0-4 初心者講習・幕間



 魔法符屋〝Crescent Rose〟の店主スノウ少年は、黙々と魔法符を作り続けていた。

 依頼分は疾うに作り終えていて、店売り用のストックも十分揃えている。

 それでも作り続けているのは、自分用のストックを作るためだった。


 つい先日のことである。

 スノウの所属するギルド【夜明けの放浪者】は、冒険者組合ユニオンが主催する月例のギルド対抗戦GvGで優勝を掻っ攫っていった。

 それはまさしく『掻っ攫う』という表現が一番合っていた。

 何せ、ギルド対抗戦GvGの優勝と言えばそのほとんどを大手攻略ギルドの【銀翼自由騎士団】が独占していて、たまに同じく大手ギルドの【Tick Tack】や【BRAVE HORIZON】が取ることもあるくらいで、その報酬にユニークアイテム的なものがなかったことから、ここ数回はほとんど盛り上がることもなく、形骸化してしまっている中での、突然の優勝である。


ギルド対抗戦GvG? どうせ今回も【銀翼】あたりが優勝でしょ? レアアイテムもらえるって言っても、他にも入手手段もあるし、優勝の称号なんて、持ってても何かなるってわけでもないでしょ? そんなのに時間を使うぐらいだったら普通にクエストしていた方がマシだね」


 おおよその意見はそんな感じのものが締めていて、冒険者組合ユニオン内でも大幅なテコ入れか、いっその事無期延期か、それとも報償をもっと豪華にして、年に一回くらいの大イベントにするか、なんて話も出始めていて、つまりはあってもなくても誰も困らないようなイベントになっていたのだった。


 そんなイベントを、知名度もない小規模ギルドである【夜明けの放浪者】が掻っ攫っていった。

 事件である。

 ぶっちゃけ、大事件であり、その衝撃はプレイヤーたちのみならず、普通の街の住人――つまりNPCたちにまでも響き渡るほどだった。


「【夜明けの放浪者】って何者だ?」


 そんな声が声高に囁かれ、そのギルド対抗戦GvGの様子が広く喧伝され、彼らの戦い方が分析されるに至って、ようやくあるひとつの結論が出た。


「こいつら、バカだ!」


 そのやり方は誰にも真似出来るものではなく、文字通り、身を削るようなところもあり、さらに言えば一度やってしまえば容易に対抗策を採られるやり方でもあり、再現どころか、彼ら自身にも二度とできないような手法だったのだ。

 曰く『初見殺しの詰め合わせ』とのことである。

 つまり彼らは、大した報償もないたった一度のギルド対抗戦GvGの為に、その本来ならば秘匿すべき優位な手札を公の下に晒し、その資産の大半を溶かしたのだった。


 その時に、綱渡りにも近い計略の元、採算度外視で挑んだため、スノウ自身の総資産はギルド対抗戦GvG前と比べて約五分の一ほどに目減りしてしまっている。

 幸い、優勝を機に大手ギルドとの伝手も出来て、店の売り上げは大幅に上昇している。知名度も上がり、長い目で見ればギルド対抗戦GvG前よりも多くの資産を得ることもできるだろう。

 だが現時点に於いて、資産の回復ができていないことは事実だった。

 スノウの場合、今まで作り溜めていた魔法符――特に上級の魔法符の消費が深刻だった。

 スノウがギルド対抗戦GvGで実際に使ってみせるまでは、上級の魔法符は疎か、中級の魔法符すらも人の手で作れるものとは思われていなかった。

 魔法符とは、特殊な用紙に特殊な筆を使って特殊なインクによって特殊な図柄を描くことによって作られる、魔力を通せば魔法が発生する札のことである。

 だいたいがトランプカードくらいの大きさで、その図柄は下級の魔法符ですらも精緻なものであり、わずかな歪みでも正常に発動しなくなるという非常にシビアなものだった。だから作り方がわかっていても安定した作成は誰にもできず、スキルに頼ったオート作成すらも、成功するのは下級のみで、スキルレベルをカンストさせた者ですら中級の成功率は1%以下だという。

 事実、NPCの店売りで出回っている物はほとんどが下級のものであり、中級のものが売りに出されるのは非常に稀であり、たとえ売りに出されたとしても非常に高価であり、そんなものを買うくらいなら、魔法使いを一人雇って普通に魔法を使ってもらった方がよっぽど安上がりだった。

