放課後: この道の先に [須佐政一郎]

 空は変わらずの曇り模様だ。雲の切れ間から、夏の日差しが差し込んでいる。風の一つでも吹いてくれれば爽やかな夏の日と言えるだろうか。

 学園の塀を一つ隔てた校庭では、学生達が防具を身につけて竹刀や竹槍を手に稽古に励んでいる。

 竹同士のぶつかる音は、気迫の声にかき消されている。見ているこちらまで汗が出てきそうだ。

 近づく昇部祭の予選日、異例とも言える政庁への夜間警備の協力——武に生きる者を目指す学生諸君には大きな起爆剤となっているのか。

 それに加え、皇国護鬼の鳳珠がこの島を訪れている事実が広まれば、一体どこまで学生諸君のやる気は高まるのか? 私としては熱中症で倒れることがないのを祈るばかりではある。

 もっとも、当のご本人は政庁の資料保管庫に朝から篭っていたかと思えばふらっと消えてしまったようであるし、鳳珠がこの島に来たなど突然言われたら何の冗談かとしか思わないだろう。

 思考に陥りかけていた私を、学生達の気合の雄叫びが現実に引き戻す。

 この時期には政庁の政務室でも窓を開ければ聞こえてくる。頑張っている学生諸君には申し訳ないが、やかましいことこの上ない。

 私が学生として鳥上学園に在籍していた五年間、武術や剣術はからきしダメだった。

 昇武祭の参加種目は勿論、弓術だ。他の種目と違い怪我を負う危険がほぼない。この日まで持ったことのない弓を持ち、見よう見まねで矢を射る。最低の酷い射だ。それを五年間、毎年繰り返していた。

<思い出す>——いや、思い出してしまう、否が応でも——……

『政一郎君のそういうところ、直した方がいいって思うけどな、私』

 そう言われても根っからの文官気質は五年やそこらでは変わらないものだ。

 頭を上げ、古ぼけた建物(これを校舎を読んでは失礼だろう)の最上階の窓を見る。

「ふわっはっはっは! どうしたどしたー! バッチこーいシャルちー!!」

「きゃーきゃー! シズちゃん、助けて下さ〜い!」

「……ん……?」

「おっ!? 静っちも来るか!? こいこいこーぃ!!」

 静さんとシャルロッテ嬢と、あれは誰だ? まるで透明な人間が制服を着て長棒を握っているかのような出で立ちだが……。<思い出す>、二人のクラスメイトの百地透子か。書類には<透明化>とあったな、なるほど。

 教室の廊下で長棒を使った稽古か。せいぜい突く、引く、払う程度しかできまい。稽古場としては下だ。

 仕方無い。運動場、屋上、体育館、武道館と言った場所は人数の多い部が占領している。少人数の同好会は自然空いている場所を見つけて活動をするが、参組の人間がいるとなるとそれに加え他者から妨害されない場所との制約も加わる。

「ふぅ」

 何はともあれ、学友と共に励むのは良いことだ。留学生との交流も順調なようだ。

 しかし、彼女達は三人か。引っかかるな、三と言う数字が。まさかとは思うが三対三スリーオンに出場する気ではあるまいな?

