第7話 炎と水
自宅の地下室で、私とアイリスは模擬戦闘を行っていた。本物の魔法をぶつけ合うわけにはいかにいので、走り回りながらお互いの杖から水を射出しあっている。まるで水鉄砲で遊ぶ子供のようだが、私達は真剣だった。ただ禁呪が使えれば勝てるというのなら苦労はしないのだから。本人が一番、前回でそれを痛感しただろう。
アイリスは既にびしょ濡れだったが、私はまだ一度もくらっていない。子供の頃から肉体労働してきた私に比べ、アイリスは圧倒的に運動能力がない。だが、こればかりは一朝一夕でどうにかなる物ではない。だからこそ、せめて魔法を正確に相手に当てる技術や立ち回りを身に付けてほしかったのだ。前回のように、でたらめに撃ちまくってガス欠になるなんてことは許されない。肩が完治してから、何日もこの特訓を続けていたのだ。
少しずつだが、私の水を躱せるようになってきた。逆にアイリスの水が私をとらえそうになる。ずっと動き回っていたからお互い汗だくだ。私でさえ息が切れているのだから、アイリスはいつ倒れてもおかしくない。だが、アイリスは決して攻撃を休めなかった。そしてついに、アイリスの水が私の顔面をとらえた。
「あ、当たった! 当たりました! やったー!」
ここまで長かっただけに、アイリスの喜びようも激しい。
「……今日の夕食は抜き」
「ええ!?」
「冗談よ。ちょっとカチンときただけ。とりあえず合格ってことにしといてあげるわ」
私は顔をタオルで拭きながら言った。正直言ってまだまだだが、それでもアイリスの成長の早さには毎度驚かされる。褒めるのは嫌いだから、そんなことは口には出さないが。
「今日もう少し特訓したら、明日一日休んで、明後日メイプルの拠点に攻め入るわ。そのつもりでいなさい」
「明後日!? 私まだ一回当てただけなんですけど……早すぎないですか?」
「私だってあんたが完璧に育ってから行きたいけど、そうもいかないのよ。私達は既に二人もフォレストの幹部を殺した。いつ本腰を入れて犯人探しを始め出すか分からない。いえ、もうやってるかもね。少なくとも、犯人が魔女ということは既にバレてる。国中の魔女を徹底的に炙り出すかもしれない。無関係の一般人の女も殺される可能性もあるわね。この村の他の魔女は、私が魔女であることは知っているから、もし彼女達が拷問にでもかけられたら私のことがバレるかもしれないのよ。そうなる前にケリをつけなきゃいけないの」
「そっか……そうですよね。私が思ってるほど、時間に余裕なんてないんですね」
またいつもの不安そうな顔に戻ってしまった。だが、そんなことでは困る。今回の戦いは本当にアイリスにかかっていると言ってもいい。今までのように、スケベ心につけ込んだり医者になりすましたりといった小細工はできないのだから。だからといって、本当に全くの無策で突っ込むわけにはいかない。明日中に何か考えておかないと……。私は普段は滅多に目を通さない、魔法の調合薬の本を手に取った。
*
二日後、私達はメイプルの拠点近くの林に身を潜めていた。バーチの拠点よりも更に大きく、そして広い。まるでメイプルの大きさを象徴しているかのようだ。時刻は深夜二時。少しでも兵士達が少なそうな時間を選んだ。服装も闇に紛れるため、魔女らしく全身黒ずくめだ。しかし、予想はしていたが警戒態勢はガチガチだった。一本の高い塔からサーチライトがせわしなく辺りを照らし続け、三百六十度どこから来ても分かるように兵士達が外壁周りをうろついている。隣のアイリスを見た。やはり緊張してはいるが、怯えではない。しっかりと万年筆を握り、敵の動向を伺っていた。これなら大丈夫だ。
「よし、やるよ」
「……はい!」
力強く、頼りになる返事だった。私は懐から、お馴染みの小袋を取り出した。それを指揮棒でゆっくりと浮遊させ、拠点上空へと運んだ。こんな小袋なら、さすがに気付かれない。狙いはサーチライトの塔。私の魔法の射程距離ギリギリだ。塔の上に小袋を停止させ、魔力を込めると小袋が破裂した。中からヒマワリの種が散らばり、落下しながら本来の姿……昨日調合で作った爆薬に姿を変えていった。もちろん、この爆薬の調合も本来は固く禁じられていることは言うまでもない。それはまさに空襲だった。しかし奴らからは突然建物が爆発したようにしか見えないだろう。サーチライトは破壊され、拠点内部も爆撃の被害をかなり被った。先制攻撃は大成功だ。警報ベルがけたたましく鳴り始めた。
