第3話 変曲点3
わたしの自宅に遊びに来ている友人とその子どもをぼんやり眺める。
わたしは、優先的に彼女たちといる時間を選択している。
きゃっきゃっとはしゃぐ二人に
彼女は、J-POPの女性アーティストが好きだった。
J-POPのアーティストは、大衆が好みそうなダンスや綺羅びやかな衣装、派手なパフォーマンスが特徴的である。
わたし個人がそのアーティストがすごい好きかと問われれば、それは違っていて、彼女の目を通してみるのであれば、輝いて見えるのだった。
言いわけをするのなら、ポップは大衆意識の最先端であり、ポップへの興味を深めることによって、市場が求めているものが把握しやすい。
認めてしまうのなら、彼女の好きなものが、いつの間にか自分の好きなものになっている、そんな意識である。
ついでに彼女の子どもに関して言うと、わたしの目から直接見ても、じつに愛らしい。
ふたりを見ていて、心がだんだんと、温かくおだやかになっていくのを感じた。
安らぎってこういうことを言うんだろう。
「夕飯は、デニーズでいい?」
「ロイヤルホストがいい」
「え?サイゼリヤ?」
「どういう聞き間違えなの、あり得ない」
彼女に一日子どもを預けられ、家に留まっていなければならないあいだの良い暇つぶしとして、ネットサーフィンをしていた。
彼女の子どもは今、すやすやと眠っている。が、いつ起きて泣き出すかわからない。
それでも子どもの寝顔を眺めているだけで、天使のように思える。
他人の子なのに不思議なまでに愛着を感じている。
これが母性と言うものなのだろうか。
ときどき横目で様子を窺いながら、某動画サイトで音楽を聴いて自分の作業をしていた。
そこである一定のリズムや音調を聴いて、ふと手が止まる。
あれ……。
何故か、わたしはそれをとてもよく見知っているような
慌てててそれを作った人物の名を見ても、ハンネ(ハンドルネームの略語)で、当たり前のごとく偽名であるため、わたしの抱いた疑惑の真偽は定かにならない。
不明瞭であればあるほど、興味だけが深くなってゆく。
その名で検索をかけてみれば、ここらネット界隈では広く知られている人物らしい。
顔写真は出てこなかったものの、どこかわたしの知っている人物の面影と重なる。
まさか、ね……。あり得なくない話だ。
この膨大な情報量のなかで仮に彼と出会ったとしても、運命的ではあるが、ちっともおかしくはない。
広いようで狭い、狭いようで広いよくわからないこのネットの世界。
彼が彼として存在していれば、かならずどこかで出会すことになるだろうし、わたしは彼を彼として認識することができるだろう。
なんとなく、その彼という人物は、浅沼くんだと確信していた。
浅沼くんはわたしに、この活動のことを教えてくれるだろうか。
言わないかもしれない。
たぶん、言わないだろう。
なんとなくそんな気がする。
彼は慢心的な人間でも、誇張的な人間でもない。
「認められたい」
「認めてほしい」
そんなことは死んでも言わないだろう。
ただ行動で示して、存在で示す。
そんな男気のようなものが彼のなかに確固として存在する。
わたしが知らないところでも、彼はちゃんとこの世界に存在しており、それをきちんと証明している。
彼の才能を、多くのだれかが評価している。
それは素晴らしいことだ。
それと同時に自分だけで彼を独り占めしていたかったという、独占欲だってあるわけで、なんだか嬉しいような悲しいような複雑な気持ちだ。
たとえば、有名になってしまうと、いろんな大人に「ずっと続けてくださいね」とか「ずっとつくり続けてくださいね」って言われたりする。
「大人ってそんなことを言うんだ」と思って、自分がこの業界の偉い人だったり、責任者だったりしたら、アーティストになんて声をかけるだろう、と想像してみたら、同じように「ずっと続けてくださいね」と、言うような気がした。
「この人にはすごい才能がある。でも、こういうのってやめてしまう人が多いから、是非、続けて欲しい。創作物は30歳になったとき、40歳になったとき、それぞれの場面で選びとる事象が変わるはずだから、是非、独自の表現と発信を続けて、作品を積み重ねて欲しい」と、思うだろう。
でも、年齢に即してみれば、寿命が見えないうちにずっと続けろと言われれば、すごく重荷だろう。
もしかしたらもっと違うスタイルの表現が本当はあっているかも知れないのに、それらを試すことをためらってしまうかもしれない。
最近、こういう「才能」とか「運」とか「巡り合わせ」とか「チャンス」とか、そういうことばかり考えていた。
才能があっても全くうまくいかない人もやっぱりたくさんいる。
本当に「うわ、この人、すごいなあ」って思うのだが、でも、一向にうまくいかないっていう人、本当にいる。
一方で「うまくいく人」ってどこかパターンというか、法則性があると前からずっと気になっていて、こういうところかなあと思う。
