05:アニマリーヴ - 6
――突然のフラッシュバックが、僕の鼓動を激しく高鳴らせた。
忘れもしない、六年前のあの日。
母さんが息を引き取った、あの瞬間。
さっき首を食い千切られた男のように、誰かに命を奪われたってわけではない。
ただ、成す術もなく家族を失ってしまうというのは、もう、二度とゴメンだった。
少なくとも今、僅かでも待ち受けている悲劇を防げる可能性があるというのなら……。
「……や――」
――僕は、絶対に動くべきだ!
「――やめろおおおおおおおおおおおおおっ!」
身体の底から、ふつふつと湧き上がる感情に身を委ねる。
気付けば、タイキの制止も聞かず、僕は全力で丘を駆け下りていた。
驚くことに、走りだした瞬間から身体が軽くなっている。もしかしたら、これが火事場のクソ力ってヤツなのかもしれない。
低空飛行する赤いドラゴンの軌道と速度を頭に入れ、ちょうど
それは、思い描いていた以上の効果で、現実ではあり得ないような跳躍力を見せた。
地表まで、ゆうに十メートルはあるだろう。落下時に身体にかかる負担は相当なものに違いない。
それでも、ここが仮想世界であることや、他にない最上の選択であると信じ、か弱い足を出来るだけ前へと突き出した。
足は硬いドラゴンの上顎を捉えたが、僅かに首の角度を変えた程度だ。ドラゴンはそのしなやかな首だけで、僕を軽々と後方へと跳ね除けた。
軽い身体は地面の上を何度も転がり、その白い肌と麻の服を土まみれに汚した。
全身に走る痛みを堪えるあまり、自然と身体を丸めてしまう。……息が、苦しい。
「ヒマリぃいいいいいっ!」
横目に見えるタイキが、滑りながら駆け下りてくるのが見えた。
――その両親は、一体どうなったのだろう。
「いいことを思いついたぞ!」
一旦家に戻ったヒマリの父親が、太い注射器を持参してきた。その中は、何やらドロドロした黒い物体で満たされている。
彼は注射器を逆手に持ち、地面に付いている前足の甲に向かって思いっきり突き立て、すぐさま足でピストンを踏みつけた。
甲高い悲鳴が上がる。耳を押さえる暇もなく、強い耳鳴りがした。
両親は暴れ回るドラゴンの傍を低い姿勢でやり過ごしながら、隙を伺い、こちらに向かって走ってきた。
一方のドラゴンは身を捩り、その周囲にあるものをこれでもかと、しつこく粉砕していた。
「ナイス、父さん! 大丈夫?」
タイキが二人の下へ駆け寄った。
「ヒマリは!?」
「身体を強く打ったみたいだ」
母親が目の前にしゃがみ、僕の顔色を伺う。
手早くインベントリを操作し、全身にあの傷薬のスプレーを吹きかけた。直ぐに痛みが和らぎ、僕はようやく安堵の溜め息をつく。
「大丈夫。治る怪我で良かったわ」
「ありがとう……」
僕は身を起こし、礼を言った。
母親は僕をぎゅっと抱きしめ、束の間の無事を喜んだ。
「見ろ、ドラゴンの身体が紫色に変色してるぞ!」
指差す父親の声に振り返ると、注射を突き立てた場所から、あの紫色が斑点状に浮かび上がり、ジワジワと広がっていくのが見えた。痛みを伴うのか、ドラゴンはしきりに身体を動かして暴れている。
と、そこへ、ライフルを携えた警官が現れた。
彼はドラゴンの暴れっぷりをどう判断していいか迷っているようで、こちらへと視線を送ってきた。
「その紫色の部分を撃て!」
父親の指示で警官は頷き、直ぐにライフルの照準を合わせようとしたが、絶えず動き回るのでなかなか狙いが定まらない。
「だめだ! これじゃ狙えない!」
「少し待つんだ。あの紫が広がれば、それだけ撃ちやすくなる」
父親は意外に冷静だった。この人は一体、どんな職業に就いていたというのだろう。
DIPを弄りたい衝動は山々だが、さすがに場違いなので自重する。
