もう七年も前なのか その7


「……底が、見えた」


 アンフィナーゼ。黄金光に満たされた、彼女の底が。そう確信した瞬間、デュティの中で蠢く黒炎が歓喜の声を上げた。

左右の槍をモノトーンに染め上げた龍人は、緩みそうになった己の気を強く引き締める。


「いいえ、まだよ……油断はしない。ワタシに燃える、この憎悪と矜持で穿つ……!」


 その憎しみを正義なんて言葉で誤魔化してはならない。その誇りを資格なんて言葉で放り捨ててはならない。

「どちらも」だ。矛盾する両方の感情を飲み込み、制御することが出来れば……それは、文字通り己にとっての「盾と矛」となる。

出自など問うまい。【輝刃黒白エンチャントアマルガム】とはただただデュティの精神性を十二分に活用するためのチートだと、今のデュティには理解できた。

……そして、現に目の前で。あのアイサダ・ネフライテ・アンフィナーゼが、呼吸を繰り返す。呼吸を、乱している。


「ワタシの分を取り戻すだけじゃない。ここから先の『勇者』の為にも……アナタに勝つわよ。アンフィナーゼ」

「……うーん、凄いなー……」


 双槍の切っ先をアニーゼに向けて、デュティは高らかに宣言をした。

自ら言葉にすることで、己の「輝刃」をより強く、より鋭く磨き上げているのだ。

暗紫に輝くその瞳に、決して油断は無い。相手があの勇者筆頭ともなれば当たり前か。「勇者」は当然、ピンチになった方が強い。


「1対1でここまで追い込まれたの、初めてかも。……でも、そこまで言われるような事しましたっけ? ディーちゃんに恨まれるのはともかく、未来を託すのも嫌と言われるような事となると……特に、覚えが無いんですが」


 そして、不利である己の状況を……アニーゼの奴は明確に、この上なく楽しんでいた。

別に苦戦するのが好きな訳じゃない。自分と言う存在バケモノに対し強い思いをぶつけられる状況に、アニーゼはとにかく飢えている。

ゆえに、喜ぶ。そのベクトルがどうであれ、「自分に強い意思をぶつけられている」状況そのものがあいつには喜ばしいに違いない。

それがまた怪物ボスエネミーの思考だと言われれば……ああ、きっと、そうなのだろう。


「いえ……何もないわ。そう、アナタは『何もない』のよ、アンフィナーゼ」


 感情の入り混じった眼差しで睨みつけながら、少女は銀翼を広げ、身体を前に押し出すように白光を放った。


「勇者が強いのは良い。世界が勇者を恐れるようになるのも良い。だけどそれで、アナタは後に何を残すつもりなの? 後輩に、子供に、アナタの何を教えるの?」


 別れた双槍の柄を連結し、刃の水滴を切るように一回転させ、腰だめに構える。その腕に、白色のオーラがまとわりつく。


 ――龍と言う生き物は、そもそもあまり代替わりをするものじゃない。

だからこそ、自己の喪失を恐れて血を尊び、己の為した事を他に知らしめようとする本能が有る、とも言われているが。

彼らの自己顕示欲や高すぎる自尊心の類は、毒だと言えなくも無いが、社会にもたらしてくれる物も多い。

龍が居なければ俺たち人類は未だ火も使えず、肉を生で食っていたかもしれないという説も有るくらいだ。


「……5歳の頃からずっと見てたわ。アナタ、ずっと何もしなかったわね。年下の子が困ってる時も、大人たちが何か教えてくれる時も……『なんでそんな事で困ってるんだろう』、『なんでそんな事いまさら教わるんだろう』って、困った顔で見てるだけだった!」


 そして、そんな"龍"とは対極の存在に、アニーゼは居る。

個で強く、個で成し遂げられるが故に他者への興味が薄くならざるを得なかった少女。だからこそ、繋がりと血統を尊ぶデュティはアニーゼを受け入れられぬのだろう。

天空街において、アニーゼのミームはたしかに異様だ。俺だってこいつの持つ才覚と能力が、本当にこいつの両親から生まれたのかと考えた事は幾度もある。勿論それは、くだらない嫉妬心に過ぎないのだが。


 ……重い音を立てて、アニーゼの剣が黒白こくびゃくの刃を打ち上げた。デュティは翼を用いてバックフリップし、なおも切り込みながらアニーゼを問い詰める。


「ワタシたちは血河の一滴なのよ。ワタシたちの前に繋げてくれた人が居て、ワタシたちの後にも連綿と続いていく。なのにアナタはからっぽで、ただ強いだけ。それで何を残せるっていうの? どんな夢を教えられるの!?」

「……」

「アナタは臆病なのよ。人の心と触れ合うことを怖がって……なのに力ばかり有るから、それで人を救った気にでもなっているんでしょう!?」


 アニーゼとデュティでは、デュティの得物のほうが長く、軽い。

故に速さを活かした打ち合いに持ち込まれると、その刃の幾つかはアニーゼに届きバトルドレスを切り裂いていく。

それでも、アニーゼは未だ笑っていた。楽しくて仕方がないというように、いつもの笑みを浮かべ。


「そんな奴に――勇者でなければ人も救えないような奴にッ! 