 上級の魔法符の存在については、古代遺跡で稀に見つかるような、もはや幻と言っても良いような存在で、人の手によって作られるものとは誰も考えていなかった。


 その材料は特殊とは言えども比較的王都周辺で簡単に手に入るものばかりである。

 だからゲームが始まった当初は、わりと頻繁に使用されていた。

 魔力さえ持っていれば、それを込めるだけで誰でも簡単に魔法が使えてしまう。

 さらに、本来の魔法使いならば【火】と【氷】という反対属性に当たる魔法は同時に覚えることができないが、魔法符ならば問題なく、どちらも同時に使うことができてしまう。

 一般的な魔法使いの使う魔法と違って、非常にお手軽で汎用性も高く、本当の初心者のころには――または、このゲーム【World Over】が開始された当初は、非常に流行ったのだった。

 しかしゲームが進み、プレイヤーたちが下級から中級へと進むころには、使えない、意味の無い、地雷スキルに変わっていた。


 だからギルド対抗戦GvGでスノウが魔法符を湯水のように使用してみせた際には、そこら中から悲鳴のような叫びが轟いたものだった。

 中級の魔法符は疎か、上級の魔法符すら当たり前のように使用してみせたのだ。

 それも勝敗を決めるような極限の場面、なんかではなく、単なる足止めとか牽制に使っていたりしたのだ。

 それは謂わば、その価値を知る者にとっては札束を大量に、しかも喜々として火山の火口へ放り込むような、非常に無駄というか常軌を逸した行為にしか見えなかっただろう。

 実際にギルド対抗戦GvGに於いてスノウと対峙したギルド【Tick Tack】の魔法使い『春眠』は、試合の最中であるにも関わらず、泣きながらスノウに抗議した。


「ごめんなさいごめんなさい。もう私の負けで良いからそれ以上魔法符を使わないでください頼みます頼みます」


 その件は動画を撮影していたプレイヤーによって掲示板に投稿されて広まっていたりして、意図しないところで女の子を泣かせてしまったスノウは非常に気まずい思いをしていたりもする。

 後日、春眠に対してスノウは魔法符の詰め合わせをプレゼントしたりして、それによって【Tick Tack】との定期的な魔法符作成の契約を結んだりして、結果としては良い感じに終わったりしているのだけれども。


 つまりどういうことかというと、スノウは自力で安定した中級魔法符の作成方法を見つけたのである。

 そしてそれを応用して、スキルに頼らない完全手作業ながらも上級の魔法符すらも作成できるようになっていた。

 そしてその事実をずっと――実時間でおおよそ一年、ゲーム時間で四年の長きに渡って――隠し続けていて、唐突に、表に出して見せたのだ。


 ギルド対抗戦GvG後、様々な所から問い合わせを受けて、スノウはその手法の一部を公開した。


「ほら、誰もが思っていたけれどもやろうとしなかった方法ですよ。目から鱗というか、コロンブスの卵というか、簡単でしょう?」


 スノウとしてみれば、ほんの思いつき程度の感覚で、軽く明かしてみたのだが――


「ほら、スキルに頼らず完全手作業で、米粒に漢字を筆で書ける程度の腕があるなら、中級なら一〇分に一枚くらいのスピードでできますよね?」


「誰ができるかっ!」

「そんなことできるのはお前くらいだっ!」

「変態かっ!」

「一〇分に一枚って、効率悪いわっ!」

「そんなに早く描けねえよっ!」

「ちくわ大明神」

「んな、面倒なことするかっ!」

「誰だ今の」


 ――批判の嵐だった。


 あれれ?

 スノウにしてみれば「そ、そんなやり方があったのかっ!」的に戦かれて、「そんなことでできるなら俺もやってやるぜっ!」みたいに広がって、魔法符がもっと一般的になる、と思っていたのだけれども。


「もう良いっ、魔法符作成はお前に任せたっ」


 結局の所、といった感じに大手ギルドからギルドハウス用のオーダーメイドの転移符をはじめとして、様々な魔法符のオーダーを引き受けるようになったのは嬉しい誤算だったのかもしれない。

 たぶんこれは、できる人にはできない人の気持ちはわからない的な、そんな話なのだろう。

 そんな風に、スノウは自分の認識と周囲の齟齬について想う。

 まあ最も、魔法符作成についてスノウはその手法のすべてを話した訳ではなく、もっと簡略化や時間の短縮をする手法も持っていたりして――その辺りは暗黙の了解として大手ギルドの人たちも気づいているようだけれども。 


