昼: 古の神獣 [東雲萌]


「萌、付き合ってくれ」


 リズさんの放った一言で、僕の平穏な昼休みは終わりを告げた。

 昼休み、何時ものようにおにぎりを食べ終わり、水筒に入れてある冷めたお茶を一杯飲んでホッと一息ついてたら、その隙をつくように、リズさんが近づいてきて言った——『付き合ってくれ』、と。

 僕も皆も凍りついてリズさんを見つめたまま動けない。

 ——え、あ、あの、リズさん!? ちょっと!?

 昨日の修道院の入り口でのお返しだと言わんばかりに、リズさんが僕の手首をつかんで僕を教室の外へと連れ出す。

「うおぉぉぉぉぉぉー!?」

「キャァァァァァー!!」

 大爆発のどよめきを背に、僕達は教室を後にする。

 ——え、あの、リ、リズさぁ〜ん!?

 僕の抗議の声など耳に届いていないのか(当たり前だけど)、リズさんは僕を連れて廊下を歩く。

 リズさんの手、凄く綺麗だけど腕力も握力もやっぱり強いなぁ——て、あたたた!

 僕達は教室から離れゆくも、開け放たれた扉からクラスの皆のざわめきが聞こえてくる。

「うおぉー! あの二人何時からあんなことになってんだ、学級長ー!?」

「私もビックリだ。昨晩、夜警開始前の集まりでは何時もと変わらないよう感じたが……。人が恋に落ちる瞬間とは分からんものだ」

「そんなゆーちょーなこと言ってる場合じゃないでしょぉー! リズさんが告白こくったのって東雲君なんだよぉぉー!?」

「あ〜ん、リズさんの告白の仕方かっこ良かったぁ。『付き合ってくれ』、ガシっで引きずってっちゃうんだもん。あ〜ん、私もリズさんにあんな台詞言われた〜い」

「今頃東雲、校舎裏に連れてかれてんのかなぁ〜?」

「うぉぉ、マジかよ……俺の東雲が……」

「うらやましー、後で私にも言ってもらお〜っと」

「私も私も〜」

「アタシも——って、え!? ちょっとタンマ! 今、誰か凄いこと言った人いる!」

「あの二人の場合だと、ヴォルフハルトが萌ので、萌がヴォルフハルトので良いんだよな? なぁ、西田?」

「ん〜、いやまー、キャラ的にはそっちっぽいからなぁ。志水の言う通りなんじゃん?」

「……昨日、見た……」

「ん?」

「お?」

「青江さん?」

「……リズちゃん、昨日東雲君とスゴイことしてた……」

「すごいことぉぉぉぉぉぉーーーー!?」

「あっ、あっ! ダメですダメですよ〜、シズちゃん。あれはリズさんのイケナイ秘密なんですから、誰にも言っちゃダメですよー!」

「イケナイ秘密ぅぅぅぅーー!?」

「うおぉぉぉぉ、何じゃそりゃぁぁぁぁーー!」

「キャァァーー! スゴーーーーッ!」

「リズさん大人だ……超大人……」

「後で色々教えてもらお……」

「アタシも……」

「舞衣、鼻血とヨダレ垂れてるよ」

「ずぴ。あ、やば、机についちゃってる」

 ——リズさぁーん! 皆にすっごく誤解されちゃってますよぉ〜!?

 リズさんは周囲(と僕)の声を全く無視し、僕の手首を掴みながらズンズンと廊下へ、そして階段へと進み階下へと降りていく。

 僕は手首から伝わるリズさんの手の柔らかさと暖かさに、ただ歩いているだけなのに心臓がバクバク爆発しちゃいそうになっていた。


 皆のいる校舎を出て、昇武祭に向けて校庭で自主練に励む人達を横目に、僕はリズさんに引きずられ続けた。

 そうして行き着いた先は、図書室だった。

「——む?」

 図書室に入るも、休み時間なのに受付には誰も人がいない。それを不審に思ったのか、リズさんが首を傾げる。

 あ、あの〜、僕を引っ張ってることを不思議に思って——わわわっ!?

 リズさんは後ろに引く僕のことなど黙殺し、机が集まっているところまで来てやっと開放してくれる。

 うぅ〜ちょっと名残惜しいかも……。

 図書室には僕達の他に人の気配は無い。

 それを確かめるようにリズさんがあっちの本棚を見に行って、こっちの奥の本棚の列も見に行く。

「誰か? 誰かいませんか?」

 リズさんは今度は声をかけながらもう一度、本当に誰もいないのかを隅々まで見て回る。

「いないか……」

 ——みたいですね。

 この時期の図書室は人がいないことが多い。試験は終わったし、授業はやってるけど昇武祭に向けての準備期間みたいなものだ。文武一道を目指す鳥上学園、武の祭典があるからと言って文を疎かにできないのだ。

 でも、先生達も授業はするけど課題は出さない。昼休みとかの休み時間は、校庭や廊下や空き教室で、部活や自主練に励む人ばっかりだ。

 結果、図書室には誰も人がいなくなる。受付係になってる人っているんだろうけど、稽古中なんだろうなぁ。

「納得できーーーーん!!」

 ——はひぃ!?

 リズさんが僕の前の木机を両手で思いっきり叩く。

「萌ッ! 君もそう思うだろう!?」

 ——えぇと、僕は今のこの状況が全く理解できてません……。

「見えているぞ、萌ぇ……!」

 ——あわわわ、何時の間に眼鏡外してたんですかぁ〜!?

 リズさんが真っ赤な瞳を大きく見開いて僕を睨む。

「昨晩の話だ。君は——須佐政務官の言ったことを信じるのか?」

 ——昨晩の……? あっ!?

 この島の地中に<八岐大蛇>がいるって話かな。

 ——ええと、僕、もしかしたら、もしかしちゃうかもって、思っちゃいました……。一瞬だけですけど……。

「私もだ。何百年と信じられてきたことが嘘であり、それを隠し通せるのが可能なのか、とな」

 えぇー!? それは、そうなんですけど……。そうじゃないんです、うぅ、つっこみたいけどつっこめない。

「私がここまで憤っているのは管区長殿のことだ。昨晩のあの話ぶり、もしあの話が真実ならば、管区長殿もご存知ということだ」

 ——そんな感じでしたね、エリザベートさん。

「あの後、ことの次第を問いただしたがのらりくらりとかわされてしまった。私の考えでは、お二人とも真実の隠蔽になんらかの形で関与した者の末裔だろう、と思う」

 ——リズさん、話が飛び過ぎてません?

「無茶なのは私自身分かっているつもりだ」

 リズさんは溜息をつきながらも、だがな、と続ける。

「封印には色々な種類がある。<原初の十種>のような最強クラスの怪異が相手ならば、『封印する』プロセスと、『その封印を維持する』プロセスが最低でも必要になるはずだ。二つと言わずに三つ、いや四つかも知れないが……」

 リズさんが考え込む。

「考えてもみろ、萌。この地に敷かれている『存在強化』の結界も、その実は『封印を強化するための』結界なのかも知れないのだぞ?」

 ——あ、そうか。そう言われれば。

 うーん、と僕は唸ってしまう。

「須佐政務官の一族の須佐家は代々この島を統治する要職に就いているそうではないか。つまりそれは、」

 ——つまりそれは、『封印を維持する』ために必要な恩寵を須佐さんの家が受け継いでいるってことですか?

「そうだ。それに、万が一のためにも『封印していること』を誰かが知っていなければならない。この島——いや、この国のために必要な恩寵を持っているからこそ、発言力や影響力が増し高い地位を得るようになる——よくある流れだ」

 強引な推理だけどリズさんに言われちゃうと納得しちゃうなぁ、僕。

 ——でもリズさん、エリザベートさんがどう関わってくるんです?

「そこだ。そこだよ、萌、私が言いたいのは。流石は萌だな」

 リズさんがウムウムと何度も頷く。えぇ〜と、リズさんの中で僕の立ち位置ってどうなってるんだろう?

「私達聖コンスタンス騎士修道会は五つの管区に分かれて活動している。この鳥上島は、その中の一つ、極東管区に分類されている。ところが、その極東管区に属するのは、修道院が一つ、人員がたったの二名だけだ」

 山ノ手の教会、じゃなくて山ノ手の修道院と、リズさんとエリザベートさんのことだよね。

 ——それって少ないんですか?