間もなくして、元々赤かったドラゴンの半身が、毒々しい色に染まりきった。
警官は構えていたライフルの引き金をようやく引き、紫色の肌に命中させる。赤い鮮血が迸るや否や、その箇所の鱗と肉が溶けるように崩れだした。
「やった!」
警官がライフルを持たぬ手で勝利の拳を振り上げた。
ドラゴンは身悶えしながら慌てて翼を広げ、よたよたと空へと浮かんだ。
逃げ去ろうとする赤い悪魔にトドメを刺そうと、ライフルをもう一度構えた警官だったが、父親がそれを制した。
「弾を無駄にしない方がいいだろう。今は武器が少ないんだ」
――まるで、父親の方が警官のようだった。
◆
今回の騒動で、警官達は考えを改めたようだった。
暗闇の中集まった人々は、倒壊した家の木材を薪にキャンプファイヤーを起こし、集落の中心で対策会議を行った。
住民からは様々な提案が飛び交った。曰く――
――ハッカーらしき誰かが送り込んだ怪物の襲撃は、予想外の緊急事態である。対応するためには、まずは武器を持たなければならない。
――集落の住民を結集させ、自警団も設立しよう。戦える人は戦い、この集落を守りぬくんだ。
――いや、それよりも、まずは防壁を作るべきだ。武器を作るより、加工をあまり必要としない壁を作る方が断然早いだろう。
――だったら、監視塔も造るべきだ。敵の発見が早ければ早い程、対処も早くなる。
……などなど。
結局、争い無くして生活は成り立たないではないか。
何が平和なプルステラ、何が新天地か。怪物を生み出すのも人間、争いを生み出すのも人間である。どんなに頑張って理想的な世界を作り上げようとも、争いそのものが無くなるわけではない。これでは本末転倒というものだ。
そんなことを考えていると、タイキが僕の肩を叩いた。
「ヒマリ。ちょっといいか?」
タイキは耳元に手を宛てると、僕との会話を個人チャットに切り替えた。
『お前、ボタンを押す時、どう思った?』
唐突な質問。ボタン、と聞いて、真っ先に思い出したのは、アニマリーヴの時に押した、あの固いボタンだった。
僕は、少し考えてから、答えを導き出した。
『……怖かった。皆押さなかったらどうしようとか、わたしだけがこっちに来ちゃってたらどうしようとか思ってた』
それは僕――ユヅキの気持ちだったが、恐らくは誰もが抱く不安だったに違いない。
現に、その不安は現実になっている。
本当の父も弟もこの世界にはおらず、僕だけが違う身体に入れ替わり、ここにいる。
これでは、何のためにこの世界に来たのか判らない。命を賭してまで来たのに、ここでも命を賭けなければならないとは。
『そっか……それだけ聞けりゃ充分だ』
何故か、タイキは深い溜め息を吐き出した。
『……お前、誰なんだ?』
耳を疑うような言葉に、さあっと、頭から血の気が引いていった。
この身体の兄の鋭い目線が、僕そのものにグサグサと突き刺さる。
『ボタンを押したって言ったよな。そんなのはあり得ないんだ』
そんなわけないでしょ――と言いかけて、思い当たる、ある一つの可能性を思い出した。
『ヒマリはな、一年前に死んだんだ。だから、アニマ・バンクに魂を預けて、今日、自動的に転送される予定だった。……俺達は、三ヶ月も前にここにやって来ているんだ』
強く握った手が、汗でびっしょりになった。
目はひとりでに忙しなく動き、あからさまに動揺しているというのがバレバレである。
逃がさない、と言わんばかりに、彼は僕の肩をガッチリと掴んだ。
『本当の事を言え。何でお前がヒマリになっている。お前は一体誰なんだ!?』
嘘をついていれば幸せだなんて、そんなわけがあるだろうか。
ヒマリにしか知らない記憶。ヒマリにしか出来ないこと――。
例え、その身体を持していても、嘘を突き通すことなんて出来ないのだ。