 そうしてスノウはその時も黙々と魔法符を作り続け、


「…………飽きた」


 突然につぶやいたかと思えば筆を置いた。

 と言うか、ログインしてからNPCや時折店を訊ねてくるプレイヤーたちの会話をわずかばかりする程度で、もう6時間ぐらいずっと筆を握りっぱなしだ。

 この世界【アル・セ・テワAl ce' te oi】は現実世界の四倍の速度で時間が動いている。イベントやらメンテナンスやらでスピードはわりと変更されるけれども、おおよそはそんな感じだ。

 つーか、リアルでもすでに1時間半が過ぎているのか。

 その事実に思い当たり、スノウは束の間、呆然としてしまった。

 これだけ時間を掛けても、まだ上級の魔法符は一枚しかできていない。二枚目はまだ四段階に分けて描かれる図柄の一段階目の大枠が出来たばかりだ。これだけ時間が掛かってしまえば、効率が悪いと誰もが言う意味がわかる。今はギルド【夜明けの放浪者】としての目的も一段落付き、新たな明確な目的はギルドとしても個人としてもなく、ただのんびりと王都の片隅で魔法符屋【Crescent Rose】を運営しているくらいで時間は十分にあるのでまだ良い。

 けれども一月以上前までの、ギルドが一丸になって攻略に励んでいたあの頃、一体どうやって上級魔法符なんてものを制作する時間を捻出していたのだろう。

 ログインしていればただひたすら戦闘(補助)と(他人の)スキルアップに努めていたあの頃は、纏まった時間を取ることなんてゲーム内であろうとも――いやむしろ、ゲーム内であるからこそできなかった。

 戦闘の合間とか、何かの乗り物に乗っての移動時間の合間とか、ほんの短時間しかそんな時間は取れなかったと思うのだ。

 そんな短い時間では、上級魔法符なんてちょこちょこっとしか作れなくて、一体いつ完成するのか、先なんてまるで見えない作業をするのは、今思い返しても思い出すことができないほどの苦痛だったはずなのだ。


 しかしあの頃は、スノウ以上の苦痛とストレスを味わっていた者がギルド内にはいたのだと――スノウは相棒とも呼べる一人のプレイヤーを思い浮かべた。


 その彼――タックは、今その頃のストレスを払拭するかのように剣を振るっている。

 あの初見殺しのオンパレードで騙し勝ちしたギルド対抗戦GvGにおいて、【夜明けの放浪者】にて唯一のまともな上級プレイヤーと言われた彼は、今は【蒼の剣聖】などと二つ名を付けられて、ギルド【Tick Tack】などに混ざってクエストに勤しんでいるらしい。そのはっちゃけ具合は、彼と良くクエストを一緒にするソルティナ曰く「ヒドイ」とのことだった。よくわからないけれども、なんとなく知らない方が良いような気がして、スノウはその詳細を訊いていない。


 まあでも、あの頃のタックの苦労をスノウたちギルドメンバーは間近でよく知っているため――だから上級魔法符作成のストレスにも耐えられたんだろうなと思いながらも――ソルティナも何だかんだと言いつつもそれに付き合っているんだろうなと思ったりもする。


 そしてギルドメンバーのことを思い浮かべたところで、スノウはひとつ、気になっていたことを思い出し、この際だから聞いてみようと、右手を宙にさまよわせて目の前に半透明のウィンドウを表示させる。

 宙空に浮かんだ半透明のボタンをタッチして、タップして、スライドさせて、チャットウィンドウを表示。タブを変更させて、ギルドチャットを開く。


 ギルドチャットとかの通知系情報は、普段のプレイ時には視界の隅に常時表示させるようにしているのだが、こうして魔法符作成など集中力の求められる作業時にはさすがに見えないように切っている。誰かいるかなと覗いて見たら、幸いなことに、何人かのギルドメンバーが何やら王都のスィーツとかで盛り上がっていた。正確には、先日のギルド対抗戦GvGを切っ掛けに、ギルドハウス内で引き籠もりを始めたレティシャにどうやって王都から氷菓系のスィーツを溶かさずに、片道一時間掛けて届けるか、みたいな話をしていた。

 うん【夜明けの放浪者】のギルドハウスは王都から北へ一時間ほど離れた、ユークという温泉街の郊外の高原にある別荘地にある。



スノウ   :そんなの、僕の魔法符でギルドハウスに飛べば良いじゃないですか?



