第21話 夢であってほしかった

 所どころ頷きながらリディアは聞いていたが、やはりうまく伝えるのは難しかった。


「……言葉が複雑でよくわからないな。ようするにおまえは兵士になりたかったの?」


 レイジは頷いた。


「俺のいた国――日本ってところは、以前は世界でもトップクラスの治安の良さだったらしい。でも俺はそんな平和が信じられない。各地で暴動が起こって、ひどい時は一気に数千人が怪我をして、数百人が死ぬ。子供だって容赦なく死ぬ、そんな国だ。俺は軍に入って少しでも一般人を守りたかった。嫌な思いをする人を減らしたかったんだ。だから俺は戦うことを決意した」


 感情を込めて語るレイジの言葉に、リディアは静かに耳を傾けた。どれだけこの男は悲しい思いをしてきたのだろう、どれだけ苦しい思いをしてきたのだろう。話を聞くだけでレイジの国の悲惨な光景が目に浮かんだ。


「俺は、人の苦しみを考えない奴が許せない。だから争いを起こそうとする奴らは大嫌いだ」


 リディアはレイジが最後に守護剣に向けた言葉を思い出した。あれはきっと本気だったのだ。あれ以上守護剣が自分たちを襲っていたら、レイジはあの場にいた兵士たち、もしかすると自分たちまでも壊滅させていたはずだ。そう考えると寒気がした。


 レイジは軽く興奮状態になっていたことに気づき、深呼吸した。


「悪い、話を戻そう。俺はそれから小隊っていって、五人以上で構成されるチームに入った。それでさ、ナツキ、ダイゴ、ケイ、ライアっていう……」


 言葉に詰まった。


「どうしたの?」


「いや、なんでも……なんでもない」


「なんでもないって、おまえ……泣いてる?」


 気づけば目から涙が流れ出していた。リディアが心配そうに覗き込んでくる。


「俺、おれは……どうして……」


 しまった、と思った。


 あの地下での戦いから、体感時間では半日も経っていない。忘れてはいけないことなのに、思い出したら自分が壊れそうで――


 あんなことは、なかった。すべて夢。

 そういう風に現実逃避したかった。

 でもやはり、そんなことはできなかった。


 流れ続ける涙を必死に拭おうとしているレイジを見て、リディアは服からなにかを探し始めた。そしてレイジにそれを渡した。


「……わたしたちの隠れ家で、こんなものを見つけた。おまえのものだと思う」

 差し出されたのは、一枚の紙だった。


「あ……」


 それはただの紙ではなく、あの時みんなで一緒に見た写真――


 最後に持っていた自分が、襲撃を受けたときに咄嗟に身体のどこかに隠したのだろう。全員がぎこちない笑顔の写真。それは、最初で最後のみんなで撮った記念だった。


「ああ、あああっ……」


 少しシワになった写真を胸に押さえつけ、レイジは叫ぶように泣いた。


 この写真はあの時起こったことがすべて現実であることの証明だった。

 泣いたのは、両親が死んだ時以来だった。

 一気に脳内に放出される数々の思い出たち。どうでもいい会話や、馬鹿なことをした記憶が鮮明に思い出される。


「なんでっ、あんなことになっちまったんだよぉ! どうして俺だけ生き残ってんだよお!」


 事情が飲み込めずにどうすることもできないリディアは、自分が悪いことをしたのではないかと不安そうな表情になる。


「俺にここでなにをさせようっていうんだ……! こんな、俺に。仲間がいなきゃなにもできない俺に!」


 岩野が言っていた言葉。それはとても曖昧で、あの状況で理解できるものではなかった。


「俺に世界を救って欲しいとか……ふざけんなよ」


 言って、地面にレイジは拳を叩きつけた。血が出たが、痛みは感じなかった。


「……戻りたいのか?」


「え?」


「元の世界に、戻りたいのか?」


 沈黙が流れる。


 戻れば戦いが待っている。人々の怒号やすすり泣く声が頭の中に刷り込まれてしまったレイジにとって、あの世界は地獄でしかない。それに、今のレイジには戻ったとしても帰る場所などない。自分の信じていたリウェルトは正義でもなんでもない、ただの悪だったからだ。生きる意味すら曖昧になりかけている。


「この世界、わたしたちの世界はとても綺麗だから」


「……ああ、そうだな」


 この世界の全てを見たわけではないが、リディアの言う綺麗な世界という言葉に魅力を抱いてしまった。現に、こんな美しい星空は見たことがなかった。この空を見るだけでも、一旦止まった涙がまた出そうになった。レイジはこんな世界を目指して戦うことを選んだのだから。


