第3話 変曲点2



新生活にちょうど馴染んだころに、マスターから一通のメールが届いた。


メールの内容から察するに、マスターが近ごろ目にかけているバンドのライブにわたしもご招待してくれるそうだ。


そのバンドのライブでは、けっしてマスターが演奏するわけではないけれど、わたしはそのバンドのライブをとても楽しみにしていた。


そういえば、マスターが楽器をいじっているのを一度も見たことがない。


BARにもレコードやCDなどの音源は数多く置いているが、楽器は置いていない。


マスターと楽器は絶対に絵になるほど似合うと思うのに何故だろう、と疑問に思っては、そこに小さな違和感すら覚えていた。


そして誘われるがままにBARへ行き、マスターと顔を合わせると、マスターは笑顔でわたしにあるものを差し出した。


それは、生まれてはじめて間近で見るバックステージパスというものだった。



「え、これがバックステージパスなるものですか。おおー、かっこいい」


「だろ?惚れてくれても構わないぜ」


「バックステージパスに?とうとうわたしは二次元を愛すのかしら。二次元っていうか、もうバックステージパスという次元を考えると、バックグラウンドという意味合いも含めて八次元くらいなのかしら」


「それは遠慮しといて。そんな電波な人間とは関わりたくないかな、正直」



B-PASSとかG-PASSとかいうものは、なんだか特別感があって良い。


良いとか悪いということばを使うと語弊を生むかもしれないが、”関係者”という響きが良い。


事実上の人間関係なんていうものは、ほとんどないのだけど。



音楽関係者になりたいというわけではなくて、『関係者』ということば、そのものだけが良いという意味だ。



そんなに舞台裏が見たいかと言われれば、そうでもない。


物事の裏側と言うのは、見てしまうと存外幻滅してしまうことのほうが多いからである。


世の中、知らなくて良いことも山ほどある。


小さいライブハウスの楽屋は、ポスターやステッカー、落書き、たばこの煙で変色した壁が一面で、なんだか小汚い。



床もガムやら、傷やら、何かを零したシミやら。



置いてある音楽関係のフリーペーパーやら雑誌の散乱具合。


雑誌はよくある音楽雑誌で、著名な音楽関係者が表紙を楽器とともに飾っているものだ。


そのいろんなものが混じったごった煮感がライブハウスらしいと言えば、らしいのかもしれない。


おんぼろのソファーに何故か小綺麗にされたマーティンのアコギが置いてあって、軽く弦を弾いた。


マーティンの塗装はラッカー塗装で、管理を知らないとトラブルの原因となる。


塗装には、ポリ塗装、ラッカー塗装、なかにはオイル塗装もあるが、やはりラッカー塗装は繊細である。



「お、弾けるの?それともFの壁止まり?」



マスターはニヒルな笑みを浮かべて眺めている。


「意地悪ですよね、マスターって」


「そもそもMartinを『マーティン』と発音するのか『マーチン』と発音するのかでつっかかります」


「楽器も、かっこいいのとか価値があるのとかいろいろあるけど、結局は好みの問題ですよね」



と、談義が始まるのだった。


「マスターは楽器を弾かないんですか?」


「俺?俺が弾いたとして、いったいだれが聴くっていうの」


マスターの口もとは笑っていたが、目もとは笑っていなかった。


「……弾いていたら、聴く人はすくなくともいると思うんですけど」


投げやりなものの言い方がどこか卑屈さを感じ、マスターらしくないと心のなかで思った。


「どうかな。すくなくとも俺が望む観客は限られてるね。それに一時を境にあんまり弾きたいと思わなくなったよ」


「それはなぜ?」


「ヒミツ。弾きたいやつが弾いたらいいさ。成功する人間は限られていて、成功しない人間は巨万といて、趣味として楽器を相棒とする人間もたくさんいるし、それでこの世界が成り立っているんだから、とりあえずそれでいいんじゃないかな」


