夕暮れ: 一騎打ち [????]

 因果なものです。

 この地に騒乱を起こしに来たとは言え、私の心は被害を最小限に抑えることを願うのですから。

「黒騎士、覚悟ォォ!」

 白い外套をはためかせながら、全身黒光りする装甲に身をつつんだ騎士(武士でしたか?)が腰から剣を抜き、あの男へと斬りかかります。

 刃が交差する直前、騎士の持つ剣が大樹の枝の如く分裂し、あの男へと降りかかります。

 しかし、

 ‘カッ! カスだな’

<罪狩り>を展開したあの男の装甲を破るには至らず、虚しい金属音のみが周囲へと響きます。

 余裕の一拍の後、

「ぐはっ!?」

 黒き旋風が騎士を吹き飛ばしました。

 正直に言いましょう、格が違う、と。

 あの男の力はあくまで対個体として練り上げられたものですが、鎧の硬度、刃の切れ味、そこからはじき出される総合力と汎用性は他に類を見ません。

 この男を破るのでしたら、より優れた総合力を出すか、究極に特化した一点突破しかないでしょう。

 そう、例を上げるのならばルツェルブルグの少女が持つ盾のような、です。

 通常の戦闘を挑む時点で敗北はもう決まっているようなものです。

 ‘サルサルサル、どいつもこいつもサルばっかりだな、え、オイ?’

 ‘はぁ、ゲオルグさん。そろそろ気を引き締めて下さい。これから向かう地は防衛陣の敷かれた、言わば要塞ですよ? 我々の存在を感づかれた以上、奇襲は成り立ちません。強襲するのです。彼の地は相手側も要所として優れた戦力を配置しているでしょう’

 それが問題なのです。

 この男がやり過ぎるのは今に始まったことではありません。問題は私なのです。

 大量の兵を呼び出し、『敵を討て』と命ずれば、無駄な血が流れることになりかねません。

 なればと言って兵を喚び出さなければ、この男の暴力が余分な血を流します。

 血を流す争いを引き起こす当人が血を見たくないと望むのは偽善でしょうか?

 胸元で十字を切り、御主への祈りを捧げます。

 私が歩く道がいばらにつつまれているのは承知しています。なればこそ、誰よりも多く私が血を流さねばなりません。

 迷いなど不要です。いるのはただ、

「出たぞぉぉぉーーー!」

「黒騎士だぁぁーーー!」

 拝領した命を実行するに足る鉄の意志のみ。

 ‘全軍展開、命じます、我らが前に立ち塞がりし敵を討ちなさい’


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 剣撃の音が僕の耳にまで届く。

 一歩足を踏み出すたびに、音源に少しずつだけど近づいていくのが分かる。

 空気が熱を帯びてくのを肌で感じる。

 はやる気持ちを抑えて走るペースを一定に保つ。速すぎても駄目だ、ついても体力を使い果たし、戦力になれない足手まといになってしまう。遅すぎるのも論外だ。

 僕は、腰に挿してある<獄焔茶釜>を握る。

 青江さんの話してくれたことが頭をよぎる。


『……あのね、その人、元は人間だったの……』


 笛の音がけたたましく響く。

『……人をとする外法の鍛冶錬成術……それがこの島でとされる刀……』

 鋭く高い金属音が、闘争がまだ終わっていないことを僕に告げる。

 爆音が轟く。

 衝撃と熱風が、僕を吹き飛ばそうとする。

『……だからね……その人を解放する、ってことは……その人の望みを叶えてあげることと同じ……』

 感じる、ここまで近づけば。

 この先に、あの人が——黒騎士が、いる!

『……でもね、勘違いしないでね……その人、刀になったの……何でなのかは、共鳴した東雲君なら、分かると思う……』

 角を曲がり、志水神社へと続く長い一本の階段を見上げると——

『……だから、その人のこと……お願いね……』

 階段の終点、頂上にその人はいた。

 米粒みたいに小さい人影が二つ、僕を見る。

 黒い鎧を着た人物の方が、僕を見て笑ったように見えた。

 手の内に握りしめた<獄焔茶釜>が、一度、大きく脈打つのが感じられた。


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 よそ見をしていたあの男へ、雷光と火矢が投げつけられました。

 よく練られた攻撃ではありますが、

 ‘悪かねェ。が、良くもねェ。サル芸の域を出ねェなァ’

 絶縁、耐熱の鎧を貫ける訳もありません。

「あ〜! くっそぉ〜ー! 肝心な時にいないんだから、あのハゲオヤジは〜!!」

 火矢の射手の女性が罪な台詞をぼやきます。

 長い階段を利用した防衛陣を突破し、とうやく頂上へと出られたと思いきや、十人からなる新たな防衛部隊が私達を出迎えました。

 ‘一部隊展開、命じます——あの少年を止めなさい’

 階下へ五人の兵を放ち、頂上に陣取る兵達を見据えます。

 ‘おいコラ、真面目に殺さねェと、テメェらが死んじまうぞ!?’

 彼らが分かるはずもない言葉を放ちながら、黒騎士が嬉々として大鎌を振るいます。

 一合打ち合うだけで分かるものですね、力の差というものは。

 この国ではかつて、帯の締め方でその者の実力が分かると言った格言があったそうですが、正にそれです。

 一人、また一人と、黒騎士は相手の剣や鎧もろとも敵を斬り、確実に頭数を減らしていきます。

 出入り口が一つと言うのも罪なものですね。

 迎え撃つのに適した場所ではありますが、退却などできません。増援を送ろうにも、上手くいけば挟み撃ちにできますが、失敗すれば敵がその増援を迎え撃つ絶好のポジションにいるのですから。

 さっさと片付けて<第八の蛇>を解放するといたしましょうか。

 ‘オーーラァ!!’

