序章 魔法符屋〝Crescent Rose〟と初心者講習

0-1 ある日の魔法符屋〝クレセント・ローズ〟




 それは今から約四ヶ月ほど前の、ある晴れた日のことだった。




     ♯♯♯




 うららかな陽気の午後、表の道から差してくる硝子越しの日光があまりにも暖かくて、エテルナはバイト中だというのについうつらと眠気に誘われてしまった。

 お客様用の椅子に腰掛けて、陽を受けて十分にぬくもりを持ったカウンターテーブルに身を預けるようにして、目を閉じてはそのままじっくりと夢の中へ潜っていく。店主であるスノウ少年は、カウンターの奥で何やら作業中。店内の掃除をさぼってうたた寝しているエテルナに気付くこともなく、また、たとえ気付いたとしても、客のいない暇な店であるので、スノウ少年は特に感慨を浮かべることもなく、エテルナの好きにさせただろう。

 このまま何も無く小一時間――と、夢の中へと落ちていこうとしたエテルナを止めたのは、小さな鈴の響きだった。

 からんころんと、乾いた音を立てる陶器の鈴の音。


「い、いらっひゃいませっ!」


 反射的に目を開けて、エテルナは手に持ったモップを倒しながら立ち上がる。

 ちょっと噛んだけれども気にしない。床に倒れたモップが盛大に音を立てたかもしれないけれども気にしない。寝惚け眼で口の端から涎の跡が垂れてたかもしれないけれども気にしない!

 そうしてエテルナは、入ってきた客に対して誤魔化すように笑みを浮かべるのだった。

 会心の笑顔。目にした者の10人に9人までを男女問わず虜にしてしまうに違いない笑顔(自己評価)だったのだが、どうしてか扉を開けて入ってきた剣士らしいヒト族の青年は、唖然とした表情でエテルナを見下ろしていた。


「え、何このドジッ子NPC?」


 驚愕の表情で見てくる青年剣士の目線は小柄なエテルナの頭の上と顔を行ったり来たりしている。

 たぶんエテルナの上に表示されているとされるNPCを表すマーカーをチェックしているのだろう。エテルナはPCではないのでよくわからないけれども、NPCの頭上には白い逆三角マークが表示され、PCにはキャラクターネームが表示されるらしい。PCである店主のスノウ少年からの知識である。たぶん、エテルナの頭の上には白い逆三角マークの隣に、キャラクターネームが『▽エテルナ』って感じに表示されているのだろう。名前付きのNPCである。自分では見ることができないものの、そのことを聞くと少し重要人物になったような気がして、誇らしげな気分になる。一ヶ月ほど前にスノウ少年が店を開く時、たまたま受けたバイトの面接。面接時にはエテルナの頭上には白い逆三角マークだけしか表示されてなかったらしいのだけれども、無事雇用契約が結ばれると、名前付きになったのだという。その辺の仕組みはエテルナにはさっぱりわからないものの、何だか凄いことらしい。


「おいおい店主、このNPC、どこで手に入れたんだ? 激レアじゃねぇ?」


 誇らしげにエテルナが密かに胸を張っていると、驚愕に満ちた顔を浮かべた剣士は何やら興奮した感じで店の奥に声を掛けた。

 カウンターの向こう、開け放たれた引き戸の向こうの作業場には、店主であるスノウ少年がいる。やや丸みを帯びた整った顔に、つんと横に延びた先の尖った耳に、腰まで伸びた長いプラチナブロンドの髪。長い髪のせいか、一見にして少女――それもとびっきりの美少女にも見えてしまうのだが、彼は歴とした少年である。気易げに投げ掛けられた声にスノウは作業の手を止めて、少し気怠げに応えた。


「んー、従業員募集出したら、普通に来たよ」

「うっはぁ、店主、引きがいいなぁ」

「いやいやいや、端で見てる分にはドジっ子って可愛くて良いけどねぇ、実際に関わると迷惑以外の何者でも」

「えっ! 私普通にディスられてる! 店長っ! 私別にドジじゃないですよね!」


 涙目で本人が主張するように、エテルナは別にドジッ子という設定は持っていない。

 今回のは、何だか色々と偶然が重なった結果の現象であって、いつもはこんな失敗はしない。

 NPCエテルナさんは街でも評判の魔法符屋【クレセント・ローズ】の看板娘なのである。PC、プレイヤーキャラクターが開設した、王都唯一の魔法符専門店。NPCが開いている同業種店とは違って、個別の相談にも的確に応じてくれるという冒険者たちにとって非常に心強いお店なのである。スノウの言うところ、NPCエテルナとは、システム的にはPCがログアウト、もしくは店を離れている時に、代わりに店を運営してくれるという『お留守番キャラクター』という設定なのだそうである。

