放課後: 刀と剣 [東雲萌]
両手で握りしめた雑木を横木に叩きつける。
十から先はもう数えていない。
激しく力強い音が修道院の中庭の広場に規則正しく鳴り響く。
ダメだ! 規則正くじゃダメなんだ。同じ間隔ってことは同じ速度でしか雑木を振るえていない。
もっと速く、もっと強く、届かない、こんなもんじゃあの人には絶対——!!
『人間様の邪魔してんじゃねェぞ、カス猿』
——アアアアアァァァァァーーーー!!
頭の奥から蘇ってきた声を姿を打ち倒すように、何度も何度も腕を振るう。
両腕と太腿の筋肉が痛む。身体中から汗が吹き出ている。呼吸は荒いままだ。
ダメだ、足りない。力も速さも技術も、全てが足りない! もっと、もっと、もっと——!!
足を入れ替え、雑木を振り続ける。右蜻蛉から左蜻蛉へ、そしてまた右蜻蛉へと。
僕の全てを雑木に乗せるよう体全体で横木に浮かんで見えるあの人の姿を両断する! ダメだ、全然、足りない!!
後方へと走り、あの日と同じようにあの人との距離を取る。
僕は雑木を右蜻蛉に掲げる、あの夜と同じように。
走る、僕の全速で——いや、全速だったあの夜よりも速く。
振り下ろす、僕の全ての筋肉で——あの人を、その鎧ごと、武器ごと、立っている大地ごと叩っ斬る!
雑木が横木と激しくぶつかり合い、半ばからへし折れる。木を束にしていた横木も一番上の木が折れる。
——違う。
肩で大きく息を吐きながら、僕は折れた雑木のささくれ立った端を見る。
『一回しかやんねーから良く見とけよ〜』
折れた雑木が、あの光景を思い出させる。
僕は雑木の破片を拾い集め、横木を半回転させ折れてる箇所が一番下に来るようにする。
お師匠様が横木を打ってくれるのを見せてくれたのはあの一回だけだった。
僕は木の桶に入った水を顔にかけ、折れた雑木を傍に置き、新しいものを拾い上げる。
お師匠様が見せてくれた一回は、続けではなく懸りだった。飛び込みながら斬るのを一度だけ。お師匠様はゆっくり歩いていただけだけど。
お師匠様が一回しか見せてくれなかった理由、それはぐうたらだったからって訳じゃなかった。
それは、
『やっちまったな、俺。またどっかで横木のネタ探さねーとな〜』
一本の雑木を、たった一回振っただけで、十数本束ねた横木を斬ってしまったからだ。
その有り得ない光景と、木々がへし折られる轟音に、こんなことができるのってお師匠様の恩寵なのかなぁってビックリした。
『萌ちゃんよ〜、こう言う有り得ない剣をするってのが俺達真鋭ジゲン流なの。お、これレッスンワンな。いや、お前さん英語分かるか? ……まだ分かんねーよな、おう』
そう言ってお師匠様は雑木を地面から引き抜いた。刺さったんじゃない。お師匠様は本当にただの木の棒で地中深くまで斬っていた。
今思えば、神社の境内の地面に穴って言うか切れ込み? を入れるのって大目玉喰らっちゃうよね。喝ーッって怒られちゃうはず。
呼吸を整える。
おかしな剣術なんだ。絶対に抜いてはいけないはずなのに、一撃必殺を信条とするのは矛盾している。
右足を一歩踏み出し、左膝を地面につけるほどに曲げる。
力や技や武器じゃなく、意地なんてあやふやなもので斬れなんて無茶苦茶言うのに、どこか不思議なほどに理に適った振り方をする。
両腕を伸ばして握りしめた雑木を天高く掲げる。
形すらない存在するかもどうかの不確かなもので斬る。
視線を真っ直ぐにあの人を睨む。
そんな
無理を通し、道理を捨て、矛盾に頷き、理屈を笑う。
それこそが、僕が習い、学び、振るうと決めた剣術だ。心中の意地を燃やし、唯それのみを刃とする。
ただの木であの人の鎧を斬れる訳がない、そうだ、その通りだ。
僕の剣術じゃあの人に太刀打ちできる訳がない、そもそも敵と言う立場に成り得てすらいない。
僕は、全てを肯定する、ただ前だけを見て。僕の弱さ、未熟さ、まだ気付いてない足りない部分を。
僕は抜いた、刀を抜いたんだ。斬るか、斬られるか、その選択の果てにあの人を斬ることを選んだんだ。
だってきっとあの人は——……違う、僕がそう決めたんだ。僕には、誰にも譲りたくないものがあるから!
僕の血液が逆流し沸騰する。
足りない、こんなんじゃ全然!
僕の意思も思いも全部、薪として体の中の火に
理性も感情すらも燃え尽きて、最後に残ったちっぽけな
あの
——キェェェェェェェエエエエーー!!
