回答を得ただけである。だが、反応的にいたのは間違いない。


 仕方なくロビーにいた宿泊客数名に聞いてみたが、見た者はいなかった。


「ちっ。あのヒョロ猫背」


 毒づくリディア。


「しかしまあ、すごい造りだよな。この床、大理石っていうんだろ?」


「できたのは割と最近ね。国王や守護剣のお偉方も泊まったという噂もあるわ。この町というより国全体でも上位の宿に入るかも」


 へえ、と関心を示しながら、レイジは建物の構造を見る。


 まるでホテルだ。レイジは本物を見た記憶がないが、教科書などで見たことがあったその姿を思い浮かべる。


 入口の正面にフロントと呼ばれる受付があり、そこに男女が一名ずつ。丁寧な接客には好感が持てる。宿という括りにしておくにはもったいない立派なものだった。


「出るわよ」


「ん、ああ」


 促され建物を出ると、そのすぐ脇の路地に入ったところでリディアは足を止めた。そして壁から顔を出して宿の入口を覗き込む。レイジは訝しげな顔で、


「どうした?」


「気付いたでしょ、絶対ここにいるって。入れ違いになるよりここで待っていたほうが得策よ」


「んー……」


 確かにそうだとは思うが、違う可能性があることを視野にいれておきたかった。レイジは腕を組んで考える。


「二人でここにいてもあれだからさ、もう一人はあの戦車探さないか。目撃情報だけだと俺不安だし」


「……まあ、そうね。自分たちの目で確認したほうがいいかも」


「じゃあ俺行ってくる」


「あ、待って」


 慌てたようにリディアはレイジの腕を掴む。


「馬鹿なの? おまえはここの土地知らないでしょ? わたしが行く」


「そ、そうだな」


「東の森って言ってたから、そこまで遠くないわ。一般人に見つかるくらいだし、なによりあの大きさだし、そんなに時間はかからないと思う」


「一人で無茶すんなよ?」


「わ、わかってる! おまえこそ、一人でなにかしようとしないでよ」


 へいへいと軽く頷き、レイジはリディアを見送った。


 電話などの通信手段がないため、二時間後にここで再び会う約束も忘れない。

「長丁場になりそうな予感がするぜ。うし、頑張ろう」


 両拳を合わせ、レイジは気合いを入れた。




 一時間が経った頃、宿の入口に動きがあった。なんと百人規模の人だかりができ始めたのだ。


「なんだありゃ」


 人が集まるのにそう時間はかからなかった。人々は入口に立っている宿の人間を見て、なにやら騒いでいる。いや、手で持つなにかを見て騒いでいるのだ。


「あ、知ってる。有名人よね」


「何年か前に王都で表彰されてたよな」


「最強の魔法士って言われてたけど、今はどこいったんだろう」


「てかなにしたんだ? 賞金首?」


 その言葉を聞いて、レイジは思わず物陰から飛び出した。


 宿の人が空に向かって高々と掲げていたのは、ハルト、リディア、アルダス――三人の手配書だった。それはカラツァが先日見せていたものと同じもののように見える。


「えー、この三人がこの町、もしくはその付近に潜伏しているようです、詳しい容疑は知りませんが、守護剣の将軍殿が置いていかれました。捕まえた方には多額の賞金が贈られるそうです」


 おお、と歓声が上がる。


 レイジは人ごみをかき分け、近くまで寄って手配書を見る。三人の顔写真は、どうやら王都で表彰されたという四、五年前に撮られたものらしい。


 ハルトとリディアの顔が現在よりも幼く、特にリディアは一〇歳頃の写真なだけあって、今とはまるで違う人物のようだ。今のように毒舌を吐くような子には見えない、ピュアさが漂っている。


 先ほどリディアと宿に立ち寄った時に、顔がバレなかったのはおそらくそういうことだろう。今のリディアの顔つきはピュア成分がないからだ。だから焦ってこれを伝えに行くことはしなくてよいということだ。


 手配書に対し、どうしてまた、と思いながらも、ふう、と安心して息を吐き出すと、レイジは再び路地へ戻ろうとした。


 その時、視界に茶色いローブを纏った、ガタイの良い男がこちらを見ていることに気付く。



 そして男はにやりと微笑んだ。



 レイジの背筋が凍りついた。



 男はこちらに近づいてくる。レイジは硬直し、一歩もそこから動けない。


 自分でもなぜこうなったかよくわからない。しかし、身体は逃げろと言っている。


 男はレイジの真横を通り過ぎ、低い声で、口角を上げて言った。




「よお、日本は平和か?」




 レイジの心臓が跳ねる。


 数歩レイジの後ろまで歩き、男は立ち止まった。


「明日〇三〇〇、噴水広場まで来い。仲間を連れて来るかは自由だ」


 そう言って、男はレイジから離れていった。


 カチャリ、カチャリと、自分の歩く音と同じ音がする。


 レイジの額から汗が吹き出した。呼吸も苦しい。


「な……んで」


 ローブからはみ出て見える脚は、Zスーツのものだった。


 一気に現実に引き戻された気がした。


「どういう、ことだ……」


 ここはアルカディア――別世界。


 いるはずのない、自分と同じ世界の人間。それが今ここにいた。


 いや違う、そもそもレイジは考えていなかったのだ。


 この世界に来たのは自分が最初ではない。もうすでに何人も送り込まれているということを。


 美来学園の地下にある異世界への光ゲート。


 それを使って、リウェルトはなにかをしようとしているということを。


 この世界に――災いをもたらそうとしていることを。


「はっ――」


 レイジは思い出した。


 岩野が自分に頼んだこと――それは、〝世界〟を救ってくれということだった。


 それはてっきり元の世界のことだと思い込んでいた。だが、もしかしたら違うのではないか。


 もしかすると「救ってくれ」というのは――


「ねえ」


 突然の声に、レイジは両腕を構えながら振り返った。


 目の前にいたのは首を傾げるリディアだった。


「お前か……」


「すごい汗。あぁ、水くらい与えればよかったわね」


「いや、別に……」


 素っ気ない返事に、またもリディアは首を傾げた。


「そ、そういえばどうだった。カラツァはいたのか?」


 レイジの問いに、リディアは眉を下げてかぶりを振る。


「意外に時間がかかってしまって。二時間経ったから一応約束通り戻ってきたんだけど、こっちはなにかあったの? さっきより人が多いみたいだけど」


「ああ、カラツァが前に見せてたお前たちの手配書あっただろ? あれが公表されたんだ」


 リディアは眉間にしわを寄せ、低く唸った。


「そういやカラツァって将軍なのか?」


「カラツァ? あいつはただの部隊長よ。多少名は通ってるけどね、悪い意味で」


 宿の人間は、手配書を〝将軍〟が置いていったと言っていた。だがそれも単にカラツァが見栄を張っていただけかもしれない。


 もしかしてあのローブの男が? そう思ったが、リウェルトの人間が守護剣に入る理由がイマイチわからなかったため、一旦これについて考えるのはやめておくことにした。


「それにしても、おまえ気分でも悪いの? 少し顔が青いように見えるけど」

「んじゃ飲み物でも買ってもらおっかな」


「……まあ、そのつもりだったからいいけど」


 素直に応じたリディアに若干驚きを見せながら、レイジたちはこの場をあとにした。

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