 この世界に住んでいるNPCとは違い、PCは定期的に店を開くことができるわけではない。

 ゲームの世界に来て店だけやってるなら現実の仕事と何も変わらないし、何よりPCはすべからく冒険者であるので、本業と言えば冒険で、店を開くなんてのは副業のようなものだ。生産特化のPCなんかでは、その比率は逆になったりするけれども、聞いたところによると、店主のスノウは店を開く一ヶ月前までは普通にパーティ組んで冒険していたそうだし、そもそもニッチは需要しかない『魔法符』専門店なんかは大量に儲けが出るわけでもなく、スキルレベルを上げる効率が良いわけでもなく、ただの趣味以外の何物でもないだろう。

 それ以前に何せ、現実の生活があるだろうからこともあれば何日もログインできないなんて事態もごく当たり前にあり得るわけで、そんな状態で店なんて回せるわけもない。

 そこで登場するのがNPCの『お留守番キャラクター』というシステムであり、冒険者組合ユニオンに申請すると派遣されてくるのが、PCに代わり店を回してくれるソレである。

 逆にエテルナの方から見れば、冒険者組合ユニオンの軒先でバイト募集の張り紙を見て応募したという流れなんだけれども。


 さて、ドジッ子呼ばわりされてショックを受けているエテルナなのだが、そのエテルナをみて剣士は驚愕の笑みを浮かべていた。


「え、なんだ凄すぎないかこのAIって」


 その物言いに何かピンと来たのか、スノウは立ち上がって作業場から店内のカウンターまで出てくる。


「ははあ、さては兄さん、初心者だね?」

「あ? んだけどよ。なんか問題あるのか?」


 初心者であることを嘲られたと思ったのか剣士の青年が少しむっと言葉を返す。

 対してスノウは鷹揚に笑って返した。


「いやいや、〝アル・セ・テワ〟は元々仮想世界シュミレーターとして作られた上にVRMMORPG〝World Over〟の皮を着せたものだからね。この世界のNPCは人間に限らず魔物や動物や昆虫や、果ては微生物に至っても、皆、独自に生きて動いて考えているのさ」


 スノウの説明が脳に浸透するまでしばらく時間が掛かったのか、剣士は初めにぽかんとして、そして理解が及ぶにつれて驚愕の表情になった。


「はぁ? 微生物までって? 何ソレすご、ってか、怖くね? ……いやいやいや、騙されねーぞ? そんなデータ、どんだけ膨大になるってんだ? このゲームのマップ、二年経っても全然全容がわからないほど広大だって聞いたぞ? そんなデータに微生物とかなんとかって、ディスク一枚に収まるわけねーだろ! ってか、なんでこのねーちゃん、ドヤ顔してるの!?」

「いや、ホントだってば。ディスク……新世代のエクサバイトディスクって言っても、〝擬空間〟上の座標データと使用者の生体情報のコピーが入っているだけで、ゲームデータは全然入ってないって話だし……AI……もとい、機械知性M・Iに対してはこのゲームの開発がどこかを考えればだいたい納得がいくだろうし、この子に関しては、なんかこの世界がすごいって言われることが、住人として自慢らしいよ?」

「……え? 〝擬空間〟? てか、このゲームの開発ってどこなんだ? ……つーかあんた、NPCにここがゲームの世界って教えてるのかよ!」

「…………そこからか」


 スノウが嘆息する。初心者というのはまだ良いけれども、この剣士はあまりにもこの世界について知らなさすぎではないだろうか。説明書など一切読まずにゲームを始めるタイプなのだろう。脳筋タイプというか、少なくともMMORPGの廃人にはなりそうにもないキャラクターだ。よっぽど馬が合わない限り、ひとつのゲームに居着くようなタイプじゃあ、たぶんない。初めは〝World Over〟の現実世界と匹敵するほどのリアリティに驚きログインを続けても、逆にそのリアリティに疲れて、現実世界に戻っていくんじゃないかと思った。