 思わずツッコミの書き込みをしてしまった。

 その瞬間、書き込みがぴたりと止まってしまう。

 あれ? ひょっとして空気読めない書き込みをしてしまったのだろうか。

 そんな疑念を感じていると、やがてひとつの書き込みが続いた。



サクラ   :スノウさんや? 今は女子会の最中なのだよ。男子は去れ。

ソルティナ :ヒドッw

サクラ   :いや、でも今までの会話の流れを読まず、突然、正論をぶち込んでくるスノウが悪いと思う。

レティシャ :……スノウさん。今は、ギルドの女性陣だけで何をどこまで出来るのか議論をしていたのです。

サクラ   :うん。うちのギルドの女性陣のスキルは、料理を除いてほとんどが戦闘系に偏っているからな!

ソルティナ :うちらの女子力壊滅!

レティシャ :むしろ、男性陣の皆さまの方が生活系スキルは充実していますね。



 言われて気付いた。

 確かに、このチャットには参加していないメンバー――新規加入したばかりの者も含めて――このギルドの女性陣、脳筋ばかりである。

 補助系魔法は、魔法符の作れるスノウがオールマイティだし、ギルドの鍛冶はエドグラムが、情報収集はクライムクロウが、備品管理はクラウドールが、物資調達はなぜかギルマスのアルトールが担っていて、見事に男性ばかりだ。唯一、財務関係が、サブマスターである女性のパステルが担っているくらいだろうか。ちなみにそのパステルが、唯一調理スキルをカンストしているメンバーだったりもする。



サクラ   :スノウ、何か言ったらどうなの?

スノウ   :この状況で僕に何を言えと……?



 何を言っても酷い目に合わされそうな気がする。女性陣に。


 つまり、男性陣の手を借りずに女性だけで王都からギルドハウスにいるレティシャに、氷菓をどのようにして運ぶか、ということなのだろう。



レティシャ :魔法符、覚えようかな?



 ぽつりと書き込んだのは【闇巫女】という回復役のくせして妨害系の魔法スキルの充実している『邪神に遣えし巫女』という設定のクラスに就いているレティシャだった。

 悪くないとは思う。スノウの知る限り、レティシャのスキル構成にはまだ余裕があるはずだし、魔法符作成は相性の良いスキルのように思えた。



スノウ   :……レティって、絵とか書ける?

レティシャ :……一応、乙女の嗜み程度には。



 ……何その嗜みって。

 やはり妙な予感を感じ、スノウは口を噤む。

 でも、絵を描けるのならば、たぶんある程度、魔法符作成もできるようになるだろう。

 同じギルドメンバーだし、自分の抱えている魔法符作成のコツなんかも伝授しても良いかなとも思う。



サクラ   :じゃあ、私がアイスを買ってくるっ!

ソルティナ :お姉ちゃんは今、王都出禁にされてるじゃない!

サクラ   :そうだったっ! 私っ! 役立たずっ!



 サクラは――引き籠もっているレティシャもだが、先日のギルド対抗戦GvGの結果、王都には入ることができなくなっている。

 サクラの種族は、ここ魔法王国ナージェに於ける人類の敵対種族の【妖魔族】であるため。レティシャは、【闇巫女】という犯罪者である証のようなクラスに就いているため。

 サクラはまだ擬態スキルがあるために、ギルド対抗戦GvG終わって間もない今の王都の警戒期間が終われば普通に王都に戻ることもできるだろう。

 しかしレティシャは擬態スキルなど持っていないし、種族的にそもそもそんなスキルは存在しない。だからこそ【闇巫女】であることが公にされてしまった今、王都にて盛大に指名手配されていたりする。それを解消するには、転生クエストを受けてキャラクターを別人として転生させるしかないのかなとか思ったりするのだが、今現在のレベルは確か八〇を越えたくらいで、転生可能になるレベル一〇〇まではまだまだ遠かった。

 だからこそレティシャは誰にも見つからないように、ゲーム内であるにも関わらずギルドハウス内に引き籠もって隠れているのだった。

 そういう理由で差し入れに氷菓という話が出たのだろうけれども。



サクラ   :むしろ、私こそ、買ってきて欲しいんだけど。魔大陸のご飯、味付けが独特すぎて……

ソルティナ :魔大陸……まだ行ったことがないんだけど、ご飯不味いの?

