夕暮れ: 返還の儀 [須佐政一郎]

 緋色に縁取られた狐の仮面を被った者達が、私たちの前に来ては消え、消えてはまた現れる。

 “<概念付与>——……<血染めの断頭台ギロティーネ>——!!”

 白銀の騎士の操るハルバードが四回、その主人である可憐な青いドレスに身を包む少女の首へと飛ぶ。

 あまりの早さに四回以上だったのかもしれない。音の強弱を入れてやっと判別できるくらいだ。

 しかし、ハルバードの刃は少女の体など最初からなかったかのように通り抜ける。そして、

「ふっ!」

 花のように可憐な少女が一息、唇をすぼめて空気を吐く。

 それだけで十分だった。

 少女の目の前にいた二人の緋狐達は腰から上が綺麗さっぱり消え去っていた。なくなった上半身へ送られるはずだった血だけが何もない空間を埋めようと吹き出す。

 少女ので吹き飛んだのだ。それだけでは済んでいない。後方の緋呂金家の母屋ごとなくなっている。

 残る二人の緋狐は、いともあっけなく死んだ者達への感慨も無く、一人は刀を、もう一人は鎖鎌を振り回し少女を討たんとする。

「えい」

 パチリと少女は右手の指を鳴らす。

 敵へと伝わったその衝撃は、先に受けた『血染めの断頭台』の概念を余すところなく発揮する。

 ごとり、と、残る二人の首が庭に落ち、派手な血飛沫をあげて残る胴体が地面に倒れる。

 圧倒的すぎる……! これが欧州諸国連合ヨーロッパでも名家と呼ばれ、さらにその中でも頂点に立つ者の戦闘力なのか……!

 予想を遥かに上回る力量、そして残虐さである。

 たった二人で遠呂智の侵蝕地帯を破壊し尽くしたと報告にあったから対域の力はずば抜けていると思ったらそうではない。このコンビは対人の戦力も桁外れだ。

 エリザベートさんの言うことだと鵜呑みにしなかったのは私の間違いだった。

 ルツェルブルグ家とはスイス誓約者同盟の盟主の一つにして『盾』を持つ名家だ。

 特筆すべきはその恩寵、『ありとあらゆる外力を吸収して反射する』である。

 そのため、ルツェルブルグ家では、当主の資格ありとする継承権を持つ者には決まって一人か二人の執事をつけるとされる。

 身の回りの世話をさせるためではない。ルツェルブルグの盾に相応しい武力を発揮するための駒としてだ。

 彼女、テレジア嬢は、単体の実力で見てもこの島で太刀打ちできるのは五人もいないだろう。それをただの武力装置として扱うのだ。

 白銀の騎士が放つ最大の攻撃を、青きドレスに身を包む令嬢は何倍にも増幅し、あらゆる形の攻撃に変換させて跳ね返す。

 シャルロッテ嬢の恩寵だけでも手に余るのに、その攻撃能力を特化させる存在が傍に控えているのだ。

 私は彼女達がくりなす凄惨な光景に、胃の中のものを戻さずに立っているだけで精一杯だった。

「あちらに緋呂金の炉があります。静さんはそこにいるはずです」

 彼女達を誘導する。

 その道端にはありとあらゆる死体が転がっている。首と胴が切断された死体、上半身が影も形もなくなったもの、体が曲がってはいけない方向へ三度捻れているもの——虫も殺せない雰囲気をしているはずの可愛らしい少女らしからぬ惨たらしさである。

「はい! シズちゃんをお迎えに行きましょう!」

 他に類を見ない殺人をやっておきながら、この少女は笑う。血の一滴も付いていないその姿が、より異常さを際立たせる。テレジア嬢の恩寵を乗せた攻撃を吸収しながら、返り血を浴びることすらその恩寵と兵装により拒絶しているのだ。

 彼女は友人と会うのが待ち遠しいと言った足取りだ。

 エリザベートさんの話にあった約十年に渡る審問と言う名の拷問で精神が壊れているのは本当らしい。

 ルツェルブルグの者は感情を表にしないと聞いている。彼らは身に受けた外力を変換し放出することができるが、痛みは残ると言うのだ。

 つまり、首を斬られれば外見上は何の変化も無いのだが、その実、耐え難い苦痛に襲われているのだ。

 それ故、感情が希薄になり、何事にも興味を示さなくなり、力を発揮するのが億劫になると言う。

 その点で言ってもシャルロッテ嬢は規格外の存在なのだろう。

 次期後継者に庶子を座らせてなるものかと言う権力争いに巻き込まれ、ルツェルブルグの息のかかった異端審問官二名に引き渡されてありとあらゆる審問具で拷問され続けたのだ。