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
萌が帰った後、夕刻の祈りを終えた私は、再び<氷の貴婦人>を持ち、庭にいた。
シャルロッテと静はまだ帰ってきていないが、もうすぐ夕食の支度を始めねばならない。
しかし、私の意思と体はさらなる修練を求めていた。
「シッ! フッ——ハッ、セイ!」
迎撃の型、『
『雄牛』から上体を時計回りにひねり、右横からの攻撃を受け止める。間を入れず、敵先方から二歩後退しながら敵の左手首、右手首に交互に剣を回しながら打ち込み、三歩目の後退で剣を下に滑らせ、裏刃を使い膝裏を斬り上げて、再び『雄牛』の構えへと移行する。
型とはスペースと剣があればできる一人稽古だ。しかし、意味するところは深い。
敵上段からの斬撃を受けるにしても、受け止めるのか、受け流すのか、振り下ろされる刃を折りにいくのか、己の意図するところで剣を上げる単純な動作が全く違ってくる。
師からはその全てが正しく、正しくもないと教わった。
戦場に型など無い。自分を殺しにくる怪異達はこちらの望む通りに動いてくれるはずもない。
千変万化する敵の攻撃に対応するのではなく、反射的に動くよう肉体に染み込ませるのだ。手順通り手足を動かすのではなく、私を取り囲む敵集団の中で活路を見出し全ての敵を反射的に自動的に斬り伏せるためにこの手足は動く。体にではなく、神経が学習するまでに反復する——それこそが私の型稽古だ。
私の背後からくる横薙ぎの攻撃をかわすため、跳躍し、
「ハァァァァーーー!!」
体をひねりながらその回転力を剣に乗せ、敵の首を斬り飛ばす。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
思って以上に消耗している。僅か四十動作、時間にすれば五分にも満たない運動だが、肉体的にも精神的にもすり減っている。
「クソッ!」
思わず悪態が出る。そんな自分がまた情けなくなる。
心の中に沸いた黒い霧のようなものが私の内部を着実に侵略していく。
理由だけが分からない。
テレジア殿の持つ超人的な破壊力を見ても、
国司殿の桁外れな体術と槍捌きを見ても、
シャルロッテの圧倒的な恩寵を見ても、
国元で出会った修道騎士や、従士となる以前に数え切れない人間の恩寵を見ていた時も、
私はここまで大きな、そして理由の分からない敗北感を味わったことはなかった。
<氷の貴婦人>を痛いほど握りしめる。
この剣が借り物でなく、ここが修道院でなければ、剣を大地に突き立てていただろう。
原因は分かっている。
それは先程までこの広場で共に稽古をしていた彼だ。共に、と言っても、彼は木への打ち込みを、私は型をしていたのだから厳密にはそれぞれが別々に稽古をしていたのであるが。
彼の剣を見てしまったのが原因だ。
その剣の激しさは知っていた。一度見学していたし、静の屋敷で緑の大蛇を両断したのをこの目で見ていた。
実戦が彼の中の何かを変えたのか、それとも静から借り受けた<獄焔茶釜>が関係しているのか分からない。
私は、ただ彼に圧倒されていた。何故なのか、それが全く分からない。
「クソーッ!!」
<氷の貴婦人>を背中まで振りかぶり、『憤怒』の構えから彼に負けぬよう振り下ろす。
『激情と怒りにとられて振り下ろす一撃は岩をも砕く。されど心得よ、この構えを扱う者よ。その心の空が晴れ渡っていなければ地に伏すは汝自身なり』——剣の一節が頭に浮かぶ。
心が乱れたままだ。
時間はまだある。もう一度、今度は連撃の型をやってみようか? いや、<氷の貴婦人>を展開し私の全力で……!
「ハァァァーー!!」
剣を垂直に振り上げ、気合を発し同じ軌跡で振り下ろす。
ダメだ、届かない、こんなものでは萌の——!
「荒れてんな、女学生」
私の背後から意外な人物が声をかけた。
「国司殿? 一体どうしたのですか?」
夜警の時と同じ格好だ。色褪せたバンダナを頭に巻き、同じ色のよれたコートを着込み、その隙間から黒光する鎧が覗かせている。脇にかかえる短槍の穂先には木の鞘が被せられてある。
「安心しろ。お前らを連れていくまで今日は非番だ」
「は、はぁ……」
非番なら何を安心しろと言うのか。
「あのネーちゃん、ここにいんだろ? 何処だ?」
「え? もしやテレジア殿ですか? 門のところですれ違いませんでしたか? ならシャルロッテの私室の前におられるかも知れませんが……」
「中断させて悪いが案内してくれ」
「え? は、はい」
状況が飲み込めないまま、剣を鞘に収め、国司殿を先導する。
シャルロッテが壱組の風間に刀を返還した際、一騒動があった。その時分かったのだが、テレジア殿はシャルロッテのことが気がかりで、毎日授業時間中学園まで様子を見に行っていたそうだ。
あの騒動は双方に非があった、と言うことになった。壱組は別の教室で授業を受けることになり(それでも私達参組のものと比べるとかなり上等だが)、夜間警備へ参加することになった。私と萌は夜警期間の一週間の延長だ。そしてシャルロッテは日本語の勉強不足と言うことで、静との日本語会話の勉強を言い渡された。静が会話の先生とのことだが、少々不安だ。なお、破壊された建物や物品はルツェルブツグ家の寄付金で全て賄われたようだ。
「お一人ですか?」
「燈は寝てんだろ。今日も夜勤だしな。それに言ったろ、今の俺は非番だ」
分からない。非番とは勤務外と言う意味だと思ったが、私の知らない隠れた暗号なのか?