尻込みしないで応募したり連絡をして、とにかく最初の第一歩の行動をとる。
これ、就職でも恋愛でも作品の公募でも何でもそうだが、とりあえず、「自分には無理」とか「いつかやる」とかじゃなくて、すごく軽い気持ちで「応募してみる人」、あるいは「連絡をとってみる人」は、存在する。
で、一度、応募してみたり、連絡をとったりしても、まあ最初はうまくいかないのが当然なのだ。
もちろん、たまに最初からうまくいく人もいるが、めったにいない。
それで、ちゃんとどこがダメだったか反省して、リサーチしなおしてもう一度トライする。
これ、文章にすると本当に単純なことなのですが、意外とみんなこれが出来ない。
「世の中が悪い」とか「審査員がわかってない」とか「システムが良くない」とかとにかく「自分が悪い」とは客観視出来ない。
就職でも恋愛でも同じことだろう。
さらに周りの人の意見を参考にする。
「素直な人が一番のびる」ってよく言われる
これも文章にすると本当に当然なのだが、たとえば編集者とか、周りの友達とか、そういう色んな第三者の意見をよく聞いて、試してみるということをすれば、確実に「以前とは違う自分」に出会えるはずなのだが、それが本当にむずかしい。
これ恋愛でも同じだなあと感じたのが、先日、婚活を続けているある女性が「すごく可愛いメイク」になっていた。
「どうしたんですか?」って聞いたら、「お化粧の講座を受けたんです」とのことだった。
自分のやり方に固執せずにプロのアドバイスを受けるというのは、本当に必要である。
さいごに、世の中とかシステムとか時代とか団体とかだれかのせいにしない。
いつも色んな人たちを眺めていて思うのは、どういうわけだか「○○がダメだから」を言ってる人は確実にうまくいかないものだ。
良いことを言えば、どこか胡散臭く、なんか「自己啓発本」みたいなことばになってしまう。
でも最近、いろんな人を見てて、「なんでこの人はうまくいくんだろう」あるいは「なんでこの人はうまくいかないんだろう」とか気になって、「ああ、こういう人には、こういうふうに良い評価してくれる人間が現れて、こういう新しい場所を手に入れるんだなあ」と思った。
浅沼くんは良い評価者たちを手に入れたんだなぁ。
浅沼くんの良さを知っているのは自分だけではないのだなぁ……それってなんだかモヤモヤするなぁ。
そんな自分の思いよりも、やっぱり彼の才能の崇高さに胸が打たれた。
才能はなんと尊く、危ういものなのか。
彼は彼の道を着実に歩んでいるのだから、せめて自分に出来ることで応援していきたい。
それがたとえ、陰ながらであっても。
彼の楽曲を片っ端から聴いていく。
DL《ダウンロード》してiPodに入れて歩こう。
彼の音楽は、間違いなくわたしの日常に潤いを与えてくれることだろう。
うるさくなく、しずかに流れるように心に染み渡っていく音楽。
ああ、うるさいと思う音と音量が大きい音とは違うんだという話を浅沼くんとすこし前にしたっけ。
強弱の付けかた、盛り上がり、すべてが絶妙的に好みだ。
まるで彼の分身のような音楽だ。
彼の言動、思考、理想、すべてが詰まったような曲たち。
彼の名は言わないで、わたしの知人にもいろいろ薦めたくなるくらい。
彼のいちばんのファンでいることは出来るだろうか?
『ね、すごいでしょ』って。
このことを、マスターは知っているんだろうか。
わたしには言わないで、もしマスターに教えているのだとしたら、それは絶対にやきもちを妬いてしまうだろう。
明くる日、バイト帰りに久しく訪れていなかったBARへ向かった。
確実にマスターに会いに行く目的があるというのに、事前のアポを取ることもなく行った。
そのような自分の行動から、あらゆる自分の心理を見出すことができる。
BARのドアを開けると、金曜日だったせいか、すでにお客で混んでいた。
マスターは、来客の女の子と話している最中だった。
マスターはドアが開いた拍子にこちらを見ていたので、目が合った。
よ、と手を挙げるマスター。
わたしはマスターと女の子を見比べて、いま時間大丈夫ですか?と口パクで伝えた。
マスターの話し相手というのは、相談、雑談、ビジネス交渉……いろいろあるが、今回は雑談だろうと推測した。
しかも主に女の子がマスターに想いを寄せているんだろう。
女の子が振り返ってこちらへ向ける視線が、えらく怖い。
普段はわたしからマスターを誘うことがないので、ほんのすこし驚いた顔をするマスター。
そんな表情に少し笑って、埋まってしまっている席の間から、持っていたiPodのイヤホンをマスターへと差し出した。
「今日はたいそう積極的だね、佐倉ちゃん。俺が夢にでも出てきた?やっと俺の出番か……恋しかったかい、ハニー」
「あら、それはそれは、なんて素敵な夢なんでしょう。冷凍保存しておきたいくらいですね、ダーリン」
