第20話 昔話
しんと静まる真夜中。レイジは目を覚ました。
「あーいてて、口ん中切れてる……そうか、俺あの時殴られて……」
リディアの力いっぱい握り締められた拳が視界に入った瞬間から、レイジの記憶が途切れていた。あれから何時間経ったのかはこの世界の時計がないためわからないが、殴られただけで五時間以上気絶するはずもないので、長くて二、三時間程度だろうと推測した。
「まったく、俺ってどれだけ貧弱なんだよ」
自分の傍らに置いてある金属の鎧――Zスーツを見てレイジは呟いた。
こればかりに頼っているわけではないが、女の子のパンチで気絶するなど、軍の兵士を目標にしていた自分にはあってはいけないことだ。自分の非力さに思わずため息が出る。
「どこかに水は……」
口の中が血の味がするため、うがいをしたくなった。
スープを作るために使用したはずだから近くにあると思ったのだが、見当たらない。
「ちょっと歩くか」
夜中に火の元から離れるのは危険かもしれないが、口の中の不快感を早く取り去りたかった。
アルダスは痛そうな岩場でいびきをかいて眠っており、ハルトは剣を足元に立て、大きな岩を背にしてうとうとしていた。すぐに戻るつもりなので起こさないようにそこから離れた。
ハルトと行った林には水の気配がなかったため、レイジはそことは反対の林の方へ歩き出す。
二、三分歩いたところで、水になにか落ちたような音がした。レイジは少し警戒しながらその方向へ進んでいく。
月明かりを頼りに木をくぐり、更に三〇秒ほど歩くと、奥に湖が見えた。月が湖の鏡に反射され、夜でもその水が美しいことがわかる。
レイジは最後に人の丈程ある長い草をかき分けて、湖の地に足を踏み入れる。
が――
「あ」
「え」
肌色。まずその色が見えた。
そのまま下に視線を移しても肌色が見え続けた。
「ん」
上を向くと人の顔。目の前に映るのは、ただ呆然として前を隠すことも忘れた一人の少女だった。みずみずしい透き通るような白い肌。想像していたより倍の大きさだった二つの膨らみ。レイジは少し感心しながら「ふむ」と頷き、
「おう、リディア、わり――」
「きゃあああああああああああああああああああああああっッ」
目の前にいた肌色の正体はリディアだった。叫びと共に拳が飛んでくるかと思ったが、一瞬リディアの頭上に、直径一〇メートル以上ありそうな金色の魔法陣が現れた……気がした。
一秒に満たなかったため見間違いかもしれないが、あれが魔法陣ならどれだけすごい魔法が使えるのだろう――そうレイジは想像したが、その隙に再びレイジの左頬に力強い拳がめり込んだ。
「いっってぇぇ……」
レイジは身体を起こし、周りを見渡した。誰もいないと思ったが、振り返ると、膝を抱えて向こう向きで座るリディアの姿があった。
「リディア……?」
「やっと起きた。おまえ、もしかして本当に弱いの?」
「……弱くはねーよ。学園では実践訓練のスコアもかなりいいし、格闘技ではあんま負けたことない。でもまさか一発でダウンするとは思ってなかったけどな。それも二度も」
「ふーん」
リディアはこちらを見ずに相槌を打った。レイジも背中合わせになるよう座り直して話を続けた。
「なんであんなところで裸だったんだよ」
「身体を洗ってたの、言わせないで……! それよりも先に言うことがあるんじゃないの?」
思い返せば髪や身体が濡れていた気がした。レイジは頭をぽりぽりと掻き、
「その、悪かったな。お前がこんなところにいるなんて思ってなかったからさ。血まみれの口をゆすごうと思って来たんだが……。まあ、謝る」
「血まみれの口って……おまえ、覗いたことを完全にわたしのせいにしたな」
「んなことねーって、事故だよ事故。あれ? そーいや俺、なんで一発目殴られたのかよくわからないんだけど」
「そ、それは……おまえがわたしたちを騙してないか試すためよ!」
表情は見えないが、リディアの声は明らかに上ずっていた。
「そうかい。なら納得しただろ? 俺が嘘ついてないって。俺はあれを着てなきゃ普通の人間だってことをさ」
「……」
「ま、突然現れた男を一日で信用しろってのも難しいよな。別にすぐに見極めなくてもいい。ずっと警戒しててくれてもいい。ただ、俺がお前たちになにかするってことは絶対にない。それだけは誓おう」
「じゃあもし、なにかしたら」
「斬ってくれて構わない」
リディアは思わず即答したレイジの方へ振り返った。
「お前、確か最初言ってただろ? 敵なら斬るって。それでいい」
リディアはそれからなにかを考えているのかしばらく黙ったままだった。虫の鳴く声だけが湖の周りを雰囲気づけていた。
「あのさ」
不意にリディアは口を開いた。
「おまえの世界の話を聞かせてよ。作り話かどうかはわたしが判断する」
「……」
レイジは一瞬黙ってから微笑み、リディアの望み通り、自分のいた世界の話を始めた。
世界人口の半分以上を死に至らせた黒雨戦争のこと。
その後、両親を失ったこと。
そして最後に美来学園のことを話した。
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