 振り抜かれた大鎌からつむじ風が生じました。

「ぐぅ!?」

 空気の断層をまともにぶつけられた敵兵士は派手に血飛沫をあげながら地面へと倒れます。

 残るは一人、火矢を撃つ黒髪の女性弓兵だけです。

 弓を握る左手から肩へと伸びる見事な兵装を身につけているわりには、散発的な射撃に徹しています。

 一射、一射は見事なものですが、それは私からすればであって、あの男からすれば雀に刺された程度でしょう。

 無駄な抵抗と見るのは浅い考えでしょう、何かの別の行動の布石と見るべきでしょうね。

 何にせよ、あの男には通じないでしょう。

 ‘え、オイ? 手品はもうしまいか?’

 ‘ゲオルグさん、早く任務に赴きましょう。あの建造物の裏手に問題の祠があります。さっさと破壊して次のステップに進みましょう’

 ‘るせェぞ、クソガキが。しょんべん垂れて指でもくわえてろ’

 黒騎士が一気に女性弓兵に接近します。

 後方から大きく振りかぶられる大鎌は、漆黒の弧月を描き、弓兵の首元へと襲いかかります!

 ですが! かわしたのです、あの弓兵は!

 彼女は後ろに大きく飛び下がり難を逃れると、番えた二本の火矢を黒騎士の頭へと放ちます。

 紅の尾を引き矢はあの男の頭部に直撃しますが、無論傷などあろうはずがありません。

 ‘カッ、つまンねェ、終わらすか’

 陣風が大鎌へと渦を巻いて収束します。

 決死の一撃を放たれると知り、弓兵が用意するは恐らくは秘の一手!

「穿て——『紅蓮窮幡蜂』!!」

 先程までとは明らかに違う紅の火矢が三本、一直線に黒い甲冑へと放たれます。

 轟音と爆風が目をおおうのは一瞬でしかありません。黒い風が瞬時にして煙を引き裂いたからです。

「終いだ、オイ」

 黒騎士は片手で大鎌柄中央部のハンドルを握り、弓兵の首を今度こそ狩りとらんと走ります!

「それは残念、アンタの方よ!」

 その声に呼応するかのように、これまで無惨に散っていった火の粉達が、あの男を中心に火蜂となって出現するではありませんか! その数、百や二百ではありません!

 弓兵が片膝をついて腰から短剣を抜き放ち、それを黒弓へと番えて炎の矢とします!


「南無八幡大菩薩! 願わくば、我が矢刃に与えたもう神武によりて、この天魔波旬を射滅いころさせ給え!」


 瞬時にして紅が燃え上がりました! その色合い! 先程までの射と比べられるような代物ではありません!

 ‘ゲオルグさん!?’


 スズメバチと言う生物種が存在します。彼らはミツバチの巣に単身乗り込み、己一匹でミツバチの兵隊を殺し、女王の座を破壊します。

 それに対抗し生き残るために、この国のミツバチはある戦法を編み出しました。

 それは——


「殲滅密集方陣——」


 多数が集結し蜂球ほうきゅうと呼ばれる塊を生成し、内部に閉じ込めたスズメバチに対して羽を震わすことで温度を急上昇させて蒸し殺す技!


 飛び散った火の粉は数千もの火蜂となり、あの男を閉じ込める炎の牢獄を作ります! もはや逃げ場は何処にも存在しません!


「——『密蜂みつばち』!!」


 女王たる女性の放った短剣による一刺しは、周囲に展開していた火蜂達を炎上させ黒騎士へと一斉に襲いかからせます!

 ‘チィ!?’

 ありえないほどの高温は、黒騎士が発する黒い風をも燃やし、あの男の存在する空間すらも焼き尽くします!

 深紅の球体は渦を巻きながら燃え上がり、星の爆発を思い起こさせる程に尋常ではない光と熱風を辺りに撒き散らします!

 その熱さたるや何と表現すれば良いのでしょうか!? この聖なる任務を授かってからは勿論、この男と出会ってからも、いえ、私が今まで生きてきた中で最も熱いものでした。

 空間すら蒸発する熱気が収まると、そこにはもはや生物と呼べるものは存在しない


 ——はずでした。


「やるじゃねェか、

 地面に大く穿たれたクレーターの中心に、その男は立っていました。

 黒き甲冑からは白い煙が立っているものの、傷は、無いようですね。

「ウッソ……」

 今の一撃、彼女が持つ最高の切り札だったのでしょう。それに相応しい一射でした。

 ただ、あの男の作り上げた鎧の前では無力だった、それだけのことなのです。

「俺が食った骨の持ち主は、聖ゲオルギウスつってな。まァ知らねェと思うが旧史の聖人の名だ。その聖人つーのがなァ、」

 黒騎士は大鎌をくるくると回転させ、弓兵への絶対的な勝利を告げます。

ドラゴンて化物の炎のブレスに耐えたんだとよ」

 黒騎士が大鎌を携えます——最後の一撃を加えんがために。

「悪ィな、。いもしねェ化物の炎に耐えられるのに、の火でくたばる訳にはいかねェんだよ。カッ、テメェの力が水か土だったら俺を消せてたかもな」

「うっさい、勝手にほざいてなさい」

 その言葉は完璧な敗者のものでした。

「アタシを殺しても、絶対アンタを止める奴が出てくるわよ」

「カッ、そいつは楽しみだ」

 黒き刃が完璧な円を描き、優雅にして暴虐なるその軌跡が弓兵の首を切断しようとした正にその時、


 涼しげな鈴の音が、聞こえてきました。


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 私は緋呂金の屋敷までの道すがら、この地に張り巡らされている結界に関する全てを二人に説明した。

