04:アニマリーヴ - 5

 東奔西走したヒマリの母親のお陰で、患者達は一命を取り留めた。

 結局のところ、患部は切り落せば良い。無論、患者はそれ相応の痛みを我慢しなければならなく、身体への負担も相当なものだった。


「こんな方法じゃだめ……」


 母親は椅子に座り、疲労困憊の顔で呟いた。


「ワクチンを作らないといけないわ。今回は処置が早いから助かったけど、このウイルス、少しずつ広がっていたみたいなの」


 父親は、試験台に乗せた、切断した傷口の肉片を観察した。初めは赤だった断面が丸ごとドス黒い色に変貌している。


「見た限りだと、あのバケモンの口から感染したってとこだろうな。……やれやれ。ここまで予想外だと手の打ちようがない」


 一つの綻びは次から次へと綻びをいざなう。

 世界中が国家予算をつぎ込んで、完璧とまで思えたこのプルステラも、サーバートラブルに予想外の化け物が二体やって来るだけでこの有り様だ。


「ママ、ちょっと外行ってくるね」

「あ、ヒマリ!」


 今の自分に出来ることなんて、たかが知れている。あの母親のように特別な知識なんて持ちあわせていないし、ましてやこの身体。傷つけてはいけない大事なものだし、情報を集めることぐらいが関の山だ。

 だけど、あんな怪物の襲ってくる世界で、一年もの間、無事でいられるんだろうか。


 そんなことを考えながら、さっきまでいた小高い丘に登って途方に暮れていると、武器作りの提案をしていた人達が、また輪になって何か騒いでいるのが見えた。どうやら、今度は争い事ではないらしいようだが……。


 DIPでピントを合わせ、その会話の音量を上げると、騒ぎの声は耳元で聞こえるぐらいにまで大きくなった。

 屋外で不特定多数に対して話す、いわゆる全体チャットの状態であれば、会話の音量をある程度は増幅ブーストすることができる。ただし、屋内や個人チャット等の特定の会話は、防犯の理由から聞き取ることが出来ないようになっている。


「いいか。武器である必要性は全くないんだよ。生活用品にも刃物は転がっているだろ? マグロの解体に使う包丁を武器っぽく、使いやすいように加工したりとか、チェーンソーを作るとか」


 提案しているのは二十代前半の男性だった。


「いや、それはダメです! そんなことをしたら、誰もが武器を作れてしまう。プルステラは争いのない世界を目指すというのに、それじゃあ他の集落――いや、他の国だって黙っていられなくなる!」


 反対するのはまた、さっきの頭の固い警官だ。


「そんなこと言ってる場合かよ! あんな、中型の爬虫類が来ただけでこの有り様だぞ!? そもそも、あんたらがしっかりしてないから、こんなことになるんじゃないか!」


 結局、また言い争いに発展している。これでは、次にもう一度襲撃があっても何も出来ないだろう。


「なんだ? またやってるのか、口喧嘩」


 気付けば、タイキが直ぐ横にいた。いつでもどこでも現れ、ベッタリとくっついてくるのは、シスコンの兆候だったりするんだろうか。


「ヒマリはさ、この世界を見て、どう思った?」

「ん? うーん……」


 正直なところ、何も変わっちゃいないな、というのが今の感想だ。

 しかし、あのゲートを潜り抜けた後は、少なくとも期待のようなもの、可能性を考えていた。

 何かが変わる。とてつもなくいい方向に、と。


「……そっか」


 その気持ち――ヒマリじゃなく、ユヅキの気持ちを伝え、兄、タイキはどう思っただろう。

 結局、タイキはそれ以上に何も言わなかったが、やっぱりな、とでも思ったのかもしれない。


「そうだ、ヒマリ。行きたいとこ、あるか?」


 タイキは気分転換のつもりで言ったのだろう。でも、僕にとっては絶好のチャンスだった。


「えっと、友達のところ」

「友達? お前、いつの間に友達を作ったんだ?」


 冷や汗がどどっと吹き出す。こんなことで慌ててはいけない、と必死に言い訳の嘘八百を並べる。

 もしかして、ヒマリには友達がいなかったのか……?