サクラ   :美味しい料理は美味しいんだけど、独特の癖があって……故郷の料理が懐かしい。

ソルティナ :ああ、だから最近のお姉ちゃんのリアルでの料理当番の時、和食ばかりなんだ……



 サクラは現在、この大陸にいない。

 ある古代遺跡の転移装置を利用してでないと行けない、妖魔族の故郷【デリストキア】にいる。

 人類の支配領域である魔法王国ナージェから、ほとぼりが冷めるまでしばらく離れるためだ。あちら側ならサクラは普通の冒険者として、街とかでも普通に行動ができる。

 レティシャがそれに同行していない理由は、レティシャはサクラと違ってあくまでも【ヒト族】であるからで、ヒト族はこちらの大陸とは逆で、あちら側では被支配階級であり、行動に色々と制限があるのだった。

 訊きたいことがあったんだけど、どうにも会話に混ざれる雰囲気じゃないな。

 そんなことを思って仕方なくチャットウィンドウを閉じようと思った時だった。



レティシャ :スノウさん、ということで、どうにかなりませんか?



 声を掛けられた。



スノウ   :……どうにかって。

サクラ   :そうよ! 魔大陸でも美味しいナージェ料理を食べられるような便利な魔法符を出してよ、スノえもん!

レティシャ :冷たいお菓子をギルドまで届けてください。デリバリー・スノウ&ソルティナさん。

スノウ   :どこの便利な猫型ロボットだ。

ソルティナ :えっ、私もっ!



 レティシャの依頼はまだ現実的なのだが、サクラは一体スノウをなんだと思っているのか。

 冗談だろうけれども、頭を抱えたい気分になった。



スノウ   :というか、女子だけで行動するという話なんじゃなかったのか。

サクラ   :……じゃあ、スノウは今から暫定女子ね。女子アバターに変えてきたらどう?

スノウ   :できるかっ!



 というか、擬空間を利用した普通のVRMMOではないとはいえ、【World Over】も他の多くのVRMMOと同じように、現実の性別を変えることはできない。

 男は男のアバターしか作れず、女は女のアバターしか作れない。現実の姿とあまりにも掛け離れている姿をVR空間で長時間過ごしていると、脳に何らかの障害が起きることを否定出来ない……というのが理由だったはずだ。医学的なことはよくわからないが、猫の獣人のアバターを選択した人が、現実世界でも頭の上の猫耳が気になって、かゆくなるとか、その程度の弊害は普通にあるようで、猫型の獣人種族――ケトル族のアバターを選択しているソルティナも、リアルではよくぼやいていた。

 そういうスノウも少しわからなくもない。

 長耳が特徴のエルフ族なので、現実世界で耳を掻こうとして、何もない空中を掻いてしまった、ということを何度か経験している。

 だからまあ、現実と離れすぎる容姿は危険なんだろうなと、感覚的にはなんとなく理解出来ていた。

 男女の性別を変えることはできないし、顔の造形や瞳の色や髪型髪質は兎に角、体型は現実とあまりにも掛け離れた姿は採れないようになっている。

 種族を選ぶことはわりと自由だったりするので、ドワーフ体系のエルフとか、マッチョなエルフとか、本来の種族設定からはありえない体型の者もわりといたりもするのは、笑えるというか何というか。

 ともあれこれは――本来の、ギルドチャットを開いて訊こうと思っていたことの、その流れになってきているのだろうか。

 そう感じてスノウは、何気なくひとつの質問を書き込んだ。



スノウ   :ところで他の女性陣はいないんですか?



 ギルド【夜明けの放浪者】にはサクラ、ソルティナ、レティシャの他にも三人の女性が所属している。サブ・ギルドマスターのパステル。兎耳ヴィラ族の暴走少女ウェンディ。そしてつい先日、初心者講習をクリアして新たにギルドに加入したばかりの新人エイミだ。



ソルティナ :パステルさんは今日残業って言ってたから、まだログインしてないと思うよ。

ソルティナ :ウィンディもオフラインだね。

ソルティナ :エイミちゃんは……たぶんクエスト中でチャット見てないんじゃないかな?



 全部をなぜかソルティナが応えるのだった。

 エイミは、見てないかとスノウは嘆息する。チャット画面は表示したままにしておくこともできるが、視界の隅に常に文字が流れていては色々と気が散って仕方がないため、普段非表示にしている人も多い。だからログインしていても反応がないことは別に不思議じゃない。改めてフレンドリストを開いてみたら、確かにエイミの表示はログイン状態だった。だからこの世界のどこかで活動していることは間違いないのだろう。



スノウ   :そっかぁ。パステルさん、最近リアルが大変そうですしね。

ソルティナ :え? そうなの? 確かにIN率減ってるって思ってたけど……

レティシャ :うーん、癒しのエイミちゃんが連続クエスト中だから、こっちでもしばらくはあまり会えませんしね。

サクラ   :あー、えーと、うーん、パステルさんかぁ。うん、確かに色々と悩んでるみたいだけど。

ソルティナ :んー? お姉ちゃん、何か聞いてるの?

