0-2 初心者講習・説明


「……と、言うわけで、あなたがどんな経緯でこの世界に来たのかわかりませんが、とってもとっても稀少なケースだと思うのですよ。何しろ、謎のゲームですから。知名度ないですから。というか、いくら評判は良いとは言え、その根拠をまったくどこにも見せることのないこの妖しい、しかもそこそこ値の張るゲームを、よくやろうとしましたね? 毎度思うんですが、皆さんチャレンジャーですよねー」


 呆れたように言い放つウェイトレス少女エテルナを眺めながら、ギングはやや呆然としてしまった。

 ……なるほど、変だ。このゲームは変だ。

 一見素朴な美少女に漂うどこか残念臭も変なのだが、平然とメタいことを当然とした調子で言い放つNPC。いや、この世界を創った神とか、異世界や上位世界の存在を知る重要人物がメタなセリフを言うのならばまだわかるのだが、こんなにいる一般人が当たり前のように述べて良い言葉では、決してないのだと思うのだが、それはギングだけがそう思っているだけで、実は間違いだったりするのだろうか。

 なんてことを思い浮かべてギングは少し混乱していた。

 こんなメタNPCが存在する原因はといえば、カウンターの奥の半分開いたままの引き戸の向こうを見てみれば、店主のスノウ少年が先ほどからずっと机に向かって何やら作業をし続けていた。

 たぶん、アレが犯人なのだろう。犯人はNPCの台詞に頓着せず、集中して筆を持って何かをずっと描き続けている。たぶんそれは何らかの【生産】作業であり、普通のことなのだろうが、犯人がやっていると思うと何やら怪しげな動作にも見えてくる。


「それで、あなたは冒険者として何の【クラス】を選んだんですか? やっぱりその格好からしたら、剣士?」


 エテルナがギングの腰に下げた剣を見ながら言う。

 ギングの装備は、いわゆるRPGに於ける『初期装備』ってやつだ。

 どこにでもあるような、簡素な布製の服。現代社会にある物より、だいぶ粗い造りで、質感は何だかごわごわしている。腰に巻いた革製のベルトに、そんなに大きくない、刃渡り五〇センチメートルくらいの幅広の剣を差している。


「ああ……そうだが、なんか最初にスキル選んで、そん中に【剣術】があったんだけど、冒険者組合ユニオンに行ったら、気付いたら【剣士】っていう【クラス】が付いていた」

「あーその辺はたぶん冒険者組合ユニオンで説明受けたでしょうから、飛ばしましょう」


 指を立てて軽く左右に振りを付けながらにこやかにエテルナは言うのだが、その『冒険者組合ユニオンで受けた説明』とやらをギングは実はよく覚えていない。

 けれども繰り返し説明をしないってことはたぶんきっと大したことではないのだろう。


「えーと、これは【プレイヤー】さんたちにとってみれば【ゲーム】ですけれども、元々が仮想世界なので、私たち【NPC】はこの世界でをしています。んで、同じ世界に仮初めと言えども交流を持っている【プレイヤー】さんたちは『郷に入りては郷に従え』ではないけれども、同じようにすることを求められています」

「……ん、ん? どういうことなんだ? なるほど、わからん」

「うーん、つまり、冒険者として、冒険して、生活費を稼げってことですよ」

「は? 生活費? え? 食費とかいるのか?」

「いえいえ、そりゃー料理はおいしいけど、それをメインに【生産】活動している【プレイヤー】さんもいるみたいだけど、でも【プレイヤー】さんたちは食べなくても死ぬってことはないみたいですよ? というか、【プレイヤー】さんは、死んでも【拠点】に【死に戻り】するだけで、死なないんですよ。うらやましいですねー」

「だったらなんで……」

「んーと、娯楽、ですかね? 美味しい料理にはそれなりにお金が掛かりますし、冒険するにしても、良い武器防具には、それこそ飛ぶような金額が掛かるし、雨が降れば体が濡れて気持ち悪いし、夜は暗いから、屋根の下で休むことを推奨しますし、この世界を楽しむには色々とお金が必要ってことなのです」