 だけどその顔は、他のどんな表情よりも泣いているように見えた。

打ち合えば打ち合うほど、満ち溢れていた金の光刃が、雲のように薄れて消えていく。太陽の如く輝いていた金の瞳が、何者でもない碧に戻っていく。


「……ああ、そうですね。そう言われると、何も言い返すことができませんね」

「なによ……納得したっていうの?」

「だって私、努力の仕方なんて知りませんもの。生まれた時から"ずるチート"ばかりして、教えられるわけ無いじゃないですか」


 火が消えた様に、空に夜の帳が戻る。周囲を灼き尽くしていた金色の残滓が、蛍のように散っていった。

構えを解くような無様はしない。心が萎えるのと諦めるのは別だと言わんばかりに、アニーゼは困ったように笑いながらも切っ先は相手に向け続ける。


「そんな風に言われると……困っちゃいます。参ったなぁ。折角の戦いなのに、心が奮わなくなるなんて」

「……この……意気地なしぃーッ!」


 真っ白に輝く一繋がりとなった槍が、三日月を描いて特鋼剣ディファレンチェイターを掬い上げた。

結い上げた黒髪が、身体の動きに追従するように跳ね上がり、その合間から互いの目と目が交差する。

アニーゼの手から、己の剣が滑るように抜け落ちて。




 ――そして、運命ストーリーの結果が出る半歩手前で、アニーゼの鼻がヒクリと動いた。




「【輝刃黒エンチャントアマル――」

「あ、ちょっと待って下さい」

「がふっ!?」


 最後の大技を決めようとしたデュティの顔を、アニーゼの手が覆う。頭に指を引っ掛け締め上げる、見事なアイアンクローだ。

腕を取り引き剥がそうと格闘するデュティにも構わず、アニーゼはその場で空気を嗅ぎ分けるようにスンスンと鼻を鳴らす。


「ちょ、ちょっと何……!?」

「……やっぱり!」

「目がァー!?」


 そして確信すると同時に、手でデュティを掴んだまま金色の闘気が噴き上がった。

感覚器に近い場所でモロにそれを食らったデュティが、流石に堪らず悲鳴を上げる。

今となっては、それもアニーゼにとっては些事か。掴んだデュティすらその辺に放り投げ、愛剣を拾うよりも早く木々の暗闇へと消えていく。


「ちょ、ちょっとアニーゼ!? どこ行くのよ!?」

「ごめんなさい、ちょっと後で!」


 あの黄金色も、分厚い枝葉のヴェールに隠されては探すのも難しい。

デュティが滲む視界から開放された時には、既にアニーゼは陰も形も見えなくなっていた。

ぽっかりと浮かぶ月の下、龍の少女のシルエットが、ただ一人寂しげに残された。






 □■□






「なあ、それで君はいつになったらアクションを起こすんだ? 僕ぁ退屈で、欠伸し始めちゃうよ」

「そう焦んなって、ゆっくりしろよ」

「ゆっくりしていってね、じゃない! 君がここからお姫様に声をかけて展開を逆転させるなら、それはそれで燃えるのに!」

「だから、そんな上等なことしねーって……」


 その頃俺の隣では、すっかりこちらに興味を移したらしいトロワが、口うるさくまだかまだかと喚いていた。

ええいやかましい、煙草くらいゆっくり吸わせろ。まぁ、俺の行動の意図が掴めない以上仕方のないことなんだろうが。


「……にしても確かに気付くの遅いな。んー、やっぱ8割程度じゃ無理があったか……?」

「えー君今さらそういうこと言う!? こりゃもうガッカリじゃ済まないよ!?」

「済まなかったらどうなるんだ」

「モッタリモタモタモモタロウだよ!」


 たまに思うんだが、こいつちゃんと脳味噌と口が繋がってるんだろうか。

もっと別の器官につながってるんじゃないかと心配になるわ。体だけは完璧なのになぁ。


 ま、こいつのテンションはこの際どうでも良い。俺は肺一杯に充満させた煙を、残り香を楽しみながらゆっくりと吐き出す。

もちろん【十中八駆ベタートリガー】付きで、なるだけアニーゼにまで届くように、だ。

吹き矢が有りなんだから、まぁコレも有りだろ? 極東のNINJAなんかは煙管を術の媒体に使うって言うし。


「あとはこれで、お嬢が釣れるかどうかなんだがなー……」


 そう考えながら、もう一度気管へ煙を入り込ませた矢先、枝に隠れた空の向こうで煌めく星が見えた。

いや、星かなアレ。その割には随分位置が低いような。


「おじ様ぁーッ!」

「うごぅっ!」


 それはグングンと近づいてきて、俺の胴体に強い衝撃が奔る。

溜めていた煙が思わぬ勢いで吐き出されて、俺はしばらく咳き込むハメになった。

