第6話 露地2
人生に起きるさまざまなドラマの
反対に、現実のかなしみには無頓着に浮かれ騒いでいる人を「茶化しすぎ 」と非難したりもする。
たかが一杯のお茶をめぐって大袈裟な茶番劇!
まさにカップの中の嵐、おかしくてへそで茶を沸かしちゃうね。
このように、お茶にまつわることばはたくさんある。
おたがいを理解し合えない世界各地の人々のこころですら、どこかちいさな世界で出会い、溶け合っているという不思議。
自分自身をおだやかに、徹底的に笑いの対象にして、ユーモアそのものを作り上げる。
それこそがこの人生での
儚いものを夢見て、うつくしくも愚かしいことに思いを馳せる。
諸行無常の世界。
ありふれた色とかたちの湯のみを手のひらに乗せてお茶を飲むとき。
なんとはなしに浮かんでくるのは、とおく離れて暮らす茶のみ友だちの情景である。
一期一会を説いた茶人。
おだやかな日々をお茶のかたわらで過ごした人々。
こころ優しくもあり、すこし口うるさい人びと。
「絵画や音楽とおなじように、お茶にも、時代と流派があるのよ」
そんなことを教えてくれたのは、わたしのお茶の先生だった。
「流派?」
「あなたはなかなかそこら辺のジャンル分けの感覚が苦手だったわね。音楽のジャンルに関してもああだこうだ文句を言っていたのを思い出したわ。でも、物事の流れや、移り変わりを捉えておくのは大事なことなのよ」
「日々の暮らしの細々としたところには、人々の心が無意識のうちに映し出されているの」
「どんなに見た目を着飾っているひとにも
「日常の物事は、宇宙の普遍的な真理を反映しているの。お茶のもてなしのうちに、万物を支配する調和と秩序があると思わない?」
「はあ……わたしはそこまでお茶を真剣に習ってはいないので、そこまで偉大な考えには到底及ばないのですが、かの有名な老子は、物事の本質は”虚”のうちにしかないと言っていました」
「真面目じゃない生徒を持つと、先生はたいへんだわ。そう、”虚”はすべてを受け入れることができる。すなわち万能なの」
「『虚』という字は、『きょ』と読んだり『うつろ』と読んだり、今は人によってニュアンスとか受け取り方が違っているのかもしれないけれど、芸術では『虚』は暗示という手法で表現されるのよ」
「作品のなかですべてを語り尽くすことはなく、どこかに空白を残しておくなら、見るものにその空白を自分の想像力で補って作品を完成させるよろこびを与えるわけなんだけど、いまの人は全部に答えを求めるの。それってあまりにナンセンスだわ」
「お茶愛好者として公言しているチャールズラムさんも言っていましたね、”ひそかに善をおこない、偶然それが表にあらわれるのはたまらないよろこびだ”って。いまの人は外面だけ取り繕っていたりしますよね。そのうち化けの皮は剥がれるというのに……」
「いまの人っていうか、昔も今も変わらず、そう言うひとはいるの。どこにでも居るの、そう言うひとは。ただ後世までに残る偉人には決してならないでしょうね」
いつ果てるとも知れない会話を聞き流しながら、わたしはよく自分の身体がアリほどの小ささに縮んだら、と想像していた。
もしもアリがこの湯のみの淵を歩くとしたら、お茶はどこまでも深い湖に見えることだろう。
世界の縮尺を切り替えるそのような遊びや、ちいさなものの内部に無限の宇宙が広がっているというイメージは子どもの頃からわたしのこころを捉えて放さなかった。
自分のこころの底に触れてみたくて、ヨガにも通ってみた。
欧米を経由して日本にもたらされた近年のヨガは、実にバラエティに富んでいる。
情報を集めてみると、呼吸法と瞑想を重視する伝統的なヨガから、現代人のための筋力トレーニングとして考案されたヨガ、さらにはタオと禅の教えをベースに編み出された「TaoZen」なるものまで、ほとんど無数とも言える名称が並んでいる。
選択の時代だなあとほんとうに思う。
日常の日々のなかでたった一度だけ体験した、説明のつかない至福感の謎を解き明かしたいと思っていた。
ある霧雨の午後、それはいろいろなことで心がしぼみきっていた時期に、”海岸”という名の駅を降りると、世界は見渡す限り灰色の濃淡がひろがっていた。
傘をさして目の前にひろがる海辺の風景をひたすら眺めているうちに、わたしはいつの間にか世界との素晴らしい一体感にたゆたうような状態に入り込んでいた。
砂粒のひとつひとつはどんな色と形をしている?
打ち寄せる波の色がいちばん深くなるのはどの瞬間?