「——以上が、結界の全てです。お分り頂けましたでしょうか?」

「あのあの、私、良く分からないんですけど……。それがシズちゃんとどう関係するんでしょう?」

 痛く、嬉しい質問だ。彼女にとっては結界がどうのこうのよりも静さんの身の上が大事なのだ。

 私は踊り出すのを我慢するのでいっぱいだった。

「静さんに強いられているのは、<八岐大蛇>の本体を繋ぎ止めるとされる本来ならば必要ない九番目の刀となることです」

「どうして、シズちゃんなんですか?」

「それは……」

 この質問には、口ごもらざるを得ない。

「そう緋呂金が決定したから、としか言えません。私達島の人間はもとより、政庁の人間もその決定には逆らえないのです」

「あのあの、ですからどうして……?」

「分かりません」

「え?」

 一つ咳払いを入れる。

「ですから、私はもとより私達には分からないのです。何故静さんが選ばれたのか、静さんでないといけないのか」

 昔は分かることもあったのですが、と付け加える。

 緋呂金に変わってからは酷いものだ。鍛冶の方針に口出しした、代行殿の悪口を言った、授業で打ちのめした等々だ。

 理由と呼ぶには小さすぎるものでしかないが、それでもそれらしいものはあったのだ。

 静さんにはそれが見当たらない。

 代行にとって、いいストレス発散材料として、じっと耐えてきただけなのに。

「全てはこの地に眠る<八岐大蛇>のせいなのです。『協力しろ、でないと<八岐大蛇>が再び世に放たれる』、こう凄まれては、はいと言わざるを得ません」

「自分が死んじゃうとしても、ですか?」

「はい。命を失うことになるとしてもです」

<思い出す>——静さんが耐えてきた緋呂金の非道な仕打ちの数々を。

「先にお話しした通り、もう封印に力はないのです。半数以上失った今、問題なのはどうやったら食い止められるかではなく、後何時間で蘇るか、なのです。静さんが刀になろうとも全ては無意味なことなのです」

 緋呂金の屋敷正門へと至る長く緩やかな坂道を歩く。

「ですから、シャルロッテさん、貴女のお力で静さんを救ってあげて下さい。もう力づくで引っ張っていくしか彼女を救う手立てはないのです」

 力に訴えようとも緋呂金には緋狐がいる。

 力量は警備局壱係のエリート集団と同じとされいるが、緋狐達は緋呂金が鍛え上げた武具で武装している。壱係全員を動員できたとしても勝つのは緋狐だろう。

 この国に頼ることはできない。一人の少女の命とこの国に住む人々の命を天秤にかけようとする者が私の他にいるのだろうか? 答えなど分かりきっている愚問だ。

 故に、彼女を救いたいと言う理由は個人的なものになる。その理由を彼女——アイギスの称号を持つこの少女に持って貰わねばならなかったのだ。

「分かりました。シズちゃん、私の大切なお友達です。ちゃんとシズちゃんをお助けします」

「シャルロッテさん……本当に、ありがとう、ございます」

 私は涙を強く堪える。まだだ、まだ泣くべき時ではない。

 ここまでは、多少の誤差があろうとも、想定内だ。

 異端執行官達を手引きし、封印を破らせたのも、エリザベートさんにこちらの封印や警備状況を教えたのも、彼女を静さんの友とすべく盤上の駒達を動かしたのも——修正がきく範囲内で盤面は動いている。

 皇国護鬼が出てきたのは想定外だが、あの居合の技は本来ならばに用いてしかるべきもの。アイギスの盾を破れはしまい。

 もう少し、後少しだ。

 後少しで彼女との約束が果たせる。

<思い出す>——彼女との最後の時間、交わした言葉、絶望の全てを。胸の内に秘めたまま結局最後まで言えずじまいだった彼女への私の気持ちを……!

「須佐政務官殿? 一体どうされたのですか?」

「君達は……。防衛ラインを中央広場に敷くために広場へ移動しろと辞令があっただろう?」

 緋呂金の正門には警備局の者が待機していた。その数、実に十二人だ。

「それなのですが……。後詰が来てから移動しようと言う話になりまして……。何用ですか、一体?」

「ここに青江の少女が通っただろう?」

「ええ、はい。十数分程前ですが。事前通達の通りです。どうしてこちらに? 学園生の退去を連絡門で見守るはずでは? それにそちらの彼女は学園生でしょう? どうしてこんなところにいるのです? 外町は島の反対側ですよ?」

「ふぅ」

 一息つく。

 しかたない。事ここに至っては強行突破しかない。

「緊急でね。青江の当主たる彼女を呼び戻さなければならなくなった」

「それは誰の権限でですか? 鍛冶組合から最重要案件のため、青江の当主の少女は例外としてこの島に残り緋呂金の屋敷に入ることを認められているはずです」

 らちがあかない。役人とはこうも融通がきかないのか。だが、私が動いてはダメなのだ。促してもいけない。彼女が自らの意思でここを突破し、彼らを一人残さず皆殺す選択をして貰わないと困るのだ。

「機密だよ。君に話す訳にはいかない。ともかく通してくれ」

「お言葉ながら従いかねます。緋呂金の敷地に異国人を招くなど……。これ以上緋呂金家の顰蹙ひんしゅくを買ってどうなさるのです?」

 早く、早く割り込んでくれ。

「あのあの、すいません」

 願いが天に通じたか、それともただの偶然か、念じ続けていた助け舟が出された。

「私、どうしてもこの先にいるシズちゃんとお話ししないといけないんです。通して下さいませんか?」

 彼女の真摯な願いを、衛士達は一笑にふす。

「失礼ながらお通しできません」

「どうしても、ですか?」

 顔が一瞬醜く歪む。

「どうしてもです。さ、早く島外へ避難なさい。案内の者もつけましょう」

「ん〜ん〜……」

 シャルロッテ嬢は何やら考え込む。

 押し通れ、それしかもう選択肢はないのだから!