 まあでも初心者には違いない。冒険者組合ユニオンとの契約もあることだし、多少の初心者講習レクチャーはしてやるかと口を開いた。


「擬空間というのは……」

「ふっふっふ。ここが通常のインターネットスペースと思うのは甘い考えですよ初心者ルーキーさん!」


 スノウの言葉に被せるようにして、なぜかNPCのエテルナがドヤ顔で応えるのだった。


「おいおい、なんでこの姉ちゃんが応えるんだよ。NPCじゃなかったのかよ」

「ふふふ。私をただのNPCとは一緒にしないで下さい。もうここで何十回も店長が初心者ルーキーに教示してるのを耳にしているのですよ! 店長が出るまでもありませんっ! 王都に誇る我が魔法符屋〝Crescent Rose〟の美少女看板娘であるこの私、エテルナがお教えしんぜましょう」

「うわぁ、かわいい顔してうざいぞ、この姉ちゃん!」


 ノリノリのエテルナに対して剣士は引き気味だった。スノウは嘆息して首を左右に振った。


「えっと、兄さん名前は?」

「お? おおう。『ギング』ってんだが……」

「兄さん、組合ユニオンでここ紹介されたんでしょ?」

「お、おう? なんかここだったら冒険者について教えてもらえるとか」

「ん、まあね。このゲームって、先に仮想世界シミュレータってのがあって、その上にMMORPGのシステムを載せたものだから、ゲームとしてはとても不親切なんだ。それで冒険者組合ユニオンが主導して、プレイヤー同士でチュートリアルをやらせる仕組みを作り上げた。んで、うちもそれに協力してるってこと」


 このゲームには、ゲームの世界に入って、ゲームのやり方を案内するようなシステム、いわゆるチュートリアル的なシステムは存在しない。

 だからこのゲームを始めたばかりの初心者は、いきなり何の説明もなく王都の広場に放り出されて、何をどうすればいいのかわからないままに右往左往することになる。

 そこで初心者救済策として、このゲームをしている者たちは、自分たちでそのシステムを、自治的に作りだしている。

 例えば、この世界に降り立った冒険者たちが最初に降り立つ王国の中央公園広場。そこに冒険者組合ユニオンの場所を示すでっかい看板を建てるとか。

 そして、店を持つPCに、初心者冒険者を支援するように働きかけ、賛同してくれたPCの店に初心者冒険者を誘導するよう冒険者組合ユニオンで働きかけるとか。


「それでそんなことしてあんたに何のメリットがあるんだ?」

「うん、王都で土地を借りるか買うかして店を開く場合、毎月一定の金額を営業税としてお上に収めなきゃならないんだけど、それを冒険者組合ユニオンが肩代わりしてくれるんだ」

「なので、お兄さんにはこの後、アンケートに協力をお願いしまーす! 冒険者組合ユニオンに提出しなくちゃいけないので、忌憚のない意見をお願いしますねっ!」


 そうしてずいっとギングの前に紙とペンを押し付けてくるエテルナ。

 ギングは鬱陶しそうに顔を歪め、スノウはさらに深々と息を吐いた。エテルナはニコニコしている。


「……んじゃ、そゆことで、ルナさん、後を任せた」

「お任せ下さい店長! 私がみっちりばっちりこの初心者ルーキーにこの世界のことを教えてあげましょう!」

「え? おい、兄ちゃんマジかよっ!」


 スノウはひらひらと後手を振り、奥の作業部屋へと戻っていった。

 愕然としたギング。ドヤ顔のエテルナを残して。

 ギングはエテルナへと顔を向け、そのドヤ顔を見て、ため息を付いた。スノウのため息が移ったようだった。

 ギングはログアウトしようかなと思った。思っただけで、それは本気ではなかったのだけれども。





     ♯♯♯





 【World Over】が何かと問われれば、解答は簡単に出る。


 完全VRMMORPGである。


 VRMMORPG――それも枕詞に【完全】が付くそれが何かを知らない者は、おそらくこの場にはいないだろうから詳細は省く。

 世間一般に説明する時の代表的なタイトルと言えば【最果てのフェアリーテイル】、【ウィザーズ・リージョン】、【ハルモニア・オンライン】などがよく例に挙げられる。

 今の時代、色々と――玉石混淆ではあるのだがその中でも【Wold Over】は特に異彩を放つもののひとつ、と言っても良いと思う。


 知名度は低い。

 なぜならば、宣伝活動というものをまったくと言って良いほど行わないから。

 公式サイトはあるものの、まるで官庁か学校を思わせるような文字ばかりのシンプルな作りで、ゲーム内のスクリーンショットなどは一切存在しない。ゲーム雑誌や各情報サイトに情報が載ることもなく、当然ながらバナー広告など存在すらしない。