「ここに写ってるみんなはさ、俺の友達だった。でも死んじまった」


「……」


「必死に生きてきたのに、死ぬのって一瞬なんだよな。死んだ瞬間、今まで思ってきたこととか、願いとか、誰にも伝わらずに全部消えちまうんだよな」


 写真を見ながら、レイジは辛そうな顔をして語った。


「戦争とかで人が死ぬのはよく見たけど、どうしてもそれって他人事なんだよ。俺も親が死ぬまでそうだった。だからその時から俺は考えを変えた。それぞれが、俺と同じ心があって、感情がある。身近な人が死ねば当然悲しいし、苦しい。だからそんな思いをする人を少しでも減らしたかった」


 でも――と続け、


「俺の目指していたことが、結局無駄に終わりそうなんだ。俺たちの世界は、もうすぐ終わる」


「終わる?」


「これから大きな戦争が起こるらしい。そこできっと、今までの比じゃない犠牲者が出るはずだ」


「止めることは……いや、なんでもない」


 なにか察したのか、リディアは口を噤んだ。


「はは、遠慮せずに意見していいぞ。まあ、個人の力じゃどうしようもないな。敵は俺のいた軍で、軍事力も世界トップクラスだからな。それに」


 リディアは首を小さく傾げた。


「俺は、ここでなにかをするために来たんだ。それが戦争を止めることに繋がるかはわかんねえけど、やるべきことがあるなら、それをやり遂げたいって思ってる」


 レイジはにっと微笑み、


「命を失ってまで送り出してくれた仲間のためにもな」


 それは決意の現れた表情だった。


「おまえ、さっきまで泣いてたのが嘘みたいね」


「うるせ」


「ふふ」


「ははは」


 本当に泣いていたのが嘘みたいに、レイジの表情は晴れ晴れとしていた。だが、決して死んだ友を忘れるようなことはしないと誓った。



「なんか、サンキューなリディア。途中取り乱して悪かった」


「別にいいわ」


「そういや湖の近くだけあって少し寒いな。そろそろ戻ろうぜ。明日二人にも俺の話をしないとな」


「ん、わかった」


「くれぐれも俺が泣いたなんて言うなよ」


 そういって立ち上がろうとした瞬間、


「あ、気にしなくていいぞー、しっかり聞いてたからな」


「うおおぉッっさん!?」


 横の茂みからひょっこり顔を出したのはアルダスだった。続けて横からハルトの顔も現れる。


「な、なにをやってるんだリディアっ。こんな夜中に二人っきりで……! まままさかっ!」


「なんもしてねえ! つーか聞いてたんだろ!?」


「裸を見られた。それも全部」


「貴様あああああっ!!」


「事故だっつーの!」


「おら落ち着けや」


 レイジに襲いかかろうとしたハルトの首根っこを、アルダスが掴み制止させた。

 それにしても、目を覚ました時ハルトは寝ていたように見えたのだが、しっかり起きていたのかとレイジは感心した。昼間に襲われたばかりだし野宿には警戒するのも当然か。


 ハルトを落ち着かせたアルダスは皆に座るよう促した。湖のそばは月光の照り返しでキラキラと光り明るいため、ここで少し話をすることになった。


「んで、この坊主を連れてってもいいと思う奴は手ぇ上げろ」


 アルダスは挙手しながら皆に訊ねた。


 数秒後ハルトは仏頂面でしぶしぶ手を上げ、それからリディアの方を見た。


「リディア、どうするんだ。僕はまあ……いいと思ってるんだ」


「わたしは」


 ハルトはレイジとリディアが二人きりで話をしていたのが気に入らなかったようで、顔がいまだに引きつっていた。しかし付いていくことを了承してくれたのは感謝しなければならない。


 リディアは数秒黙り、


「もしわたしたちの敵なら斬っていいと言った。なにか問題を起こせばそうさせてもらう」


「じゃあ、いいのか?」


 レイジの問いに顔を下に向け、


「わたしから一〇メートルは距離をとって歩く。それならいいけど」


「お前ら夕方の時もそうだけど、同じようなこと言うのな。兄妹みたいだ」


「……兄妹だが?」


 ハルトがなにを言っているんだという表情でレイジを見やる。


「マジか」


「残念な兄だけど」


「……んじゃ、決まりだな」


 目を丸くして固まったレイジを見たアルダスは、満足そうにそう言って立ち上がった。レイジはいろいろな緊張から解けたせいか、大きな欠伸をした。


「夜明けまでまだ時間があるし、もう一眠りしたらどうだ? 警備は引き続き僕がやる。リディアも寝たほうがいい」


「いいのか任せても」


「別にいいさ、慣れてるしね」


「じゃあお言葉に甘えて」


 そうしてレイジたちはキャンプ地に戻り、改めて眠りについた。今度は気絶ではなく、ちゃんとした深い眠りに。

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