「少ない。異様なぐらいだ。三十の修道院、三千を超える修道女が全管区の持つ戦力だ。私が日本に来る前にいた修道院は欧州西管区に属していたが、それの長たる上級騎士の修道院長でさえ、管区の長である管区長とはおいそれと会話できる関係ではなかった。本来ならば、一介の下級従士が管区長と言葉を交わすなど考えられん」

 僕はそっちの方が暖かい感じで良いと思うけどなぁ。リズさん真面目だから気になっちゃうのかな。

「この島から見てもそうだ。何故この島に聖コンスタンス騎士修道会の修道院があるのだ? この島には国にとって重要な鍛冶技術があるのだろう? ならば極力異物は排除すべきだ。私達の修道院は島内ではなく、島外になければおかしいではないか。しかも修道院なのだぞ」

 ——リズさん、その、教会と修道院の違いって、僕、良く分からないんですけど……?

 僕の知識では、どっちも聖教を信じる人達がいる建物で、修道院がリズさんとエリザベートさんのいる方ってことぐらいしか違いが分からない。

「呼び方の違いと言うのは、ある意味で些細な問題だ。聖コンスタンス騎士修道会は、怪異から人々を守る剣となることを誓った修道女達の集団だ。その地域のコミュニティが『教会』と呼ぶのであれば声を荒げて反論するのは相応しくない」

 大切なのは守り手たる姿勢であるからな、とリズさんは付け加える。

「さて『教会』と『修道院』がどう違うのかと言うと——この島に来る際、関所の方に同じことを問われ永遠一時間程喋ってしまった。今はそんなことをしている余裕はないのだが、それでも聞きたいか?」

 ——いえ、あの、その、じゃあ二行でお願いします!

「二行?」

 僕の無茶なお願いにリズさんが首を傾げ、二行、二行と呪文のように呟きながら、顎に手を当てる例の考えるポーズを取る。

「そうだな……。教会とは、『信徒ではない者も受け入れて祈りを捧げる場』だ。対し、修道院とは、『信徒の中でも特定の戒律に従って自分を律する修道士達の生活の場』だ。うむ、強引だが、萌の希望通りに違いを二行でまとめるとこうなるか」

 ——わー! 流石リズさん! 今の一分もかかってませんよ! も〜、脅かさないで下さいよぉ〜。一時間もかかるなんて言われてビックリしちゃい————すいま、せん……。

 うわ〜ん、怖いよぅ。僕が余計な一言を言っちゃったせいでリズさんがテレジアさんになっちゃったよぅ。

「萌、話を進めて良いか?」

 ——は、はい! あれですよね! 山ノ手の教会、じゃなくて、修道院が島内に建っているのがおかしいって話ですよね?

「ああ。ここは修道院一つだけで、一つの管区とされているのも不自然ならば、その管区の長がこの島最大の秘密知っているのも不自然だ。<八岐大蛇>の封印に何らかの形で関わっていた者がいるのだろう、聖コンスタンスの名を冠する何者かが」

 僕はそこでこの島に伝わるある伝承を思い出した。この国の子供なら誰しもが聞かされ、思いを馳せたことがある有名なお伽話だ。

 ——じゃあリズさんはあの伝承に登場する『西方からの賢者』がリズさんとこの修道院の人だって言うんですか?

「その通りだ、萌。『封印する』プロセスで大きな役割を担っていたのなら、飛び地であるこの地に我らの修道院がある理由もつく」

 昨日の話を思い出す。あの内容が本当なら、リズさんの言う『封印するプロセス』って、『岩を喚び出して、下敷きにさせた』って言うあれなのかな? うぅ、僕にはスケールの大き過ぎる話だよぅ。

「そう思い、昨日、夜警の任が終わった後に院内の図書室をあさったのだが、何も分からずじまいだった」

 ——えー!? 終わったのって、日付が変わるちょっと前ですよ! あまり寝てないんじゃないですか?

「気がついたら朝の礼拝の時間だったから、君の言う通りだな。安心してくれ、頭はきちんと回っている」

 リズさん、それって徹夜しちゃったって言うんですよ……。

 ——でも、何も無かったんですよね? 何時頃建てられたとか、そういう記録もなかったんですか?

「何も無かった。目ぼしい書物と言えば、各種聖典、外典、祈祷書、一週間で良く分かる日本語会話の英語・ドイツ語・イタリア語版、後はエリザベート管区長殿ご自筆の長編恋愛小説七冊だな。くっ……、管区長殿のことだから暗号でも文中に仕込んでいるのではと何度も読み返してしまった自分が情けない……!」

 リズさんが拳を震わせながら恨み節を口にする。

 リズさんがこんな風に怒るなんてどんな内容だったんだろう? リズさんとエリザベートさんの人柄を考えたらな〜んとなく分かっちゃう気もするけど。

「文章が存在するとすれば、地下の小礼拝堂か管区長殿のお部屋だな。私の想像通りなら代々の極東管区の長のみが知るべき情報であるから、管区長殿のお部屋だろう」

 ——エリザベートさんの部屋って入れないんですか?

「無論だ。鍵が常にかかっている。院内の清掃の際にも管区長殿のお部屋と地下の小礼拝堂には立ち入るなと言われている」

 ならエリザベートさんに協力して貰うか、鍵をどうにかするしかないのか。

 うーん、リズさんが問いただしても答えてくれないってことは協力はしてくれなそうなのか。鍵を破るって言うのもなぁ。古い建物だけど、中に大事な書物があるのなら普通の扉じゃない気がするし。

「他には政庁内にありそうではあるが——私達がおいそれと調べられる訳もない。となれば——」

 リズさんが右手の人差し指で周りをぐるっと指し示す。あ、な〜るほど。学園の図書室で情報収集か。

 でも、それなら『付き合ってくれ』じゃなくてもっと言い方があるような?

 ——そんなに急がなくても良いんじゃないですか? ヒトガタは確かに島中に出続けているみたいですけど、黒騎士さんとあの子は昨日討ち取られたみたいですし。クラスの皆、リズさんが昇武祭で活躍するの楽しみにしてますよ?

「甘い、甘いぞ、萌。大甘だ。君は今、まさにこの時、<原初の十種>の上に立っているんだ。安心などできないはずだ」

 話が僕の理解を超えちゃってて実感があまり沸いてないせいかな?

「それに、だ。倒されたとされた<八岐大蛇>が生きているかも知れないのだぞ。昨日討ち取られた黒騎士達が生きていても何の不思議はあるまい」

 ——それは、そうですけど……。

「私の考え通りならば異端審問局の者達だ。だとすれば大事だぞ、萌。異端と断じれば地の果て、海の底まででも追いかけて殲滅執行しに来るはずだ。一度や二度の失敗で諦めるものか」

 ——そっか。黒騎士さん達の狙いが『死んだはず』の<八岐大蛇>の討伐なら、別の人がまたやって来るってことですね。

はいらないと思うが、そうだ」

 ——うーん、だったら勝算があったってことですか?

「いや、無いだろう」

 リズさんはさらりと言う。

「彼らの目的は、まぁ宗教的なものを除けば、威力偵察だろう。<八岐大蛇>を封印から解き放ち、どのような力を持っているのかを探り、可能ならば殲滅するつもりだったのだろう。封印から解き放つだけでも任務とすれば完了だろうな。何せ死したはずの<原初の十種>が生きていた訳だ。それだけで日本と言う国に大軍を送り込む大義名分になる」

 リズさんの渋い顔が続く。

「この国が持つ恩寵兵装の錬成技術は高い。戦のどさくさに紛れて刀鍛冶の職人を攫おうと考える不逞の輩は大勢出るだろう」

 ——昨日聞いたことが確かなら、土の中に埋まってるんですよね? それを解放するってなったら、上にいる僕達はどうなっちゃうんですか?

「無傷ではすまないだろう。が、そんなことを気にする人達ではあるまい」

 リズさんが少し悲しそうに、そして恥ずかしそうに答える。

「彼らにとって異教徒の生命など最初から勘定に入ってはいないだろう」

 さらりと怖い答えをリズさんがする。

「異端の抹殺を至上と考える集団だ。そこに至る過程でどれだけの血が流れるかを気にしはすまい。この島の人が大勢犠牲になろうが、怪異を殲滅できればより大勢の人間が幸せになる——そう言う算段だ」

 リズさんの言葉には何時ものキビキビとした覇気がない。

 リズさんもあの二人と同じ聖教の信徒なんだっけ。宗派は違うんだろうけど、変な色眼鏡で見られるのは嫌だよね。警備の人達から色々とあれこれ有る事無い事聞かれてたみたいだし。

 うーん、僕も色々と言われてきたなぁ、子供の頃からずっと。

「萌——?」

 でも、リズさんのは無責任な言いがかりだけど、僕のは全部本当だったんだよね。無能、劣等者、人殺しの子供、お前がいなければ僕のパパは今でも——……

 ——あ、すいません、考え込んじゃって。えーと、何の話でしたっけ?