「て、敵襲だ!」
「馬鹿な!? 既に侵入していたというのか!?」
「くそ! メイプル様をお守りしろ!」
「魔女共め! どこにいやがる!?」
内部からの攻撃と勘違いした兵士達が拠点内部へと引き返していく。狙い通り、外の警備はガラガラになった。サーチライトも壊したので、より闇に紛れやすくなった。それに、メイプルが間違いなく今ここにいることが、今の兵士の台詞で分かった。このまま押し切ってやる。
門を走り抜け、堂々と敷地内に侵入した。このパニックの中、この暗闇で私達を見つけることはそうそうできない。私は適当に光弾をばらまいて、小規模の爆発を起こした。それに釣られてやってきた兵士達を、物陰からの火炎放射で一掃する。魔力の消費は大きいが、敵をまとめて倒すのはこれが一番便利だ。
取りこぼした敵はアイリスに全て任せている。万年筆の先から超高圧で発射される水によって、硬い鉄板をも粉砕および切断する、水とは思えないほど破壊力抜群の魔法。アイリスに真っ先にマスターさせたのがこの魔法だ。相性が良かったのか、今では私以上に使いこなしている。そして、模擬戦闘の成果もあって、無駄なく確実に一人一人倒していった。魔法の性質上、グロテスクな光景が自らの手によって作られていくが、そんなことを気にしている余裕はないはずだ。だいぶ兵士の数も減ってきた。ここまで来ればもう、こそこそする必要もない。
「こ、こいつら化け物だ! 敵うわけねぇ!」
残った数人の兵士達が一斉に建物に退却していった。一人たりとも逃がしはしない。しかし、今しがた引っ込んだ兵士達が物凄い勢いで飛び出してきた。宙を舞ったその体は、そのまま地面に叩きつけられ、マネキンのように力なくゴロゴロと転がった。いずれも顔面が潰れて原型をとどめていなかった。
「まったく……敵前逃亡とは、情けない奴らよのう。それもこんな女二人に」
建物の入り口から、のっそりとそいつは現れた。……でかい。あの時もでかいと思ったが、大人になってから見てもやはりでかい。ニメートル以上と新聞に書かれていたが、実際には三メートル近くある。スキンヘッドで顔中傷跡だらけの強面、そしてレスラーのような筋骨隆々の肉体。そこに立っているだけで、圧倒的な威圧感を放っている。アイリスは開いた口が塞がらなかった。
「メイプル、お前を殺す前に一つ聞く。十五年前、魔女狩りの処刑でお前は何をしたか、覚えているか?」
「おぉ、覚えているとも。一人一人順番に、火炙りにしてやったわい」
「……その中に私の母がいた。他の奴らも許せないが、お前とウォルナットは特に許せない。オークやバーチのように簡単に死ねると思うなよ」
「なるほど、そういうことか……。がははは! 貴様、わしが最後に火炙りにした魔女の娘だな。似ているからすぐ分かったぞ。あの魔女の最期はなかなか見応えがあったな。苦痛に歪んだ表情といい悲痛な断末魔といい、録画しておくべきだったと後悔しておるわ! それとも、貴様があの時の再現をしてくれるのかな? がはははははは!」
────理性が飛んだ。気付いたときには指揮棒を滅茶苦茶に振り回し、無数の火球を飛ばしていた。駄目だ、まだ殺すな。拷問してから殺すんだ。止まれ。
「死ね!死ね死ね死ね!!死ねシネ死ねシネ死ねエエエエ!!!!」
止まるはずがなかった。しかしメイプルはお構いなしに突っ込んでくる。その剛腕で火球を次々と打ち落とし、ぐんぐん距離を縮めてきたが、私はひたすら指揮棒を振り続けた。メイプルが拳を振り上げた。まずい、避けなければ。しかし体が言うことを聞かない。
「がはは! 砕けろぉ!」
私の体が衝撃で吹っ飛んだ。しかしメイプルの拳でではない。全身がずぶ濡れになっている。アイリスの放った鉄砲水……私は間一髪でアイリスに命を救われた。やっと頭が冷えた。一時の怒りの感情で全てが無に帰すところだったのか。アイリスが走り寄ってきた。