そんなことに集中していたら、自分というものがすっかり潮の匂いの混じる空気に溶け去ってしまい、全身がしびれるような幸福感の中で浮遊していた。
宇宙はあるがままで完璧なのだという、平和で澄み切った気持ち。
一時間ほど続いて消えてしまった、その不思議な幸福の正体が知りたくてさまざまな本のページをめくった。
そうして、海辺でのわたしは一種の瞑想的な意識状態にあったのではないかと考えるようになった。
老子が「名付けようのないもの」と読んだ、やわらかでかたちのないもの、たえず芽を出しては成長し、枯れて再び始源に還ることを繰り返す宇宙のエナジーのようなもの。
現在の瞬間を捉え続けることによって、執着を形作るマインドとエゴをそっと手放し、からっぽの状態になること。
色即是空の「空」の状態になること。
実は、浅沼くんの音楽のなかにそのようなことに触れた部分があった。
浅沼くんはどのようにこの精神状態になったのか。
「わたしたちはいつも過去のことや未来のことで頭をいっぱいにしながら生きていて、現在のこの瞬間に集中するということを忘れています」
そんなことばに思いを馳せる。
頭の取り留めない考えは一秒たりとも動きを止めることはない。
こころのうつわの水底に深く潜っていくことをイメージしたが、底に手を触れるには、どうやら、一度うつわを空っぽにするしかないのだと気付いた。
雑念がわいてきても追いかけないこと。
生まれては消えてゆく無数の体験のひとつに過ぎない。
一度味わった幸福感を追い求めたり、神秘体験を望んだりするようになると、「からっぽに気付いている人間」ではなく「体験に執着して追いかける人間」になってしまう。
おぼろげな輪郭はつかめるものの、結局のところそれはなんだかよくわからない、体得するしかない境地が存在する。
空っぽにする方法の片鱗すら掴めなかったが、それでもいくつかのささやかな発見をもたらしてくれるものである。
自分の考え方の癖、ある種のかなしみは身体のどこからやってくるのか……。
浅沼くんが帰国したとき、空港まで迎えにいき、空港にある喫茶店でふたりでお茶を飲んだ。
「お茶飲みながらいうのもなんだけどさ、佐倉さん、いつからお茶やってるの?」
「え?」
「茶道ってさ、逃げられないんだよ。武士道ってそんな感じだよね。日本の根底的な精神なのかな。逃げないのが美学、みたいなさ。本心はこわくて逃げたくて仕方ないのに、それをひた隠しにするんだ」
「佐倉さんは逃げられないところに自分で自分を追い込んだわけだ」
「それでいったい、これからどうするの?」
浅沼くんの眼は、まっすぐで誤摩化しを許さないような強さを持っていた。
「なにも考えていないんだ、本当は」
「自己啓発的なことを促してみても、自分がなんだかどうでも良くなっていく一方でね」
わたしは浅沼くんに本心を話した。
本当は逃げてしまいたい出来事がたくさんある。
わたしはそれを気付いても、見ないフリをしていることが多々ある。
気付かないほうがマシだったのではないかと自問しながら、気付いていないフリを演じている。
そしてこころの奥底では、その物ごとに思い悩んでいる。
いっそ、忘れてしまえたら楽なのに。
「それでいいんじゃないかな、べつに。むずかしく考えても、考えなくても、一切は過ぎてゆくし、いつの間にか終わってゆくものだよ」
そういって、浅沼くんはお茶を口に含んだ。
ひとときの静寂が訪れる。お店のBGMだけが大きく聞こえてくる。
「あ、そうだ。お土産。渡すのを忘れてしまう前に渡しておくね」
話を遮るように、お土産をテーブルの上に出す。
「ありがとう。佐倉さんにもお土産あるよ」
「ほんとう?ありがとう。いくつになっても人から物がもらえるってなんだかうれしいものだね」
「そうだね。でもおれは佐倉さんからもらうことに意義があると思うよ。ありがとう」
きれいにラッピングされていたり、包装紙にやたらとこだわるのは日本という国のみで、海外では包装なんて言うのは、じつに簡易的なものだ。
それなのに、浅沼くんからもらったお土産は、やたらと鮮明でお洒落に思える。
のちほど、マスターも車で迎えに来てくれた。
「ふたりだけで逢瀬なんて、ねえ?」
開口一番にそんなことをマスターは述べた。
意味有りげな笑顔をオプションに携えていた。
「マスターへのお土産です」
浅沼くんもわたしもマスターへの口止め料的にお土産をほぼ同時に差し出す。
マスターは苦笑して受け取る。
「あんがとなー。なんか、お土産の催促みたいな、この状況がいつも気恥ずかしいんだよね。べつになにもなくたって、無事に帰って来てくれればそれでいいのに」
「旅行中もマスターのことを忘れていなかったっていう証拠みたいでいいじゃないですか」
「いやいや、ぜったいきれいな景色とかに心奪われてっからね。四六時中おもっていてくれるわけじゃないからね」