「でもどうしても会わなきゃいけないんです」

 良し、良し!

「テレジアさん?」

 来た! やっと来たか!

 “……。下衆が。貴様が内通者とやらだったか”

 彼女の問いに私は答えない。

 私が説得すべきはたった一人なのだから。それはハルバードを握りしめ鬼の形相で私を睨むこの女性ではない。その主人たる令嬢なのだ。

 ルツェルベルグの執事は主人には逆らえない。そうのだ。主人の命ならば、主人の首筋に何の躊躇なく刃を打ち込むのがルツェルブルグの執事なのだ。

 成った。私の策は——ここまでは。

 “テレジアさん?”

 静さんを助け出し、彼女の母親との約束を果たすための策が。

 “御意に”

 執事が懐からネックレスを取り出す。その鎖には一つの指輪がかかっていた。

「何を?」

「君達、邪魔をすると怪我するよ」

 私としては是非とも全力で邪魔をして貰いたい。この場で私達が反逆したことを生きて中央広場に伝えられたら後々面倒だ。

 執事が主人へと指輪を渡す。リングは上品な金色の輝きを放っており、青い宝石が一つだけ取り付けられていた。

 シャルロッテ嬢がそれを左手の中指にはめ、テレジア嬢がハルバードを体の中心に構え、

 詠唱が、開始される。


 “石よ、石よシュタイン、シュタイン

 その玉体には傷一つ無いのですかハベン ジー ニヒト ウンフォジエット

 天地が逆転しようとも、イスト エス ウンムゥクリッヒその体に傷負うことはあり得ないのですかアイネン シュニッツ、 アウフ ヴェン ダス ウニヴェアゾム ウムゲツニック ツー ベコメン?”


 “星々の輝きに背を向け、影の王国の門を潜る。

 一条の光も無い完璧なこの沈黙は、決して揺らぐことはない”


 突如開始された兵装の展開詠唱に彼らはようやく事態を悟ったらしい。


 “盾よ、盾よシルト、シルト

 その完璧な円形には一片の傷もハベン ジー ニヒト 存在しないのですかカイネ フィダー

 海枯れ、地砕けようとも、ハルテン ジー シャインニヒトその体は燦然と輝き続けるのですかデュッヒ ドルゥレン フォン メア ウント クラック エアド?”


 “これぞ我が望み、我が運命、そして定められし滅びの宿命——

 語り継がれし英雄譚など、主人の前で朽ちる喜びの前では何の価値も持たぬ”


 結ばれる、その名が。


 “お答え下さいビッテ アンフォト ミア——<戦人の大盾>さんシルト デス トランネン


 “遍く天よ、聞け——我が<深遠からの咆哮>を!!”


 穏やかな風と光が少女を、力強い輝きを放つ銀光が執事を取り囲んだ。

 学園の制服に身を包んでいた少女は、青いドレスを身につけた貴族の令嬢へと変貌を遂げていた。大きく開いた胸元に青い宝石のついたブローチが輝いている。

 私の拙いドイツ語がその兵装の名に『盾』があることを伝えた。だが、盾はおろか、装甲らしい装甲はない。国司隊の報告にあったヴォルフハルト嬢の着こなす甲冑とドレスの合わさったドレス・アーマーですらない。外見上は何の変哲もないただのドレスだ。だがそれで十分なのだろう。そのドレスを身にまとう少女こそが絶対にして最強の装甲なのだから。

 衛士達が少女に見とれていたのは一瞬か。兵装の展開を許し、口を開いて惚け続けるほど彼らは職務に怠慢ではなかったらしい。

 刀を抜き、槍をしごき、矢を弓に番える。

 “テレジアさん?”

 私は後方に退き、これから始まるであろう虐殺劇で失神してしまわないよう気を強く持つ。

 “<概念付与>”

 白き騎士はその刃を——

 “<絶壁の城門踏破せし破城槌アブソルテ ランバック>!”

 守るべき存在であるはずの無防備な主人の背中へと繰り出す!


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 何が一体どうなっているのか、僕にはさっぱりだった。

 志水君家の神社へ続く長い階段は、どころどころに大穴が開き、亀裂が入り、何時も見る姿との差が恐怖にも似た違和感を引き起こさせた。

 何人もの人が倒れている。僅かに身じろいで苦しげにうめいているけど、流れ出る血がこの人達をこのままにしちゃいけないことを教えてくれる。

「だ、誰だ……?」

 ——しっかりして下さい!

 僕は数段上で階段の脇に倒れ込んでいた人を抱き起こす。

「応援を……呼んでくれ。黒騎士が、来たと……伝えれば、ぐっ、ぐはっ、ゴフゴフ、分かる……!」

 ——喋らないで!