僕は、この家族を完全にメチャクチャにしてしまったことを、今度こそ深く反省した。
『ごめん……なさい。わたし……いや、この身体にいる僕の本当の名は、オオガミユヅキと言います』
丁寧な口調で正直に打ち明けると、タイキは目を細めた。
どこか、寂しそうな表情だった。
『さっきの……そういうことだったか……』
タイキはそこまで怒っているわけでもなかったが、とにかく僕に本当の事情を打ち明けるよう求めた。
『本当は男で……十八歳。アニマリーヴの最中にあのサーバーダウンがあって、気付いたらこの身体になってたんだ。
どうしようかって迷っている最中に、キミに出くわして……』
『えっと、つまり……?』
タイキは半ば驚きながらも、その言葉の意味をゆっくりと頭の中で整理した。
『――つまり、
僕は素直に、頭を縦に動かした。
タイキは、そっか、と声を漏らすと、一度深呼吸をし、それから僕に対する処分を決めた。
『……ナイショだ』
『え?』
『父さんや母さんには、しばらくナイショにしておこう。それでチャラにしてやる』
『で、でも、ヒマリちゃんは……』
タイキは目を閉じ、首を左右に振った。
『アニマ・バンクの機能が完璧じゃないってのは何となく分かってたんだ。どの道、ヒマリが死んだ時にちゃんと別れもしたし、ここに来られたら奇跡だな、ぐらいに思ってたんだよ』
『…………』
僕は何も言えなかった。そりゃあ当然、家族が喜ぶわけだ。目の前に奇跡が起きていたんだから。
『だから……まぁ、正直、腹立たしいというか力抜けちまうような結果だけどさ、お前だって被害者なんだから仕方ないだろ? その代わり、というには軽すぎるけど、対策が見つかるまではしっかりヒマリとして生きてて欲しいんだ。それだけで、俺達は幸せになれるからさ』
……結果的には、打ち明けて良かった、と思う。
少なくとも、ヒマリの正体を知る者が一人、増えたのだ。
正直言って、一人でどうこうなる問題じゃないとも思っていた。
だから、少なくともこの身体よりも年上の仲間が出来るということは、今後のユヅキとしての活動も多少楽になることだろう。
『ヒマリはさ、大気汚染病で死んだんだ』
タイキは子守歌を聴かせるように、ゆっくりと語りだした。
『母さんは看護士だから、多少は収入もある。父さんはまぁ……VRゲームの会社で働いてるからあんまし期待出来ないけどさ。
俺は……バイトと称して、ちょっと危なげな高収入の仕事をコッソリやってたんだ。だから、ヒマリが生きている間にアニマ・バンクに登録し、亡くなった時にその
……そうさ、ある程度は成功してたんだよ。だからお前が……ヒマリがここにいる。それが、俺達親子が積み上げてきた、結果全てなんだ』
過剰なまでにベッタリと妹を愛する兄。ヒマリがいきなり泣いても、優しく受け止めてくれた父と母。――その裏側には、こんな事情が隠されていたのだ。
そんなことも知らずに僕は、自分がヒマリだ、なんて言い張っていたのだ。恥ずかしくて、この上なく、情けない。
『あー、それと、一つ忠告しておいてやる』
タイキは視線を宙に向け、頭をカリカリと掻いた。
『ヒマリは……その、いつも笑顔だからな。悲しそうな顔すんじゃねーぞ!?』
ぷっと吹き出しそうになるのを堪えながら、僕は僕なりにヒマリという人間を演じてみせた。
『……はい、お兄ちゃん』
あの小悪魔が顔を出す。それも、最大級の笑顔で。
『…………男だと思うとゾッとするな』
『お願いだから、それだけは言わないでくれないか』
――その後。
プルステラで初めての夜が更けるまで、タイキにはしつこく小悪魔の封印を迫られるのだった。
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