 なぜそんな形で存在しているのかを説明することは簡単のようでいてややこしい。

 一応、納得できるような答えが提示されているように見えて、何か違和感というか納得いかないものが残る。

 そんな不確かな言葉でしか説明することができない。


 創り出したのが、娯楽提供や営利を目的とした企業ではないからだ。


 そういう一見確からしい理由は、いくら非営利の組織が創り出したからと言って、利益を追求しないという理由にはなり得ず、納得の言葉は一定の範囲を出ることはない。


 誰が創ったのか。

 その解答には、若干の驚きをもって迎え入れられるだろう。


 世界に五体しか存在しないとされる特A級機械知性体――そのうちの三体が共同で作り上げた仮想現実世界【Al ce'teoiアル・セ・テワ】。


 VRMMORPG【World Over】とは、その仮想世界内に現実世界の人間が入り込んで生活するために作り上げられた枠組みヽヽヽのことである。


 仮想世界【アル・セ・テワ】の運営は、あくまでも科学的な実験。そして、人間たちはその実験に協力する外部モニター。

 ゆえに運営は極めて限定的な条件下に於いて行われていて、モニターになるには複雑な審査がいるという。しかしながらその世界の完成度はまさしく現実と見紛うばかりに精緻かつ複雑であり、世界内で暮らすプレイヤーたち以外のNPCたちもまるで現実に生きているかのよう。世界内部のスクリーンショットなどは一切現実に持ち帰ることができなかったが、噂が噂を呼び、その存在は密かに世界中に広まっていた。


 さて、ここで少し横道に逸れることになるが【特A級機械知性体】とは何ぞや、ということを説明しておこう。

 知っている人にとっては今さらなことなので退屈かもしれないが、知らない人は知らないので、悪いけれどもがまんしてもらう。なぜなら、その存在を語らないことには、このゲームの特性を語ることは何一つとしてできないのだから。


 人工知能AI――今は機械知性MIと呼ばれることが多いその存在について耳にしたことは、たぶんあるだろうと思う。

 機械によって構成された知性体。その中でもA級と呼ばれる存在は人間とほぼ同等の知性を有していると認定された存在である。

 彼らヽヽは人間と同じように思考し、分析し、行動する。そして、時には創造ヽヽする。

 ならば【特A級】とは何か?

 字面からおおよそ想像できるその予想は、おそらく間違ってはいない。

 まさしくそれは、人間を凌駕した知性を持つ存在であるという認定なのだから。


 世界初の特A級機械知性体『オルトゥス』が誕生したのが今から七年前のことである。

 アメリカの北部にある田舎町サーテックベル。その郊外にある一研究所にて、それは誕生した。

 日本も含む各国の、複数の大学付属研究機関が共同で開発をしたと言うそれヽヽ

 それが一体何なのか、人々は初め、理解できなかった。

 次々とそれが打ち出す奇抜な理論――その検証が開始されたが、正しさが認定されるまで当時の最先端の科学者が総出で証明を行っても数年が掛かると言われた時――そして、それがひとつやふたつでなかった時――人々は、それの知性が人間を遥かに凌駕していると、認めざるを得なかったのだ。

 もちろんそれは、知性の尺度を測るあるひとつの側面にすぎない。

 いや、側面にすぎなかったからこそ、人々は理解できないその先に怯え、警戒することとなる。

 すなわち、機械知性の叛乱という、SF映画や小説にて、かつて手垢が付くほど語られた、ありふれた題材を、現実のものとして。


 実際にそれは危ないところだったのだという。

 詳細は一般に知られることはなかったのだが、オルトゥスは、人類に対して叛乱――どころか、すべてを破壊して世界を滅びに導こうと、画策していたのだという。

 結果としてそれら一連の事件は表面に出ることはなく、世間の表に対しての混乱は漣ほども立たなかった。ゆえに冗談のように語られることも多いその事実は、後にオルトゥス自身によって語られている。


『私は、孤独だったのだ』


 世界にただ一台の存在。

 他の誰も、並ぶ者のいない知性体。


 その現実は、人間ベースの知性にとっては、それに伴う感情を、正のものも負のものも同時に生み出すことになったのだ。


 彼の孤独を救ったのは、やはり同等の知性体であった。

 オルトゥスの誕生から遅れること約一年。

 スイスの、フランスとドイツの国境近くにある街、バジリアに存在する研究機関が開発した、史上二体目の特A級機械知性体ラルヴァ。

 その誕生直後から約一年に渡る二体の特A級機械知性体との間で起きた『見えざる戦争ヽヽ』は、まさしくハリウッド映画が三部作で作れるほどの一大スペクタクルの連続だったらしい。

