夜: 抜刀 [東雲萌]

 今日で四日目の夜警は思わぬ事態になった。

 島南東部に広がる森の中を探索していた部隊が、ヒトガタの<巣>らしきものを発見したと言うのだ。

 急遽近隣の部隊を招集し、初めて確認された巣を討伐する作戦が始まった。

 丁度その森の周辺を巡回していた僕達の隊にもお呼びがかかった。

 怪異は怪異を生む。けど巣型の怪異は何十もの個体を次々と増殖させる。そうして地域一帯を占領し、今度は土地を『侵蝕』して大型の巣となる。

 怪異は全て倒さねばならないものだけど、その中で巣はできるだけ早く倒したいものの一つだ。

 そうして僕達の班は四日目にして初の時間外勤務と相成った。

「な〜んか変よね、ここのところ。妙に出ずっぱりだし変なの多いし」

 日鉢さんがぼやく。

「暇ね〜、暇、暇。なんか、こう、面白い小話とかないの? 東雲君どう?」

 ——う〜ん、無いです、すいません。

「リーゼちゃんは?」

「ありません」

 生い茂る木々は月光を遮り、僕達は木と土の独特の匂いが漂う暗がりの中、何もしないでしゃがんで待機している。

「そやリーゼちゃんて、これくらいの規模の作戦への参加って初めて?」

「いえ、一度だけですが斥候兵として参加したことがあります」

「ふ〜ん」

「……」

 周りは完全な闇だけど、僕達三人の間は僅かに明るく、互いの顔がぐらいは確認できる。

 リズさんが着ているドレスアーマーのせいだ。ほんのり、と言うよりはひんやりとする感じでドレスの生地と鎧の装甲が発光している。

 リズさんは暗闇の中自分一人がポツンとした光になっているのが気になっているのか、大きな木を背にしてしゃがみ込みながら周囲に気を配っている。

「東雲クンは初めてよね? ——うん、安心しなさい。お姉サンが手取り足取り色んなこと教えちゃうから、うん」

 ——お、お手柔らかにお願いします……。

 何時もは布団の中にいる時間だけど、これから始まることへの不安と緊張からか眠気は全く感じない。

「……」

 リズさんは固い表情を崩さない。

 ずっと気になっている。学園を一緒に出た時は何時もの表情だったけど、夜警で再開したら厳しい顔つきになっていた。

 いっつも警備時にはピリッとしてたけど、今日はさらにピリリとしている感じだ。

「一つ」

「な〜に?」

「何故、我々はここにいるのでしょうか?」

「ナイスクエッションね。でもお姉サン的にはリーゼちゃんが汚い大人の世界を知るようで残念でもあるわ」

 巣が確認されたのは、森の中の切り立った崖の下だ。

 巣の近くには数十のヒトガタが確認されているけど、崖の上にはいないみたい。

 作戦では、攻撃は主に三方向から開始される。地上二部隊と、崖上からの射撃部隊だ。

 それらの主力となる攻撃部隊には、突撃部隊の他に周囲を固める迎撃部隊と予備部隊がそれぞれ控えている。

 僕達の班はどこに属しているかと言うと、

「それはね、エリート様がやる気満々だからよ。私達雑草組はカヤの外って訳」

 外の外、戦闘予想範囲外にいる予備の予備だ。

「分からないのですが、そもそもあの者達は日鉢殿より腕が立つのですか?」

「何を持ってしてとするかによるわねぇ〜。まだ始まらないみたいだし、ぶっちゃけちゃうか。私ね、出戻りなの」

「出戻り?」

 ——出戻り?

「鳥上島で生まれ育ったのに、に行って帰ってきた人のことをそう呼ぶのよ。出戻り組とか出戻り娘とか。大人版『参組』って奴ね。私みたいな出戻り組とか巌サンみたいな外様組は大抵は警備局お荷物の伍係に配属されてくすぶる運命なのよ」

「ならば、主力部隊の者達とは——」

「そ、ずっとここにいる連中のこと。学園の壱組の上位にいるような連中ね。強いっちゃ強いから、今夜は見学だけで済むわよ、きっと」

「実力に裏付けされたプライド、ですか」

「だから嫌味ばっか言うのよね〜壱係の連中とか特にね。てことに敏感なのよ、ここも外町も。な〜んたってここは、」

 日鉢さんがニヤリと嫌味な笑みを浮かべる。

「<>をところだもんね?」

「——!?」

 ——!?

 心臓が止まるかと思った。

 その時、

「始まりますね」

 首から下げた呼び子の笛を取り出す。

「リーゼちゃん、一応目で見ておいてくれる?」

「はい」

 リズさんが眼鏡を外す。

 僕は右膝を立て、腰に挿してある<獄焔茶釜>を左手で握りしめる。

 すぐに、遠くから木々がへし折れる音が聞こえ、大地が何か巨大な物体を受け止めた衝撃に揺れる。足から伝わるそれは、軽い地震のようだ。

「ひゅ〜ぅ。崖を斬り落として、弾にしたみたいね。やるぅ」

「……」

 微かにだけど、刀と固いものがぶつかり合う甲高い音と、獣の声が聞こえてくる。

「順調だと私達って何もやることないのよねぇ〜」

 戦闘が始まっているのに日鉢さんの軽口は変わらない。

「じゃ好きな人告白タ〜イム!」

 ——あの、合宿の夜じゃないんですから……。

「まずは東雲クンから行ってみよっか〜! で、リーゼちゃんのどんなとこが好きなの? 眼鏡っ娘好きとか?」

 ——わー! わー! わー! いいい、いきなり何を言うんですか、もー!

「…………」

 うろたえる僕をよそにリズさんは微動だにしない。

「なっ——!? ど、どういうことなのよ……!?」

 言出屁の日鉢さんが一番ダメージを受けているのは何故だろう?

「東雲クン、東雲クン、何したの!?」

 ——えぇ!?