「ロゼさん大丈夫ですか!? ごめんなさい、あいつに当てても効果があるか分からなかったので、やむを得ずロゼさんに撃ってしまいました……」
「……いや、あれで正解だよ。助かった」
私は濡れて顔にまとわりつく前髪をかき上げて立ち上がった。
「ふん、小娘に救われたな。だが同じ事よ。すぐにまとめてあの世に送ってやるわ」
冷静になったところで、改めてメイプルの化け物ぶりを理解した。こいつは魔法を素手で打ち落とした。軽い火傷は負っているが、効いてないも同然だ。常識では考えられない。戦争時、魔女部隊の猛攻に怯まず前進を続けたとは聞いていたが、噓ではなかった。
「どうした、かかって来ないのか? ならこちらから行くぞぉ!」
メイプルの巨大が突進してきた。火球が駄目なら、電気ならどうだ。バチバチと火花が弾ける電撃弾を放った。それに併せてアイリスも、兵士達を葬ったウォータージェットを真正面からぶつけた。
「ぐっ! ぬ、ぬおおおーーー!!」
効いてる。が、倒れない。象も倒れる電圧と鉄板をも貫く水圧を同時にくらっても倒れない。本当に人間かこいつは? 再びメイプルの剛腕が私を襲った。
「ロゼさん!」
「ちっ!」
咄嗟に後ろに跳んだ。眼前にメイプルの拳が迫る。直撃は避けたが僅かに掠り、十メートル程吹っ飛ばされた。車に衝突したような衝撃。体中傷だらけになり、全身に激痛が走る。直撃を受けてたら間違いなく死んでいた。しかし、メイプルの容赦ない追撃が来る。
「トドメだ! 死ねい!」
「させません!」
その瞬間、アイリスがメイプルに放水した。駄目だ、それじゃこいつの攻撃は止まらない。しかし、いきなりメイプルがガクンとバランスを崩した。アイリスがピンポイントで狙ったのは、メイプルの膝関節だった。突然のことに、メイプルはたまらずすっ転んだ。チャンスだ。
「くそっ、小癪な真似をしおって! 貴様から殺してや……ぬおっ!? 何だこれは!」
メイプルが立ち上がる前に、私はオークを拘束した光の糸を放出し、その巨体をぐるぐる巻きにした。それと同時に、さっきのとは別の小袋を取り出し、メイプルに投げつけると小袋が弾け、白い煙幕が張られた。これも調合で作った物だ。私とアイリスはすぐにその場を離れた。
「目眩ましで逃げる気か、そうはさせんぞ! こんなちゃちな糸でこのメイプル様を拘束できると思うなよ……うおおおお!」
ブチブチッと糸が千切れる音が聞こえる。とんでもない奴だ。糸を振りほどいたメイプルが立ち上がり、煙の中から飛び出してきた。
「がはは! 逃がさんぞ…………うっ!?」
またメイプルが転んだ。つまずいたのではない。やれやれ、どうやら上手くいったようだな。
「うぐっ、なんだ……体が痺れて動かん……!」
「やっとまな板の上に乗ってくれたな。どんな気分だ? これから料理される気分っていうのは」
私はもう一度光の糸で拘束した。まるで仰向けにひっくり返った芋虫だ。今度こそ引き千切る力は無いはず。さあ、ここからが待ちに待ったお楽しみの時間だ。もう、理性で自分を抑える必要は無い……。
「貴様何をしたんだ!」
「さっきの煙は単なる煙幕じゃない。魔女の特殊な調合で作ったウィルスがたっぷりと含まれている。分かりやすく言えば毒ガスだ。さすがのお前も、身体の中までは鍛えられなかったようだな。私達のように、事前にワクチンを飲んでいれば何の影響もないがな」
メイプルのタフさを想定して、万が一のために昨日半日かけて調合したのが決め手となった。メイプルの顔色がみるみるうちに悪くなっていった。常人なら既に血反吐を吐いてのたうち回って死んでいるだろう。本当に大した奴だ。
「さあ、処刑の時間だ。焼かれて死んでいった母や同胞達の何倍もの苦しみをとくと味わうがいい」
私は指揮棒の先をメイプルの右眼に向け、細い光を放った。その光は、日光を虫眼鏡で通した時のように、メイプルの眼球を焦がし始めた。
「ぐうおああぁぁぁ!!!」
「次は左眼だ」
左眼も同じように焦がし、両眼を完全に失明させた。まだまだこんなもんじゃ済まさない。火球を作り、糸が巻かれていない首元や膝下にそれを押し当てた。火だるまにならないよう、火力はあえて弱くしてある。弱火でじっくりと料理してやるのだ。肉が焼け焦げる音と臭いが充満した。メイプルの絶叫がこだまする。
