木曜日: 譲れないもの

夢: 三つのジゲン [東雲萌]

『今日はお前さんに俺達の流派の話をしとくか』

 ——はいっ!

 自分がどういう剣をやってるのかを知っとくのは大事だからなーと言いながらお師匠様がしゃがみ込み、手にした木の枝で境内の土にガリガリと文字を書き始めた。

 僕はお師匠様と同じようにしゃがみ込んで隣からそれを見ていた。

『元々は旧史から続いている天真正伝香取神取流てんしんしょうでんかとりしんとうりゅうて剣術だ。念流ねんりゅう陰流いんりゅうと合わせて兵法三大源流って呼ばれるぐらい凄え剣術だ』

 お師匠様は流派名の横に僕がわかるように振り仮名を書いてくれた。

『細かなもんまで教えちまうと頭ン中こんがらがっちまうだろうからざっとな。この神取流を学んでいた御仁が、先に強く打って勝つ、て剣を興すんだ。これが天真正自顕流てんしんしょうじげんりゅうだ』

 お師匠様が難しい漢字を書き、振り仮名を振った。

 お師匠様との思い出はいっぱいあるけど、難しい漢字がいっぱい出てきたのはこの日だけだっけ?

『時は戦国乱世の時代——って旧史の戦国時代のことはお前さんまだ習ってないか。ま、天真正自顕流が興ってからちょいと後の話になんだけどな、島津の殿様——お偉いさんだな、お偉いさん——が、お供を連れて京に来たんだ。その一人が東郷とうごう重位ちゅういだ』

 お師匠様がその名を土に刻んだ。

『この東郷重位が、天真正自顕流を修めて戦火を逃れて京の寺にいた善吉ぜんきち和尚と出会い、その教えを受ける訳だ。国に戻ってから独自の工夫を加えて編み出したのが、自顕流じげんりゅう、だ』

 お師匠様が東郷さんの名前の隣に流派名を書き込んだ。

『お国本じゃ東郷どんの剣が凄えって評判が立つ訳だ。んじゃどんなもんか見せてみろ、って島津の殿様——あ〜、京に連れてってくれた人の甥にあたる人だな——その殿様から剣術指南役との立ち合いを命じられたんだ』

 ——けんじゅつ、しなんやく?

『剣を皆に教える先生だな。大体そこらで一番強え奴だな。必ずしも強え奴が教えるのも上手えって訳じゃあねえんだけどな、これがまた。そこそこの強さなのに人に教えるのがえれえ上手い人とかもいるしなぁ。ま、俺は両方とも完璧だけどな』

 ——……?

『……』

 ——……。

『何で胡散臭い目で師匠を見るんだ、萌ちゃ〜ん?』

 ——はひぃぃぃぃ、すみぃみゃへーん。

『ほんで東郷重位はその指南役との立ち合いに勝ち、逆に指南役となる訳よ。んで、そこらへんで色々あって流派の名前を、自顕流、から、示現流じげんりゅう、に変える訳よ。正式には、示現流兵法剣術、な。自顕から示現に変えたのは、殿様から言われたからとか、仏教の経典の一節を参考にしたとか諸説色々あるな』

 昔のことだし分からねぇけどな、とお師匠様は笑った。

『でだな。話が変わるんだけど、この東郷重位の生きた時代に薬丸やくまる兼成かねしげて人がいた訳よ。薬丸兼成の家は古い家系でな、代々秘密の野太刀の技を受け継いでいたそうな』

 秘密の技って恩寵みたいなのかな、って思ったっけ、この時。

 ——のだち?

『おう。野太刀ってのは、でっけえ刀のことよ。ちなみに、俺が腰に挿してるのも一応は野太刀な。普通の刀は打刀つってこれより短けえのよ。その野太刀の技を使って戦場で随分と功をあげた人なんだよ、この薬丸兼成ってのはな。んで、実はこの薬丸兼成、東郷重位の初陣の後見人なんだよ。ま、世話人みたいなもんだ』

 お師匠様が薬丸さんの名前を書き、示現流開祖の東郷さんの名前をピシピシと木の枝でつついた。

『そんな縁があってか、薬丸兼成の孫が東郷重位の示現流に入門したんだ』

 ——えぇー! そんなのいいんですか、おししょーさまぁ!?