 日鉢さんがヒソヒソ声で僕に喋りかける。

「普通ならここでリーゼちゃんの高速ツッコミが飛んでくるはずでしょ!? 今、ほら、戦闘中なんだし、一応は」

 一応じゃなくてバリバリだと思います、はい。

「こんな怒らせちゃうなんてどんなえっちなことしたのよ!?」

 Hなこと限定なんですか、うぅぅ。

「何か、変です」

「ええ、ええ! そうですとも! お姉サンもそう思うわ。でもね、若い二人だけじゃ乗り越えられない壁を、」


「ジャァァァァァァァァ!!」


 突如、背筋が凍りつくような怪異の鳴き声が、森の中の草木を揺らして響き渡る。

 呼応するように、


「ギィィィジャァァァァァァーーッ!」

「シィィィィィヴィィィィィィィッ!!」


 ヒトガタ達の狂った声と、ピィーと言う呼び子の笛が次々と鳴り始める。

 僕達は顔を見合わせる。音が、段々と近づいてきたからだ。

「この勢い、包囲を突破するかも知れません」

「あいつら、東雲クンが眼鏡外したリーゼちゃんを残念そうに見えるのが分かっちゃうのかも!」

 ——何ですか、それー!?

 叫び声は草木を震わしながら、一直線にこちらへ向かってくる!

「おっかしいわね。ここが一番手薄って訳でもないでしょーーーーっと!」

 日鉢さんが火矢を一本、黒弓に番える。

 迫り来る奇声とは全く別の方向へ射出された矢は、暗闇の森を照らしながら進む。

 見えなくなりそうになったところで、火矢は火蜂へと姿を変え、孤を描きながら声のする方向へと飛んで行く。

「あの子達につられてくれるといいんだけどな〜」

「包囲を突破してくるのであれば、我々が最終防衛線になるべきではありませんか?」

「私達三人だけじゃ数の差で押し切られるわよ。それに二人が来た初日みたいに少人数で迎撃するのに有利な地形でもないし。いくさってのは、生き残るってのが絶対条件なの!」

 けれど狂声は止まらない。

 木々を薙ぎ倒し、大地を揺らし、土埃を舞い上げながらこちらへと近づいてくる!

「目くらましにもなんなかったか。しゃーない、お姉サンが時間稼ぐから二人ともテキトーに逃げといて!」

 日鉢さんは立ち上がると右手を大きく広げる。その上に、燃え盛る大きな火の球が出現する。

 火の照らし出す範囲にはヒトガタの姿はまだない。

「いいか、萌。巣には基本的に三種類の怪異がいる」

 リズさんも立ち上がり大剣を下段に構える。慌てて僕もそれに続く。

 日鉢さんが火球に息を吹きかけると、火の中から火蜂が何匹も生み出されて、上空へと飛んでいく。

「巣の本体である『女王』、女王を護る『親衛隊』、近づく敵を攻撃する『兵士』、この三種だ。女王を討てば巣の機能は停止するが、それには兵士の攻撃をかいくぐり、親衛隊を倒さねばならない」

「つまり! 超メンドーってこと!」

 日鉢さんが最後の息を火球に強く吹きかける。

 空に漂う炎の蜂達のお陰で、僕達の周囲に夜の闇は消え去り、木々が日光を遮る昼間以上の明るさが訪れる。

 その時、笛の音が変わった。

「え?」

 こっちへ突っ込んでくる奇声にあわせて鳴り続いていた笛が、急に森のあちこちからまるで波紋のように鳴り始めた。

 それに続き、怪異達の奇声も森の中を広がっていく。勿論僕達の方へ突っ込んでくる声はすぐそこまで来ている!

「——来ます!」

 身体中に緊張が走る。目には見えなくとも奴らの殺意を胸の奥、心臓で感じる。手足が震え、息が苦しい。でも、あの夜ほどじゃない! 今なら、今の僕なら、きっと戦える!

 日鉢さんが火矢を番え、リズさんが腰を落としながら大剣を構える。僕は右手で刀の柄を握り込む。

 来る——!

 僕達のその確信とは逆に、照らし出される光のすぐそこまで迫っていた怪異達は、速度を急に落とし、鳴くのを止めた。遠くでは奇声と笛の音が鳴りっぱなしだ。

 あの夜と同じ、濁った赤い瞳が火の揺らめきに浮かび上がる。

 草をかき分けて、そいつらは現れた。

 ヒトガタ——蛇と人を併せた怪異の群れだ。

 さっきまでの速度が嘘のように、僕達三人を値踏みするように、ゆっくりと火蜂の放つ明かりの元へ這いずり出でる。

 夜警初日の夜と同じだ。僕達へ息苦しい程の殺意を向けながら近づいてくる。

 ぬめりとした灰色の体躯、両手に刀を握っているかのような節くれた腕部——同じだ、あの夜と。

 違うのは、

「あの真ん中にいるデカイのって——」

「ええ、間違いありません。あの個体が巣の女王です」

 大柄なヒトガタが一匹、両手両足を地面につけながら尾をくねらせ、こちらへ近づいてくる。

 この個体を中心に守るようにヒトガタ達は周りを固めている。

「数は今のところ三十五、です。兵士型が見当たりません。こいつらは全て親衛隊です」

「おっかしいわね。壱係の連中を突破できそうにないんだけど」

 森の奥の狂騒とは裏腹に、僕達は静かにヒトガタ達と対時する。

 やれる、いや、やるんだ!

 あの人の放った殺意とは違う。僕の本能が感じた、いや強制的に意識させられた絶対的な終末感がない。

 それでも、背筋に流れる冷たい汗や震え始めた手足が、奴らは僕の命を簡単に奪う存在なんだと主張する。

 でも! 僕は左手と右手で<獄焔茶釜>をきつく握り締める。

 僕は、戦える——いや、戦う!

 僕達もヒトガタ達も動かない。

 日鉢さんが黒弓に装填した火矢が微かに爆ぜている音や、ヒトガタ達の醜く開いた口から漏れる不気味な音が聞こえてくるだけだ。奥の戦闘が嘘のように思える。

 時間を稼げば稼ぐだけ有利になるのは僕達のはずだ。

 警備の人達はヒトガタを鎮圧してきたって言うし、これだけ笛の音が鳴らされていたら当初作戦外とした部隊の人達も応援に駆けつけてくれるかも知れない。

 だから、この睨み合いが続くのは僕達にとって有利な状況に違いない!