 そう言われるとわからなくもなかったのだが、NPCに言われていると思うと、何だかもやっとするギングだった。いや、【プレイヤー俺たち】にとってみればこの世界はゲームであり、遊びであっても、【NPCお前たち】にとってみれば生死の掛かったなんじゃないか、と。それもどこか呑気な調子で言われると、尚更何とも言えない複雑な気分になってしまう。

 それで良いのかNPC、と。

 しかしエテルナはそんなギングの気分には頓着せず、相変わらずのなぜか自信満々なドヤ顔で語り続けるのだった。


「そこで冒険者組合ユニオン依頼クエストを発行して、【プレイヤー】さんたちに生活の糧を稼ぐ術を与えるのですよ。そして冒険者組合ユニオンに委託された我らが『魔法符屋〝Crescent Rose〟』が、初心者向けに依頼クエストを出してやるのです!」

「そう、で、これが依頼書」


 いつの間にか奥の部屋から出てきたスノウが、ハガキサイズの用紙を差し出してきた。用紙は厚紙で、わりと丈夫な造りをしている。

 書かれている文字はすべて手書きだった。おそらく印刷技術がこの世界には存在しないのだろう。

 丁寧な字で『依頼書』と大きく書かれていて、その下に依頼内容らしき文面。最下部に依頼者である『魔法符屋〝Crescent Rose〟店長スノウ』とサインがされていて、その横に『冒険者組合ユニオン』の印が押されていた。


「これは?」

「魔法符の原料となるインクを作る為の素材採取を依頼するクエスト。依頼達成してここに持ってくると、僕かルナさんが完了印を押すから、それを持って『冒険者組合ユニオン』に行くと報酬が貰えるよ」


 依頼書には報酬も書かれていた。

 『初心者冒険セット』と。

 なるほど、とギングはうなずいた。

 魔法符が何かとか、インクの原料が何かとか、色々と疑問点はあるものの、典型的なクエストと言えるだろう。

 こう見えてもギングはこれまでオンラインゲームというものを、何度もやったことがあった。まあ、どれも長続きはせず、精々が一ヶ月程度だったけれども。

 VRではない、ごく普通のコンピュータネットワークを利用した、MMORPGだ。その経験からいって、スノウの差し出して来た依頼とやらは、一般的と言えるものと思った。


「王都の東門を出てすぐの草原から入る森で採れる材料だから、一日で終わるよ。危険の少ない、簡単な依頼クエストだね」


 なるほど。こうして簡単な依頼クエストを紹介するのが、冒険者組合ユニオンと、その委託を受けたプレイヤーの仕事なのだろう。一般的なロールプレイングゲームの進行になぞらえて、この世界で生活する術を教えようというのが目的なのだ。こうしてみるとこのゲームは、システムや運営に依らず、プレイヤーの自治のよって何とか辛うじてゲームとしての体裁を整えているように見える。なんて面倒くさいことこの上ないのだろう。まるで制作途中のゲームを無理やりプレイしているような感じだ。


「β版みたいだ」


 思わず口をついて出た感想は、しかしギングの気持ちを正確に言い表すものではなかった。

 これまでの短いプレイ時間で感じたのは、本当にMMORPGとしての機能は、ただ皮を着せただけ、のように感じられた。

 その完成度は世間一般に流布している普通のMMORPGと比べると、β版どころか、α版にすら達していないだろう。


「実際に、運営が開始されてから二年になるけれども、実はまだ正式サービスは始まっていないって噂ですしね」


 システムウィンドウのヘルプの隅に載せられているゲームのバージョン。その数字は日々更新されているけれども、実はまだ「1」に満たない。

 言われるままにギングはシステムウィンドウを開いて見て、その数字を見るが、数字はギングの目の前で「0.999999941」からその末端の数字をブレさせながらゆっくりと「0.999999942」へと変わった。