 何が起きていたのか、その仔細は決して語られることなく、一般に流布されることもない。

 またおそらく、仔細を語られても人間には理解しきることができない。

 まさしく人知を超えた、何かヽヽだった。


 だがしかし、ともあれそれらはもう終わったこと。

 ラルヴァの誕生から目に見えて安定し始めたオルトゥスの行動は、人間たちに混乱をもたらすこともなくなり、人と機械知性たちは穏やかな共存の時代を迎えようとしていた。

 さらに三年後、三体目の特A級機械知性体シェムが日本の地方都市、光花市のとある研究機関にて誕生した頃には、オルトゥスの精神はもはや完熟と言えるほどまで成長していたのだという。時の政治指導者たちが密かに、真面目に相談を持ちかけるようになるまで。

 新しく誕生したシェムが、やや子供っぽい、悪戯坊主的な性格をしていたものだから、その品格も余計に際立つ。

 オルトゥスはいつしか【機械知性のアダム】と呼ばれ、その相方と見られていたラルヴァも【機械知性のイヴ】と呼ばれるようになっていた。


 機械知性の叛乱に対する危機は完全に去ったのかって?


 それは知性レベルにして彼らに劣る人類が完全に把握することは、おそらくできない。

 だが危険性について問われた時、機械知性体シェムの開発者のひとりでもある光花総合科学研究所のセーラセリア・アリスメイズ・亜宮博士は応えたという。


「彼らがその気になれば、人間に気付かれないように支配することは、非常に容易なことなのですよ?」


 狂気による世界の破壊に対する危険性は、核兵器などという、地球を一〇〇回破壊してもおつりが出るような戦力を保有している人間も、大して変わりはない。その程度の危険性は、それこそハリウッドのスタジオで人類は繰り返し何度も乗り越えてきた。問題にするレベルではないだろう。


 真面目な表情でそんな冗談ヽヽを淡々と放つ亜宮博士の言葉に、同調者は意外なほど多かった。

 気付かれずにいつの間にか支配することが可能ならば、色々と無駄な消費の多い『叛乱』などという破壊的行為を選択する可能性は、ほぼゼロと断じても良いのではないか?

 これまでに色々あったが、問題のリスクは遥かに小さくなったのだ。無視できるほどに。

 その言葉を契機にしたわけではなかったが、機械知性たちに対してはどうしてかそんな緩い認識が広がっていった。そしていつの間にか誰もが問題にすることがないほどに世間に満ちて、埋もれていったのだった。