 その審問官達の世話をしていたのがテレジア嬢と言うのも因果なれば、それを救ったのがあの黒騎士と言うのも因果だろう。

 審問に耐え続けている異端者がいるとのことで黒騎士がちょっかいを出したと言うのが真相らしいが、私には天啓のようにも聞こえた。

 そう、彼女ならば静さんと心を通わす友人になれると。生まれた時から、いや、生まれる前から緋呂金と言う重しに虐げられている静さんならば、この令嬢の友になりえると。

 そしてその友情が目覚めたのならば、静さんを助け出すために力を振るってくれるだろうと。

 地獄の底で見た一本の糸でしかなかったそれに、私は全力を賭けることにしたのだ。

 その結果は、もう少しで報われようとしている。

 母屋を抜けて鍛冶場へと行こうとする我々の前に、八人の緋狐達が音も無く立ちふさがる。

「止まれ」

「止まれ」

「須佐の男よ」

「帰れ」

「帰るのだ」

「ここは貴様ら如きが足を踏み入れる場所ではない」

「遠呂智の鍛冶場ぞ」

「緋呂金の鍛冶場ぞ」

「帰れ」

「帰るのだ」

「帰るのならばこの無法」

「不問にしてもよかろう」

「帰れ」

「帰るのだ」

 緋狐達が順々に声を発する。

 この緋狐達の行動原理は単純極まりない。

『この島の遠呂智鍛冶を絶やさない』——それだけでしか動かない。

 救いようの無い連中だ。

 この武力があるからこそ、政庁は何もできないでいた。不干渉とは体面だけだ。この力の前では何をやっても許されるのだ。

「青江静さんは、この奥にいますね?」

「帰れ」

「貴様ら如きに関係はない」

「帰るのだ」

 押し問答はそう長くは続かない。

 ポツリと、私の顔を一滴の雨が打つ。

 微かに、地面が揺れているような感覚に陥る。

 志水神社は落ちたか。ならば残る八封印はここ緋呂金の鍛治場だけだ。

 鳥上鉱山の封印刀の儀式に毎回立ち会っていて良かった。破壊すべき封印刀の場所を正確に<思い出す>ことができたからだ。地下迷宮の如く入り組んだあの鉱山で、どの刀を破壊すべきか知っているのは鉱山の主である永倉老人だけだろう。<思い出す>と言う恩寵が無ければ、あの封印は彼らにお願いするしかなかった。

「あのあの、私、シズちゃんにどうしても会わなきゃいけないんです」

「帰れ」

「帰れと言っている」

「異人が口を出す問題ではない」

「私、シズちゃんのお友達ですから。どうしても助けなきゃいけないんです。ね、テレジアさん?」

 “御意に”

 そうだ、殺し合え。

 緋狐、遠呂智、緋呂金——皆全てが滅ぶがいい!!


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 私は読み終えた日誌に書かれていたことを理解するのに精一杯だった。