談義をしていれば程よく時は過ぎて、宛てがわれた居場所に身を置き、バンドの演奏を観て聴く。


マスターが紹介してくれたバンドの演奏は、とても良くて、演出やら何やらで、非日常を味わえた。


非日常を味わいに来る人間というのは、傍から見ると気が触れているかと思う。


どれだけ日常に飢えているのかと疑いたくなるほどに。


全身全霊を掛けてこのライブに挑む人間がどれだけ居るかというのが、そのバンドのバロメーターなのだろうか。


ファン性だなんだと、盛り上がったりはするが、結局は対人間同士の感性のぶつかり合いの気がしてならない。


観客がいて、演奏者がいて、それ以外にサポートする人間がいて、ようやく舞台そのものが成り立つ。


ひとつの物ごとを成し遂げるには多くの人員を必要とする。


ステージとスタンド席を交互に眺めながら、時折わたしは音楽の在りかたがわからなくなってくる。



これまでどんなふうに自分が音楽を聴いていたのか。


表現者がいて、演奏者がいて、技術者がいて。


見目麗しさを求めているのか。


音を体感しに来ているのか。



大勢のなかに身を置くと、あまりにいろんなもので溢れていて、自分を見失いそうになる。


むしろ大勢が集まる場所と言うのは、自分を見失うための場所なのか。



わたしは自分が自分でありたいと切に願う。

自分を失いたいとはけっして思わない。


しかし、あらゆる日常の猥雑な物ごとを忘れてしまいたいと思うことはある。


一瞬でもいやな物ごとを忘れられていられる時間がるというのは、癒しの時間とも言える。


そのためには、どうすれば良いのか。


それは自分の世界に入ってしまうこと。


そこは何人たりとも入って来られない、深淵の世界。


自分の好む、良質な音楽であれば、その無菌状態な自分の世界にも流れてくる。



自分のなかに流れて辿り着いた音楽にひたすら酔っていたい。


マナーだ、ノリだ、そんなことが言われる。


いつからこんなに他人の目を気にするようになったのか。


他人は他人なのに、かならず人が集まる場所には、そういう秩序が重んじられる。


すべては程度だ。


ハメを外しすぎるのも良くないし、かと言って自分を抑制してしまうのもつまらなくなる。



究極は、家でDVDを見てはしゃぐほうが、自由が効く。


ライブはナマモノだなんて言われるけれど、自分が本物の音を聞き分けられるほどの耳を果たして持っているのか、一体感を楽しめる体力を持っているのか、と問われれば、わたしは持っていないと即答できる。


それでは何のために自分はライブへ行くのか。



しばらくライブの余韻に浸っていた。


ココロココニアラズ。



バンドメンバーとその他関係者で、居酒屋にて打ち上げが開かれている。


ノリで誘われたお酒の席で、わやわやと賑やかなその場に、わたしもひっそりと佇む。


バンドメンバーに今日の感想を伝えようとも、さまざまな気持ちの整理がつかず、

労いの「お疲れさまでした」のひと言だけを伝えてから、酒をちびちび飲みながら物思いに耽っていた。



「お、佐倉ちゃんはミーハー女子じゃないんだねぇ。もっと言うことあるでしょうよ」



マスターはビールジョッキを片手に隣にやってきた。


マスターの目は居酒屋のスタッフへと向いている。


スタッフの若い女の人たちは、音楽関係者だと知っているのか、バックヤードでどこか浮かれているのが分かる。


どうやら色紙にサインをすでにもらったようだ。



「ミーハーですよ。勘違いしないでください。きゃーかっこいいー」


「いやいや、棒読みで言われても説得力ないからね。でもまあ、ほんとうにかっこいいでしょ、彼ら」


「そうですね」


「すくなくとも徹より健康的だよ」


「そうですね」


「良くない?」


「そうですね」


ある一定の返事になってしまったなと気付いたときには、マスターが顔を覗き込んできていた。


鬱陶しくて、手でマスターの顔を押し退ける。



「それにしてもずいぶん、うわのそらだね」と笑うマスター。


「そんなに演奏がよかった?なにがよかった?彼らのどこがよかった?」


マスターの興味津々な様子を受け流しながらも、一応受け答えだけは返す。


「またライブに来てくれるかな?ってマスターが聞いてくれたら、いいともー!と答える元気はありますよ」


「いや、もういいとも放送終了してるし。俺、モリタカズヨシさんじゃないし」


「マスター、連れてきてる子、紹介してくれないんすかぁー」



ほろ酔い気分のメンバーの一人が、すこし離れたところから声を掛けてきた。



「あー……無理だわ、この子気難しいんだわ。俺でも手に負えない」



手に負えないと言われたと同時に馴れ馴れしく肩を組んで来たマスターにむっとして、マスターの耳を抓ってやる。


あだだだと痛がるマスターに笑うメンバーたち。


気を遣わせてしまっているのはわかっているけれど、この余韻はだれにも邪魔されたくない。



たとえば、音楽にも種類がある。



POP、ROCK、フュージョン、ジャズ、ヒップホップやラップ、レゲエ、ダンス、ブラックミュージック、ブルース、フォーク、クラシック……と、まあ挙げていくと切りがない。