「……なんだこりゃ?」

「システムのバージョンですか? 幾つです?」

「ああ? えーと、9が1、2……7つ続いた後に42だな」

「あー結構早いですねー」


 スノウはあっけらかんと笑い、「自分の数字はまだ『0.999999939』ですよ」と応えた。

 インターネットのゲームと違い、何だかよくわからないのだがこのゲームのバージョンはリアルタイムに更新されていき、なぜかプレイヤーによって個人差があるようなのだ。原因は不明であり、運営側もその原因を公表していない。ゲームが何を更新しているのかも、滅多に公表されることはない。それは何か問題のような気がするのだけれども、バージョンの桁数が増えるとか、数字が大きく飛ぶなどの大規模な更新の時は、さすがにゲーム内でもアナウンスされるので、いままでに大きな問題になったことはないらしい。


「実際に手探りな所も多いらしいですよ。運営自体も、MMOのノウハウがあったわけじゃないだろうし」

「そういえば機械知性体が運営してるんだっけか?」


 人間ではないものが運営している。

 そう考えると、『World Over』が一般のMMORPGと違いすぎる点についても納得できるような気がする。

 けれども同時に何か薄ら寒いものを感じる。

 得体の知れないものに触れたような、少し気味の悪い感覚だ。

 ギングがそんなことを考えていると、スノウの隣で何やらひたすら楽しそうに笑っている少女、エテルナが目に入る。

 少女は自分で「美少女看板娘」と自称するように、容姿は非常に整っていた。明るい雰囲気で、フリルの付いた可愛らしいメイド服を基調とした格好もよく似合っている。短いスカートから延びた二本の脚線美が非常に眩しい。何が楽しいのかその笑顔は思わず釣られそうになるほど自然な物だった。しかし如何に自然であり、存在感があるとは言っても、エテルナはNPCなのだ。ギングやスノウのようなプレイヤー……とは違うのだ。

 わずかに引いたギングを、エテルナは少し不思議そうに首を傾げて見返してきた。


「むう。お兄さん、今、NPC差別的な何かを考えましたね!」


 びしっとギングに、まるで「犯人はお前だっ!」とでも言いたげに指を差すエテルナ。

 何というか、非常にノリが良い。

 うーん、外見は清楚な正統派美少女だというのに、エテルナから漂うこの微妙な残念臭は何なのだろう。


「NPCを甘く見ているといつか足元を掬われますよ! 何せ、私たちはこの世界で、本当に生きてるんですから!」


 誇らしげに言い放つエテルナを見ていると、本当にその通りだと思えてくる。


「ああ、そうだな」


 だからギングもそううなずいた。

 わりと本気で。

 だから少し訊いてみようと思った。

 ギングがこの世界に来た目的。


「なあ、店主にええと、あんた。エテルナ、だっけ? 少し訊きたいことがあるんだが、良いか?」


 プレイヤーであり店長であるスノウは兎に角、本来ならばNPCであるはずのエテルナに訊くことではないのかもしれない。

 けれども何かのヒントになるような気がして、訊ねる。


「初心者講習やってるんならさ、最近……って言っても一、二ヶ月ぐらい前だが、十五、六くらいの男子が新しくこのゲーム始めたりしたっての、聞いてないか?」


 何言ってるんだみたいな視線で見られた。

 言って、ひどく変なことを聞いてしまったと自覚した。

 いや、ゲームなんだから。いくら知名度のないゲームとは言っても、知る人ぞ知るレベルには知名度があり、人気もあり、はまる人もいるのだ。そんな曖昧な条件が当て嵌まる人物なんて、数えるなんてとても不可能なほどたくさんいるに違いなかった。

 エテルナは理解できないという風に、大きく首を傾げて、逆に訊いてきた。


「えーと、つまりギングさんはこのゲームに人捜しに来たってことなんでしょうか?」

「う……いや、そうなんだけど」

「どうりてやり慣れていない……というか、向いてない性格してると思いました」

「わりとぐさっとくるな……」

「というより、どうせこの人、一月もすればログインしなくなるだろうから、適当に相手してれば良いやって思ってました」

「本当に酷いなっ!」

「というか、このゲーム、アバター自由に決められないんですよ? 何かその人って、外見以外の特徴あるんですか? 語尾に必ず『ぽよ』を付けるとか」


 なぜに『ぽよ』?