「ほんの少しだけ、会ったことがある友達なんだけど、遠くに行っちゃって」

「ああ、そっか。……名前と、前の住まいは?」


 助かった、と安堵する。

 落ち着いて一呼吸し、その名と住所を口に出した。


「オーケー、検索……っと」


 タイキがDIPを操作すると、ずらりと名前のリストが並んだ。

 このやり方、後で聞くか、調べておかなくては。チュートリアルでは習わなかったが、これからはしょっちゅう使いそうな気がする。


「あった。そこまで遠くはないけど、その二人は近くの集落に移住予定らしい」

「ほんと!?」

「ああ。でも、まだ入居時の登録がされてないな。こっちに来てないみたいだぞ」


 頭がくらっとした。予感はしていたが、いとも簡単に結果を出されると気持ちの方がついて来れない。

 その話を聴く限りだと、来ていないのはカイや父さんだけじゃなく、僕の身体――ユヅキも、ということになりそうだ。


「ヒマリ、大丈夫か? 具合悪いとか?」

「ううん、大丈夫。まだ、来てなかったんだね……」


 その住所をタイキからコピーしてもらい、インベントリに備わっていたメモツールの中に記し、保存した。


「まぁ、入居なんて直ぐだろ。日本は比較的ペース早いからさ。ニュースでもやってたんだぜ。日本人は礼儀正しいからスムーズに出国の処理が出来ている、ってさ」

「あはは。言えてるね」


 僕らは一緒になってクスクスと笑った。他人事ながら――いや、他人なんだけど、なんて、仲の良い兄妹だろうか、と思う。


 僕とカイは、あまり仲の良い兄弟関係ではなかったが、極端に悪いという程でもなかった。互いの主張は常日頃からあり、良くて淡白という程度で、性格もまるで反対。カイに言わせれば、僕はクソ真面目で正直者、らしい。カイはどちらかと言えば、暇さえ見つければゲームで遊ぶ程のダラダラした人間だ。家の手伝いもしない面倒くさがりで、彼の家事担当を僕がいつも背負っていた。


 今思えば、争いこそ少ないものの、感情をぶつける程の相手でもなかった、と思う。それだけ素直に相談したり、親身になったりしない、まるで他人のような関係。その原因は、僕の生真面目さが一役買っていたのは間違いないのだが、こんな事を言えば「それこそクソ真面目だ」とでも言われそうだ。


 逆に、VRMMOで遊ぶ時はまともに会話していたと思う。兄弟揃ってロールプレイが得意だったためか、互いに楽しくプレイ出来ていたし、その時ほど仲のいい兄弟でいられたことは他に無かった、とも言える。


 そんな関係も、忙しいバイトや勉強に集中していたせいで終わってしまった。そもそもVRMMO自体、次々とサービス終了する事態になっていたし、とにかくプルステラへ行こう、という考えしかなかったのだ。


 だから、彼がアニマリーヴの待ち時間にVRMMOで遊んでいたのは、もしかしたら僕と遊びたかったのかもしれない。……そんなことに今更気付くなんて、本当に僕は、最低の兄貴だな。


「見ろよ、ヒマリ」


 仮初めの兄に促され、指差す方へ顔を向けた。


「わぁ……」


 と、自然に感嘆の声が漏れる。

 見上げれば、大きくて真っ赤な太陽が、山々の向こうに沈み込もうとしていた。

 それは、ネットか古い写真でしか見たことがない、理想的な光景だった。ヴァーチャルだけど、この視覚を通して体感できる、正真正銘の夕日である。


 ゴーン、と厳かな鐘が鳴った。何処かにお寺でもあるのだろうか。

 言い争いをしていた人も、皆が音の方へ振り返る。


 間を置いて、二度目の鐘が鳴る。

 夕日はゆっくりと山の彼方に沈み、夜の帳が下り始めた。


 そして、三度目の鐘と同時に、暗い夜が訪れた。

 帰ろう、とタイキは僕の手を引こうとしたが、突然立ち止まる。


「何だ、あれ……?」


 突如、暗くなった夜空に、光り輝く文字が浮かび上がっていた。



 ようこそ、新世界の「犬」共。

 初めての闇にさぞかし怯えていることだろう。


 最初に送ったのはほんの挨拶代わりだ。

 これから、とっておきのをプレゼントしてやろう。


 今回は太刀打ち出来ずともおかしくはない。それ程の大物だ。

 限られた環境でせいぜい知恵と体力を使い、適切に対処したまえ。



 ――そう、書かれてあった。


「運営……じゃない。ハッカーか……?」


 タイキが静かに呟いた。


「転送時のサーバー切断も、あの怪物も、ハッカーの仕業かもしれない」

「そんな……!」


 空の文字が消えるとほぼ同時に、耳をつんざくような鋭い音が鳴り響いた。僕らは慌てて耳を塞ぐ。何かの咆哮のようにも聞こえた。

 音の方を振り向くと、空に火の玉が浮いている……ように見えたが、膨れ上がる火の玉自身の明かりで、その背後に何か巨大なものがあることに気付かされる。


「あ、あれ……、まさか、ドラゴン……じゃ……!?」


 赤い鱗を持つ巨大なレッドドラゴンは、不意に口に銜えた火球を集落に向かって飛ばしてきた。


「伏せろ!!」


 丘を駆け上がろうとして、熱風と轟音が背中から僕らを突き飛ばした。

 うつ伏せに叩きつけられ、全身に痛みが走る。


「ヒマリ! 無事か!?」

「ん、なんとか……」


 幸い、怪我はしていないが、今度の「手土産」はとんでもないデカさだ。

 警察しかまともな武器を持ちあわせていないし、彼らが本気で戦う姿勢を示さなきゃ何も変わらないだろう。


 ……だというのに、あいつらは怯えて銃を出すどころか、逃げ出してしまっている。武器を作ろうとか抜かしてた大人だってそうだ。

 ドラゴンは八の字に動きまわりながら、鼻から火炎放射を吹き出して次々と家々を焼き払った。

 その行き先には……。


「あ……!」


 行き場を無くした、ヒマリの両親の姿が……。

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