音楽に限らず、種類はどんどん細分化していく。



友人にも種類がある。



音楽に限れば、POPが好きだったり、ROCKが好きだったり、エトセトラ……。



趣味に区切れば、インドア派かアウトドア派かが居て。



こんなタイプ分けは、さながらユングだ。


分類は目的ではない。



ルーツを辿る。物事の根源となる部分。傾向はあっても、いつもそうであるとは限らなかったりする。



それぞれが思う、それぞれの好きな世界がある。


それは、個人が望む世界であって良いはずだ。




「あなたが視る世界が好き」


「あなたが創る世界が好き」


「あなたが居る世界が好き」




それが、世界観。


安易に使用される単語だけれど、深いことばだ。



何をどのように認識してそれを導き出したのか。



世界というのは、人間と絶対的他者が存在する。



同一化は不可能だ。



どんなに好きであっても、まったく同じには成り得ない。



解決され得ない自他という関係性から、投影という行為が起こる。



好きなものを選ぶことが出来る。


友人を選ぶことが出来る。


果たして、選んでいるのは、ほんとうに自分なのだろうか。



DNAに予め記録されているものかもしれない。


最初からすべて、そのようになると決まっていたことかもしれない。


その自分が下したであろう、決断も。



……ここまで来て、考えが行き詰まった。


ふと携帯電話を見ると、一通の新規メールがはいっていた。


浅沼くんからだ。


「恵方巻きって食べる?」


突然、どうした。


浅沼くんのメールは常時、こんな感じだ。別段驚きもしない。



「おれは食べたことないし、たぶんこれから一生食べないと思うけれど、恵方巻きについてみんながアレコレ言ってるのがすごく好きなんだよね」


そんなふうに話が続いてゆく。


「関西出身の人が、かならず『あんなの、関西人は誰も食べていない』と言ったり、『セブンイレブンの売り方が……』というようなことを語ったり、『こういうときにお寿司屋さんを儲けさせてあげようよ』とか、『まあそんな堅いこと言わずにそれで幸せになるんだったら楽しいじゃない。こういう縁起物は楽しんだほうが勝ち』と言ったり、なにかと毎年、そういうのを眺めて、『人間って本当におもしろいなあ』と感じてるんだけど」


そんなことを思う、浅沼くんがおもしろいなあと思いながらメールを続ける。



「たぶん、『人間の心の動き』っていうのが好きなのかな。自分でもよくわからないんだけど、こういう『人間の心の動きのマーケティング』みたいなことがすごく好きなんだ」



「たとえばの話。二十代前半の若い人がマスターのお店に来て、『音楽が好き』なんてことを言おうものなら、かならず『いま、音楽ソフトはどうやって入手しているか』、『どういった媒体で聴いているか』、そして『あたらしいアーティストの情報はなんのメディアで入手しているか』っていうのを、ひたすら質問したい衝動に駆られる」



「もちろん最近の若い人は、昔ほど音楽雑誌は読んでいないし、タワーレコードに行って店頭でいろいろ試聴しているわけでもないし、好きなDJがいるわけでもないし、『じゃあ、どうやって新しい音楽と出会うの?』って感じで、すごく気になるんだよね」


「ちなみに最近ヒアリングしたところ、『アップル・ミュージックの類は使っていない』、『友だちのオススメであたらしい音楽に出会う』、『YouTubeで聴いている』、『すごく好きなアーティストならレンタルでCDを借りる』そうだよ」


「そういう『若者の消費行動』みたいな情報を手に入れると、『友だちから教えてもらう』っていうのはもちろんわかるけど、その友だちどこかから『あたらしい音楽情報を入手している』わけだから、それはどこなんだろう?あるいはそういう『すごく音楽にくわしい人』というのが、どのサークルにも1人はいて、そのくわしい彼はネットや雑誌やCD店なんかをかなりチェックしていて、彼のセンスをみんなが信頼しているのだろうか?じゃあその詳しい彼に情報を届けるにはどうすれば良いのだろうか?とか考えてしまう」


「あるいは『すごく気に入ったアーティストならYouTubeだけじゃなくて、レンタルでCDを借りる』ってことは、『15曲に300円くらいなら払っても良い』って感じているんだ、じゃあ1曲20円でDL販売するのなら買ってくれるのかも知れないんだ、とか考える」


「おれはけっして音楽業界の人間ではないけれど、『みんなが今こんな感じに考えているんだったら、こういうふうにすればみんなが幸せになれるんじゃないかな』ってアレコレ考えるのがすごく好きで、これは『恋愛』も同じなんだ」


「女性が男性を、男性が女性を、求めていたり、恋という数値化出来ない感情があったり、誘うときの言葉であったり、デートやプレゼントで『金額』や『センス』や『想い』を表現したり、キスやセックスや結婚といった、いくつものステージがあったり、そしてその『恋愛行為のすべてに人間くさいおもしろさやかなしさ』が内包しているのが、すごく興味深くて、アレコレ考えてしまったり」


「そして『1曲20円だったら買うのだろうか?』とか『このメールの感じはもしかして自分のことを好きなのだろうか?』とか、そういう『マーケティング行為』はすべてに『正解』がなくて、あくまで『仮説』なんだよね」


「で、大の大人が、そういう『仮説』を一生懸命考えて、またあたらしい『仮説』を作り上げて、という、そういういつまでたっても『正解』にたどり着けない感じが好きなのかなと思う」


「いつも思うのは、遠足は行く前の日のおやつを買っているときが楽しいし、恋愛も告白するまでのアレコレが楽しいし、買い物もどれにしようか迷っているときが楽しいし、最初のキスも唇が触れるその前のドキドキが楽しいし、どこかにたどりつくまでの『道のり』が楽しいのかなって」



「でもまあ、恵方巻きは食べている間が拷問だよね。いつの時代も男は馬鹿な生きものだし」


浅沼くんは恵方巻きからここまで話を広げられる人間らしい。


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