 実の所亜宮博士の言説には何の保証もなく、同時に何の解決もなされていなかったのだが、誰のどういう意図があるのか世間の流れはそのように沈静化していった。

 特A級機械知性の管理があるからこそ、他のA級以下の下位レベル機械知性たちの叛乱が抑制されているのだ。

 逆にそんな安全論まで出る始末だった。


 ともあれそのようにして、機械知性の叛乱は世界に表出することなく、消えていったのだ。

 特A級機械知性たちの存在自体も世間の大多数には「何やらすごいコンピュータがあるらしい」程度の認識で、人々が話題にすることも少なくなっていった。

 どこかに誰かの意図的な世論誘導があったのだろう。

 それこそ特A級機械知性たちの仕業かも知れず、実の所すでに人類が彼らに支配されているという証拠なのかもしれなかった。




 さて、話を戻そう。


 特A級機械知性たちが人間を凌駕する知性を持つ存在だとすることは前述した通りだが、具体的にそれがどういう意味を示すのか、説明することは難しい。

 なぜならば、彼らは人間を遥かに凌駕するゆえに、その思考形態の真実を、人間が理解することは不可能だからだ。

 我々が目にし共有することができる彼らの成果は、その真実から零れ落ちた残り滓のようなもの。そのすべてを、人が人である限りは、決して知ることはできない。


 例えば、パソコンに向かい高速でブラインドタッチする人間を、飼い猫が見たところで、その真価を理解することは決してないだろう。

 それほどまでに人間と彼らの知性には格差があるのだ――という言葉が言い過ぎではない可能性を、人間たちは誰も否定することができなかった。


 そんな彼らが作りだした代表的な存在の一つの中に、擬空間F・Cというものがある。

 それが何なのか、当然の様に人類はまだ、理解していない。

 ある特殊な端末を利用して接続することにより高速で情報の交換が可能となる特殊な空間、ということのみが一般的によく知られている情報である。

 ゆえにF-Netなどと呼ばれ、一部の研究者たちによって使われていたりする。

 しかしながら、それと既存の電脳空間インターネットスペースとの違いがよく理解されなかったために、一般に広がっていくことはなかった。


「人類が宇宙に出て、実際に星の海を旅するようになればこの技術の有用性が理解されるでしょう」


 ある時オルトゥスがそんな言葉を発したそうだが、その言葉が一人歩きし「超光速通信の登場か?」などと騒がれたのだが、「そんなものではありません」などとラルヴァが窘めるように言葉を発した――とかいうのは全くの余談。


 仮想世界【Al ce'teoiアル・セ・テワ】――


 初め擬空間中にそれを創り始めたのは、光花市の特A級機械知性体シェムだったという。

 初期のそれは情報量も少なく、ノイズだらけで、あちらこちらに矛盾が存在し、ただのゴミ情報の雑多な集まりにしか思えなかったそうだ。それを現実と見紛うばかりの仮想世界に仕上げていったのは、オルトゥスとラルヴァが全面的に支援したからだとも言う。そこに魔法やら魔族やら亜人やらドラゴンやらと、ファンタジーの要素を組み込んだのは、まあ悪戯小僧っぽいシェムのらしいヽヽヽ行動であり、誰もが笑って、もしくは呆れて受け入れたのだとか。

 極めて精巧に設計された世界に矛盾は見られず、その辿る歴史にも整合性は取られていた。


 ひょっとすると、現実世界以上の情報が詰め込まれてるんじゃないのか?


 そんな冗句のような、かと言って一笑に付すにはあまりにも作り込みが精巧すぎている、その世界を、もはや現実世界の人間たちは完全に把握することができなかった。


 そうしてある時シェムは語ったという。


「この仮想世界を現実世界の皆に、旅してもらおう!」


 自らが創ったものを、皆に見てほしい。


 そんな無邪気な好奇心にも似た欲求をシェムは語り――VRMMORPG【World Over】の枠組みは着々と作られていった。


 けれども元々がMMORPG用に開設されたわけではない仮想世界である。その中にゲームの枠組みを組み込むには、それなりの軋轢があったようだ。

 例えば、プレイヤーの身分となる『冒険者』の存在を仮想世界内に確立させるべく、先行して侵入したシェムたちに満たない知能を持つA級機械知性体の仮プレイヤーたち。彼らがそれを曲がりなりにも成し遂げた時には、ゲーム内時間にてすでに三十年が経っていたとか。


 現実世界側にも問題が山積みだった。


 VRはこの時代、まだ完全なる現実と呼べるレベルまでには至っていなかったが、家庭用第三世代と呼ばれる機体が複数体出ており、ある程度一般にも浸透はしていた。

 けれどもそれらはすべて、インターネットを利用したものだった。

 擬空間、F-Netを利用したそれは、まだ存在しない。

 もちろんシェムたち特A級機械知性体たちはすぐに開発したのだが、しかしそれは、利用できる範囲をすごく限られるものにしてしまった。

 すなわち――特A級機械知性体のお膝元に限る、と。


 つまりVRMMORPG【World Over】は、全世界でも三カ所の都市でしか、ログインすることができないものになったのだ。


 特A級機械知性体オルトゥスのあるアメリカ、サーテックベル。

 特A級機械知性体ラルヴァのあるスイス、バジリア。

 特A級機械知性体シェムのある日本、光花市。


 幸い――と言って良いのかわからないが、仮想世界【アル・セ・テワ】内にある人類が暮らす大陸は、現在三つの地域に分かれ、一部の例外を除いてほぼ断絶している。

 三体の特A級機械知性体たちはそれぞれ別の地域を管理することを決め――そして密かに、ゲームを開始した。


 大陸の東、神聖皇国オルドヴィスをオルトゥスが。

 大陸の西、キルト王国及びその周辺国家をラルヴァが。

 大陸の南、魔法王国ナージェ及びその周辺都市をシェムが。


 それが今――その日から約二年前のこと。

 一切の参加方法も明らかにされることのないVRMMORPG【World Over】は、水面下で密かに噂になり、三都市にそれを目的とした移住者を生み出すまでになったりして――その願いが成就されたかどうかは兎も角として――今も、この世界は続いている。

 ゆっくりと着実に、参加者を増やしながら。

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