 そんな僕の淡い期待は、異様な光景とリズさんの声で打ち砕かれた。

「まずい! 卵を産みます!」

 ヒトガタ達に囲まれ中心にいる女王の腹が大きく膨らむ。大きな玉のようなそれを腹の収縮により口元まで運ぶ。

 大きく開いた口から見えるそれは、リズさんは卵と呼んだけれども、僕にはヒトガタと同じぬめりとした灰色の球体にしか見えなかった。

 それを女王は首を振って、僕達から見て左側に吐き飛ばす。

 僕達は前方で不気味な沈黙を続ける女王の一団に警戒しながら、卵の様子を窺うと、

「ぐぇ!?」

「なっ——!?」

 地面にぶつかたそれは、ピクピクと動いたかと思うと、首が伸び、頭が生え、尾が地を這いずり、二本の手と二本の足が伸び、新たなヒトガタとなる。それだけなら驚くべきではない。だけどそれは、

「ちょ、ちょ、ちょ! なぁんで、女王が女王を生んでんのよ!? もっと自分の兵隊を増やすとかやることあるでしょ!?」

 尋常ではない大きさのヒトガタであり、自分を生み出した女王を寸分違わないヒトガタだった。

が広範囲で笛が鳴らされ続けている原因です!」

 新たに誕生した女王の灰色の体躯から幾つもの膨らみが浮かび上がり、それら一つ一つから新たなヒトガタが生まれ出る。女王の体躯は膨らみ続け、次から次へと新しいヒトガタ達が産声をあげる。

「私の見るところ、この中に兵士型はいません。女王と親衛隊のみで構成されています。それ故に、」

「さっさと新しい女王を産めちゃうって訳ね、自分が倒されるよりも早く」

「ええ。一匹の女王を頂点とし一箇所に根を張るのではなく、複数の女王で広範囲を支配するのがこの巣の戦略のようです」

「かわいくないし、面倒臭いことこの上ないわね」

「日鉢殿、怪異とは得てしてそのような存在ですよ」

「ふふ、それはお姉さんも同感ね」

 辺りを大勢の怪異に囲まれているのに二人は不敵に笑う。

 それを見て、胸の中で一つの新しい決意が芽生えた。今日は——この夜は、何があってもリズさん達を守り抜こうって!

 新しく生み出された女王が、己を守る親衛隊を生み出すのを止める。

 急に、空気に冷たいものが混じる。

 リズさんが右手を大剣から外し、首から下げている笛を取る。

 周りのヒトガタ達の濁った目が狂気に帯び、ゆがんだ口をこれでもかと大きく開く。

「気をつけろ、萌。奴らの狙いは……恐らく君だ」

 ——えっ?

 リズさんが大きく吸った息を笛へと送り込む。

 笛が生み出す甲高い旋律と、

「ジャァァァァァァァァァアアアア!!」

「ギィィィィィィィィィィイイイイ!!」

 取り囲むヒトガタ達の狂気の叫びが、僕達を喧騒の渦へと叩き込む!


「退くぞ、萌!」

 リズさんが両手で大剣を握り、後退しながら数学の記号の『∞』を描くように剣先を踊らせる。

 僕はリズさんに促され後方に走る。そうか、リズさんの剣が作り出す蒼い軌跡は、障壁代わりになるんだ!

 その間を通すように、日鉢さんの放った紅の火矢が女王の頭へと一直線に伸びる!

「ちっ! あーもー! これだから親衛隊って奴は!!」

 女王の命を狙った一射は、親衛隊によって防がれた。ヒトガタが他のヒトガタを刺し、射線上へと放り投げたからだ、しかも三匹も!

 爆煙を裂いて、女王達がその親衛隊と共に突進する!

「アグレッシブ過ぎるでしょ、この女王様! ちょっとは王座でふんぞり返ってなさい——いよっとぉ!」

 日鉢さんは後退しながらも上半身をひねり、親衛隊へと火矢を射る。

「指揮官が最前線で戦えば、部下の士気は上がるものです、古来から!」

「そーゆーのでこいつらと一緒だとやーよね!」

 火矢はヒトガタの体を爆裂させ、黒い霧へと変化させる。しかし、奴らの足並みは止まらない!

「ええ、同感です!」

 リズさんの作り出す蒼い壁も、ヒトガタ達の速度を遅めることにしかならない。

「ギィィィイイイイイ!!」

 奴らは進撃を続ける、奇声を上げ障壁を破壊しながら!

 それだけじゃない。二組の親衛隊はそれぞれが直進で僕達に向かうものと、弧を描きながら回り込むものとにそれぞれが分かれる!

 直進するヒトガタ達の速度は落とせているけど、このままじゃ回り込まれる!

 逃げ、られない! それは何よりも僕が良く知っている。一番足が遅くて体力がないのは僕だから。

 悔しいけれど、速度は迫り来るヒトガタの方が遥か上だ! 体力に関しても、背を向けて逃げる獲物を前に奴らが疲れるとは思えない!

 今度は日鉢さんが笛を鳴らし、その手で三本の火矢を弓に番える!

「こりゃそろそろおなか決めないとダメかもね」

 僕が二人の逃げる時間を稼ぐ、そんなことは言えない。十秒も持たないだろうことはリズさん達は良く分かっている。僕自身も。

 でもそれが、今の僕の力なんだ!

「決めるのははらです! 日鉢殿!」

「ギィィィィィイイイイイ!!」

 回り込んできたヒトガタが唾のような何かと叫び声を撒き散らしならがリズさんへと腕の刃を振るう!

 リズさんは下段から大剣をすくい上げ、刃の軌道を自分から逸らすと、上段で手首を返しヒトガタを袈裟懸けに斬り捨てる!

 三本の紅光が空を飛び、三度の赤き炎の大爆発がヒトガタ達を無へと帰す。

 でも、止まらない、奴らの勢いは。しかも二体の女王は何時でも新しいヒトガタを生むことができる!

 僕は意を決し、刀を——……あれっ?

 抜けない。

 鍔を鞘を結ぶ針金が、僕に刀を抜くことを許さない。

 力を入れ無理に抜こうとするも、針金はビクともしない。

 ——なら!

 戸惑いもためらいも、今この場には不要だ!

 僕は腰から鞘ごと刀を抜き放ち、右蜻蛉に取り、リズさんとは別の方向、新しく生まれた女王とその親衛隊を見据える!

「——くっ!」

「東雲クン! 分かってると思うけど無茶したら後ろから頭に一発当たるからね!」

 ——はい!