 いけないいけない、ボーっとしちゃってたぞ。徹夜で起きてたリズさんが頑張ってるんだから、しっかり寝れた僕がさぼってちゃいけないぞ。

 そんな僕を、どうしてかリズさんがとても苦しそうな顔で見ていた。

「あ、いや、その……だな——そう、そうだ、君をここまで読んだのは<八岐大蛇>に関する情報をできるだけ集めたいと思ったからだ。人手が多い方が調べ物は捗る。そもそも私はこの国の神話に登場するヤマタノオロチすらあやふやだ。君と私は同じ秘密を知ってしまった仲だ。余り手間は取らせない、君さえ良ければ——」

 ——あ、はい。いいですよ、勿論です。

「そ、そうか」

 ——ん〜なら、『歴史』の旧史と現代史ですね。後は『怪異学』……そうだ、『郷土史』も絶対外せませんね! ええっと本の地図は……。

「萌、図書の分類図ならここにあるぞ」

 ——ここと、ここかぁ。

 思った通り、バラバラに離れてる。

「君は『歴史』を頼む。私は『怪異学』を引き受けよう。『郷土史』は二人掛かりで調べよう。何せこの島の根底を覆すような嘘を数百年もつき通したんだ。一人だと見逃してしまうかもしれない」

 ——はい! じゃあ気になった本があったらこの机まで持ってきますね。

 本棚へと歩いていくリズさんの横顔にはさっきまでの憂いの色は消えていた。

 けれど僕には、そう思わせようと、リズさんが心を押し殺しているようにも見えた。

 リズさんにあんな顔をさせちゃったのって、僕のせいなんだろうな、ってことが、重い枷のように僕の心を縛り続けた。


 ——よいしょっと。

 掛け声と共に持ってきた本を置く。

 僕とリズさんが集めてきた本で机の上はほとんどいっぱいだ。

 机の本を見てると思っちゃう、こういうのにも性格って現れちゃうのかな〜って。

 僕が集めてきたのは、『一から分かる日本書紀と古事記』とか、『日本史大全、日本の旧史』とその現代版とか、さっと読めて概要が掴めそうな本ばっかり。

 リズさんは、『怪異継承学:親から子への変異能力遺伝に関する一考察』とか、『原初の十種とされる怪異群とロストエイジ』とか、あ、こっちは——『怪異の定義とその全容、佐藤羊一から藤崎徹まで』……えぇと、この人達って誰ー!? 題名から察するに、日本の怪異に関わる研究の偉い先生達なのかな?

 うぅぅ、レポートの課題にならないと読まなそうな本ばっかりだ。でも、今の状況を考えるとリズさんの選び方の方が正しいのかも。僕、間違っちゃったかなぁ。

「よし、このくらいで良いか。あまり集めすぎても読むのが面倒だ」

 そう言いつつリズさんがズドンと新しい本を今ある本の上に積み上げる。えぇぇ、まだ増えるんですかぁ……?

「次は本番の『郷土史』を調べに行こう」

 ——確か、あまり本がないんです、他のコーナーと違って。とりあえず行ってみましょうか。

 壱年生の時にこの島と学園の成り立ちについて調べたから覚えてる。上級生の人達から鉛筆とか、目に見えない力の塊とかをぶつけられて周りの人達にも迷惑をかけちゃって暫く出禁になっちゃった。やっぱり図書室は静かなのが一番だ。あ、リズさんと喋りっぱなしの僕が言ってもダメか。

 僕達は『郷土史』の棚に辿り着くも、

「少ない、な……君の言う通り」

 他と比べると棚のほとんどは空で、本は僅かしかない。

 ——<八岐大蛇>討伐関係の本も意外に少ないんですよね。詳しく調べるなら、これです!

 一番下の列に置かれている大型本を取り出す。

「ふむ。この島で発行されている新聞か?」

 ——新聞、って立派なものじゃなくて瓦版って言う簡単な情報誌です。

「ふーむ——……何? 何だ、これは。『屈辱! 壱年参組の学生に本戦出場を許す!』だと?」

 わ、リズさん凄い。大豪寺君の記事をピンポイントチョイスだ。

「日付は去年——このイラストは大豪寺か。全く、何だこの論調は。まるで私達参組の人間が昇武祭の本戦に参加してはいけないみたいな書き方ではないか」

 ——はい。でもリズさん、これを読んだ上級生の人とか壱組や弐組の人達はものすっごい悔しいんだろうなぁって思いながら読んでみたら印象が変わりません?

「む——? なるほど、言われてみれば……確かにそうだ」

 僕の意地悪な提案にリズさんが納得の頷きで答えてくれた。

「私はこちらの瓦版を机まで運んでおく。萌、君はこの島に人が生活しだした頃の記述がある本と、修道院、ではなく、山ノ手の教会がどういう経緯で建てられたかを書いている本を探しておいてくれないか?」

 ——はい。

 リズさんが重そうな瓦版の冊子を三冊、ひょいと担ぎ上げて机の方へと消えていく。

 僕は一人本を探す。

 この島に入って町を築いてきた頃のことが書かれた本は去年調べて探したから覚えてる。貸し出されてないといいけど——……あ、あった、あった、全部ある。

 僕は目当ての本三冊を抜き取り、棚の空いている箇所に置く。

 ——う〜ん……教会のことなんて書いてないよなぁ〜。

 本の目次を確認し、ページをパラパラとめくる。う〜ん、昇武祭とか鍛治とか刀の話なら幾らでもあるんだけど、教会のことなんて何処にも書いてないっぽい、やっぱり。

「どうだ、萌、見つかったか?」

 戻ってきたリズさんが声をかけてくれた。

 ——う〜ん〜……教会関係の本は無いかもです。あ、修道院です、修道院。

「ふふ、無理に言い直す必要はないぞ」

 ——思ったんですけど、『郷土史』じゃなくて『宗教』のところなら何かあるんじゃないですか?

「いやな、萌、以前図書館に来た際に『宗教』の棚は少し見た。あるのは神道や仏教の本ばかりだったよ。聖コンスタンスに関する書籍が一冊もなかったから、あの修道院のことを書いた本はないだろう」

 そうなのかなぁと思いつつも、リズさんが言うならそうなんだろうなぁ、と僕は納得してしまう。

 ——じゃあ、

 続けようとした言葉を、昼休みの終りを告げる振鈴が遮る。

 どうしよう? 集めた本を全部借りるとなると大変だ。そう思う僕に対しリズさんは僕の選んでおいた三冊の本を手に取りながら言う。

「萌、付き合ってくれてありがとう。君は教室に戻ってくれ」

 ——えぇー!? リズさん、授業はどうするんですか?

「不本意ながら休むつもりだ。いや、サボる、だな。留学生の身で過ぎた行動だとは思うが、須佐政務官の言ったことが本当で、しかもそれに教皇庁が関知しているとなると、下手をすればこの国と欧州とで戦争だ。現代の十字軍を止められるのなら私の授業時間など安いものだ。遅くなっても夜までには終わるだろう」

 そっか、僕なんかの想像よりももっと悪い大事になっちゃうかも知れないのか。

 急いで時間割を思い出す。五限と六限は、数学Bと現代史だ。

 ——あの、リズさん! 僕もお手伝いしますよ。一人より二人の方が調べ物ははかどると思いますし。

 僕の言葉にリズさんがむむっと眉をひそめる。

「しかし、あまり君を付き合わせる訳には……」

 ——も〜水くさいですよ、リズさん。夜警だって一緒にしてるし、この島の秘密を一緒に聞いた仲じゃないですか。ほら、そうと決まれば急ぎましょう!

「わっ!? ——全く、君と言う奴は。妙なところで強引なのは相変わらずだな」

 抗議の声を荒げるリズさんの両肩を後ろから掴んで前へと押し出す。

 えっへん、さっきの教室でのお返しです。

「そう、だな。萌、すまない。君の手を貸してくれ」

 ——はいっ!