『おう。別の剣を知ることで自分の剣の理解が深まったり、考えもしなかった剣理が見えてくるからな。ま、萌ちゃんはもっと稽古しないと別流派の勉強はダメだな』

 ——はい! もっとがんばります!

『おう。そんなこんなで、それ以降の薬丸家では家中秘伝の野太刀の技を継承しつつ、東郷重位の示現流の門弟として腕を磨く訳よ。ところがどっこい、』

 お師匠様が木の枝を僕の顔にピッと向けた。

『薬丸兼成から数えて七代目の薬丸兼武けんむが一念発起、独自の流派を立ち上げたんだ。それが、薬丸自顕流やくまるじげんりゅう、だ』

 お師匠様が流派の名前を再び地面に書いた。

 ——う〜、こっちがじげんで、じげんがじげんになって、さいごもじげん?

『分かりにくいよなぁ。読み方が全部一緒だしなぁ。最初の、天真正自顕流は継承が途絶えちまってっから、今も残ってるのはこっちとこっちな』

 お師匠様が『示現流兵法剣術』と『薬丸自顕流』を木の枝で指した。

『古式剣術だけでも流ってのは他にも沢山あってな。かく言う俺達の剣術もその一つだ。俺ン中では、流つったらこっちのだな。こっちは薬丸流とか野太刀流かなぁ〜。俺達の流派は、真鋭流だな。つってもこの二つの流派に比べると知名度は断然ゼロだな』

 ——でもぼく、いっぱいけいこしてがんばります!

『おう、頼むぜ萌ちゃ〜ん。なんたって俺の一番弟子だもんな』

 ——ひぃぃ、かみのけくちゃくちゃもやめてくださぃ〜。

『そんでまウチの流派なんだけどな、できたの最近なんだわ、実は』

 刀(槍とか棒でもだけど)と恩寵を用いて怪異と戦うのが、日本の戦士、侍では一般的だ。人としての刀の使い方はそう変わるものじゃないけど、恩寵は個人個人で全く違う。

 だから皆、基本的な刀の使い方を古式剣術に習い、そこから自分の恩寵を用いた恩寵剣術を開発する。例えば、腕二本で刀二本の剣術を修めていれば、刀が四本の剣術へと応用できる、と言う風に。

 自分だけの恩寵と剣術が代を重ねることによって、その一族が受け継ぐ恩寵剣術となる。

 古式剣術から恩寵剣術は生まれても、新しい古式剣術が生まれるのは珍しい。

『ウチの流派の開祖様がどっちのをやってたか良く分かってないんだけどな。ある問題に直面したらしいんだ。その問題とは——』

 ——とは?

 この時のお師匠様の瞳を良く覚えてる。いたずらっ子のような瞳、ってのをこの時本当の意味で見た。

『お前さんの大好きな恋人が怪異になってしまいました。救う方法はありません。放っておけば人のいる街を襲います。ただ、その人達はお前さんとは全く無関係です。彼女を斬りますか、斬りませんか?』

 ——?

 お師匠様、突然変なこと言い出したって思ったっけ。でも、何時も言ってるかもとも思った。

『他には、そうだなぁ……。シンプルに行くか。時間は斬れるでしょうか? はいかいいえで答えましょう』

 ——? おししょうさまのいってること、よくわかんないです。

 お師匠様がぼりぼりと髪を掻いた。

『分かんねぇよなぁ。自分の中にある誰にも譲れないでっけえ意地でぶった斬れ、てのがウチの流派の剣だけどよ。この世界じゃ、形がないけどあるはずだと考えられるもの——人の心とか時間とか、そういうモンもの剣で斬れないか、そう考えた訳よ』