 眼前に迫るヒトガタの群れは、刃を振り回し、発する声の振動は僕全体を震わす。

 殺意と狂気、生と死が一瞬の後に交差しようとしている。

 あの夜は、腕が異様に長いヒトガタが二体だけだった。僕は斬りきれずに左肩に大穴を開けられた。

 あの夜は、あの人だけだった。僕は何もできず、ただ吹き飛ばされた。

 このヒトガタ達は、あの人よりも弱い。変異した個体のように明確な意図も感じない。

 あるのは狂ったような殺意、それだけだ。

 でも、僕一人を殺すには十分だ。

 両手に力を込める。足腰に力を入れ、何時でも飛び出せる体勢を作る。

 数が違いすぎる。

 一体や二体斬ったところでその隙をつかれて僕は死ぬ。

 ヒトガタ達が近づく。あと三歩で奴らを斬れる位置にいる。僕を切り刻む位置にいる、って言う方が正しいのかも知れない。

 きっと痛くて苦しいんだろうな。

 小さい頃に考えざるを得なかった自分の終わりが、また一歩近づいてくる。誰もが逃げられない、必ずやってくる終わりが。

 神様に祈る両手は塞がってるし、天国に行けるおまじないなんて知らない。僕の過去には人に誇れるような行いなんてこれっぽっちもない。

 近づいてくる、その時が。

 けれど、ここで奴らを止めないとリズさんや日鉢さんが相手にしなきゃいけない怪異の数が跳ね上がっちゃうんだ!

 僕は、それを待つんじゃなく、自ら飛び込む!

 ——キィィィィィェェェェェーーッ!

 萎えそうになっている肉体と心を、お腹から絞り出した猿叫えんきょうで奮い立たせる!

「萌!?」

 波のように押し寄せるヒトガタ達を前に一歩左足を前に出す、押し込まれたバネのように飛び出してしまいそうな自分を抑えながら。

 一撃必殺の剣を体現するにはまず当てること、すなわち間合いが大切だ。自分が死ぬ恐怖に打ち勝ち、敵の懐に飛び込まなくちゃいけない。

 右足で跳ぶには遠すぎた。奴らが来るのを待っていれば良かったけど、僕は一歩前に進むことを選ぶ!

 入った——!

 一刀一足の間合いに入ると同時に、さっき踏み出した左足で地面を強く前に蹴る! 斬るは先頭を走る一体!

 一気に縮まった距離に、目標とするヒトガタは両の刃を交差させ振り回し、僕の首と胴を断とうとする。

 遅い!

 リズさんよりも、国司さんよりも、あの人よりも!

 稽古を体は覚えている。こんな状況でも頭は考えずとも手足は自ずと動く!

 両手に握り締めた<獄焔茶釜>を、身体を沈み込ませながら一気に振り抜く!

 不快な破裂音が耳に届き、僕は目の前のヒトガタを頭部から一気に破壊する。

 手に伝わる抵抗感に僕は確信する。いける、鞘のままでも敵に致命傷は与えられる!

 刀を再び上空に掲げる間、目を周囲に走らせる。

 たった一体を倒しただけで、まだ周囲は敵だらけだ。そして何よりも倒さなければならないのは群れの中央に座す二体の女王だ!

 ——キィィィィェェェェェーーーッ!

「ギィィィヤァァァァァァァーーッ!」

「ジャァァァァァァァァアアアアーー!」

 腰を捻り、近づく敵へ手当たり次第に刀を振るう。刀を蜻蛉に取りながら斬るべき敵を見定める。

 跳躍し、猿叫をあげ、両腕の振り下ろしと体幹の降下を同期させ全身を刀に乗せて群れをなすヒトガタを叩き斬る!

 四体、五体、六体と順調なのはそこまでだった。

 女王との距離は近づいているも、依然ヒトガタが分厚い壁となっている。対し、僕の周囲はヒトガタ達が取り囲み、隣で戦っているはずのリズさんと日鉢さんの姿が随分と遠くに感じる。

「シィィィィジィィィィイイイーー!!」

 ヒトガタ達が歓喜の声で合唱する。これから切り裂く人間の感触と喰らう肉の味に興奮を抑えきれないでいるのか。

 それでもそんなもの、僕には関係ない!

 この状況に陥った自分のバカさ加減を嘆くのも、この窮地を突破する恩寵ちからの欠片も無いことも、今この場にいる僕にはしちゃいけないことなんだ! ただ刀を振るう——それ以外の無駄は全てすり潰す!

 灰色の刀が一斉に僕へと振り下ろされる。

「引け、萌!」

 リズさんの怒声が聞こえたような気がした。

「後でお説教七時間よ、東雲クン! 穿通翼陣せんつうよくじん、『阿支長蜂あしながばち』!」

 日鉢さんの矢は速い、けれどそれが届く前に終わってしまうかも知れない。

 僕は、戦うことを、最後になっても前に行くことを選んだ。

 足を踏み出すと同時に掲げた刀を大地へと振り下ろす!

 僕の首を狙ったその刃は、寸前に霧となって消え、装甲を擦る。

 ——うぐっ!!

 背中と右前腕、それに左の太腿に重い衝撃が来た。それだけじゃない、左脇腹と左肩には焼ごてを突き刺されたような痛みが走る。

 ヒトガタの刃が僕に当たった。痛い——歯を食いしばっていなかったらきっと悲鳴をあげていた。そのままうずくまり刀を手放していたかも知れない。けれど、そんな甘えは捨て去る。

 敵に斬られ刺されたと言うことは、僕はまだヒトガタの刃の届く範囲にいる。僕の意識がある限り、僕の心臓が動く限り、こいつらは動くのをやめない!

 なら僕がすべきことは、できることは一つだけ!

 斬る、その全てを! 僕の命が消えるよりも早く!

ッ!」

 僕の背後から五つの業火が尾を引き、翼のように広がりながら戦場を駆け抜けた。

 穿たれたヒトガタ達は、その穴から広がる炎に身を焼かれこの世から消え去り、

 僕の体に刃を突き立てていた二体のヒトガタはもう片方の刃を僕に止めをするために振りかぶり、

 日鉢さんの掃射を免れた敵一群が僕へと迫る。

 僕は、まだ、戦える!

 ——ウァァァァァァーーッ!!

 右手一本で<獄焔茶釜>を蜻蛉に取り、左肩を刺しているヒトガタを頭から真っ向に叩き潰す!

 激痛が走る。でもそれは痛みを感じているということ、僕がまだ生きていると言うこと! まだ戦えるってことだ!

 ——ァァァァァアアアアアーー!!

 振り下ろした刀を蜻蛉に取り直すのではなく、上へと振り上げながら腿を刺すヒトガタの首を殴打する!

「ガピィ!?」

 後退したそいつを一気に胴体深くまで刀を捻り込む!