 よし、っと気合を入れた僕だったけど、

「が、この両手はどけて貰えるとありがたい」

 ——え、あ、は、はい……。

 一気に出鼻をくじかれちゃいました……。はぅぅ、流石リズさんです……。


 五限目に入り、僕達は椅子に座って二人で集めた本を読む。

 自主的なサボりは人生初な僕は、一緒にいるのがリズさんなことも相まって、ちょっと、じゃなく、相当ドキドキしていた。していたんだけど……

「…………」

 開始十分も経たずに、僕って必要だったのかなぁって後悔してた。

 二人しかいない静かな図書室では、僕達がページをめくる音しかしない。

 ただ、リズさんが異常なまでの速さでページをめくり続けている。

 斜め読みしてるよりも速いペースでページをめくりまくっている。でもリズさんの性格的にしっかり読むと思うけど——

「どうした萌? 何か見つけたか?」

 僕の視線に気付いたのか、リズさんが本を読む手を休め顔を上げる。

 ——すいません、中断させちゃって。リズさんの読むスピードがあまりに速いんでビックリしちゃいました。

『本当にその速度で読んでるんですか』とは間違っても聞けない僕は小心者だ。

「ああ。文字を文字と認識するよりも画像とした方が脳の処理速度は速い。それに、」

 リズさんが持っていた本を持ち上げる。

「こう言った本の文章は何度も推敲されている。私ので見ると、筆者や編者の意図や論旨が浮き上がってくる場合が多い。速く文字を読むための訓練と私の恩寵を組み合わせた結果だ」

 そしてまたもの凄い速さで本のページをめくっていく。

 えぇぇ……? もしかしなくても、リズさんて凄い人……? 夜警の初日だって、僕なんか体が震えて何もできなかったのに、リズさんはあんな大勢のヒトガタと普通に戦ってたし。展開ができる恩寵兵装だって持ってる。

 もしかして完璧超人?

 こうして本を読んでいるだけでも絵になっちゃいそうなほど格好良いし、可愛い。

 隙がないから気高く見えるんだと思う。でも同時に、もっと肩肘張らなくてもいいんじゃないかなぁとも思う。

 あ、思い出した。リズさんに聞きたいことがあったんだ。

「私の顔を見ても何も書いてないぞ、萌」

 ——は、はい! すいません!

 僕のことを見ずに飛んできた叱責に、慌てて顔を手元の本に戻し、リズさんに聞きたかったことを心の中に押しとどめる。


『どうして日本に来たいと思ったんですか』、って。


「少し休憩しようか?」

 五限がそろそろ終わろうかという頃、リズさんから申し出があった。

 リズさんは本を机の上に置き、両目をつむって目頭を両手で何度も強く押さえている。

 なんだかこんな光景前にも見た気がする。

 ——リズさんの速読って言うんですか? 本当凄いですね。一時間もしてない内にこれだけの量を読んじゃうなんて。

「そう褒められるとこそばゆいが、訓練をつめば萌にもできるぞ。私の場合は半ば強制された形で習得した技術だが」

 ——強制って誰からですか?

「私の所属する組織、聖コンスタンス騎士修道会だ。元々、私に求められた役割は剣士ではなく偵察・斥候だからな」

 ——でもリズさん、大っきな剣でズバババーのシュビビビーだったじゃないですか?

「……。萌よ、君の言わんとすることが私にはさっぱり分からない。そうだな、こうして間近で君を見ると私の目には何が映ると思う?」

 ——え、えぇ!?

 リズさんが机の上に置いてある本に両肘をつき、僕の方へ身を乗り出してくる。

 リズさんの吐息が、僕の顔を微かにくすぐる。

 近い——近すぎです。

 後ろでまとめられた髪の中から、数本が額に流れ落ちている。透き通る白い肌と光る白金色の髪の毛が混ざり合い、図書室に差し込む夏の日差しを白雪のように反射して光輝く。

 リズさんの紅の瞳が、何時か見たお師匠様のそれと同じようにいたずらっ子のような色合いを帯びていて、一度目線を合わせたら磁石みたいに引き寄せられて動かせない。心臓が爆発しないのがおかしなくらい激しく脈打つ。

 息が届きそうな距離でリズさんと目と目を合わせている事実が、僕の頭を真っ赤に茹で上げる。

 全力を振り絞って必死の思いで目線を下ろすと——見えた、見えちゃった、見てしまった。

 身を乗り出すリズさんの微かに開いた襟元の奥、そこにあるリズさんの大っきな——

 ——わーわー! 僕の名前とか歳とかじゃないですかー!?

 死ぬ気で目を閉じながら、背もたれの限界を超えて思いっきり背筋を仰け反らせる。

「む……? まぁ、そうだ。他にも私と君との距離や、君の顔の向いている方位、髪や瞳の色彩値、それと君の肌の荒れ具合か」

 ——えー、そんなことも見れちゃうんですか!?

「いや、最後のは冗談だ」

 ——えぇぇ!?

 ふふふと柔らかく微笑みながらリズさんが元の体制に戻る。

「他にもあるが、普通では知り得ない情報が文字となって私には見えるんだ。これが君でなくシャルロッテを見たとしたらどう違うと思う?」

 え、違いなんかあるのかな? リズさん本人が言うからには何か違いがあるはず。性別、可愛さ、生まれた国とか——って、あ!

 ——僕の文字は日本語で、シャルロッテさんのは独逸語とかですか?

 話している内に、僕はゆっくりと落ち着きを取り戻していく。

「君の言う通りだ。だから私にとって、宙に浮かぶ文字を僅かでも速く理解する技術や異国の言語の習得は義務だったんだ。見えている文字が何を言っているか分からないでは意味がないし、文字を読むことに時間を取られて怪異にやられてしまいましたではダメだろう。その修練のお陰か、こうして日本と言う国において日本語で君と話ができているんだ。分からないものだ」

 リズさんは昔を振り返りながら微笑む。

 ——はい、リズさん質問です。独逸で生まれて仏蘭西フランスで育った人とか、独逸と仏蘭西の国境線上にあるものはどうなっちゃうんですか?

「それが実に難しい。全てドイツ語の人もいれば、逆にフランス語の人もいる。ドイツ語とフランス語の両方が見える人もいるな。ドイツ国領内なのにフランス語で情報を見せてくれる動植物もいる。逆もまた然りだ。私自身、何故その言葉を見せるのか、はっきりした答えがないんだ。困るのは両者が混在する場合だな。単語内でドイツ語とフランス語が混じり合っているのを見ると、私は新しい言語を目の当たりにしているのかと錯覚してしまうこともある。そう、言うなれば、ドインス語と呼ぶべきか……」

 リズさん、そこは普通に独逸仏蘭西語で良いと思いますよ……。リズさんのこう言うセンス、ちょっとずれてるような……?

 困惑する僕を余所に、リズさんは右手を顎に当てて真剣な顔つきで考え込む。『ドインス』語じゃなくて『フライツ』語の方が良かったかとか考えてないですよね、リズさん?

 政庁の鐘と振鈴の音が、図書室に響いてきた。今の時間は二時丁度、五限目が終わり、今日の授業は残り後一時間だ。

「もうそんな時間か。休憩にするのが少し早かったか」

 もっとリズさんとお喋りしてたい気もするけど、目的を忘れちゃダメだよね。

 ——リズさん、一旦分かったことをまとめちゃいませんか? 途中で六限目開始の振鈴が鳴っちゃいますけど、僕たちのペースでやりましょうよ。サボっちゃってるんですし、授業の時間通りじゃなくて良いと思いますよ?

 リズさんは僕の言葉に考え込んでから、

「それもそうか。では休憩はここまでにして、まずはこの国の神話に登場するヤマタノオロチから始めよう」


 ヤマタノオロチは日本書紀と古事記に登場する伝説の神獣だ。

 このお話の主人公、素戔嗚尊スサノオノミコトは、皇室の祖神の一柱とされる天照大神アマテラスオオミカミの弟だ。彼は神々の住む高天原たかあまのはらを粗暴な振る舞いのため追放されてしまう。

 放浪の末、彼はある場所へと辿り着く。

 その地には、八つの頭と八つの尾を持つ怪物が、一年に一度娘を喰らいに現れると言う。

 老夫婦と一人の娘が残っていた。七人の姉を怪物に喰われ、自らも姉達と同じ道を歩むことが運命づけられた娘——櫛名田比売くしなだひめだ。

 全ての事情を知り、櫛名田比売の背負った哀しみと美しさに心を打たれた素戔嗚尊はこう申し出る。

『私がその怪物を退治し、貴方達の悲哀を終わらせましょう。もし、櫛名田比売を私の妻とすることをお許し頂ければ——』

 老夫婦と櫛名田比売はその申し出を快諾する。

 素戔嗚尊は櫛名田比売を櫛に変えて自らの髪に刺し、怪物の目から隠す。老夫婦には、強い酒を満杯に入れた木桶を八つ、八つの門の先に置くように指示する。

 全てが整い素戔嗚尊は身を潜め時を待つ。

 ほどなくして、地を揺らし、大気を震わせ、ヤマタノオロチが現れる。

 怪物は見つけられない、櫛となって隠れている娘を。娘を探す内に、怪物は強い酒の香りに誘われる。その八つの首を長く伸ばし、桶の中にある酒をごくごくと飲み干して泥酔してしまう。

 素戔嗚尊はヤマタノオロチへと躍り出て、剣を鞘から抜き払い、八つの首と八つの尾、その全てを次から次に斬り落とす。

 尾の一つを斬り落とす際、一振りの剣が中から出てきた。彼は怪物討伐の証にこの剣を天照大神へと献上する。

 この剣こそ草薙剣くさなぎのつるぎ——神代より皇室に継承される三種の神器の一つだ。


「ふーむ、私が気になるのは、素戔嗚尊の使っていた剣の刃が欠けたと言う節だな。彼の持つ十握剣とつかのつるぎよりも、ヤマタノオロチの体内にあった草薙剣の方が優れていたと言うことだ」

 ——今は、ええと、この本によれば再建された熱田神宮あつたじんぐうの御神体として安置されているみたいですね。ね、リズさん、リズさんの目で見たら素戔嗚尊の戦いぶりが分かっちゃうかも知れませんよ?