「ど、どけ……。奴らが、来る……!」

 ——えっ!?

 顔を上げると、僕達とは異なる構造の甲冑を来た兵士達が、数にして五人、階段を降りてきているのが見えた。

「ど、どけ……! 早く、行け……!」

 僕を突き放して闘おうとするこの人の姿を見て、頭の中に声が響く。

(——燃やせ——)

 ——はい!!

<獄焔茶釜>さんの言葉が、僕の意地への導火線に火をつける。

 鞘ごと腰帯から抜き放ち蜻蛉に取ったまま階段を駆け上る。

「お、おい! バ、バカ者! 戻ってこい、おい!?」

 階段を三段飛ばしに、身体中の筋肉を全開にする。

 寒い。身体中が熱く燃え上がる感覚に包まれて、外界の温度がどうしようもなく冷たく感じる。

 息が切れそうになる。

 段上の敵との距離は一気に短くなる。

 刀を握る僕の両手が微かに震える。

 お臍の奥、丹田に意識を集中させる。そこにある僕の意地を燃やし、その一方で冷静な判断を下せるよう呼吸を深く深く一定のリズムで整える。

 壊れた階段を一目散に登る。

 敵兵の姿と武器が見えてくる。五人の兵は鎖帷子の上に鎧を着ていて、それぞれが長さと形状の微妙に異なる長剣を持っている。

 上方に陣取りながら、階下の僕へと敵兵達は鎧を鳴らしながら迫る。上段の地の利は彼らにある。

 でも、そんなこと、僕には関係ない!

 僕の中で着いた火は、出口を求めて身体中をぐるぐると猛り出す。

 が両手の内にある刀と接するたびに一段高い温度となって、今か今かと爆発する時を待つ。

 五人の敵兵は、何時かの夜に見た欧州風甲冑の<カードの兵隊>だ。列をなして剣を振りかぶる。

 脳内に興奮物質が溢れ出て、対峙する間を永遠にしようとする。

 敵は五人、同じ段には立っていない。獲物は長剣だ。リズさんの<氷の貴婦人>ほどの長さも華麗さもない。

 階段の横の雑木林に逃げる手段はない。階段の横幅はさして広くない。何時も昇ったり降りたりしていたから例え半壊していようとも手に取るように分かる。つめて三人か四人がやっと入るかどうかの長さだ。

 一対五じゃない、一対一を五回繰り返すんだ。刀を振るう回数はかっちり五回、敵兵数と同じ回数だけだ。

 リズさんの横顔が急に頭に出た。

 この先にいるはずもないのに、どうしてこんな状況でリズさんのことを考えるんだろう?

 生きるか、死ぬか、殺すか、殺されるかの崖っぷちにいるのに、どうしてだろう?

 どうしてリズさんのことを想うたびに、こんなにも力が湧いてくるんだろう?

 ——キィィィィェェェェェーーー!!

 声にならぬ猿叫は、敵を威圧するためのものではなく、内なる焔が口から漏れたものだった。

 斜め上方に矢のように飛び上がり、立ち塞がりし彼の敵へたった一度きりの打ち込みを見舞う!

 受け止めた剣ごと叩きつけ、僕は<獄焔茶釜>を敵肩口から体の中心へとめり込ます。鎧や骨を砕き肉を裂く嫌な感触だけが手に残った。

 その兵が絵札カードに戻ることすら確認せずに、僕は上段で待ち構える残る敵兵の元へと跳躍する。

 一度、二度、三度と階段の傾斜に沿って跳躍し、一刀必殺の気焔を刀に宿らせながら一度、二度、三度と蜻蛉からの斬撃を放つ。

 最後の五人目には気持ちだけが空回りし、頭から敵に突っ込んでしまった。

 勢いそのままに押し倒し、握りしめた柄で三度、敵兜の上から鼻のところを殴りつける。

 四度目に叩こうとしたらそれは、煙にように姿を消し、一枚の絵札カードに戻っていた。

 乗りかかっていた敵の体が急に消えたことで僕は階段に尻餅をつく。そこから後ろへ転げ落ちそうになるのをとっさに離した左手で押し留める。

 それでも僕は止まらない、止まれない。

 止めなければならない倒すべき人が、この先にいるのだから。

 手をつきながら体勢を立て直し、僕は全ての階段を登りきる。

 神社前の広場には、血を流しながら倒れている無数の人達と、四人の兵に囲まれて立つあの少年と、

 腰をついて地面にへたり込んでいる日鉢さんの首を斬り飛ばそうと刃を振りかぶる黒騎士の姿があった。

 僕は、

(燃やせぇぇぇぇぇぇーーーッ!)

 左手で鞘を払った。

 僕の意地が鍔と鞘を繋ぐ針金を焼き尽くし、僕は鞘を腰帯へと突っ込ませる。帯に結ばれた金色の鈴が、一度だけ、その音色を周囲に響かせた。


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 弓兵への止めの一撃に入っていたはずのあの男が、鳴り響く鈴の音に急停止しました。

 旧史において、『クルマ』なる便利な箱型の乗り物は急に止まれないと歌われたそうですが、それはあの男とて同じだったようです。

 強引に動作を停止させた結果、刃に巻き付いていた黒風が所構わず吹き荒れました。風は大地を削り、私の喚んだ兵士達をバラバラに千切り、彼女を遠く離れた神社なる建物まで吹き飛ばしました。

 破壊の暴威そのままに、獣にも似たギラつきを放つあの男の瞳は、階段を駆け上がってきた少年に注がれていました。

 ‘来たか’

 少年は黒騎士を視界に収めながらも、吹き飛ばされた女性の姿を探しています。

 崩れかかった建物の中から、彼女が力無く、霊魂の如く現れます。

 風に右腕を切られ吹き飛んだ際に頭をぶつけたのでしょう、赤い血が腕と額からなだれ落ちています。

 あの女性、生きていましたか。あの男にあれだけの賛辞を贈られる程の力を持っているとは。是非とも貰いたいものです。

 ‘おいコラ、クソガキ。俺がヤる間にあっちのを入れさせんな’

 ‘分かっていますよね、ゲオルグさん? 彼はとしてなりませんよ? 貴方の享楽なぞ私達の聖なる任務の前では、そう、ゴミ同然なのです’

 ‘カッ! 知らねェなァ。なんざで構いやしねェんだよォ!!’