 これほど荒々しく使っていても刀と鞘を繋ぐ針金はビクともしない。

 頭はこれ以上ないほどに冴えている。敵を倒せと吠え続ける。血の流れ出る感触と鈍い痛みがもう休めと体にささやき続ける。

「ギギィィィィイイイイーーー!!」

 迫る敵は、まだ沢山いる。

 戦っている、リズさんも日鉢さんも。それなのに僕だけ休んではいられない!

 この決意だけは誰にも決して負けていない!

「!? ダメだ、下がれ、萌!!」

 敵の一団がさらに迫る。

 体が、無意識に動いてしまう。その動作に僕の決意と意地が乗る。力を入れた刹那、傷口から流れる血量が増す。

 そんな雑念は全て頭の隅に追いやられ、僕は<獄焔茶釜>を持てうる全ての上限を超えて、ヒトガタへと振り下ろ、

 ——え?

「ギギギ」

 僕の一撃は、ヒトガタの交差した刃に受け止められていた。

 なまじ、これまでの斬撃で一刀の元に屠っていただけに思考の空白が生まれてしまった。

 傷のせいで踏み込みと振り下ろしが甘かった? それとも無理に使い続けている鞘に問題が? いや、僕の攻撃に対応し進化したのか?

 真鋭ジゲンの剣は他人に理由を求めない。全てを自分が担う。だからこそ気付けなかった。リズさんの悲鳴の真意を。

 僕が斬ろうとしたのはただのヒトガタではなく、一体の個体に他の数体が体を同化させた変異体だった。腕こそ二本であるものの、足は十本以上胴体から生え、僕の剣撃の衝撃を完璧に受け止めている。

 いや、きっとこいつの刃の硬度も、

「シィィギヤァァァァァァーーー!!」

 変異したヒトガタが僕を吹き飛ばす。

 踏ん張って堪えられるような力じゃない。

 数秒の空白と浮遊感があり、背中を木に叩きつけられた衝撃に意識が白く混濁する。

「くっ、どけぇぇぇぇぇーーー!!」

 視線がリズさんへと動く。必死に蒼い大剣を的確に操りヒトガタを倒し続けるも、数が多すぎる! きっと間に合わない。

「急幡蜂!」

 日鉢さんの放つ極太の火矢は、僕へと突進する変異体を確かに狙うも、女王がその膨らんだ腹を振るって産み飛ばした幾多ものヒトガタ達が身代わりとなって、標的の届くことなく爆散する。

 一秒一秒、刻一刻とその時が近づいてくる。体が何処か寒く、時間の流れがゆっくりになっている気がする。

 僕は叩きつけられた木から重力に従って地面へとずり落ちていく。そんな中でも、僕の手はその内にある<獄焔茶釜>を決して離そうとしない。

「萌ェーーーッ!!」

 リズさんの悲痛な声がぼんやりしだした頭に届いた。

 リズさんと過ごした時間が頭の中で鮮やかに駆け巡る。

 初めて会った自己紹介の時、僕が大豪寺君に投げ飛ばされて目と目が合った時、夜の戦闘で無茶をして大怪我をした時、図書室で一緒に調べ物をした時——色んな思い出が頭に浮かんでは消えていく。

 あれっ、これって走馬灯って言う奴なのかな、何て呑気なことを考えてる間にも映像は流れては消えていく。

 リズさんの——真剣な顔、笑った顔、ちょっと怒った顔、眉をハの字にした渋い顔、すっごく怖い顔——たくさんの素敵なものを見れた。

 地面に両足が着く。両膝も崩れるようにそれに続こうとする。

「ギィィィィィィィーーーー!!」

 変異したヒトガタがその刃を振り上げる。日鉢さんの放った小さな火蜂達の灯りが刃に反射して怪しげに光る。

 濁っていく意識の中、リズさんの泣いた顔って見たことないかもって、やっぱり呑気なことを考えていた。

 ここで僕がやられちゃったら、やっぱり僕、怒られるんだろうな。

 泣いて、くれるのかな?


『ごめんね……はじめちゃん、ごめんね……』


 僕のために泣いてくれたその人の記憶が蘇る。涙にあふれた瞳と、首にまとわりつく呼吸できない息苦しさ、そしてどうしようもない無力感が。

 僕のせいで、また大切な人が泣いちゃうのかな?

 もしかしたらリズさんにそんな思いをさせちゃうのかな?

 そんな僕を、僕はどうしたら許せるんだろう?


 突如、僕の中で火花が散った。

 それは小さな火打ち石を打ち合わせてできたようなちっぽけなものだった。


 けれど、僕がお師匠様に剣を教わってからずっと練り続けきたものに着火するには十分だった。


(燃ヤセ燃ヤセ燃ヤセ燃ヤセェェーー!!)


 刀から伝わる激しい絶叫の中、


 遠い日の夕暮れに響き渡ったのと同じ鈴の音が、

 聞こえたような気がした。


 振り下ろした刀の刃は、豆腐を包丁で切るが如く容易く変異したヒトガタをその両腕の刃ごと真っ二つに両断した。

「なっ!?」

 知らぬ内に抜いた鞘が地面に落ち、乾いた音を立てた。

 斬り捨てた残骸には目もくれず、周囲の敵の位置を視認する。

 体が羽のように軽く、僕の周りの時間がゆっくり動いているかのようにヒトガタ達の動きが遅い。

「ギィィニニニィィィィィーーーーー!!」

 刀身から、緋に炎上する焔が湧き上がるのが見える。

 同調が深くできているのかも知れない。それとも抜刀した今の状態こそがこの恩寵兵装の展開状態なのか。

 担い手に対し何も具現するものがない壱型の兵装の場合、多くは身体能力の向上を——

(燃ヤセ燃ヤセ燃ヤセ燃ヤセ燃ヤセ燃ヤセ燃ヤセ燃ヤセ燃ヤセ燃ヤセェェ!!)

 下らない考えは僕の心中を暴れ狂う地獄を焦がす焔によって灰と消える。

 僕は脇目を振らずに一直線に進む。狙うのは雑魚じゃない、戦場の勝敗はを討ち取った時に決するものだから!

 ——キィィィエェェェェーーーー!!

 翔ぶが如く、駆ける。女王までの直線状にいる障害物に必殺の斬撃を放つ。

 足が地を蹴る度に、刃が踊り、死した怪異の体液と傷口から漏れる血液が辺りに飛び散る。

 痛みも怪異も、全てを焔が喰らい尽くす。

 悪鬼をも燃やす焔が叫び続けている、燃やせ、燃やせ、もっと燃やせと!