 知恵と力を振り絞って怪物を倒し、悲しい運命のお姫様を救う英雄譚——う〜ん、男の子なら誰しも一度は憧れちゃうかも。

 うかれ気分の僕とは真逆に、リズさんは凍てつく眼差しを僕へ送る。

「萌……君は何を言ってるんだ? もう一度言わせて貰うが……君は何を言ってるんだ?」

 リズさんが眉間にシワを何本も作り、眉を八の字にして例のジト目で僕をじ〜っと見る。

「草薙剣はこの国に神代から伝わる最も尊い剣ではないか。幾たびもの戦火を逃れ、この国の先人達が大切に守り抜いた宝剣だ。私のような一介の女学生がおいそれと見られるものか。シャルロッテが頼み込んだとて門前払されるだけだ。萌よ、最後にもう一度言わせて貰うが、」

 ——わーわー! ごめんなさーい、僕がバカでしたー!

 ついさっきまでリズさんにドキドキしてたのにこのいたたまれない感じは何ー!?

 ——そ、それじゃあリズさんはこの本の……ええと、ここです、ここ! この、ヤマタノオロチは洪水や氾濫の化身、っていう節はどう思います?

 強引すぎる僕の無茶振りに、リズさんは全てお見通しだぞと言う殊更凍えた目で僕を睨む。

 でも、しっかり答えてくれるのはリズさんだ。

「ある、だろうな。自然災害や天変地異を神格化することは十分にある。治水を願い生贄を捧げるのも民間伝承では各地に見られる話だ。それに、ここだ、洪水の原因が古代の製鉄法にあると言う説だ。剣の材料となる砂鉄を取りすぎれば川は濁る。鉄へと鍛える火をおこすために大量の木材を伐採すれば洪水が頻発する。そう考えると、洪水を治めるための人柱を捧げる習慣を止めた人物が素戔嗚尊のモデルであり、そのお礼として妻を娶り当時の最高技術で鍛え上げた剣を贈られた、と言うこの説もあり得るだろう」

 ——僕はこっちの、対立する勢力との戦いで勝った人のお話っていうのもありなのかな、って思っちゃいました。安直ですけど。

「詳しいことは分からないさ。古代の出来事を元にヤマタノオロチと言う架空の怪物が退治される話と捉えているが、ふふ、案外実際にあった話なのかも知れないぞ」

 ——素戔嗚尊や神様達が住む高天原もあったかも知れないってことですか?

「ああ。神がすることは誰にもできないだろう?」

 ——えっ?

 リズさんが寂しそうに呟いた。僕が初めて見るその表情に戸惑っていると、何時ものキリッとしたリズさんに戻っていた。

「さあ、続きを行こう。次は——」

 リズさんの変化は気になったけど……それとは別に気になることもあったり。

 ——僕、分かると思いますよ。神様が本当にいるかは別として、少なくとも素戔嗚尊とヤマタノオロチが実在していたかどうかは、ですけどね。

「何を言うんだ、萌?」

 ——だってほら、リズさんが草薙剣を分かるんじゃないですか? 誰が鍛えたか、とか、怪物の尻尾から取り出したか、とか。

「見えなくは……ないとは思うが……。はぁ、先程も言っただろう、私が草薙剣を見ることは、」

 ——絶対にない、ですか? 限りなく零に近いとは思いますけど、完璧に零って訳じゃないですよね?

「む?」

 クスクス笑う僕に対し、

「むむむむむ」

 リズさんが『む』を連発し、僕を恨めしそうに見る。

「さて萌、次は日本に出現した怪異としての<八岐大蛇>だな」

 えぇー! 僕より強引じゃないですかー!? あれ、リズさんが引いたと言うか逃げたの、初めて見るかも。

「逃げではないぞ」

 ——うぇ!?

 思っていることをズバリ当てられ僕の口から変な声が出る。

「戦略的撤退と言う奴だ。早く終わらせなければ日が暮れてしまうからな。始めようか」

 うぅ、何で僕の考えていることがリズさんに分かっちゃったんだろう? もしかしてリズさんの目なら見えちゃうとか?

「ふふ、さぁ、どうだろうな?」

 ——えっ?

「君の考えていることなぞ何でもお見通しだぞ、萌」

 リズさんは何処までも楽しそうに微笑んでいた。


「<八岐大蛇>——<原初の十種>とされる<第八の蛇>、か。倒されたとされていたが、封印されていた、いや生きていたとなると、人類対怪異の戦いで我々は大きく後退することになってしまうな」

 ——出現したとされるのは、ええと、旧時代の末期ですね。出現場所については諸説あるみたいですけど、西日本、特に中国地方って説が有力みたいですね。

「ふ〜む。<原初の十種>は全てが同時発生し、世界各地で暴れまわったと提唱した学者の論文を向こうでは見たが、ここでは見当たらなかったな」

 ——相当大変な時期だったみたいですからね、旧時代の末期って。

「恩寵の有る無しによってそれまでの生活が劇的に変化したようだからな、良い意味でも、悪い意味でも。宗教間、人種間、民族間の対立が加速されただけでなく、恩寵による破壊行為、テロ、犯罪が激増したようだからな。しかし、国を乗っ取ったり、王を自称する輩が出現していなかったのだから、この国は比較的安全だった方だろう」

 ——でも梅田うめだ事件とか起きちゃってますよ?

「む? どれどれ——ああ、これか。『恩寵者は人間ではなく唯の怪物である』と主張する市民団体のパレードに激昂した恩寵者が、『だったらこちらもお前達を人間と思わない』とパレード参加者に対して恩寵を行使し重軽傷を負わせた、か——。血なまぐさいな、確かに。ヨーロッパでも似たようなものさ。所謂、新人類と旧人類が対立し、新たに出現した怪異がそれに加わる……と」

 ——旧時代に作られた武器や兵器って怪異に全く通じなかったんですよね? 何ででしょう?

「さて、私も国の修道院の文献で見たが……この本にも同じことが書かれてある。ここだな、言わば、『旧時代の武器は効かない』とする異能力を怪異全てが備えているから、と言う説だ」

 やっぱりそうなのかな〜。地形が変形するような兵器にも耐えたってどっかの本にもあったし。……あれれ、どの本だっけ?

「<八岐大蛇>の生み出した怪異の群れと、その怪異に支配される地域は増えていき——人々が隠れて住むところはあれど、都市として機能していたのは関八州の中心部と、北海道の中央部、四国と九州の南部、だけか」

 ——国土の九割以上を怪異に占領されちゃってたみたいですからね。

「海で隔てられた地域は水を防衛線としたから侵略を防げたと理解できる。関東はどうしたのだ?」

 ——皇室で恩寵に御目覚めになられた御方がいらっしゃって、その御加護で無事だったみたいです。

「どんな恩寵だったのだろう? 私が見た本の中では何も書かれてはいなかったが……」

 ——う〜ん、それが良く分からないんですよね。その御力で人々は平和に過ごせた、としか。その御方が御亡くなりになった後でも同様の恩寵を他の皇室の御方が御発現なさって怪異への対抗拠点となっていくんです。

「萌、」

 ——え、は、はい?

 急に図書室の空気の温度が下がった。

「君の言った『御亡くなりになった』とは何だ? 皇室の御方なのだろう? 崩御ほうぎょ薨去こうきょ卒去そっきょ——私が知る限りでも相応しい言い方は、」

 ——す、すす、すいませーん! え〜と、え〜と、その御人は親王殿下でしたので薨去です、はい!

 うわぁ〜ん、どうしてそこまで日本のことに詳しいんですか、リズさ〜ん!