「そもそもで四六時中おもうって言うのは不可能じゃないですか?求め過ぎです」
あいさつもそこそこに車へと乗り込む。
見慣れた景色が目に映り込んでくるが、ノスタルジーには浸れない。
感動の再会というわけでもないのに、心臓がドキドキいっている。
通常のテンションではない自分のテンションに気付いて、どこかそわそわしていた。
「このあいだ、”わたし、いつか飲食店をやりたいんですけど、上手くいく飲食店の条件って何ですか?出店場所ですか?それともメニュー構成ですか?”というようなことを言われたから、まじめに考えてみたんだよね」
マスターが現実へと引き戻すように身近にあった話をしてくれる。
「へえー……やる気に満ちあふれた人がまだこの世にもいたんですね」
「えっそれどういう意味?起業精神旺盛なやつなんて、けっこうたくさんいるんじゃねーの?成功するかしないかは置いておくとして。まあ、成功しないやつが山ほど居て、成功する人間がごく一握りっていうのが結論だろうけど。それより聞いてくれる?おれがいくつかうまく行く飲食店の条件っていうのを考えたから。まず第一に、その地域にないお店をいっちばん最初にやる」
「それは大事ですよね。ないものが出来ると、真新しくてそれだけで人が集まってきますし」
「おれの住んでいるところは商店街がないし、残念ながら店舗を出せる物件も少ないんだよね。それでも大きいマンションがたくさんあるし、会社もたくさんあるし、工場もあるから、人は昼も夜もたくさんいる」
「人がいない街だと致命的だよな。おれはそういう荒びれた街、嫌いじゃないけど」
浅沼くんがぽつりと呟く。
浅沼くんのこころはまだどこか、外国にあるような感じがした。
「で、ワインバルと自家焙煎のコーヒー店がないなあと思っていたら、最近、どちらも出来てたんだよ」
「その店には人ははいってんの?」
「かなり入ってる。当然だけど、『その地域にパン屋がないなあ』とか『学生もOLも入れる食堂がないなあ』とかそういう足りないものに気がついて、そのお店をはじめたら、お客さんは来るんだろうね」
「意外と身近なそういう感覚がいちばん大きいんでしょうねー。逆にカフェがたくさんある街で新しくカフェをはじめても、最初から競争でたいへんだろうし……」
「ほかには、そのお店にしかない『めずらしいメニュー』か、『すごくおいしいメニュー』があれば、それだけでずっと経営は続く」
「わかりやすいところだと『下北沢のアンゼリカの味噌パン』?」
「そうそう。あれうまいよね。かならずテレビで紹介されるし、下北に行ったらみんな買うでしょ」
「独特っていうの、大事だよね。さらにメニューはそれのみで、そして絶品らしくて、もう列が途絶えなくて、おそろしい行列をつくる。それがまた人の目に止まって、相乗効果が起きる」
「最近は待たされるのもイヤとしないお客も増えて来てるらしいね」
「そういう『うちはこれだ!これで推していく!』っていう、どこにも負けない看板メニューを開発できたら勝ちだよ」
「外国の料理でまだ日本に紹介されていないものを紹介するっていうのもありだよ」
「これ、『もうほとんど紹介され尽くしているんじゃない?』と感じるんだけど、世界は広いもので、まだまだ全然探せばあるんだよね」
「『日本人の味覚にあいそうな料理』をみなさん探しがちだけど、逆に『日本人にこの美味しさを教えたい』という『新しい味の発見』というほうが可能性があると思う。これは音楽もおなじだろうね」
「たとえば、アルゼンチンのバーベキューは臓物をかなり食べるらしいんだけど、それは紹介されてないよな……まあいろいろ規制があるんだろうけど」
「そういう意味では、『すごく硬いパン』とか『すごく臭い食材』とか『一見ネガティブそうな食材』は話題になるし、アリだと思う」
「まあなにより、だれもやってなかった新しいスタイルをやりはじめる。これに尽きるんだけど、それがむずかしいんだよなー。逆転の発想とかね、そう簡単に浮かばないよ」
「いまは『屋台でBAR』なんていうスタイルもあるし、『焼き鳥とワイン』なんていうのもよく見るけれど、こういうのってちょっと昔にはなかった考えなんだよね。ドトールの形式も今となっては当たりまえだけど、それ以前は本格的なコーヒーが、あんなに安価では飲めなかったもんだ」
「よく言われるのは『蕎麦やウドンや牛丼が500円以下で出来るんだから、カレーやラーメンやパスタも出来るんじゃないか』というのもあるけれど、コスト削減がかならずしも良いと思えないけどね」
「んで、最後は人で勝負。これはむずかしい。じつにむずかしい」
「たとえば、”とにかく店員とお客様のコミュニケーションを重視してリピーターを増やす”という方式がある」
「コミュニケーションが不足している現代らしい」