 斬り裂いたヒトガタの抵抗が、僅かに上がった。

<獄焔茶釜>を左蜻蛉に掲げ、首を左右に振る。さっきと同じように僕を囲んで攻撃しようとしているようだ。

 芸がない。しかし同じではない。周囲の奴ら全てが親衛隊同士が複数結合してできた変異体であるし、地上だけでなく跳躍して空からも攻撃している。

 焔が僕を燃やし尽くそうとしているのに、どこか冷静に客観視している自分がいる。

 変異したヒトガタ達が再度狂気の雄叫びをあげる。振動が空気を伝わり、僕と言う獲物を圧倒しようとする。

 奴ら一体は何本もの刃を持ち、その全てを僕の体に突き立てようとしている。地と空から同時に、一つの思考に操られるかのような完璧なタイミングで僕をバラバラに切り裂こうとする。

(燃ヤセ! 燃ヤセ! 燃ヤセェェェェェーー!!)

 絶望を絵に描いたような状況の中、身体中を駆け巡る絶叫に飲み込まれるのではなく、僕はただそれに頷き、意地を燃やす。

 真鋭ジゲンの剣は簡単だ。敵より早く刀を振るい敵を斬る。もし先に刀を振られていたのなら? それが我が身に届くよりも速く敵を斬る。敵が二人でも三人でも百人でも同じこと!

 そんなことは無茶で無理なことだ——でもそれを成し遂げて貫いてこそ真鋭ジゲンの剣士!

 僕は、僕に笑ってくれた人が、僕なんかのせいで泣いて欲しくない。例えそのために僕が取る行動でその人が傷つき悲しんでしまうとしても——

 僕は、この矛盾を、押し通す!


 ——チェストォォォーーーーーッ!!


 心の底から発せられた叫び声は唯の一度だけ、

 真鋭ジゲンの剣に二の太刀は無い、

 振るう刃は周りを蠢く敵と同じく十一回だ。

 切っ先が描くのは歪な連続線、緋色のそれはリズさんの剣が描く美しい軌跡とは比べようもない暴威の残り火だ。

 初撃で絶命したヒトガタが死を実感する暇すら与えずに、この身は襲いかかる全ての敵を両断した。一方的で圧倒的な虐殺を終え、

「——ちぇす、と……?」

「うぇぇぇ!?」

 僕は女王の首を斬り落とすべく疾駆する!

「ギィィィィィ、」

 行動が思考を超越する。

 女王を守ろうとその前に立ちふさがる親衛隊の全てに焔による絶対の死を与える。

 踏み込んで刃を振るう単純な反復作業は、この怪異達にとっては避けようもない終焉となる。

 燃え盛る緋焔による一刀は、狂奔する炎によって己一体だけとなった女王へと導かれる。

 女王は最後の叫びを発することなく、<獄焔茶釜>により左右真っ二つに両断される。

 発する灰色の血しぶきを目にあたりにし、ようやく僕は自分が敵を切ったのだと実感した。

 ——痛っ!

 敵の刃に刺された左肩と左の太腿が痛む。視線を落とすと、血が流れ出し装甲部を赤く染めている。

 胸が苦しい。肉体がついていけてないのか酸素を強く求めている。

 でもまだリズさん達は戦っているんだ。奥歯を噛み締め、刀を再度握りしめる。

 左足を引きずるように、僕は、ヒトガタの奇声と剣戟が未だ絶えないリズさんの方へと体を向ける。

 体の痛みと、心の中で爆発しそうにまで膨れ上がっている焔を抑え、僕は足を進める。

 リズさんには何時も助けて貰っているから、今度は僕が——!

「萌! 気を抜くな! 女王はお前の剣に合わせて分裂しただけだ!」

 ——え?

 振り返ると、飛び散ったはずの血が渦を巻き、両断した女王が二つに分かれ、とぐろを巻いて鎌首を大きく上に持ち上げようとしていた。

「シシシッ!」

「シシシシッ!」

 四本もの節くれだった手と足が胴体から飛び出すと同時に地面を突き刺し、大地を揺らす。

 ——くそっ!

 僕は自分のバカさ加減に何度も何度も腹が立つ。

 ジゲンの剣は一撃必殺、故に相手を斬ったのなら、その相手を死に至らしめていなければならない。

 剣士としての未熟さ、言われなければ気付けなかった迂闊さ、そして自分への嫌悪感がぐるぐると回る。

 ——キィィィェェェェェーーー!

 でもそれすら燃やす。灰となるまで、いや残った灰すらも!

 一度でダメだというのなら二度、三度! 違う、さっきの一撃を凌駕する程の絶対の斬撃を放つんだ!

 土を蹴り、痛む体に鞭を打ち、もう一度そして今度こそ止めをさすべく刀を蜻蛉に——

「シシシッ」

「シシシッ」

 それなのに何故か新たに出現した二体の女王は、僕に斬って下さいと言わんばかりに何の抵抗も見せなかった。

 振り下ろす間際、罠と言う言葉が頭をかすめる。

 ならばその罠ごと斬ってみせる!

 決意が僕の中の焔に油を注ぐ。燃え上がる焔は最後にして最強の一刀を振るうべく体内で暴れ狂う!

 ——キィィィェェェェェェーー!

 緋の閃光が強く煌めく。

 その一刀は頭から胴体を通り、地面深くまで断つ。

 あと一体!

 刀を蜻蛉に撮り直しながら一歩足を踏み出した僕の鼻先に、

 ——わっ!?

 銀色に光る何かが飛来した。

 思わず後ろにのけぞってしまった僕は、木に突き刺さったそれを確認する。

 槍だ。長さ的に短槍が木に刺さって、

 ——うわわわわ!

「すまん、遅れた」

 突風のようにやってきた国司さんが、投げられた短槍と同じ経路をやってくると僕を肩に担ぎ上げる。

 ——え、え、え!? えぇぇー!?

 足が地面を離れて宙を浮く。

 手足をばたつかせるも、国司さんは僕のこと何かお構いなしに木に突き刺さった短槍を抜き取るために走る。

「何処ほっつき歩いていたんですか、このハゲ親父!」

「夜の森を灯りなしで見回るもんじゃねえな。お前らが派手にドンパチしてくれたお陰で助かったぜ」

「あーもー! 素直に『迷った、ゴメンナサイ』って言えないんですか、アンタわぁー! この修羅場で良くもそんな能天気なこと言えますね!」

 ——あっ!