「全く……。日本の皇室は世界最長の歴史を誇るだけでなく、この国に根付く宗教、神道の最高位についておられる御方々でもあらせられるのだぞ? ……いや、うるさく言うのは止めておこう、朝までかかってしまいそうだ。血統がとても尊く、長く、古いとなると発現する恩寵が固定化されてしまうのだろう。文章化されていないのは、悪用されるのと襲撃されるのを防ぐためだろうな」

 ——あ、そっか。どんな力を持っているか相手に知られちゃったら、対策が練られちゃうんですね。

「ああ。私の場合なら、目を潰す手段を講じるか、視線を通さないように煙を炊く、とかだな」

 ——でもですね、リズさん。皇室の御方達の御力の御陰で生き残れただけでなく反撃できるようになるまで過ごせた訳ですから、日本の伝統的な文化や価値観を大事にしようって気風が生まれるんです! 西暦や新暦じゃなくて和暦や皇紀を使い出したのもこの頃からなんです!

「そして君は『御亡くなりになった』と言ってしまった訳か」

 ——うわぁ〜ん! 僕が悪かったですから忘れて下さぁ〜い!

「ふふ。ここに地図があるな。豊仁ほうじん二十三年? こっちの本の末尾に元号と皇紀の対応表が——……なるほど、今からだとざっと、ふーむ、八百年程前か。三色で色分けされているな。生活圏、戦闘圏、未開放圏、か。東近畿、北陸と生活圏が広がっているが、未開放圏が目立つな」

 ——その頃には各都市を繋ぐ陸路と海路が出来上がってきて、かつての日本とは言えませんけど、新しい形の日本が機能し始めるんです。

「そして豊仁五十七年、<八岐大蛇>討伐作戦を開始する、か」

 ——第一回で怪異達との戦線を大幅に押し上げることに成功し……

「続く第二回の作戦中に<八岐大蛇>を那岐山なぎさん山中に発見する、か。ふむ。交戦するも討伐は不可能と判断して、第三回からは作戦の内容を大きく変える、か。ふーむ」

 ——ここまでは順調だったみたいなんですよね。

「<八岐大蛇>への少数精鋭部隊での攻撃と、未開放圏に潜む怪異の掃討を同時に実行する、か。怪異の掃討と、侵蝕された地域の浄化は進むものの、<八岐大蛇>への攻撃は失敗に終わる——そう簡単には倒れてくれないか」

 ——第四回、五回、六回と数を重ねるも<八岐大蛇>を倒すには至らず……

 ここから先のお話は暗唱できるって人は多いと思う。僕もその一人だ。

「延々百年以上戦い続けた、か……。う〜む〜、ここまで戦闘が長引けば<八岐大蛇>の持つ特性の解明も終わり、対<八岐大蛇>専用の兵装もできあがっているはずだが……。流石は<原初の十種>、そう容易く倒されてはくれなかったと言うことか」

 ——そこから先は一つのお伽噺に繋がるんです。

「お伽噺、これだな。この話ならドイツ語訳されたものを読んだことがある」



 その山奥に鎮座するは八の首と八の尾を持つ八岐やまたに分かれし大蛇だいじゃなり。

 その牙の鋭きに裂けぬ鎧は無く、その鱗の硬きに貫ける矛は無い。

 幾度首を断とうとも無限に生え替わり、尾撃の一つにて野原の全てを薙ぎ払う。

 鬼火の如く揺らめく瞳から逃れられる術はなく、通りし後は紅く燃え上がり、塵の一つすら残らず。

 その大蛇こそ八の数字を持つ原初の獣が一、皇国に語り継がれし神獣の写し身——<八岐大蛇やまたのおろち>なり。


 しかし、我ら、神代を駆け抜けた猛き武神にあらず、力を得ども唯の人間なり。

 倒すこと能わず、止めること叶わず、できるはただ時を稼ぐのみ。

 流した血が瀑布を作り、黒き雷雲は永遠の夜となり、降り続く豪雨が我らの血飲み込みし大地を赤に変色させる。

 幾度もの季節が通り過ぎ、誰しもが諦め、望みを捨てようとしていた。


 そんな中、ある夏の日、西方より一人の賢者が来たりて曰く、

 “獣を止めんとする兄弟達よ、勇猛なる極東の騎士達よ、自らの命をもって子羊達に安らぎを与えんとする戦士達よ。信じるものは違えども、遠く離れしこの地に我らと同じ魂を持つ兄弟達を見いだせたこと嬉しく思う。

 八なる大蛇、残念ながら我らの聖典を持ってしてもその所業を罰することはできぬ。

 だが、御主達おぬしたちの血がこれ以上無益に流れぬよう、我らの聖跡を持って地に縛り付けることはできよう。もし、我らの聖跡をこの地に喚び出す暫しの間、彼の蛇を大地に留めてくれるのなら——。

 御主達と、御主達の罪無き子らが永劫に続く悲しみに沈まぬために、その命を私に預けてくれないか?”


 賢者の呼びかけに、八人の若者が名乗りをあげた。

 決して帰れぬ道と分かっていても、八人の若者は蛇を抑える柱となることを選んだ。

 若者はその身をもって大蛇の首を大地へと抑えつける。

 腕が千切れ、はらわたが飛び出し、足を吹き飛ばされようとも、

 神経を毒液に侵され体中の穴と言う穴から血が噴き出しても、

 その半身を濁流に吹き流されようとも、

 己の命などとうに燃え尽きていたとしても、

 後に残る者達の幸せを信じ、この大地の底に大蛇と共に眠りにつく。


 我ら、決して忘れてはならぬ。

 八人の若者の貴い犠牲と誇り高き献身を。

 若者達が見せた日の本の武、皇国に流れる熱き大和魂を。

 我らの立つこの大地こそが、その証なのだと言うことを。



 暫くの間、僕たちの間に沈黙が流れた。

 僕も含めて誰もが子供の頃から信じてきたお話だけど、須佐さんの言ったことが本当ならこのお話は全部嘘なんだろうか?

「<八岐大蛇>の特性や異能力についてだが、私が見た限りでは書かれていなかったな。随分昔のことだがら風化してしまったか、あるいは……」

 ——ただ単に本が図書室になかったとかですか? 確か、僕が中学生の時に見た『日本怪異大全』って図鑑には、<八岐大蛇>は討伐作戦名とこのお伽噺が載ってるだけだったと思いましたよ。

「む、『日本怪異大全』? 私達が探した本の中には無かったはず——……う〜む……うむ、無いな」

 ——外町にここよりもっと大きな図書館があったと思いましたけど……。

「今は外町へは出れないだろうな。気になるのは、『この大地の底に大蛇と共に眠りにつく』と言う一文だな。賢者の力によって討ち倒されたとも、封印されたともとれる。うーむ、疑いだしたらきりがないのも確かだ」

 ——お伽噺の最初のところ、ここって<八岐大蛇>の力のことを言ってるんじゃないですか? それとも、神話のヤマタノオロチと似てる怪異ならそっちの力を真似ているとか?

 言いながら気付いたけど、神話のヤマタノオロチの特性って何だろう? 尻尾から剣が出たことかな? あっ、頭上に常に雲があったって書いてあった文献があったっけ? えぇと……うぅ、本がいっぱいで見つけられないよう。

「<原初の十種>は我々の神話や伝承が元になっていると言われているが、過信するのは良くないぞ。君は<三ツ首の狂犬ケルベロス>を知っているな?」

 ——はい。元になったのは冥界の番犬ですよね?

三ツ首の狂犬ケルベロス>は人類が一番最初に倒したとされる<原初の十種>だ。

「神話に登場するケルベロスは、三つ首を持ち、甘い物や音楽に弱い番犬として描かれているが、怪異として出現したヤツは規格外の化物だった」

 当時敵対関係にあった三つの勢力が力を合わせて討伐に成功したって言われている。

「空間と時間と因果を自由自在に操作する文字通りの化物だ。自らを討伐しにきた一団を数千メートル上空に空間転移させて墜落死させ、尻撃を避けた剣士には数秒前そこに存在した過去像を攻撃することで現在の剣士を破壊し、自らに放たれた矢の雨には射手の心臓を射抜く運命を与えて兵団を自滅させた。姿形は神話のそれと似ていたとしても、実体は別物だろう」

 ——そんな怪異どうやって倒したんでしょう?

「兵装の錬成技術においては現代に分があるとしても、不屈の闘志と折れぬ心は時代を経ても変わらないと言うことだな。精神論に頼り過ぎるのは愚の極みだが、技術や肉体で劣るのであればそれを補うには心の力が不可欠だろう」

 あっ——。

『何も無いとか関係ねーって萌ちゃんよ〜ぅ。気合だ気合、稽古で補え。生きるか死ぬかの瀬戸際じゃお前さんの泣き言なんか誰も聞いちゃくれね〜ぞ〜?』

 一瞬だけ、リズさんの姿がお師匠様とダブって見えた。

「萌? 何か気付いたことでもあるのか?」

 ——あ、いえ、その……。逆にリズさんはあります?