サクラ   :うーん。内容は秘密なんだけど、ちょっと色々と相談されちゃってて……



 さりげなく他の人の話を振ってみたら巧くそっちに会話が流れたのでスノウは内心ほっとする。

 つか、さりげなく振ってみたわりにはパステルの状況がわりと深刻っぽくて、それはそれで気になってしまうのだけれども。

 それでも元々確認しておきたかったのはエイミのことだ。

 本人に直接連絡を取るには、IM――インスタント・メッセージで直接連絡を取ればいいのだが、正直、ギルドに加入して間もないエイミとは、面識はあるもののそれほど仲が良いというわけでもなかったので、なんとなく憚れたのだ。だからギルドチャットで連絡を取れればと思ったのだが、見ていないのでは仕様がない。


 エイミとは、初心者講習が切っ掛けでつい最近【夜明けの放浪者】に加入したばかりの新人で、剣士の少女である。

 小柄で気の小さい、小動物のような態度が庇護欲を感じさせる、大人しい少女だった。

 加入の切っ掛けは、たまたま【Crescent Rose】に来ていたサブマスターのパステルが、彼女のことをやけに気に入ってからのことだった。従来ならば初心者講習のサポートをスノウかエテルナが務めるのだが、この時は彼女を気に入ったパステルが立候補して、代わりに初心者講習のサポートをやったのだった。そして、初心者講習が終わった時には、いつの間にかエイミは【夜明けの放浪者】に加入していたのだった。


 元々【夜明けの放浪者】は、ある目的を持って作られたギルドであるため、少数精鋭であり、メンバーを募集するようなことはしてこなかった。

 しかし、その目的を一ヶ月と少し前に達成してしまい、ここしばらくはギルド活動に迷走気味なところがあった。

 その迷走具合を示した一例が『冒険者組合ユニオンの月例大会の優勝』であり、エイミという新規メンバーの加入だった。

 新メンバー加入について、何かを言うものはいなかった。

 元々、メンバーを募集をしていなかったことも、暗黙の了解みたいなもので、明確に禁止していたわけではなかったから。


 そんなエイミのことで、スノウは少し奇妙なことに気づいていた。

 彼女はいつも、一定の時間にログインしている。

 朝の七時ごろにログインをして、時折休憩をはさむようなこともあるけれども、だいたい夜の十一時前くらいにはログアウトしている。

 それは単に、規則正しい健康的な生活をしているといえるのかもしれない。

 この世界が、異世界アル・テ・セワの時間が、現実世界の四倍の速度で流れているのでなければ。

 エイミは現実世界において、二時間ログアウトして、四時間ログインを繰り返しているのだ。規則正しく。

 どう生活すれば、そのような手段が可能なのか、スノウにはわからなかった。

 もちろん、機械のように完全に規則正しくしているわけではない。二時間のログアウトはたまに一時間半になったり、逆に三時間近くログインしない時間もある。

 そのことにはまた、ギルドの面々のほとんどは気づいていないようだった。

 スノウ以外には、多分タックあたりが気づいているくらいじゃないだろうか。

 その不思議に気付いていながら、あまり問題には考えていなかった。

 確かに不思議だけれども、その程度の不自然なんて、どうとでも説明がつくと思っていたのだ。

 けれども今日、初心者講習に訪れた新人冒険者のギングから『エイミ』の名前を聞いて、ふと気になったのだ。

 いや、色々と記号が符合するところもあるけれども、その『エイミ』は多分、別人だ。決定的な差異が、男と女という違いがある。

 けれども、本当に――?

 本当にそれは、ものなのだろうか?

 スノウは首を傾げて、


           カラン


 軽やかなベルの音が店内に響き渡る。


「店長ー! 今、帰ってきましたよー!」


 耳慣れた元気な声を受けて、スノウは思考を止めた。

 露出度高めの給仕服のスカートを翻しながら、少女は堂々とした足取りでドアを開けて店内に入ってきた。

 それをぼんやりと見ながらスノウは考えていたことをすべて頭の隅にしまって、笑みを浮かべた。


「おかえりなさい。ルナさん」


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World Over ―夜明けの放浪者― 彩葉陽文 @wiz_arcana

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