 国司さんに担がれながら僕には見えた。僕が斬ったはずの女王が再び分裂し、計四体となった女王達が僕のことを嘲り笑っているのを。

「いいわ、リーゼちゃん! やっちゃって! 報告書には事故って書いておくから!」

「明日の飯奢ってやる。そいつの言うことに耳を貸すんじゃねーぞ」

「お二人とも! この状況下で何をふざけているのですか!?」

「逆だ、ヴォルフハルト」

 国司さんが短槍を木から引き抜き、ぴゅんと振り回す。肩に担がれてる僕は地面へと降ろされて視界が反転する。僕に見えたのは、とんでもない数のヒトガタと大剣一本で渡り合っているリズさんと、日鉢さんの大きく開いた右手の指にまとわりつくように飛び回る一匹の大きな火蜂だった。

「どうしようもねえ土壇場だからこそ笑うんじゃねえか、なぁ? そろそろパナしていいぞ、燈!」

「言われなくても、分かってますって!」

 日鉢さんの右手が業火に包まれる。

 彼女の持つ<玄鋼之与一>の弦が限界を超えて引き絞られる。

 番えらえるのは極大の火矢——姿形は矢なれども、その実は獲物を穿たんとする蜂の一匹!

封鎖旋回円陣ふうさせんかいえんじん——『破為蜂ハナバチ』!」

 放たれた火矢は、火の粉を散らしながら、宙のあらぬ方向へ飛んで行く。

 ——あれ、わわっ!

 国司さんが僕には目もくれず、リズさんを取り巻いている人型の群れへと駆けて行く。

「随分気合入ってんな、女学生」

 気の抜けた挨拶とは裏腹に、国司さんの手にする短槍は、疾風、迅雷の如くヒトガタへ銀閃を放ち続ける。

「——くっ!」

 国司さんの加勢にリズさんが何故か苦悩の呟きを洩らす。

「シシシシシッシ」

 一人になった僕を目指し、三体の女王が僕へ体躯をくねらせるも、

「ギギギ?」

 ——え?

 何もない空中に飛んで行ったはずの日鉢さんの火矢が辺りを照らしている小さな火蜂に当たる。

 火の粉が弾け、それらが新たな火鉢になると共に、放たれた火矢は方向を大きく変えて、弧を描き曲がりながら飛んで行く。

 火矢は飛ぶ、その経路に赤の炎を残しながら。再度、宙を漂う火蜂に接触すると、火の粉が再度周囲に撒かれ、炎の勢いを増しながら軌道を変えてまた新たな火蜂へと突き進む。

「ギギギギギ?」

「ギィィィィィ??」

 気が付けば、日鉢さんが放った火矢は三体の女王を包囲するように旋回していた。

 女王の付近には火の粉から生じた何匹もの火蜂達が停滞している。その中を火矢は何度も円を描くように渦を巻く。

 炎の形作る軌跡が、女王達を赤い檻へと閉じ込める。

「ジジジィィ!?」

 包囲の突破を試みようとした女王を火蜂達が許さない。触れると女王の灰色の体表が赤く焦げ上がり、煙を上げる。

 女王達の苦痛の悲鳴も火矢が残す轟音によってかき消される。

 女王は、動けない。もはや火矢と呼ぶには生温い炎の監獄が、女王達を覆い尽くす。

 炎の螺旋はだんだんと狭まっていき——

「————サイ!」

 真なる女王の号令により、豪炎と轟音を上げながら、超極大の火柱となって天を貫く!

 煌めく火の赤は、灰色の怪異達を瞬時の内に蒸発させる!

 ——うわっ!

 飛来した熱風に思わず呼吸を止めて腕で顔を覆う。

 今際の絶叫すら焼き尽くす火の塔は、たった十数秒間苛烈に燃え上がっただけで、ポッと、無数の小さな火蜂となって消えてしまった。

 突然の変化に目をみはるも、そこに存在したはずの三体の女王はもとより、生えていたはずの草木の姿もない。あるのは黒く大きくえぐれた地面だけだ。木も葉も、火蜂達以外には何も存在しない空間が出来上がっていた。

「オイ、東雲。分かっただろ? 人間一人でできることなんざたかが知れてる。だから俺達がいるんだ。口開けてボサッとすんな。するなら俺が気付かねえようにしろ」

 ——は、はい!

「さっきまでサボりまくってた人にだけは言われたくない台詞よね、リーゼちゃん?」

 日鉢さんが繰り返し放つ火矢が残ったヒトガタに突き刺さる。

「俺のはただの見回りだ。たまたまそこに誰もいなかっただけだ」

 国司さんは片手片足の不安定な格好で短槍を目一杯長く突いたかと思うと、ヒトガタの体躯を駆け上がり、上空へ飛びながら下方へと槍を突き出し、着地すると同時に地を這うような低い姿勢で灰色が埋め尽くす空間を駆け抜ける。

 水が流れるように自然で、風が吹くように自由自在に縦横無尽に戦場を走る。その手に持つ短槍が微かに、しかし確かに輝き、一体一体着実にヒトガタを屠っていく。

「お二人とも! 何度も言わせないで下さい! 少しは萌の気概を見習ったら如何ですか!?」

 リズさんがどうしてか怒ったように返事を返す。

 リズさんは国司さんとは違い、鋭いステップで緩急をつけながら動き回り、<氷の貴婦人>を振るう。

 国司さんの我が道を行くような体捌きとは真逆に、ステップの距離やスピード、方向を変えては大剣を振るう。左手を鍔に近い柄縁に添えながら、右手で柄頭を握る左構えでの大ぶりな斬撃を見舞ったかと思えば、その右手を今度は刃の無い刃元に添え、コンパクトな連撃で敵を追い詰めて、数の差をものともせずにヒトガタを追い詰め、確実に仕留めていく。

 形無い構えから自在に放たれる国司さんの槍と、

 様々な構えから緩急をつけた足運びで防御すら攻撃への布石と言った決して途切れることの無い連続攻撃を放つリズさん剣——

 どちらが凄いかと比べてば国司さんの槍だと思うけど、人のことを言える程の技量を僕は持ち合わせていない。けれどやっぱり国司さんの槍は僕が見た中で一番(お師匠様を除いて)別格だ、リズさんよりも上だと思う。