 適当に言っただけなんだろうけれども。

 思い返して見ても、ギングの捜し相手に目印と成るような特徴は思い浮かばなかった。

 ただ、男にしては小柄で、持病持ちゆえにかどこか気弱な雰囲気があるくらいだろうか。


「うーん。難しいですね。外見はまったく当てになりませんし、性格も……ネットの中ではっちゃけるって人、とても多いですし」


 しかしこのNPC、どれだけ現実の事情に詳しいのだろうか。

 本当に中の人、いないんだろうか。

 まるで自身も現実世界からログインしてきて、その仕組みを実感として知っているかのような物言いである。普通のプレイヤーと話しているのとまったく違和感がないのだったが、エテルナの頭の上に浮かんでいるのはNPCを示す白い三角形『▽エテルナ』なのだった。

 ちらりと奥に引っ込んでいった店長のスノウを見ると、頭の上には緑の三角形で『▼スノウ』とある。自分では見えないけれどもギングの頭の上にも同じように緑で『▼ギング』とあるのだろう。


「名前とかわからないんですか? ほら、本名をもじっているとか?」


 ギングは少し首を傾げた。

 捜し人の名前。

 彼は学校の同級生だった。

 名前は。


「そうだな……『永見ながみ』とか『エイミ』とか、『スワロー』とかって名前のヤツ、誰か知らないか?」


 見つかるとは思わなかった。本気でそれがヒントになるとは思っていなかった。

 ただ試しに訊いてみようと、気紛れに思っただけだった。

 幸い時間はあるのだ。

 のんびりと、あいつの痕跡を探してみよう。運良く見つかればもうけものだ。

 その程度の軽い気持ちだったのだ。

 けれどもその言葉にエテルナは目を丸くした。


「一月くらい前に『エイミ・スワローテイル』って子が、初心者講習に来ましたけど……」

「へ?」


 期待していなかっただけに間抜けな声が出た。が、喜びを発する前に、エテルナの言葉にはまだ続きがあった。


「その子、気弱な性格でしたけど、女の子でしたし、語尾も『ぽよ』じゃありませんでしたよ?」


 いや『ぽよ』はエテルナが言った適当な特徴だろう――とツッコミが先に入ってしまったのだが。

 女の子。

 現実に近い身体動作の必要なVRMMOではよくある話なのだが、この【World Over】も例に漏れず、アバターの性別を変更することはできない。

 ギングが捜している相手は、記憶の中でも確かに弱々しいというか女々しい感じのヤツだったが、歴とした男なわけで。

 明らかにそれは別人だった。




     ♯♯♯




 王都ナージェ。

 正しくは魔法王国ナージェ。

 国とは言うものの、プレイヤー的な感覚からすれば精々が都市国家であり、それほど大きくはない。

 大きくはない、とは言うものの、一般的なゲームの都市と比べれば、非常に広大と言って良いほどの広さがあったりもする。

 何せ元が異世界シミュレーションなのだ。

 異世界〝アル・セ・テワ〟を丸ごと作った結果、そこの世界に元から住む人々が正しく『生活』を送るのに必要な情報を求めた結果、この世界はゲームとしては明らかに不必要なまでに広大なものとなっている。

 人口約一一〇〇〇〇人。

 公称されているその数字から想起されるこの都市国家の大きさは、現実世界でいう地方都市レベルの規模はあった。

 たかが地方都市レベル。しかしされど地方都市レベル。

 現実に存在すればそれの全容を把握するなどとは、とてもではないが言えるレベルではない。

 都市の端から端まで一直線に走るのですら数時間は必要とする。

 そんな街中を、限られたログイン時間で通り抜け、冒険に出るなんて正気の沙汰ではない。

 ということで、王都ナージェの主要施設の各所にはプレイヤーだけに使用可能なモノとして【転送装置ポータル】というものがあった。

 その名の通り、王都内の主要施設を繋ぐ、転送装置である。

 ギングは魔法符屋〝クレセント・ローズ〟のある裏通りを出て、表通りの端にある小さな小屋に入る。

 小屋の中には直径4メートルほどの大きな円形の台座があり、その台座には何やら幾何学的――というよりも、何かの機械を想起させるような複雑な紋様が描かれていた。ファンタジーの世界から突然未来SFに紛れ込んでしまったかのような違和感。逆に言えば、これこそこの装置がこの世界由来のものではなく、現世由来のものであることを強く印象付けるものだった。