 一理ありますね。それにあの少年が残るに足る実力か不鮮明です。あの水色の双頭の蛇を斬る一翼を担ったとは言え、彼単体の力が如何様なものなのかは興味深いところです。

 彼女のあの火炎ですらあの男の鎧に全くダメージを与えていないところから察するに、あの少年の緋色の炎は問題とならないでしょう。

 さて——見極めるとしましょう。

 この世界で唯一人、恩寵を何も持ってこずに産まれた人物が、どのような力を手にしているのかを。


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 私は修道院の門で倒れていた警備局の人達の手当てを終えると、管区長殿のお部屋へと急いだ。

 幸いにも怪我人は軽傷だった。後方から不意をつかれて吹き飛ばされただけで済んでいたのだから。

 封印のことを伝えるべきか悩んだが、私は封印が破られたと上へ連絡するように頼み、管区長殿の、聖コンスタンス騎士修道会極東管区が持つ情報を探しに行った。

 それがベストな選択だと思ったからだ。

 私は、静の屋敷、遠呂智の地下空間、そしてこの修道院の地下にしか封印が存在したことを知らない。

 管区長殿が黒騎士達を匿っていと同時に、静かに休息できる部屋を提供していたのだ。往々にして遊撃ゲリラ戦には、肉体と精神を完璧に休息できる空間と時間を必要とする。

 くそ! 気付けなかった私の頭を分厚い福音書で殴りつけたくなる。

 私は自分を抑えつつ、部屋の前に行くと、ついノックをしてしまった。

 無論、返事などありはしない。

 扉のノブを回し部屋の中へ入り、私は、

 待て、扉が開いていた?

 記憶をたぐる。私が管区長殿を説得し、地下礼拝堂へ行った時、管区長殿はお部屋の鍵をかけて出発したはずだ。

 なのに開いていた?

 もしやと思い、部屋の中を探ると、管区長殿の机の上にあるはずのない鍵束が置かれて、その下に一枚の羊皮紙が置かれていた。

 幾つもの鍵の束を手に取ると、金属同士のこすれ合う複雑な音がした。

 鍵を全てから、本棚の錠を

 間違いない。恐らく——いや、確実に本物だ。

 どうしてここに鍵束があるのだろう?

 これを持った人物は自らの創り出した空間に引きこもっているはずなのだ。

「管区長殿、いらっしゃるのですか?」

 答えはない。

 私は管区長殿が残して下さったであろう紙を取り上げた。

 それは、流暢な古式ラテン語でこう綴られていた。

‘『鳥上湖に敷いた仕掛け陣における必要人数と発動における時間について』’

 紙面に目を走らせる。

 このことが本当ならば——!?

 私は急ぎ本棚の中から歴代管区長がつけている日誌を探した。その中で、最も古いものを真っ先に。


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 良かった。日鉢さん、怪我してるみたいだけど大事には至っていない。

 て、え!? 待てよ、僕。女の人なんだから顔に傷って大変なことなんじゃなかろうか?

 ——うわっ!?

 突風が、黒い風が僕を階段へと押しやった。

 ‘——、———————?’

 刀を蜻蛉に取り直す。

 乱れかけていた呼吸を落ち着かせる。

 改めて見る、彼の騎士を。

 鎧の意匠、威圧感、眼光、漆黒の大鎌——僕の知る中で間違えなく二番目に強い人だって確信がある。

 一番は勿論お師匠様で、同着二番に滑り込むかどうかで国司さんが来る。

 改めて面と向かう。

 僕にはどうしても分からなかった。何故この人のことをここまで敵視してしまうのか。

 この人を斬る理由——いや、斬っても良い理由なんて何処にあるんだろう?

 蜻蛉に取ったまま、金縛りにあってしまう。

「おいコラ、臭ェことなんざ考えんな」

 急に流暢な日本語で話しかけられてビックリした。

 ——そうか……この人は遠呂智の真打の一つ、風切を喰べたんだっけ。

 つまり、と言うことだ。

<鉱石喰い>と言うのがこの人の恩寵だ。自分が喰べた鉱石の特性を我が物とできる。

 人を心鉄とする刀を喰べた訳だから、その人の想いや知識を吸収しているのか。

 いや、それよりも凄いのは——人間を己の内に取り込んだのに自分を保っているこの人の精神力のはず!

「どうでも良いんだよカスが。テメェの命を狙う奴がいるんならぶっ殺して何が問題だ?」

 ——世の中、そんな簡単に割り切れないと思いますよ?