 でも僕はリズさんの戦う姿から目が離せない。

 リズさんの周りを蒼い閃光が取り巻いている。振るった刀身の跡をなぞるように現れるそれを、リズさんはヒトガタの刃を止める盾や自分を守る壁として使う。

 様々な蒼の中、蒼と白のドレスと白銀の甲冑を着込んだ女の子が一人、身の丈を越す大剣を操り怪異を戦っている。

 その姿は踊りと呼ぶには荒々しく、闘いと呼ぶには華々しい。

<氷の貴婦人>——リズさんの剣の銘を思い出す。

 この剣舞こそ蒼い大剣を奮う貴婦人のあるべき姿なのか——……。

 僕はその光景に、いやその光景の中心にいるリズさんに見惚れていた。

「東雲ェェェ!! バカ野郎が! 今日の給料半額だ、このヤロウ! さっさと加勢に来やがれ!」

「言出屁が半分にしてから東雲クンの取り分を負担するのが筋ってもんでしょ!? 部下の不始末は全部誰かさんが取るんですよね、巌サン!? さもないとこの場で全部の髪の毛、燃やしちゃいますよ!?」

「萌! 君はそこで周囲を警戒しながら休んでいろ! こいつらは私達が仕留める!」

 ——まだ、戦えます!

 よろける体に力を入れ、何とか立ち上がると両手を、<獄焔茶釜>の柄に添えて握り込む。

 ——あれ……? さっきと違う。

 さっきまでは眩しいほどに激しく緋色に発光していたのに、今では(多分これが刀の本当の色だと思うけど)、刃の銀と鎬の黒、そしてその間に波打つように揺れる淡い波紋が浮かび上がるだけだ。

 緋色の光は注視しないと気付けないぐらい微かな粉となって刀から浮かび上がっている。

 僕は首を左右に振って、湧き上がる雑念を払い出す。

 ——それでも僕は、前に進むんだ!

 刀の変化を頭の隅にやって、<獄焔茶釜>を右蜻蛉に取り、痛みを押し殺して前に走り出す。

 未だ残る一体の女王と、その親衛隊の全てを斬り倒すために。そう、<氷の貴婦人>を振るうリズさんの元へと。


 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


「う〜ん、う〜ん。う〜ん〜」

「何だ、詰まってんのか?」

 戦が終わり、ようやく私達は帰路につくことができた。

「酒が飲みてえんなら祝勝会にでも参加してくりゃいいじゃねえか」

「そんなことじゃなくてですね……。やっぱ逆ですよ、逆」

「あン? まあ俺が担ぐべきだろうが、本人がやりたいってんならいいだろ」

 日鉢殿は私が萌を背負っていることに不満のようだ。

 全ての怪異を消滅させた後——萌は糸の切れた人形のようにぷっつりと倒れ込んだ。

 失血のせいで意識を失ったのかと慌てる私をよそに、彼は安らかな寝息をたてながら眠ってしまった。

 彼の『刀』と急激に同調してしまったせいだろう。

 彼の甲冑を脱がせ、傷の手当を終えた頃には遠くの各所から戦闘の終りを告げる勝利の雄叫びが聞こえてきた。

「そっちじゃなくてですね、逆なんですよ逆。東雲クンがリーゼちゃんをおんぶしないと様にならないと思う訳ですよ、私は」

「面倒臭えなぁ。何時も言ってる男女平等は何処行った?」

「分っかんないかなー。お約束ってかロマンですよ、ロマン」

「おっさんの俺が女のロマンを分かっちゃいかんだろ」

「歳いってんですから分からないといかんでしょう、ね?」

「私に振られましても、困ります」

 萌はすやすやと安眠している。時々むにゃむにゃう〜と口を小さく動かしているが、眼鏡をかけている今では聞き取れない。

 思ったよりも軽い、それもそうか、彼の刀と甲冑は国司殿が運んでくれている。

 道はまだ長い。だが彼をきちんと連れて帰るだけの力はまだ残っている。

 瞼に焼き付いて離れない、彼の斬撃が。

 周囲だけでなく、頭上をも覆い隠すヒトガタの群れ、自分の命を狙う刃の嵐——そんな絶望と死しか見えない中で彼が見せた斬撃だ。

 十一回の一連の剣撃、いやあの連撃全てが彼にとっては刀の一振りだったのかも知れない。

 あの光景が忘れられないのはもとより、それ以上に気になることがある。


 彼は言った。あの人と同じ言葉を。


「そいやこの眠り姫は結局どうすんだ?」

「寮生活でしょうし、学園まで運べば何とかなりますよ。あ〜、でも夜の門限破るのってガミガミ言われるんだっけかな〜?」

「おいおい、こいつは公務しごとで遅れたんだぞ。嫌味言われる筋合いはねえだろ」

「そーんな事情関係ありませんって。ま、大人しく怒られちゃって下さい、我らがボス」

「萌は寮住まいではありませんよ、お二人とも。長屋に住んでいると言っていました」

「んな訳ないでしょ? 外から来た学生が住めるように寮がある訳で——あ〜そっか……東雲クン参組だったか。わざと寮に入れて貰えなかったのね、きっと」

「長屋つっても、鍛冶通りにも政庁通りにもあるぞ。一体何処の長屋だ?」

「そこまでは、聞いていません。そうですね……、今晩は修道院の私の部屋に泊めようと思います」

「ブーーーーーーッ!」

「こらまた……」

 日鉢殿が盛大に吹き出し、国司殿は口をあんぐりと開けて私を見る。

 私の部屋は修道女以外立ち入りを許されない禁域エリアにある。萌を招き入れるのは褒められたものではない。

 しかし客室はシャルロッテ達で満杯だ。萌の傷の具合も気になる。ロザリオの治癒が効き過ぎるのだ。やはり私達三人の中で萌だけが狙われたのと関係がある。

「凄えな、最近の尼さんは。寝てる相手を連れ込んじまうのか。歳だね、俺も」

「ウ〜ン、流石のお姉サンもそこまでの肉食っぷりは賛成できないわね。でも若い二人のことだもの! お姉サン応援するわ! ウン、東雲クンはおいしくごちそうさまされちゃう運命なのよね、きっと!」

 急転直下、お二人が全力で納得してくれる。むむむ、何が何やら。

 萌がもぞもぞと体をくねらせる。彼がコテンと私に頭を預けてくる。軽く頭同士がぶつかってしまったが萌は起きる様子がない。

 足を止め、彼を起こさぬよう担ぎ直す。

 しょうがない奴だ、そう頬が緩む反面、負けてなるものかと強い敵対心が湧いてくる。

 今はまだいいか。この心地良い温もりと重さを感じられるのだから。


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