「私か? そうだな国元で得た知識と大差は無い。怪異の本質は大陸の東端でも西端でも同じと言うことだろう」

 ただ、とリズさんは付け加える。

「<八岐大蛇>討伐に関する記録が少ないのが気にかかる」

 ——そうですか? 僕はあのお伽噺、中学生の時には暗記しちゃってましたけど。

「私の国元では、<三ツ首の狂犬>を討ち取ったとされる日は国の祝日だぞ? 宴にパレード、普段は清貧を良しとする私達修道院でさえこの日だけは例外だ。音楽に踊り、劇に食事、皆が浮かれて騒ぐ。それだけのことを成し遂げた偉業を祝ってな」

 ——う〜ん、僕達も昇武祭とか外町でお祭りとかやってますけど、規模が小さすぎるってことですか?

「国民性が違うと言われればそうなのかも知れないが……。深読みをすれば<八岐大蛇>が死んだのではなく単に封じているから、かも知れないな。隠蔽に国が関与したとすれば、あるいは……」

 えぇ〜!? リズさんが今度は志水君になっちゃった〜!?

「ふ〜、収穫は予想より少なかったが、仕方ないな。管区長殿のお部屋の鍵をどうにかする方法も考えておくべきか」

 リズさんは息を吐いて目を閉じ、こめかみ何度も強く押す。

 もしかしてリズさんの<強制視>って……

 ——リズさん、目、痛むんですか?

「ん、むっ? ああ。それ程でもないが長時間使うと少々な」

 ——ええー!? なら早く眼鏡かけなくちゃ! 早く早く! 眼鏡眼鏡!

「うわっ! こら萌、何をする!? よさないか!」

 ——リズさん眼鏡です〜!

 僕は机の上に積まれている本をかき分けて膝をつき、身を乗り出す。

 僕の伸ばす手をリズさんは華麗に払いのけ、椅子を後ろに引き距離を空ける。

「全く……油断も隙もないな。私の力は『見る』のではなく『見せられる』ものだ。力を抑えなければ視界全体が文字で埋め尽くされてしまう。だからどんな時も力を抑える必要がある。君の気遣いはありがたいが、私にとってこの痛みは避けては通れないものだ」

 うぅ〜、リズさんにお節介しちゃったかなぁ。

「そこはどいた方がいいぞ」

 ——え、は、はい! すすす、すいません。

 乗っかっちゃってる本と机から元の椅子へと慌てて飛び移る。

「ふぅー……。では萌の言う瓦版を見るとしようか。その前に雑然としてこの机をどうにかしよう」

 僕はリズさんの冷たい視線に耐えながら、散らばった本をかき集めた。


 僕達はさっきの机を離れて、空いている別の机に集めていた瓦版の冊子を広げる。

「萌は古い記事から読んでいってくれ。私は少し気になることがある」

 ——はい。

 大きく、重い。一日一枚、一年で三百六十五枚を一冊で三年分とじ込んでいるから千ページは超えている。

 やっぱりどうしても隣のリズさんが気になっちゃう。

 ページをめくる速度はやっぱり早い。けど、パラパラとめくる場合と記事にしっかり目を通してからめくる場合の二通りがあるのが手の速度から分かる。

 気になることってやっぱり山ノ手の教会、じゃなくて修道院関係かな?

 よし、僕も探さなきゃ! あんまりリズさんのこと見つめてばっかだと怒られちゃうからね!


 瓦版の初号は、鳥上島に人が入植した際のものだ。この時には鳥上湖の外町(当時はそこが鳥上町って呼ばれてたみたい)に人が住んでいて、鳥上島に幻想鉱石が眠っていることが調査で分かっていた——ってこの記事に書かれてある。

 瓦版をめくり、当時の日々の移り変わりを読む。

 鳥紙島での生活を指揮したのは二人——道や建物などの建造物を手がけ後に数百年以上続く鍛治職人集団の最初の頂点に立つ遠呂智兼智かねともと、人々の先頭に立ち島の開発を率先して指揮した須佐飛彦とびひこだ。

 外町とを繋ぐ石橋や政庁を建てたり、鳥上湖を囲むように壁が建てられたりと、瓦版の内容はお堅いものばかりだ。

 う〜ん、真面目な記事ばかりで、ユーモアの効いたクスッとするものがないぞ。

 それもそうか。瓦版が出版され始めたのって、<八岐大蛇>が倒れた(とされる)直後ぐらいからだし、戦いで倒れた人を思えば笑う状況じゃなかったんだ。

 僕が少し読み飛ばす感じで記事を読んでいると、渋い顔をしたリズさんが新しい瓦版の冊子を開く。

 リズさんの眉間に深いシワが寄ってるのを見ると上手くいってないみたい。

 なら僕の方で成果の一つでも見つけないと!


「無い、無い。何も無い。全く無い」

 リズさんが恨めしげに呻き、ゆっくりした動作で天を仰ぐ。

 ——修道院のこと、何も書いてなかったんですか?

「ああ、何も無い。毎年祝う聖コンスタンス復活祭や新しい管区長へと交代した記事の一つも見当たらない。橘さん家のみゃ〜ご君が学園中庭をご満喫と言う記事はあるのに、何故だ? ほら、見ろ、萌、ここだ、ここ。こんなドアップのイラスト付きではないか」

 言えない。みゃ〜ご君すっごく可愛くて触るとふわふわして気持ちいいんですよ、何て今のリズさんには絶対に言えない……!

 ——意図的に書かないようにしている、ってことですかね?

「ここまであからさまだとそうだろうな」

 リズさんが右手に顎を当てて考え込む。

 ——リズさん、あの、これです、この記事見て下さい。

「ん? 鳥上島への入植初期の頃のものか……。これがどうかしたのか?」

 ——これです、ここ。この挿絵の隅っこに描かれている人なんですけど……。

「む、これは……巡礼服、か?」

 ——と思うんです。全体が描かれてないんで断言はできませんけど……。

「この人物が聖コンスタンス騎士修道会の一員、いや、あるいはお伽噺に登場する西方からの賢者本人か?」

 ——この絵に描かれている人、島の入植者の第一号ですよ。ほら、ここの鍛治を作った遠呂智初代兼智とか須佐さんのご先祖様とかいますよ。

「しかし記事では何も触れられていないな……う〜む……」

 やっぱりリズさんの考え通り西方からの賢者は聖コンスタンスの人なのかな? 大陸の西蔵チベットから来たお坊さんぐらいにした思ってなかったけど、リズさんの説が正しそうだ。

 リズさんが隣で唸っていると、三時を告げる政庁の鐘と六限終了を告げる振鈴が聞こえてきた。

「ふぅ、ここまでにしようか、萌。この図書室で得られる情報としてはこれくらいだろう」

 ——リズさんは信じてるんですか? 須佐さんの言うこと。

「信じる、信じないの前に疑わしいことが多過ぎる。だが、これ以上探るには政庁に忍び込むか、管区長殿のお部屋の鍵をどうにかするしかない、か……。しかし前者は物理的に難しい。後者は——……」

 うぅ、リズさんがどんどん黒くなっていく。

「片付けようか、萌」

 ——はい!

 僕達は集めた本を両手に乗せ、

「む?」

 ——あれ?

 元の本棚に片付けようとしたら、誰かが入ってきた。

 羽織に袴の女の人だ。先生じゃないし、先輩でもないはず。

 わ、金色の凄い立派な紋がついてる羽織だ。ふぇ〜、格好いい〜。見てるだけなのに圧倒されちゃいそうだ。

 その人は、すすすっと無駄のない流れるような動作でこっちにやって来る。

 そこで気付いた。さっきまでは髪で見えなかったけど、顔の左側に縦一本の生々しい斬り傷が走っている。笑みと傷のギャップが得体の知れない不思議な雰囲気を漂わせている。

 誰だろう? 一目見たら絶対に忘れなさそうな人だけど……?

 僕がうろたえている間にその女性はこっちに近づいてきて、両手の抱えている一番上の本をひょいと取る。

「中々に良い本を抱えておるのう。これ、わらしら、何ぞ探し物かえ?」

 その女性は柔らかい声の時代がかった口調で僕達に尋ねる。

「この島のことです。何分不慣れなものですので、彼から教えて貰っていました」

 うまいリズさん! 顔色一つ変えずに嘘じゃないけど嘘なことをスラっと答える。

「ほっほっほ。良い答えじゃが、こちらの童の顔色で嘘と丸わかりじゃぞ?」

 ——はぐっ!?