「封印の場所は、政庁、遠呂智、緋呂金、青江、志水神社、三ツ滝、鉱山、修道院の八つか。一体どれがまだ残っているというのだ!?」

 これらが八つの首を地面と繋ぎ止めるくさびのある場所だ。そして本体を押さえる儀式的な役割として一本、中央広場に昇武祭MVPが刀を毎年差し替えると言う。

 そればかりではない。

「<八岐大蛇>を復活させる方法を、聖コンスタンス騎士修道会は長年研究していたのか……!」

 歴代管区長の日誌にはどうすれば蘇るのか、どうすれば被害を最小限、または最大限にできるのかなどの考察が山のように書かれていた。

 それは現在の管区長とて例外ではない。

「八本の封印と、八人の勇士……!」

 半数以上の封印を破壊すれば、<八岐大蛇>が自力で蘇るとも、己の手下であるヒトガタを先導して他の封印を破壊するとも書かれている。

「問題はその先……!」

 八人の犠牲が必要なのだ。

 このの中での者が<八岐大蛇>と戦うと、『仕掛け陣』が発動する。全員が死んだ時点で、その者達が稼いだ時間に比例して巨大な島をこの場所に喚び出すと記されている。

 これがこの島の成り立ちなのだ。

 このを管理することが、聖コンスタンス騎士修道会極東管区に課せられた使命なのだ。

 初代管区長は二人の青年にこの陣を強化する術を授ける。

 一人は<存在強化>のを持つ者、そしてもう一人は<感応>する力を授かりし者だ。

 一人の若者は、自らを神代の神の名に習い『須佐』と改名する。<八岐大蛇>を封じるために犠牲となった八人を決して忘れぬようにと。

 若者達は島全体に結界陣を敷く。『須佐』の血によってのみ反応する『存在強化』の陣だ。

 誤算があったのだ。

『須佐』の『存在強化』の結界だけでは<八岐大蛇>は封じきれないと言うのが一つ目の誤算だ。何か封印のくさびになるものが必要だったのだ。

 もう一つは思ってもみない誤算だった。

 神話では大蛇の尾から一振りの剣が出てきたとされる。その神話にあやかった存在だったからなのか、島全体から『剣』の製造に必要なありとあらゆる鉱石が採掘できるようになっていたのだ。

 こうしてもう一人の若者は『遠呂智』と名乗り、己の力を用いて封印の楔を開発することに成功する。

 それが、

「人体を用いた、外法の錬成術……!」

<八岐大蛇>にはある特異能力があったとされる。

 私や萌が剣を交えた『緑色の大蛇』に引き継がれた元の能力、『同じ方法では決して傷つかない』と言う力が。

 それを逆手に取ったのだ。毎回違う方法で楔を打ち込み、『存在強化』すれば<八岐大蛇>は封じられると。

 そうして『遠呂智』は人間に目をつけた。人を刀へと<感応>する技術を確立させれば良い、と。

「違う! 今問題なのは、封印が間違えなく残り少ないことだ!」

 あと二本と少年は言った。嘘ではあるまい。嘘をつく理由が無い。

 一本は緋呂金の屋敷だろう。遠呂智なき今、緋呂金が鍛冶技術を継いでいることからも警備は相当厳重なはずであり、あの地が黒騎士に襲撃されたと言う話はまだ聞いていない。

「何処だ……! もう一つは何処だ……!?」

 頭の中で黒騎士が出現した場所にバツ印をつける。緋呂金の他に出てきていないのは、志水神社、三ツ滝、この二つか。それと襲撃が未遂で終わった鉱山を入れれば三つとなる。

「志水——!?」

『なんかさ、ウチの周りスゲー殺気立ってんの』

 彼は萌にそう言っていた。

 警備が集まっているのなら、未だ破られていないと言うことか!!

 そう感づいた私は部屋を飛び出していた。

 間に合ってくれ、そう願いながら、あと一つ、考えねばならないことを思っていた。

 万が一、遠呂智による封印が敗れても聖コンスタンスの者がこの湖に敷いた仕掛け陣は健在だ。

 もし、<八岐大蛇>が蘇ったとしても、八勇士と同じく、八人が残れば仕掛け陣が発動する。そこで時間を稼げば一先ずは再び封印できるはずだ。

 その八人の死者に、誰が立候補するか、だ。

<八岐大蛇>と渡り合い、時間稼ぎをできるほどの人物であり、そして自ら死ぬと分かっている任務を引き受ける人物……!

 私には、その資格があるのだと思いたい。

 この騒乱を引き起こした張本人は、エリザベート管区長殿なのだ。

『全ての怪異を滅ぼすため』——それこそが聖コンスタンスに名を連ねる者達が剣を振るう理由だ。怪異は滅ぼさなければならない、それが全ての怪異の親たる原種ならばなおさらだ。

 だからと言って、この島で平穏に暮らしている人達の生活を破壊し、大量の血を流していい理由になるのだろうか?

 分からない、何が正しくて、間違っているかなど断罪できる程私は賢くはない。

 だが——その部下である私が管区長殿の犯した罪を正すのに心命を賭けずして何とするのだ?


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 呆気無く、片付いてしまった。

 この残骸の肉塊を見て、元々は八人の人間であったなどと誰が分かるだろう?