 台座の中心に立つと、目の前に半透明の窓が開く。

 今までギングが利用したことのある【転送装置ポータル】が出る。そのどれもが王都ナージェ内のものだけだ。その中から【東大門】を選択し、触れる。


 シャランと、鈴の鳴るような音が辺りにこだまする。

 ポータルに刻まれた円陣から、蒼白い光が揺らめきながら立ち上る。

 ギングの見る景色が一瞬ぶれた。かと思った次の瞬間には、景色が切り替わっていた。

 同じような円形の台座の上。しかし、目に映る小屋の様子が少し違う。

 軽く息を吐き、小屋から出ると、目の前には人々が多く行き交う巨大な門――【東大門】があった。


「よく来ましたね、初心者さんっ! さあ、初心者講習を続けましょう!」


 そしてなぜか道のど真ん中でエプロンドレスのどこかで見たことのあるような少女がギングの方へビシッと指を差して仁王立ちしていたのだった。


「……なんでいるんだ」

「ふふふっ、魔法符屋〝クレセント・ローズ〟の初心者講習は、アフターフォローもばっちりなのですよっ! この私が初心者さんの初依頼クエストを見事にサポートしてみせましょう」


 いや、そうじゃなくて。

 どうやって先回りしていたのだろう。

 店を出たのは当然ギングの方が先で、その時はまだ、エテルナは店の中にいたはずだ。

 少し探したけれども、ほぼ真っ直ぐに【転送装置ポータル】に向かい、【東大門】に来たのだ。どう考えても先回りなんでできるはずがない。というか、事前に冒険者組合ユニオンで受けた説明によれば、【転送装置ポータル】を利用できるのはプレイヤーのみで、この世界の住人には使えないようになっているはずなのだ。だから、エテルナは【転送装置ポータル】を使わずに徒歩で【東大門】ということになり、魔法符屋〝クレセント・ローズ〟のあった商店街からここまでは、どうやっても移動に数十分は必要で、つまりここにエテルナがいるのは色んな意味でありえないのだった。

 しかしエテルナの笑顔を見ていると、どうでも良い気分になってしまう。訊いてもたぶんのらりくらりと誤魔化されそうな気もするのだ。こういう気分になるところが、なんか誤魔化されているということなんだろうなと自覚はあるのだけれども。

 まあ良い。所詮ギングは初心者なのだ。この世界の住人、もしくはベテランプレイヤーにならなければわからない理屈なんかもどこかにあるんだろう。


「ただ【東大門】を目標に設定した〝転移符〟を使っただけなんですけどね!」


 かと思ったらあっさりと回答を曰ったエテルナだった。


「〝転移符〟?」


 そういえばよくわからなくて訊いていなかったけれども、スノウ少年のお店の名前は『』〝CRESCENT ROSE〟だったっけな。

 興味は薄くてあまり意識していなかった。ギングは普通に剣士を目指すつもりだったし、魔法と聞くと、ステータスに『知能INT』が必要だとかなんとかで、どことなく敬遠してしまうのだ。


「そうですっ! これは魔力を注ぐだけで設定された場所へ直ちに転移ができるお札です。転移系のアイテムって実は『転移符』くらいしかないんですけど、普通に店売りに出されてるものは予め場所がすでに設定されてるんで、使い勝手が悪いんです。ところが、我が〝CRESCENT ROSE〟の〝転移符〟はユーザーメイドなので、個別の設定ができるのですよ! 業界最大手ギルドの『Tick Tack』なんかもギルドハウス行き転移符を一括発注してくれて、ウハウハですよ! 大手ギルド『Tick Tack』御用達の魔法符屋〝CRESCENT ROSE〟をどうか、どうかよろしく、よろしくおねがいしまぁす!」


 なぜか最後は宣伝になっていた。

 だけどおかげで〝転移符〟がどういったものなのかなんとなくわかるような気がした。

 しかし大手ギルド御用達か。


「意外とあの兄ちゃん、すげえヤツなのか?」


 ギングはこれまでMMORPGをまったく未経験なわけではない。リアルの友人との付き合いで、これまで何度かやったことがあった。だから生産職で大手ギルドとの繋がりがあるなんてのは、かなりすごいことなんじゃないかと、『World Over』の事情はあまりよく理解していないけれども、想像した。

