第8話 涙
朝食を取った後、私は自室のベッドに倒れ込んだ。体中ガタガタだ。骨に異常はないものの、ダメージは大きい。あれから軍用車を奪って自宅に帰ってきたのは明け方の七時。幸い祖母はまだ寝ていたから、夜中の外出がバレることはなかった。体の傷も長袖の服で隠せる。祖母に心配をかけることはない。誰かが扉をノックした。
「ロゼさん、入りますよ」
「ああ、何?」
「お昼の食材が切れてしまっていて……私ちょっと町まで買い出しに行ってきますね」
「私も行くわ」
身を起こし立ち上がると、鋭い痛みが走った。アイリスが慌てて制止した。
「駄目ですよ! そんな体で外出なんて……。それに、私は助手席で帰りに休ませてもらいましたけど、ロゼさんは全然寝てないじゃないですか」
「家でずっとグッタリしてたら、おばあちゃんが余計な心配するでしょ。歩くだけなら大丈夫よ。それに、調合で使える材料も買いに行きたいし」
今回の戦いでは、調合薬が思いのほか役に立った。傷を治すまでの間、準備を万全にしておきたい。
「……分かりました。でも、あまり無理はしないで下さいね。辛くなったら言って下さい」
私は出掛ける支度を調えた。リビングでは祖母が芋の皮剥きをしていた。
「おばあちゃん、ちょっとアイリスと買い物に行ってくるわ。何か買ってくる物ある?」
「そうねぇ……久しぶりにジャスミン茶が飲みたいわね」
「うん、買ってくる」
ジャスミン茶は私は好きではないが、祖母の好物だ。自分が飲まないからといって、しばらく買ってなかった。少し買い溜めしておいてあげようか。町へ向かう途中、私はそんなことを考えていた。
*
「ロ、ロゼさん……まだ何か買うんですか?」
荷物を全て持たせているアイリスがヘトヘトになりながら聞いてきた。食材だけなら大した量じゃないのだが、私の調合材料が多いのだ。草花や金属、トカゲやカエル、昆虫を使うレシピもある。町中の店をまわって、これらをかき集めた。でもまあ、どうせいっぺんには作れないからこんなものでいいか。
「もういいわ。最後にジャスミン茶だけ買って帰るよ」
「ほっ……良かったぁ」
町の入り口近くにある、行きつけの茶屋に入った。品出しの最中の店主のおばさんが私を見ると、にこやかに迎えてくれた。
「あら、ロゼちゃんにアイリスちゃん。いらっしゃい」
「こんにちは。いつものジャスミン茶ある?」
「あるわよー。お婆ちゃんが好きだからいつでも置いてあるのに、ロゼちゃん全然買ってくれないんだから」
冗談めかして言うおばさんに、私は思わず苦笑いする。
「ごめんなさいね。まとめて買っていくわ」
「はい、毎度ありがとね。お婆ちゃんは元気?」
「ええ、最近体力落ちてきてるけど、まだまだ元気よ。畑仕事ではアイリスの方が先にバテてるわ」
後ろではアイリスが恥ずかしそうにしていた。
「あっはっは! それは何よりね。今度またお婆ちゃん連れて遊びに来てね。いろいろお話ししたいわ」
「分かった。伝えとくわ」
帰り際、おばさんがサービスで茶菓子をどっさりと渡してくれた。今日の昼食はこれでいいか。三人で食べるには多い。仕方ない、ついでにカトレアも呼んでやろう。
*
村に着いた。思ったより時間がかかってしまった。祖母も心配しているかもしれない。
「ハアハア、やっと着きましたね……あっ!」
アイリスが何かに躓いて転んだ。持っていた荷物が派手にぶちまかれた。
「ちょっと、何やってるのさ。卵割れちゃったじゃないの」
「ご、ごめんなさい。えっ…………きゃああ!!」
アイリスが悲鳴をあげた。アイリスが今躓いた物……倒れた人の体だった。いや、倒れているのではない。胸に深々と矢が刺さっている。死んでいるのだ。
「ロ、ロゼさん……こ、こ、これは一体……」
村を見渡した。すぐに異常に気付いた。この人だけじゃない。村のあちこちで人が死んでいる。男も女も、老人も幼い子供も……。家屋は破壊され、火の手が上がっている。あの日の光景がフラッシュバックした。脳が、心臓が警鐘を鳴らした。
「ロゼさん!」
私は走った。考えるよりも先に走った。体中が痛い、そんなことは関係ない。鼓動がどんどん早くなる。鳥肌がおさまらない。自宅が見えた。壊されていない。燃やされてもいない。私はぶつかるように扉を開けた。
「おばあちゃん!!」
いない。芋の皮剥きは終わっている。寝室を開けた。いない。風呂場にもトイレにもいない。どこへ……一体どこへ…… 。
「ロゼさん!!こっち来て、早く!!」