 ——ふぇ〜。

『ま、できない訳よ。普通にな。剣祖様はどうしたかってと、もう一つのならできるかもって考えた訳だ』

 お師匠様が地に書いた示現流と自顕流を交互に差した。

 当時の僕は、今日のお師匠様は話が長いなぁ、なんて怒られちゃうこと思ってたっけ、ふふ。

『けどできねえ、当たり前だけどな。けどそこは俺達の剣祖様よ。恩寵を使って斬るんじゃなくて、新しいで斬っちまおう、って考えて生まれたのが俺達の真鋭ジゲン流よ』

 お師匠様が僕達の流派名を二つのじげんの下に付け加えた。

『つまり、俺達のにして! 二つのを源に持ち、この世界に存在しうる形なきもの斬る。そのために己の内にある意地を極限を超えて燃やし続けて唯一無二の刀とする! ——とまぁこれがウチの剣祖様の考えた流派の原型だな』

 ——は、はい。

 お話モード中に垣間見えた剣士としてのお師匠様の顔に、気圧されていた。

『一つの言葉で複数の意味を持たせるってのは、タイ捨流剣法タイしゃりゅうけんぽう、と同じだな。タイ捨ってのは、体を捨て、待ちを捨て、対峙を捨て、太を捨てることで本質に至る——てな具合に、言葉の意味する雑念を捨てると共に全てに通じる剣理を悟る……て訳よ。タイ捨流は有名な古式剣術の一つだな。開祖の丸目まるめ長恵ながよしは東郷重位や薬丸兼成と同世代の人だなぁ、そいや。ウチらの剣よりはるかに歴史あるぜ、萌ちゃん』

 ——はい、はい、はーい!

『おう、どした?』

 ——じゃあ、ぼくたち、ぱくり、しっちゃったんですね!

『——!? こンのバッカァ萌ェ!!』

 ——んぎゃーん!?

 お師匠様のゲンコツが凄い派手な音をたてて僕の後頭部へ激突した。

 凄かった。凄すぎてあまり痛くなかったように覚えてる。頭をごっちーんされた衝撃が体中を通って両足から地面へ伝わるのが分かったもん。

『てんめぇ、こんにゃろー! 自分の流派の開祖様に向かって何だその言い方は! このこの!』

 ——はひはひはひ、すみみゃひぇーん!

『タイ捨流を参考にしたとか、インスパイアしたとか、リスペクトしたとか言いようはいくらでもあるだろ、こんちくしょー! あれか、この口か!? この口がそんな失礼なこと言っちゃうのか、ん、ん、ん!?』

 ——ゆるひへくらはい、おししょーはま〜。

『ぺっ、ぺっぺっぺ! 真面目に話してみたらこの有り様か。ふーん、ふーん、萌ちゃんにはもう教えてあげねーもーん。ふーん』

 ——えー、いじけないでくださいよー。

『はい、無駄話終わり! 懸り三千本いってみよーか』

 ——えぇぇー!? おししょうさまむちゃくちゃですー。

『ほいほい。早く始めねえと萌ちゃんを横木に縛り付けちゃうぞー。ほい、いーち』

 ——ひ、ひぃー! は、はーい。がんばりますー。きぇー!


 終わる頃にはとうに日は暮れ、境内は灯り一つない真っ暗だった。暗闇の中、何処にあるのかも分からない、ただ前にあるとしか分からない横木に走り込み、雑木を振るった。

 距離感が全然掴めなくて空振りしちゃったり、前に突っ込みすぎて膝を何度も横木にぶつけちゃったっけ。

 お師匠様の言った回数をこなせたのか、それとも僕が気を失うのが早かったのか、それは分からない。全身汗まみれ、泥まみれで、黒いはずの景色が白くぼやけて霞んで見えてた。

 意識がどっかへ飛んで、雑木を握る力がなくなって、膝が折れて地面に倒れてしまいそうになったその時——


『おう、お疲れ』


 お師匠が僕を受け止め、ニヤリと、微笑んでくれた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る