 私はつい先日訪れた緋呂金家当主専用の鍛冶場へと足を運ぶ。

 入り口から中に入るとむわっとする独特の熱気が小雨に打たれた体を暖めた。

「ひ、ひひ、ひぃぃぃぃぃぃ!!」

 いたのか、あの代行は。

 炉の上部、幻想鉱石を入れる二階部分にはしごで登っていた。

 右腕には包帯が巻かれている。今朝の昇武祭でシャルロッテ嬢に手酷く痛めつけられた跡か。

 いい気味だ。胸のすく思いがする。静さんにこれまでしてきた仕打ちを考えればもっと血を流してしかるべきだ。そう感じてしまうのは私の性根が腐っているからだろうか?

「くくく、来るな!! こここ、この女、ここに投げ落とすぞ!!」

 二人の緋狐が静さんの両腕を逆手に固めている。静さんを最後に見たときは学生服だったが、何時の間に着替えさせられたのか、白い長襦袢に服装が変わっている。

 この餓鬼は何を勘違いしているのだ? 自分が狙われているとでも思っているのか? 滑稽だな。

「じゃかましいのぅ……」

 炉の前で鎚を振るっていた老人がぼそりと呟く。

 緋呂金真行——緋呂金鍛冶宗家の現当主である。

 禿げ上がった頭、深いシワだらけの顔、目玉だけが大きい異形の形相だ。それに加え、鎚を持つ手は筋肉などなく、骨と皮だけである。

 何度見ても私と同年代とは思えない。誰も信じまい。

 一度見れば誰も忘れられない狂気を宿した眼光だけが鋭い。

「何を騒いでおる。緋狐、やかましうて鎚が振るえんわい」

「……ぇ……。……シャル、ちゃん……?」

「あのあの! シズちゃーん! お迎えに来ましたよー!」

 この場には不適切な可憐な声が響く。

「その小娘に何用か?」

「はい。私達に返して頂きたく」

「は、ははは! そんなことができるわけないだろ! ないんだよ!! こいつは、このクズは!! 今年の刀になっておっ死ぬんだよ!?」

「ん〜ん〜、あのあの、クズって誰のことですか?」

「ヒィィィィィ!!」

「何を、言うておる」

「え?」

「今、何と?」

「何を言うておると言った。今年の刀は、考行、お前ぞ」

「ひぇ……!?」

 これには私も驚いた。

「な、何を仰ってるんですか、お父様? 去年、言ったじゃないですか。来年は、青江の娘を使って」

「言うた。青江の娘を使との意味でな」

「な……」

 何だと?