「割り切れんだよ、カスが。気に入らねェ奴がいればぶっ飛ばす。いい女がいれば粉かける。単純極まりねェのがこの世だろうが」

 僕の言っていることが分かるんだ。きっと唇の動きを風の変化から読んでいるんだ。

 ああ、そっか。思い出せた。

 僕は、この人とリズさんを引き合わせたくないんだ。

 絶対にリズさんはこの人を認めない、許さない。ぶつかり合ったら、刃を交えてしまう。

 きっと——何て言ったら怒られちゃうけど、リズさんじゃ間違えなくこの人に勝てない。傷つき、血を流し、そして死んでしまう。

 僕だって勝てるはずもないけど、リズさんが血を流してしまうことの方が怖い。その恐怖を前に、何もしない自分でいることが一番怖い。

(燃やせ燃やせ燃やせ燃やせ燃やせ燃やせ)

<獄焔茶釜>のささやき声が、僕の内で火種をばらまく。

「お、殺る気になったか」

 黒騎士が大鎌を左右に回転させる。

 勝ち目は、無い。それは僕自身が一番良く知っている。

 やっぱりこの緊張感、不安感には慣れない。手足が震え、喉が一気に乾く。

 それでも前へ、僕は足をのそりと踏み出す。

 ——僕は、貴方を倒します。

「カッ! でかくでたな、え、オイ?」

「ちょっとぉ、東雲クン!? バカなことは止しなさい! アナタが歯向かえるレベルなんてとうに越してるわよ!!」

「カッ! だとよ。おい、どうすんだ?」

 この人は、僕をあざ笑う。

 ——僕、リズさんのこと好きですから。

 するりと、自分の心の中から言葉が出た。自分でもビックリするぐらい簡単に。

「——ア"?」

 ——大切な人のためだったら、僕は貴方を斬れます。

「オイ、アホか? ドアホか? あのは修道女だろうが。強引にものにしようもんなら喉突いて死ぬような連中だぞ?」

 ——そう、ですよね。

「東雲クン、お姉サンにはさっぱり会話が見えないんだけど!」

「ご心配ナク。私にもサッパリデス」

 ——でもいいんです。僕、リズさんに迷惑かけてばっかりですし、僕が突っ走って変なことしちゃうばかりで呆れられてますし、もう嫌われちゃってると思います。それでも、リズさんのこと、大好きになっちゃいましたから。

「お前、アホだろ?」

 ——はい、自分でもそう思います。だけど、好きな女の子の味方をするのに、理由なんていらないと思いますよ?

 僕の場合、それがどうしようもない勝手で一方的な押し付けだ。

 リズさんに頼まれた訳でもない。リズさんが頼むはずもない。リズさんに知られたら、怒られない訳がない。リズさんの怒る顔が想像しなくても分かっちゃうぐらい確実だ。

 でも、僕が重荷を背負うことで、リズさんが傷つかずにいてくれるのなら——間違ってたって、正しくなくたって、僕の意地に背くようなことはしていない。

 もし僕が死んで、あの世でお母さんに会った時に、恨み言や泣き言を言うのは絶対に嫌だ。お母さんへだけじゃない、僕なんかのせいでお母さんに傷つけられてしまった人達へも、言わなきゃいけない言葉も思いも、精一杯、胸を張ってきちんと伝えなきゃいけないから——……!

「カッ! クックック……」

 僕の答えを、黒騎士は笑う。

「ヒャーッハッハッハッハッハ! クックック、悪かねェ……。いいねェ、テメェのそのどうしようもねェしょんべん臭ェ童貞理論、俺ァ気にいったァ!! 最近の奴らは正義だの大義だの復讐だのと細けェ御託並べるばかりで味がねェ」

 そう言う拠って立つ物があるヤロウは強えんだけどよ、とこの人は続ける。

「ちげえよなァ……? 男だったら惚れた女のために死ぬッ!! やっぱそうじゃねェとなァ!!」

 黒く色付いた風が、黒騎士が持つ鎌に集う。

「俺はゲオルギウスだ。ガキ、テメェの名は?」

 ——萌、東雲萌です。

「東雲、萌か。いくぞ——マジだ」

 黒騎士が大鎌を携えながら限界を超えて身を捻る。

 あの人から送られてくる僕を殺すと言う明確な殺意に首を縦に振り、内に存在する焔を刃へと宿す。

 対する僕は何時もの蜻蛉だ。僕が使える術や技なんて、数えるのが面倒になるくらいに反復練習してきた蜻蛉からの打ち下ろししかない。

 つまらない意地を張っているだけなのかも知れない。けれど、

 僕にはどうしても譲れない、意地なんだ!


(燃やせ燃やせ燃やせ燃やせ燃やせ燃やせ燃やせ燃やせぇぇぇぇーーー!!)


 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


「東雲クン!」

 こうなってはあの男の意志を尊重するしかないでしょう。

 ‘防陣展開、命じます、彼女を閉じ込めなさい’