「佐倉ちゃんがそんなこと言うなんて、それぜったい冷凍庫に入れて化石化させるパターンだろ」
「新手のハニートラップってやつです」
マスターはイヤホンを受け取って耳に入れながら、片手でそっと店のBGMの音量を下げている。
それを見届けたわたしが、iPodの曲を音量を上げ気味にして再生させる。
音に聴き入るマスターを、じっと観察する。
一時も目を逸らさずに、わずかな変化も見逃さぬように。
マスターをこんなに観察したことが、今までに一度もなかったことに気がついた。
今更、ほんとうに今更だけど。
他人をまじまじと観察するタイミングなんて、そうそう巡ってくるものではない。
マスターは、いつになく真剣に曲を聴いている。
その姿を見ているだけで、この人はやっぱり、音楽関係の世界の人だったんだなぁーと思わされる。
曲を聴くときの独自の緊張感みたいのを持っている。
マスターと話していた女の子は、なにか言いたそうにしていたけれど、マスターのこんな姿を見たらなにも言えなくなっていた。
空気が読める人は邪魔をしないはずだという頭があった。
そして空気に敏感な人であれば、疎外感を感じて帰るだろう。
他人には、けっして踏み入ることの出来ない領域というものがある。
この女の子はこの物ごとのすべてを、わたしのせいにするだろう。
たいてい女性というのは愛している男を庇い、その他の対象物に感情の矛先を向ける。
女性特有の浮き沈みの激しいヒステリックな感情についてゆくのは困難である。
女の子は不機嫌を押し隠しもせずに、苛々として席を立ち、わたしに軽くぶつかってBARを出て行った。
ほんのすこし、罪悪感が胸に残った。
でもこれだけは言いたい。
いま、マスターの心を奪っているのは、わたしじゃなくて浅沼くんだ。
曲を聴き終えて、顔を上げたマスターはきれいな弧を描いた笑みを浮かべていた。
「これ、よく見つけてきたねえ」
「たまたまだったんです、たまたま見つけて、すごく気になって」
「あれでしょ、佐倉ちゃんは俺がこのことを知っていたかを知りたいんでしょ。それで居ても立ってもいられなくなったわけか」
「はい」
「正確には知らなかったけど、なにかしてはいるんだろうなーとは思ってたよ。徹に関しては、そんなあいまいさしかなかった。もともとわかりやすいやつでもなんでもないし」
マスターは音楽の余韻のなかにいるのか、いつもなら流暢ですらすら出てくることばが、詰まっては思案していることばに変わっていた。
「言っとくけどあいつ、俺になにも言わないからね。たぶんそれはだれでもいっしょだと思う……でも、やっていたことで成し遂げていることは、想像以上だわ。やるなあ、徹」
あいつそのものだわと、マスターも口にしている。
マスターもすぐに浅沼くんだと思った。
それが、なによりの答えだった。
わたしは嬉しくなって、彼の曲について
そんなわたしの様子にマスターは笑みを深めて、女の子がいなくなって空いた席をわたしに勧めてドリンクを準備してくれた。
「ね、佐倉ちゃんって徹のことになると饒舌だよね」
「そうですか?」
「あー饒舌とは違うか。徹のこと考えてると黙るし」
「自覚ありません」
「徹のこと好きだろ」
「そうですね」
「俺のことは?」
「好きですよ」
がくっと項垂れるマスター。
「才能に惚れてんの?」
「どうでしょう」
「今日水曜じゃないよ。金曜だよ」
「わたし、オオイズミヨウさんじゃありませんけど」
「この前のお返しだよ」
「マスターって根に持つタイプですよね。嫌われますよ」
「いや、好かれてるはずなんだけど。ついさっき好きだって言ってくれたじゃん」
気が向いたときにネットのなかの浅沼くんの動向を見ていた。
彼はネット依存というよりは、気が向いたときにふらっと現れて、ふらっと去っていく。
そんなのらりくらりとした人だった。
彼の日常性はネットを通してでは窺い知れなかった。
昔、浅沼くんの彼女が「リアル」という言葉を用いていたが、彼はどこにいても、「リアル」を感じない。
自宅では、どんなことをしているんだろう。
曲作り?ゲーム?勉強?
なんとなく、想像がつくようなつかないような。
いま、何を考えているんだろう。
彼は、知れば知るほど謎が深まる。
彼の深みに嵌っていく。
それが『気を付けて』という発言される
知りたいと思うには、深すぎて。
傍にいたいと思うには、遠すぎて。
想いを伝えるには、曖昧すぎて。
存在が儚すぎた。
儚いって人の夢って書くんだよと、だれかから聞いた。
夢のような人だ、浅沼くんって。
浮世離れしてる。
持て余してしまうくらいなら持たないほうが無難なのだろうと思いながらも、彼の曲をエンドレスで聴く。
彼の世界に入っていく。きっとそこは彼の体内。
何も考えなくても彼を感じられることのできる唯一の世界。
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