第7話 石畳の道を行く

ほそい通りに対極した、おおきめな通りと、それに交差したべつの路地。


行けども行けども、雰囲気は路地によって異なっていて、まるで鏡のなかの世界に入っていく感覚に陥る。


路地を行けども行けども、ぜんぶ同じような景色でもあり微妙に異なっているような景色でもあり、ぜんぶは見尽くせていないような感覚。


深い路地に入り井戸のそこに飲み込まれていくような錯覚。



背の高い建物が多く、扉がやけに大きい。


自分がちいさくなったような気分になる。



路地の向こう側には広場が見えたりする。


そちらへ向かえば出口なのだろうか。



わたしは広場のほうへ向かうのを後回しにして、路地のなかを気が赴くままに歩き続けた。




不意に猫が横切った。



わたしはその猫を被写体に写真を撮った。


撮った写真を確認して、また歩き出す。


ああ、どこかで見た景色だ。


既視感。




空を見上げれば、ちょうど、雲の間から陽が差して、天使の梯子とも呼ばれるうつくしい薄明光線が眼に映った。



あなただったらこの現象をなんて呼んでいるのだろうと、わたしは思った。



そしてその淡い眩しさに眼を細めながらも、日々のなかでの自分探しを再開した。



なにかを得て、帰ろうと決めているから。



わたしは、いわゆる「こだわりの世界」みたいな感覚がまったく皆無で、雑食雑多な世界なのだが、ひとつだけ何故かすごく好きな世界がある。


それは『閉じていてどこにも繋がらないそこだけで完結したちいさな世界』である。


絵のことはよくわからないのですが、なにかと美術館に行くので、ひとりだけ「うわー、この画家の描く世界すごく好きだなあ。いつかお金持ちになったら1枚所有したいなあ」と思った画家がいた。


ちなみにドラえもんでも、すごく好きな回があって、のび太が地球を作るという話なのだが、のび太の部屋のなかで小さな地球が育っていくのを見て、子供ながらに「うわ、なんて美しい世界なんだろう」って感動したのを今でも覚えている。


寺山輝夫の『ぼくは王様』という名作童話があるのはご存知かと思うが、あの「ちいさい王国がどこにも繋がってなくて、あのちいさな世界だけで小さな物語が進行していく感じ」が、すごく好きだ。


絵本で『いちごばたけのちいさなおばあさん』という名作があって、おばあさんがイチゴに色を塗るというそれだけの話なのである。


それもよくよく考えると「おばあさんは誰に雇われてるんだろう」とかいろいろ疑問がわいてくるのですが、そんな大人の世界の事情はいっさい受け付けない、ちいさくて閉じた世界が好きだ。


そんな感じで、小説に関しては、長くていろんな人物が出てきて、舞台がたくさんあるリアルなお話はあまり好きではない。



それよりも登場人物は少なくて、ちょっと何かが起こって、そして話がすぐに終わって、ちいさな世界がまるでろうそくの灯りのように心の中をそっと照らすような話が好きだ。


そういうのをたくさん書いて、「ちいさな世界」というタイトルで本を出せたらもう最高だろう。



それでもこんなにもちいさな分岐点はたくさんあって、同じことをくり返して行くのだろう。



利根川進が「目標があってそこに向かっているときに人はハッピーな気持ちになれる。目標にたどり着くとハッピーな気持ちはなくなってしまう」というようなことを言っていた。


恋愛も最初のデートや告白やキスなんかが、いちばん楽しいし、あれだけ「会いたい会いたい」と思っていたのに、いざ一緒に暮らしはじめて「ずっと会っている状態」になってしまうと、日常になってしまう。


マリッジ・ブルーももしかして「たどり着いたからこそハッピーじゃなくなる」というその言葉通りの現象なのかもしれない。



生まれつき実家が、「すごく土地がある」とか「家賃収入がたくさんあるビルを所有している」といった人って決してしあわせそうじゃないのは、「目標がない」からなのだろう。


しあわせってどういう状態なんだろう、豊かな暮らしや愛や健康な身体や親しい友人なんかに囲まれている状態なのかなと漠然と思っていたのですが、もしかしてそんなことじゃなくて、「目標があるかどうか」なのかもしれない。



たとえば観光地なんかによくあるのですが、飲食店で「そこそこ入っているのにスタッフや店長がそんなに楽しそうじゃない」というパターンがあるんです。


そういうお店って、もうメニューが決まっていて、来店するお客さまもそのお店にわざわざ来た訳じゃなくて、でも忙しくて、ただ目の前の作業を機械的にこなすだけだから、そんなに楽しくないのだろうと思う。


それよりも、「お客さま来ないなあ。どうすれば良いのかなあ。ライブとかイベントとかやろうかなあ。メニューをおもいきって新しくしようかなあ」なんて考えて、「目標の売り上げ」を前向きに目指しているお店の人のほうが楽しそうである。


スポーツや芸能界で成功した人が、何かと落ちていくのを見かける。


あれも「次の目標」を設定できなかったからなのではないか。



結婚してもまたすぐに「次の恋愛」に走る人というのは存在する。


その人も、「結婚した相手との次の目標」をみつけられなかったということなのかもしれない。



インターネット上で「目標に向かって頑張っている人」ってしあわせそうに見えるが、それに文句ばっかり言ってる人ってやっぱり不幸せそうである。


(あ、これは蛇足だった)


「目標に向かっているとき、人はしあわせになる。目標にたどりつくとしあわせは消える」というのは結構、深いような気がしてきた。



目標にただ忠実に向かう選択をすることにしよう。



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追分 サタケモト @mottostk

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