外からアイリスの悲鳴のような呼び声。私は家を飛び出し、畑の方に目をやった。畑には、しゃがみ込むアイリスと…………倒れて動かない祖母がいた。一瞬目の前が真っ暗になる。弾かれたように走り、祖母を抱き起こした。目立った外傷はない。だが、私の呼びかけには応えない。息をしていない。心臓も動いていない。死んでいる。最愛の祖母が、私の腕の中で死んでいる。
「おばあ様、そんな、どうして……どうして……」
アイリスが泣き崩れた。思考が追いつかない。何故こんなことに。誰がこんなことを。これからどうすればいい。冷静に考えればすぐ分かるようなことも、答えが出てこない。落ち着け……とにかく落ち着くんだ。まずしなければならないこと、それは……。
「……アイリス、まだ生存者がいるかもしれない。あんたは北側を探しな。私は南側を探す」
「うぅ……は、はい……」
祖母をそっと寝かし、その両手を体の上に重ね合わせた。まだ体温が残っていて温かかった。私はその最期のぬくもりを惜しむように、祖母の小さな手を強く握りしめた。
……カトレアは? 彼女はどうなった? 私は立ち上がり、再び走り出した。五分ほど走った所にカトレアの家がある。いや、ここにあったはずだ。燃えている。焼け落ちていて、もはや原型はない。魔法で水を射出し、火を消し止めた。中に入りカトレアを探す。しかし出来ればこんな所で見つかってほしくない。
「カトレア! カトレアいるの!?」
返事はない。外にもいない。無事に逃げ出せたのか、それとも別の場所で……。その後、結局生存者は一人も見つからず、カトレアの姿もなかった。村の中央でアイリスと合流したが、北側も同じ状況だったようだ。
「……皆を弔うわ。手伝って」
「はい……」
私達は手分けして村人達を土葬した。家屋の柱を使って、簡易的に十字架を作った。後でちゃんとした墓を作ってやろう。最後に、祖母の遺体を畑に埋葬した。結局飲ませてあげられなかった、ジャスミン茶と一緒に。アイリスはずっと泣きっぱなしだった。
私はこの事態を覚悟していなかったわけではない。やったらやり返される。どっちが先に手を出したかなんて関係ない。どちらかが死ぬまで繰り返されるのだ。もっと仲間が大勢いれば、反撃の暇も与えず決着をつけられたかもしれない。しかし、二人では結局限界があったのだ。そして結果的に皆を巻き込んだ。私のせいで祖母や村人達は殺された。しかし後悔はしていない。復讐は、私の生きる意味……私の全てなのだから。やらなければ良かったなどとは、微塵も思わない。
「うぅっ……ぐすっ……ぐすっ……」
「いつまで泣いてるんだ。いい加減うっとおしいよ!」
「……ロゼさんだって……ロゼさんだって泣いてるじゃないですかぁ……」
……頬に指を当てた。枯れてなかったのか。あの日に一生分の涙を流したつもりだったのに。ウォルナット……一体どれだけ私から大切なものを奪えば気が済む? 叩き落としてやる……死の何万倍も恐ろしい無間地獄へ、必ず貴様を……。
「……カトレアさんは、どこに行っちゃったんでしょうか」
「分からない。彼女は知らない間に旅行に行ってることも多いから、もしかしたら難を逃れたのかもしれない」
「もしそうだとしたら、帰ってきたらきっと驚くでしょうね……」
せめて、彼女だけでも無事でいてほしいと願った。だが、カトレアを探す前にやるべき事がある。私は歩き出した。アイリスも黙ってついてくる。村外れの誰も立ち寄らない場所にポツンとある大岩。指揮棒を振ると、本来の姿に戻っていく。メイプルの拠点から奪ってきた軍用車だ。オークの拠点で奪った軍用車は途中で燃料が切れて乗り捨ててきたが、こっちはまだ走れる。何かに使えると思い、ここに隠しておいたのだ。
「ガーデン城に向かうわ」
「えっ!」
「そんな体でって思ってるんでしょ? 言っておくけど止めても無駄だから。怖いなら来なくていい。私一人でもやるから」
自分でも愚かだと思う。地下室に身を隠し、体を治して調合薬を作り溜め、万全の状態にしてから挑む方がいいに決まってる。だが、ここで自分を抑えたら、確実に私の心は壊れる。奴らを今すぐ皆殺しにしなければ、決して治まることはない。私が運転席に乗り込みエンジンをかけると、アイリスも乗り込んできた。
「無理しなくていいのに」
「私も……ロゼさんと同じ気持ちですから」
普段は気弱で大人しいアイリスが放ったその言葉からは、確かな怒りを感じ取れた。私は車をガーデン城へ向けて走らせた。この戦いに、私の人生に、決着をつけてやる。
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