「貴様のようなゴミは、緋呂金の名に不相応。よって今年はお主が刀となれ。緋呂金の後継ぎは今日からその娘と作るとする」

「へ、は、はは……お父様、何を仰ってるんですか?」

「まだ分からぬか、クズめが。貴様の兄は弟よりできが悪いと悟り、すぐさま炉へ飛び込んでいったぞ」

「へ、は、ひ、は……?」

 これが緋呂金家長男神隠しの真相か。

「緋狐、そのクズを炉へ投げ込め。その娘は薬を入れて裸に縛り、儂の寝所に投げ込んでおけ」

「や、やめろ、やめろよ、おい! お前は、お前らは、僕のために、ひ、ひぃぃぃぁぁぁぁあああ"あ"あ"あ"ーーーッ!!」

 炉へと投げ入れられ、全身が火だるまとなり、哀れな男は断末魔の悲鳴を上げる。

 彼女は……あのような苦しみを味わって死んでいったのか……。

『あの子とのこと、お願いね、政一郎君』

 血を保つと言う大義名分のため、好きでもない男との子を孕ませられ、しまいには刀の材料として捨てられたのに……。

<思い出す>——それでも華さんは最後まであの気高さを持って逝ったのだ。

 そして比べようもない吐き気がした。この老人は自らの娘と子供を作り、それを緋呂金の次期継承者とすると平然と言い放ったのだ。

「あ"あ"あ"あ"あ"……! あ"ばばば…………」

 カツンと鎚の打つ音が鳴る。

「緋狐ぃ」

「テレジアさん?」

 二つの命令が同時に発せられた。

 白銀の騎士は上部の二階へと飛ぶ。

 三度、騎士の手に持つ刃の切っ先が熱風渦巻く鍛冶場に白き閃光を走らせる。

 一人の狐を三つに分割し、突き出された槍の穂先が静さんの腕を未だ離さない緋狐の男の仮面の中心部を貫いた。

「……あ……」

「お嬢様がお待ちです。こちらへ」

「…………」

「シズちゃん、あのあの、お迎えにきましたよー!」

「……何、で……?」

「だって、最初に言ってくれたじゃないですか。私達、お友達、ですもんね?」

「…………」

 静さんが呆然とシャルロッテさんの笑顔を眺める。

「……私、この人達の……」

「ふふふ、、です」

「……言われた通りに……」

「ね?」

「……しないと……いけ、な……い、のに……」

「ほらほら、シーズちゃん?」

「…………」

「ふふふ」


 静さんの無表情が、崩れた。


「……う……ひっく……」


 壊れた少女の微笑みが、静さんの止められた時計を動かしていく。


「ねっ、ねっ。ほら帰りましょう?」

 涙を流す静さんは、シャルロッテさんに促されて、彼女に手を取られながら出口へと歩き出す。

「先に、行っていて下さい。私にはあの老人と話がありますので」

「はい!」

「……うぅ……」

 静さんの涙は止まらない。

 血の呪縛から助かった安堵からなのか、友の言葉が心の琴線に触れたからなのか、静さんは泣き続ける。

 母親が刀となり、自分の味方をしてくれる者、世話をしてくれる者が次々と刀へと変えられる孤独の中、決して涙を見せなかった彼女が泣いている。

 静さんの手を取りシャルロッテ嬢がテレジア嬢を引き連れて鍛冶場を離れていく。

「さて、ようやく二人っきりになれましたね、緋呂金真行」

「ふん」

 私になど興味がないのか、それとも今起きた出来事にすら何も興味を示していないのか、ただ鉄を鎚で打ち続ける。

「これをご覧下さい」

 腰のベルトに吊っていた大小二振りを左右の手に抜き放つ。

「ぬぅ——……これは!?」

 流石の老人も顔色が変わる。

「ええ、<蘭桂騰芳>——奇刀斎兼無の手で刀となった貴方の母上と妹君ですよ」

 そして、この下衆が遠呂智と緋呂金の一族を皆殺しにした獲物でもある。

 今でも思い出せる。

 血塗れになり、老若男女の区別なくその全てを刃にかけながら、遠呂智の炉の前で高笑いするこの男の姿を。

『貴様らに俺は罰せない。もう遠呂智の血を継ぐ正統は俺だけだ! ヒッーヒヒヒヒヒヒ!!』

 そう言い放ち醜く歪んだ笑いを続ける若かりしこの男の姿は、一時たりとて私の脳裏から離れることは無い。

 座敷牢に閉じ込めておくべきと提案した私の父を、そんな状態では遠呂智の封印刀を鍛えることができないと突っぱねるだけでなく、遠呂智を皆殺しにしたを捕縛できない責を取って死ねと傲慢に言い放ったこの男の歪んだ表情など、決して忘れられるものではない。

「比べてご覧なさい。貴方が鍛えてきたガラクタ、なまくらの数々と、貴方が最も憎むべき男の鍛えた刃の放つ輝きを」

「おぉ……おぉぉ……!!」

「違うのですよ。貴方は代行をクズと断じましたが、私から言わせれば貴方の血こそクズの元凶ですよ。見なさい、遠呂智三工の奇刀斎兼無が鍛えた刃を」

「おお……おうふ!!」

 そのまま二刀を老人の胸に突き立てる。

 刀が震える。兄を、子を殺すことを刀が拒んでいるのか。

 だが私とて、この二人が刀となった想いは共感できる。子を思う母親の情、兄を慕う妹の想い、肉親への情——私の彼女への想いと比べて何ら遜色はない。

 刀を、老人の体内へとねじり込む。

 肉へと刃が食い込み、手にはえも言えぬ感触が伝わってくる。

 嗚呼、この瞬間を長年に渡り夢見てきた。

 何と甘美で生々しく、吐き気がするほど下劣な行為なのだろうか。

 手には生暖かい血液が止めどなく伝ってくる。

 たっぷり一分間は突き刺し続けていただろう。

 血まみれの指で脈を確かめると既に事切れていた。

 死体を足で蹴飛ばし、大小を老人の体から引き抜く。

「はぁはぁはぁ……」

 呼吸が荒くなっている。何時の間に?

 まだだ。まだ終わりではない。

 この鍛冶場の奥に刺さっている封印刀、その一振りを破壊し、静さんを安全に外へお連れするまでは、彼女との約束を果たすまでは——私は止まる訳にはいかないのだ。

 そのためならば、どんな殺人者の道でも、外道の道でも、悠然と泰然と歩いてみせよう。


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