テレジア殿に課せられた罰は、シャルロッテの様子を伺いに来ないように、と言うものだった。
学園の校舎をこれでもかと破壊し、学生の持ち込み武器を叩き割りへし折り、粉微塵にしたりと大暴れしたわりには甘いとも言える処分かも知れない。ご本人はそれでも大変に不服そうだったが、主人であるシャルロッテから『私のお留守番、お願いしますね!』と満面の笑みでお願いされては断れなかったようだ。
客間が並ぶ廊下に差し掛かる。
いた。シャルロッテの部屋の前で直立するテレジア殿の姿が見える。
手には今朝方返却された<深遠からの咆哮>を持っている。無論、刃の部分に布がかけられてある。
「テレジア殿、こちらの、」
私の言葉が終わるより早く、国司殿が腕の内で短槍を回転させ、穂先に被されていた鞘を暗殺者の投げナイフの如くテレジア殿の首へと飛ばす。
視界の脇に僅かにしか写ってなかったそれを、テレジア殿は事もなげに手に持つハルバードで払い落とす。
「なっ——!?」
「昨日の夜は俺の部下を随分可愛がってくれたそうだな? 職務中の衛士にワンパンかまして首絞めるなんざ、暴行に恐喝に公務執行妨害か? しばらくは地下牢暮らしでお天道様は拝めねえぞ、オイ」
国司殿が話す間、テレジア殿がゆっくりとこちらを振り向く。
ハルバードの布は、まだ取れていない。
「ま、安心しろ。今は非番だ」
分からない。国司殿の言わんとするところも、やろうとしていることも。
「アンタ、俺とサシで勝負しろ。そっちが勝てば東雲を好きにしろ。煮るなり、焼くなり、ちょん切るなり、したいようにやりゃいい」
「な、な、な、な、何を仰ってるのですか!? 萌をどうにかする権利は誰にもありません!」
「んで、アンタが俺に勝てなかったらこっちの要求を一つ聞いて貰う」
「何をバカな! テレジア殿が萌を敵視しなくなるのは嬉しいですが、リスクが、」
国司殿の太い腕が、私の肩を後ろに押す。
「下がっていろ、ヴォルフハルト。あちらさんはやる気だ」
「え——!?」
私の抗議は空回りするばかりだ。
ハルバードの刃を隠していた布が、その使用者によって取り除かれる。
広いとも言えぬ廊下に、テレジア殿の淡々とした声が響き渡る。
“
テレジア殿が一言一言言葉を発するたびに、この場の空気が比べようも無い程の殺意に満ち溢れていく。
“
テレジア殿がハルバードを頭上に掲げ、円を描き、石突を地に突き立てる!
“
眩く強い光が一瞬だけ光ったのを最後に、背広姿の女性は勇壮な鎧兜を身に纏った白銀の騎士へと変貌を遂げていた。
この国への旅の途中で幾度となく見た頼もしい姿だ。
そのお方が膝を地につく姿などあの夜までは想像すらできなかった。
その人が、今、明確な殺意を向けて立っている。騎士はハルバードを持ち上げ、一人の人物へと突き立てようとする。
「お待ち下さい! 二人も、いったい何をしようとするつもりですか! このような無益なことをして何の得があるというのです!?」
「ほっとけ。喧嘩に有益も無益もねえだろ」
「何をバカなことを!」
「少しはバカなくらいが人生やりやすいぞ。離れて見ていろ。お前の面倒まで見れんし、お前さんの足りないものも分かるだろ」
「え——?」
国司殿は何時もと同じようにゆったりと散歩をするかのような足取りで前へ進んで行く。
“下らん話し合いは済んだか? 安心しろ、足の一本は残しておいてやる”
テレジア殿が腰を下ろし、刃を自分の後方へ回し、石突を国司殿の首元へと向ける。
激突してしまう。
私の知る限り最高の体術と槍術を併せ持つ槍兵と、私の見る限り最上クラスの破壊力を持つ白き騎士が——!!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。