 昇武祭本戦は政庁の管轄だが、予選は学園の管轄だ。万が一があっては困るのだが……。

「また頭痛の種が増えたな」

 学園から離れる前にもう一度彼女の姿を瞳に収め、私は中央広場へ足を向けた。


 息が上がっている。学園裏手から中央広場へ歩いただけなのにこのざまだ。歳か、日頃の運動不足か、その両方か。

「抜けている」

 心中の思いが口から滑る。私が言うのもおかしいが、警備の者達が抜けている。いや、浮かれていると言うべきか。

 私がやってきた中央広場は文字通り島の中央に位置する。本来ならば、祠が一つある以外は何も無い野原だ。

 非常事態の今では土嚢を積み柵を作り櫓を建てて陣地を敷いている。簡易ではあるが野戦砦の程を成している。対ヒトガタ、対黒騎士のため、中央から各地へ増援を送るためだ。

 政庁は島の入り口である南端に立っており、島の隅々へ増援を送るには地理的に難しい。島の出入り口を押さえる点では要地ではあるのだが。

「ふぅ」

 無理もない。我々を手こずらせこの島を引っ掻き回した黒騎士達を、の活躍で倒したのだから。

 それだけならば壱係が功を鼻にかけ、弐係とぶつかり合うだけで済んだものだが、それに鳳珠の登場が加わってしまった。

『あの皇国護鬼の相手を我々が倒した』——そう局の者の大部分は考える。故に、抜けてしまう。

「カッカッカ、お若いのに溜息とは感心しませんぞ」

「そう仰られる高木翁こそ関所を抜け出してこんな所に何用ですか?」

「何の何の。噂の鳳様に会おうと心当たりを回っておるのですが、空振るばかりでしてな」

 この島に来た目的も意図もいまいち掴めぬ御仁ではあるが、何分人気は高い。

「何を話されるのですか? 立場上、機密の多い職務に就いておられるのでは?」

「湿っぽい話なぞいりませぬぞ。日ノ本一と謳われる居合の妙技をこの老骨で味わいたいのですが、会えぬことには死合いは申し込めませぬな」

 高木翁が枯れた声で笑い声を発する。周りにいた警備の者が何事かとこちらを振り向く。

 覇気がない。

「惚けとりますな。仕方ありませんかのぅ」

「『皇国護鬼が倒すはずだった黒騎士を我々が討ち取った』ですからね。浮かれていない私の方が珍しいですよ」

「戦の緊張は勝利を味わうとぷっつりと切れてしまい、また戦えるようになるまでは時間がかかりますからのぅ。今ここを襲撃すれば儂ら二人でも落とせるかも知れませぬぞ」

 カッカッカと高木翁は高笑いするが、私の頭はその分痛くなった。

「物騒なことはお止め下さい。上に知られたらことですよ」

「後先短いこの命、死に花を咲かせられれば良いではありませぬか、のぅ政務官殿?」

「は、はぁ……」

 同意を求められても大変困る。

「儂は青江の屋敷へ参りますが、政務官殿は研ぎ屋ですかな?」

「いえ、黒騎士が討ち取られた鉱山の現場を直接見ようかと思いまして」

「ほう。何時もの指物が腰になく、袋に入れられておりましたので、てっきり。いけませぬか、諮問官としての職業病ですかな」

「ははっ、私の刀は研いでいようとも錆びていても変わりませんよ。それでは、鳳様と無事お会いできることをお祈りしています」

「カッカッカ! その時は線香の一つでも上げて下され!」

 高笑いして歩く老人を何事かと惚けた顔で皆が眺めている。

 私は左手に持っている刀袋に収められた一振りの刀を強く握る。

「意外とあっさりしていたな」

 袋を開けて見せろと言われるかと思っていたが、杞憂だったようだ。あのご老人と言えども皇国護鬼と言う言葉の魅力に乱されるところが多少あったようだ。

「ふぅ」

 鉱山の入り口までは起伏が激しく、遠い。私の体力が持つかは甚だ疑問だが、そこから更に内部へと潜らねばならない。それに加え警備にあたっている彼らの自慢話を延々聞かされるのにも耐えなければ。労をねぎらうのは当然ではあるが、壱係の人間と顔を会わせる度に朝から聞かされている話を繰り返されるのは気が重くなる。

 気が滅入ってばかりでは仕方がない。<思い出す>——何か好材料は無いものかと。

「どうやら私も浮かれていたらしい」

 私自身に溜息が出る。

 好材料などない。いや、関係無い。無価値だ。

 良しも悪しも私にはどうでもいい。

 私はただ歩く、私が行くと決めたこの道を。


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