「現代も昔もなにも変わっちゃいないよ。立ち位置的には、看板娘とかそんなんだろ」
「あるいは、『ちいさいお店の名物的な人』みたいな方式もあるけれど、本当にこれもよほどの個性がないとむずかしいね」
「『ただ感じが良い』だけでは『ずっと通う理由』にはならないからなぁ。やっぱり『恋愛的要素』があったほうがみんな何度も通うわけ」
「『恋愛感情』にはむずかしい理屈もいらないし、いちばん手っ取りはやい」
「会いに行けるアイドルが爆発的に売れたのはそういうことかー」
「今やマーケティングを制したものが成功を収めるんだろうね。すごい技術とかが別段必要なわけではなくて、あるものを上手に回して行くこととかそういう知恵の部分が重要視されている気がする。突飛なことはもうやり尽くしてしまっている感じがあるよな」
「このジャンルはまだまだ開拓されていないから、”新しい方式”を思いついたら成功しそうな気がするよ」
「マスターは、そうやって顧客を獲得しているんですか?」
「おや、ヤキモチかい?おれは、もうそのやり口は使わないね。昔はそりゃあありがてぇやって使わせてもらっていたけど、人の感情ほどクソ面倒くさいこともないし。つなぎ止めておくのもたいへんなわけよ。大事にしておく必要のあるものは数少ないんだから、それだけに焦点を合わせておく」
「それでももしかしたら現代の人は、より多くの人に知ってもらう、見てもらうことを重要としているのかもなあ。あらゆることに柔軟に対応できる人間とか減って来てしまっている気がする。安定とか安心とか好きだろう?」
「ゲームのなかの世界は安心で安全だ。ゲームのなかの自分は仮に死んでも、現実の世界では安全に過ごしているわけだから。そうやって、現実の世界では安全なところに自分の身を置いて、実はだれかを匿名で傷つけたりするのは平気で行なえる、そんな時代なんだよ。自分の身が危うければ、なにも発言しないし、行動しない」
「口ばかり達者な人間が増えてしまったかもなぁ。こころないことばだって平気で吐ける。安易で簡易的なことばでね」
「先日、某音楽誌の編集者からこんな話を聞いたんだけど、最近渋谷周辺にライブハウスと楽器屋が増えてきてるよね?あれって『やりたい人からお金をもらおう商法』っつうんだって。昔は音楽は一部の才能がある人達だけが作って、それをCDにして売ってたわけだけど、今はもうCDが売れないから、『君にも出来るよ』って雰囲気にして、楽器を買わせて、音楽学校に行かせて、ライブハウスに出させて、そのライブに来る人も音楽をやりたい人ばっかりで、そこでお金を回収してるんだよね。クラブとかも今はそうで、純粋にクラブ遊びをたのしむ若者はいなくなったから、DJ予備群やDJたちが集まってイベントをやって、そこでお金を回収しているみたいなんだよね」
「なるほど。たしかにそうかもしれない」
「でもこのパターンって結構ほかにもあるでしょ。文芸誌を買っているのは全員『作家志望』だっていう話もあるし、たぶん短歌や詩の世界もそういうことになっているんじゃないかね……。劇団関係はかなり前からそういう空気になっているような気がするし、もしかして映画やアニメなんかもそういう雰囲気が進行し始めているのではないかな?」
「専門性が高まっているってこと?」
「けっこう飲食業界もそういうふうになり始めていて、以前は『お店を出す』なんていうのは、老舗の有名店で20年修行して、やっと
「そこで気がついたのはインターネットなんだけど、このインターネットの場こそ、プロとアマチュアの差がない。マスコミ業界にコネもなんにもない普通の人が突然すごくおもしろいコンテンツを作ってプロになれるし、テレビのなかではプロのタレントなのに、インターネット上のブログとかではそんなに面白くなかったりする」
「そして、インターネット上にあるものすべてが、そんな『やりたい人からお金をもらう』というシステムになっている」
「それで思うのは、この『やりたい人からお金をもらう』っていうのは、もうこれは世の中の流れで仕方がないことなんだなってことに気付いたよ」
「そして思い出すのは、この言葉だね。『ゴールドラッシュで確実にいちばん儲かる人間はシャベル売りだ』」
「金を掘って大儲け出来る人はめったにいなくて、その金鉱の入り口でシャベルを売っている人が、結果的にいちばん儲かるという話ね」
「やっぱり『箱』とか『場所』とか『システム』を作った人が勝ちなんだろうなぁ。上に立って、人々をコントロールする人」
マスターの携帯電話が鳴り、そこで話が中断された。
わたしと浅沼くんはとくに会話をすることなく、お互い車外の景色を眺めていた。
きっとわたしたちの思うことはいっしょなんだろう。
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