 だというのにそれを壊したのは雇われ店員NPCであるはずの少女エテルナだった。


「というより魔法符を専門に扱う生産職ってのは、ほとんどいないみたいなんですよね」

「……そうなのか?」

「うん。魔法符を作れる魔法職の人ってそれなりにいるらしいけれども、本格的にやってる人って、プレイヤーの中でも数えるほどしかいないらしいですよ?」

「なんでだ? 話に聞く限りはそれなりに需要ありそうじゃないか?」

「そうなんですけど……ネックは魔法符作成らしいですよ? なんでも、魔法符って定められた図式を魔法符用の規定の用紙に規定のインクを持って魔力を消費しながら書き込む必要があるらしいんですけれども、その図式がかなり複雑な上にかなり根気がいる作業みたいなんですよね」


 そういってエテルナは懐から一枚、封筒くらいの大きさの札を取り出すと、ぴらぴらとギングの目の前で左右に振った。

 それが何の魔法符なのかわからなかったけれども、よくわからない文字と幾何学模様が複数の色を使って複雑に描き込まれていた。何かの模様なのか完全な左右対称でもなく、複数の文字や図形が複雑に絡み合っているのに不思議と一定の統一感があり、理解はできないまでも非常に難易度が高そうだと思われた。


「店長が言うには『初級なら兎も角、中級以上の魔法符を作るには、米粒に文字を書き込む程度のスキルが必要』って言ってました!」


 だからなぜお前がドヤ顔する。

 中級レベルでそれなら、上級の魔法符なんて誰にも作れないんじゃないか?


「だからうちの店長、プレイヤーだけでなくNPCも合わせてオンリーワンな人なんですよね」

「できるのかよ!」

「とあるギルド対抗戦で店長が初めて上級魔法符使うまでは、そんなモノ、古代遺跡にしか存在しないレアアイテムだと思われてたくらいですものねー」

「すげえな、あの人」


 少年みたいな外見してと、密かに若造と見下していたギングは反省をする。人は見た目ではない。いや、これはMMORPGだったのだ。リアルのスノウ少年は意外と壮年の職人だったりするのだろうか。若い外見に憧れてアバターが若いものを選んだとか。いや、このゲームはキャラクターメイクでいじれるのは髪型とか髪の色ぐらいで、それ以外はランダム生成なので自由度はほとんど無いのだった。ギング自身といえばリアルとそう変わらないイメージのアバターでこの世界にいるので、あまり気にしていなかったけれども。ううむ。外見で舐められるとわかっていたからスノウはNPCに仕事を押し付けて前に出てこなかったのかもしれない。単に自分の興味あること意外には行動意欲がまるで湧かないので放り投げたってだけなのかもしれないけど。


「ふふんっ、すごいでしょう」


 そして当然のようになぜかドヤ顔のNPCエテルナさんである。腰に手を当てて、胸を張っている。胸を張っているおかげで、あんまり無い少女の胸がわずかばかりに強調されている。うん、なかなか形は良さそうだ。


「ああ、すごいな」


 何がとは言わないが、ギングは適当に相槌をする。

 ひょっとするとあの店長は結構な有名人だったのではなかろうか。


「それはどうでしょうか? 店長自身はプレイヤーとしては中堅レベルだって言ってたし。店長のギルドメンバーは妙に個性的な人が多いから……うん。って所じゃないんでしょうか?」

「なんだそれは?」

「店長の所属するギルド内の、有名度ランキングですっ!」


 そんなことを言われても、初心者のギングにはさっぱり意味がわからないのだった。

 店長のスノウ少年とも今日初めて知り合ったんだし、その所属するギルドメンバーなんて知るはずもない。

 でもNPCであるエテルナの、我が事のように推してくる笑顔は、何か非常に逆らいがたいものを感じるのだった。


「それで、店長の所属ギルドって、何なんだ? 有名なのか?」

「んーと、『夜明けの放浪者』ですよ?」


 当然そんな名前、さっぱり聞いたことがないのだった。

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