「どうだ、熱いか? 水が欲しいだろう。くれてやるよ」
ヒマワリの種に魔法をかけると、液体がたっぷりと入ったフラスコに姿を変えた。蓋を開け、メイプルの顔面にドボドボと落とした。
「ぎゃああああ!!」
「あーごめん、間違えて硫酸ぶっかけちゃったよ、あはははは!」
もう拘束も必要ない。糸を消し、更に火球を増やした。硫酸で焼け爛れた顔から下は、火球で埋め尽くされた。
「どうだ、まだ終わらないぞ! うつぶせになれ! 次は背中とケツを焼いてやるよ!」
「ロゼさん! もう止めて下さい!」
アイリスがいきなりしがみついてきた。
「邪魔するんじゃないよ!」
「もう……もう、死んでます」
その言葉にハッとなった。いつの間にかメイプルは動かなくなっていた。あれほど強靱な肉体を持っていたメイプルがこの程度の火傷で死ぬとは思えない。全身にウィルスが回ったのが死因か。やはり出来れば使いたくなかった。まだまだこれからだったというのに。この程度で母や同胞達の無念は晴らせたのだろうか……。
火球は相変わらずメイプルの上で、その肉体をゆっくりと焼き続けている。私は死体に水をかけ、火を消した。
「……火葬してやる価値もない」
私は踵を返し、建物へ向かった。冷静になると再び全身に痛みが戻ってきたが、気にしてる余裕はない。
「アイリス、あんたは外の監視カメラを壊すんだ。見落とすんじゃないよ」
「は、はい。ロゼさんは?」
「何か使える情報がないか調べてくる。それに、また念のため監視カメラだけじゃなくて管理室の機器も壊してこないとね」
しかし、やはり今回も何も見つからなかった。四将軍最後の一人、チェリーのことが何か判ればと思ったのだが。仕方ない、こいつは後回しにして、次はいよいよウォルナットだ。怪我が完治したらガーデン城を攻め落とす。決着の時は近い。
*
ガーデン城の管理室。縦横三つずつ並ぶ、計九つのモニターには、メイプルの拠点の様子が映し出されていた。俺はそれを食い入るように観ていた。これは七時間前に起こったことだ。二人の魔女によって次々と兵士が殺されていく。メイプルも奴らを追いつめるものの敗北。常人なら目を覆いたくなるような拷問の末に死亡した。最後は監視カメラが壊されるところで映像は途切れている。
開発を急がせて正解だった。従来の監視カメラは、カメラそのものを取り外して中の記録を観るか、その拠点の管理室でしか録画した内容を確認することが出来なかった。しかし、今回のは見ての通り、遠く離れたこのガーデン城にリアルタイムで映像を送り続ける。当然、このように後から再生することも可能だ。監視カメラを破壊しようが管理室を破壊しようが、後の祭りというわけだ。これで完璧に犯人の顔は分かった。
「このでかい女、見覚えがあるぞ。カサブランカ村にいた女だ。こっちの三つ編みの小娘は知らんが、まあ恐らく近くに住んでいるだろう」
「…………」
「ん? どうしたチェリー」
「あっ、いえ……。こんなに強い魔女がいるとは、と思いまして。戦争時にもここまで強いのはいませんでしたよ」
「ふっ、まあ確かにそうだが、何の心配もいらんだろう。魔女は魔女だ。お前が負けるはずがない。そうだろ?」
「ええ、そうですね」
この新型監視カメラは音声も拾える。ロゼにアイリス、か。後悔させてやるぞ。このウォルナットに、フォレストに牙をむいたことをな。
「居場所、顔、名前、全て判明した。もう守りに入る必要はない。チェリー、今すぐに兵を連れてカサブランカに攻め入るのだ。魔女は出来れば生け捕りにしろ。手強ければ殺していい。他の村人も全て殺せ。連帯責任だ。おっと、暴れるのは結構だが温泉は潰すなよ」
「…………仰せのままに」
いつもの台詞を言って、チェリーが部屋から出て行った。これで終わりだ。後は紅茶でも飲みながら吉報を待つとしよう。二度とナメた魔女が現れないよう、ガーデン国民全員の前で最高に惨たらしく処刑してやるとしよう。
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