 ルツェルブルグの令嬢を封じた檻を作り出す五人を召喚し、火の矢を扱う彼女を中に閉じ込めんとします。

 大地が隆起し、土の塊が建物を突き破り、三角錐の檻を形作ります。

「ちょっと! 何すんのよアンタ!?」

 その声がきっかけとなってしまいました。

 少年がみすぼらしくも上空に掲げる剣の刀身からは真紅の炎が昇り始め、

 黒い甲冑に黒刃の大鎌を操るあの男は、己の全力を持って少年を討たんと、聖詞の詠唱を開始します。


 ‘嗚呼、くだならしクアム リディクルス

 この頭、大地闊歩せし土塊ごときにネクアクアム ゲレバム アムブランテ エオ下げるためにあるのではない スペア テッラム アドラレ


 解放するのは、『傲慢』ですか。『憤怒』で消し飛ばすかと思いきや、意外ですね。

 一昨日の青い双頭の蛇を討つのに必要な時間律への操作力、それをあの少年が持っているからかでしょうか。

 いえ、時間律への介入はあの剣によるもののはずですが……。あの少年があの剣を使うのである以上、あの少年の力と言っても良いでしょう。


 ‘背に負いし六枚の翼、クイド ヴァレレト この真理の輝きよりも勝るものはコントラ ルシフェルム何処にあるのか ゼックス アラルム

 教え給え、問い給えインディカ ミヒ、エト スシティス

 無知なる脳とて理解しよう、インテリジェス ルセンシィ この永劫久遠の煌めきをアエテアニタチス


 あの男の言葉に引き出されるように風が渦を巻いて鎌に集結します。その様は優雅にして華麗——明けの明星と呼ばれし墜ちた大天使もかくやと言ったところでしょう。

 勝負は既に決しています。

 少年の持つ力が時間律へ干渉したところで、あの男が解放しようとしているのは『傲慢』——相手の攻撃一撃を繰り出す反則のカウンター技です。間合いに入ってしまえば、一発勝負で負けることはないでしょう。

 少年に分があるとすれば、それは携帯する武器の差でしょうか。

 サイスとは元々は農耕具なのです。戦鎌バトル サイスと呼ばれるものもあるにはありますが、往々にしてそれは刃が柄に角度を持ってついているのです。

 あの男が持つ<罪狩り>のように、大きく湾曲した刃など戦いにおいて不利でしかありません。スピアかグレイブを振るっていれば既に敵に当たっている手の位置からさらに引かねば、相手を斬ることが叶わないのですから。

 余分に手を動かすこと、それ即ち、敵を切るのに余計な時間がかかり、遅くなることを意味します。

 片刃の剣と大鎌、そのリーチ差をもってしても、斬り合うのでしたら剣の方に軍配があがるでしょうか。

 しかし、あの男がしようとしているのは刺突なのです。

 鎌の曲刃の先端を利用した一点の突き——それこそがあの男が戦士として用いる決戦用の得意技です。

 長いリーチ、普段ならばあり得ない角度からの一点攻撃——見切ることすら困難でしょう。

 戦闘における三位一体——恩寵、兵装、技量——その三つの内、兵装のみが少年の覚悟と言う名のおバカぶりをもってして同等としてあげても良いでしょうか(相当彼に贔屓目に見て、ですが)。

 残る二つが圧倒的に劣る以上、勝負の天秤は間違えなくあの男に傾きます。

 結果の分かっている勝負ほど味気ないものはないと思うのですが、あの男はそうは思わないようです。


 ‘我が驕り、天地神明を超えるマイ ディセルイスティ トランスセンディト ウニヴェアシ!!’


 睨み合う二人の戦士——これから火蓋が切って落とされようとしている勝負は、一合にて決するでしょう!


 ‘此の罪は、<傲慢>ホック エスト ペッカティム スペアビアエ!!’


 あの男の咆哮に応じるかのように、一度だけ、鈴の音が聞こえました。

 瞬時にして明白な結果が起こりました。

 二人の戦士は互いに開いた距離をマイナスにするかの如く猛然とぶつかり合い——

 黒騎士の黒刃が、少年の腰から肩をバッサリと裂きました。

 数分と持たずに心臓はその機能を失い、血液のポンプを失った彼の体は停止するでしょう。


 この時、私とあの男は知らなかったのです。


 少年の、『シンエイジゲン』流なる剣術のことを。そして、その剣術が目指す『ウンヨウ』と言う速さについて。

 瞬きすら永劫に感じられる程の速度で剣を振るうことの本当の意味を。

 つまり、

 例え心の臓を破壊されていたとしても、絶命するまでの僅かな間——存在するかどうかすらあやふやな間、いえ、存在するはずもない間——その合間に振り抜く剣、それ即ち速度や時間の概念を超えた剣こそが『ウンヨウのタチ』だと言うことを。


 勝負はつきました。

 少年の体を黒刃が通り過ぎ、

 間髪入れず、すぐさま赤光が黒を斬り裂いたのです。


 その場に立つ黒騎士へ声をかけます。

 ‘やられましたね。怪我の具合は如何です?’

 ‘黙ってろ、クソガキが’

 血だまりの中で倒れ伏す少年は、手足を動かし、惨めに悶えています。

 いえ、それは違います。両手は剣の柄から離れてはいません。

 戦おうとしています、既に勝負は決したこの状況ですら。

 ‘萌とか言ったか。こんな後味のいい負けは久しぶりだなァ’

 この勝負、敗北したとみているようですね、あの男は。

 ‘ッ!?’

 あの男の近くに行きギョッとしました。左の肩からへそまで、少年の剣の通り道がパックリと開いていたのです。鎧を断ち切っただけではありません。本来ならば再生が始まっていなければおかしい時間だと言うのに、未だ傷口からは血が流れ落ち続けているのです。

 ‘こいつ、まだがありやがる……。助けんぞ、手ェ貸せ’

 ‘何を勝手な。誰がこの少年を斬ったのですか?’

 ‘せェぞ、クソガキ。さっさとあの婆さんを呼べや’

「あ"ーも"ー! 邪魔邪魔邪魔ぁー!!」

 あちらでは私の兵達が作った檻が黒煙を上げながら崩れていくではありませんか。

 ‘ふぅ’

 やれやれ、勝負はついたはずだと言うのに忙しくなりそうですね。


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