「…………」

 ごめんなさいリズさん、一から出直してきます。

「ほう、随分と内容が散らばっておるが、八岐大蛇のことでも調べておったのかえ?」

「一部は。有名なお話でしょう?」

「だのぅ」

 石だ。僕は石になっているんだ。石、石、石〜。

「ほうのぅ。これ、童ら、ヌシらは帰って良いぞ」

 女性はそう僕達に言い、僕の抱える本を机の上に戻す。

「え? 宜しいのですか?」

「うむ。妾も彼奴きゃつに用が、の。主らの集めた本は妾が片しておく故、早う若人らは青春を謳歌するが良いぞ」

 この人は椅子に座り、僕達のことなどお構いなしに本を開いて読書を入る。

 ——本当に帰っちゃって良いんですかね?

 僕の問いかけにリズさんは少し首を傾げながら頷く。

「あの、本当に片付けをお願いして宜しいのですか? 二人で集めた本ですので一人で片付けるには——」

「何じゃ? 最近の童どもはなっとらんのぅ。これ、人の好意は黙って受け取っておけば良いんじゃ。妾も主らの集めたものを使う訳じゃからあいこではないか、のぅ? 細かい女子おなごはもてぬぞ? ほほ。隣の童は主のそんなところが良いと甘言を吐くやも知れぬが」

 ——ぶーっ!? ももももー! なな、何いってるんですかぁー!?

「…………」

 ——ひ、ひぃ! はい! 石です! 石になってます〜!

「ほれ、早うね。時は無限ではなく有限じゃぞ。若い内から大切にせねばの」

「——では、失礼します」

「うむ」

 石になりきれない僕はリズさんにつつかれて元に戻る。

 僕達は謎の女性に頭を下げて図書館を後に——

「いかん、忘れておったわい」

 出口に差し掛かった僕達を彼女が呼び止める。

「妾の名は珠じゃ。主らは何と申す?」

「私は、リーゼリッヒ・ヴォルフハルトです。彼は東雲萌と言います」

「ふむ。異人は性が後で名が前じゃったかの。リーゼリッヒに萌か。童ら、縁あればまた会おうぞ」

「はい。その時は本日のお礼をさせて頂きます」

「うむ。ほっほっほ、期待して待っておるぞえ」


 ——変わった人でしたね。

 教室までの帰り道、リズさんにさっきの人のことについて話しかける。

 時間はもう放課後だ。皆、三日後に迫った昇部祭予選のために部活へと走り出している。

 僕達のことを見て、顔をひそめたり、わざと聞こえるように悪口を言ったり、唾を通り道に吐いたりと、何時ものようにいろんなことをしてくる人達がいた。僕はもう慣れっこになっちゃってたから気にならなかったり。

 それ以上にリズさんと一緒に調べたこととかさっきの女性が気になっていた。

 ——古風って言うか不思議な喋り方の人でしたね。あ、リズさん、あの人の言ってたこと分かりました?

「君は気付いていないのか?」

 ——え、何がですか? お顔の傷のこととかですか?

「……はぁ、全く君と言う奴は……」

 うぅ、リズさんに呆れられちゃった……心当たりはいっぱいあるけど。

 ——あっ! そう言えば、リズさんはどうしてシャルロッテさんを誘わなかったんですか?

 僕は一緒に夜警しているからって思うけど、リズさんにとってシャルロッテさんは長い間一緒に旅をしてきた仲間のはず。

「彼女は、そうだな、私と違い大きいからだな」

 ——大きい?

 思わず視線をリズさんの顔から少し下に落とす。

 シャルロッテさんは大きい。もう反則的だ。誰もが比べることを諦めて崇め奉るレベルだと思う。

 でもリズさんだって負けてない。シャルロッテさんは超ぶっちぎりでクラス一番だけど、リズさんはぶっちぎりでクラス二番だ。

「誰が体型の話をしていると言った、体型の! 人間としての大きさや器の話をしているんだ!」

 ——えぇぇ!? てっきり僕そっちかと……。

「全く、しっかりしないか萌」

 むむっと睨まれてしまう。

「彼女にはな、二人の時にそれとなく聞いてはみたのだが、こう言われたよ。『ダメですダメですよー! 秘密のお話なんですから喋っちゃダメですよー! カベにミミありです! えっへん!』と。そう押し切られて話を聞くどころではなかった」

 うわぁ〜、リズさんのモノマネ似てる〜。

「彼女は学園での生活を心底楽しんでいるようだ。大型のヒトガタや黒騎士からの襲撃を受けたのに全く動じていない。流石と言うべきか……」

 ふぅ、とリズさんが息を吐く。

「彼女の力を借りる時は来るかも知れないが、その時まではそっとしておこう」

 話している内に僕達の教室の前まで辿り着いてしまっていた。

 もう六限もホームルームも、掃除も終わっている時間だ。そうだ、掃除もさぼっちゃったんだ、僕……。後で皆に謝らないと、うぅぅ。明日は今日の分も掃除するぞ!

 隣を歩くリズさんが眼鏡を取り出してスチャっと掛ける。うん、やっぱりリズさんは眼鏡をかけてる方が格好良い!

 僕達が扉を開けて教室に入ると、

「おー! 帰ってきたー!」

「おかえりー!」

「リズさんおかえりー!」

「リズっち、おか〜!!」

 何故か皆がいた。部活に行ってるはずの時間なのに。あ、大豪寺君までいる。顔がむすっとしてるけど。

「ねね、リズさん何処行ってたの〜!?」

「何処何処!?」

「教えて教えて!!」

「む……? 図書室ですが」

「図書室ゥー!?」

 リズさんの答えにクラスの皆がどかーんと爆発する。

「図書室かぁ〜! その発想はなかったぁ!」

「俺、絶っ対、屋上だと思ったんだけどなぁ」

「てか今の時期の図書室って絶好の逢引場所デートスポットじゃねーか! ウチに来てまだ一週間も経ってねーのに何でそんなこと知ってんだ!?」

「バカ! そんなのリズさんだからに決まってるでしょ!」

「何してたの〜!?」

「図書室で何処までいっちゃったの〜!?」

「それは——」

 リズさんが言葉に詰まり、僕を見る。

 あの話を皆に言う訳にはいかない。調べ物をしていた、そう言えばいいんだけど、授業をサボってまでする程の調べ物って何だろう、って話になる。志水君もいるし、もしかしたら当てられちゃうかも……。

 視線を交わして数秒後、リズさんが皆に答える。

「秘密です」

「秘密ゥー〜!!」

 皆がもう一度どか〜んと爆発する。

「何リズさん秘密って!? そんなこと言われたら妄想しちゃうよ!? 際限無く何処までも地平線の彼方まで妄想しちゃうよ!?」

「秘密ってあれだよね!? ヒとミとツの秘密だよね!?」

「誰か、ゴメン、鼻に詰めるの貸ひてくれはい? 鼻血止まんなひ」

「ぐおぉ……何だよそりゃ……。俺の東雲が……。畜生、酒だよ。志水、頼むよ、今夜寮の部屋まで来て酒作ってくれよぅ……」

「それは俺じゃなくて大豪寺に頼めって!」

「るせぇ志水! 俺にふんじゃねえ!!」

「ねぇねぇシズちゃん、どうしてダイゴウジさんが出てくるの?」

「……ん〜……そっち系……?」

「——!?」

「まぁまぁ」

 あれ、かつてない程に大豪寺君がうろたえてる。

「もし私達を待っていてくれたのならありがたいのですが、皆は稽古に行かないのですか?」

「行きたい! 行きたい! アタシ、リズさんの秘密の稽古について行きたい!」

「皆も行こうぜ、秘密の花園によぉぉー!?」

「ウォォォォォォォーーーーーッ!!」

「イェェェェェェェーーーーーィ!!」

 三度、教室が爆発する。

 うぅぅ、やっぱりこのノリにはついていけそうにないなぁ、僕。

 リズさんもそうなのか、『これは一体どう言うことなのだ、萌?』と言いたげな渋〜い表情を浮かべながら僕を見る。

 ——僕達のクラス、スイッチ入っちゃうとこうなっちゃうんです。

 ああ、シャルロッテさんはもう染まっちゃってる。隣の席の青江さんの手を取って一緒にイェーィしている。ノリノリじゃないのは、僕達の他には大豪寺君だけだ。でも大豪寺君、実はこのノリについて行きたいけどプライドが邪魔してるだけだって志水君は言ってたし。

「ふふ、どうやら私の味方は萌だけのようだな」

 クラスの皆が大騒ぎをする中、僕の耳に微かに届いたリズさんの呟きは、何処か満足気だった。


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