そしてまた、背中と後頭部が地面に軽くぶつかる。何が起きたかと言えば、アニーゼが勢いのままに突進してきたからだ。

俺を押し倒し、涙目で怒り心頭といった表情のアニーゼが視界の中に大写りになる。


「酷いですおじ様! その煙草は、特別な日にゆっくりと吸おうって言ってましたのに!」

「いっつつ……その特別な一本が危うくダメになる所だったんだが」


 アニーゼが言ったとおり、この品質のスモークシガーは俺じゃ一年に数本吸えるかどうかのとっておきだ。

特に、南洋から長い時間をかけて運ばれてくるバニラの香りは、人魔戦争前でも王侯貴族だけが楽しめたレベルである。

「魔導」の家で最近やっと香りを合成する研究が始まったんだ。それでも、初代様の残してくれた知識のお陰で、ある程度は一足飛びに進められるそうだが。

ぷりぷりと頬を膨らますアニーゼが、俺に寄り添って深呼吸する。まだその場に漂っているであろう紫煙の残滓を、鼻の奥まで吸い込んだ。


「うぅぅ……おじ様ぁ……」


 その芳醇な甘い香りがどこまで蠱惑的かというと、さっきまで怒っていたはずのアンフィナーゼがトロンとした蕩けた顔で鼻先を擦り付けてくる程である。

小さな両手は合わせて胸元に置かれ、尻尾は突き上げた腰の上で千切れんばかりに揺れている。これは、こいつがこの上なく上機嫌な証だ。

スピスピと動く鼻先は口元に触れそうになるほど近づき、アニーゼは据わった目でじっと俺に視線を合わせてくる。正直、この目で見られていると背中がむずむずしてくるんで凄くやだ。


「良い匂い……♪」

「なんてこった、こりゃすっかり出来上がってるじゃないか。いったいどういうことさ?」

「あー……何を隠そう、お嬢はバニラとラムの混じった臭いが大好物なんだよ。どこに居ても、どんな状況でも嗅ぎつけてくるくらいにはな。昔やんちゃしてた頃、それで酷い目にあった」


 あれももう、10年くらい前の話か。そん時の俺と【設定辞書データブック】は、言っちゃなんだが悪ぶっていた。

細かく言えば、やさぐれた俺にブックの奴が悪ノリしてきたんだが……ま、チンピラじみた悪戯を繰り返していた訳だ。

ある日俺たちは下界の贈答品置き場から酒と煙草のセットを盗み出し――そこを、アニーゼに耳ざとく、いや鼻ざとく嗅ぎ付けられて襲撃を受けた。

その頃はまだアニーゼもチートを目覚めさせたばかりであり、獣の本能で爆上がりするテンションの制御が上手く行かず……


 とりあえず、その後の凄惨な光景は胸に秘めさせてほしい。結果としてやんちゃが家中にばれ、大折檻を受けたのも含めて苦い思い出である。


「高いし勿体無いと言って、いっつも嗅がせてくれないのに。どうしてこんな時に限って吸っちゃうんですかぁ」

「いやだってお前、これ何時も噛んでる奴の十倍以上するんだぞ。口寂しいからでスパスパ吸える代物かよ」

「じゃあせめて、普段の品柄を変えて下さい! レモンは敵です。根絶すべき果物です」


 そこまで言うか。

普段のウェットシガーに使われている柑橘類はドライピールだから、そこまで匂いはキツくないと思うんだが。やっぱり、獣の血を引いてる分過敏なのかね。

さっきまでの戦闘を完全に忘れじゃれつくアニーゼの姿を見てか、信じられないとでも言うふうにトロワが顔を手で覆う。


「おいおい、僕のストーリーがそんな犬まっしぐらな生態で台無しになるとは……」

「そんなもんだろ。人生そうそう、雑音や余計な意識が入らずにやっていける訳がねーってな。初代様なんざ、邪神の姿を『うどんのようだった』って書き記してんだぞ。最終決戦だってのに雑念混じりまくりだよ」

「うどん!? ……あー、言われると確かに……」


 そういえばこいつ、生まれ変わる時に邪神の姿も見てるのか。

あのぶっといパスタみたいな麺類で例えられる邪神がどういう姿をしているのか、非常に気になるんだが。


「分かった。君の勝ちを認めるよ、アジンド。あぁ、でも――コレもまた一つの物語ストーリーだ。僕の望んだものとは違うが、むしろそれでよかったのかも知れないな」

「それは良いんだけど、そろそろお嬢をどかしてくんない? こいつ、俺を押さえつける手が肩まで上がってきてるんだが」

「また会おう、勇者たち! その時にはきっと、完成した僕の詩を聴かせるさ。今度は見物料はロハにしてあげよう」

「いや、この際金払ってもいいから助け――おいお嬢、口を開くな。冗談? 冗談だよな?」


 こっちを注視しながら犬歯見せるのやめてくれ、怖いから!

俺は既に背中を向けて立ち去ろうとするトロワに必死で手を伸ばすが、当然アニーゼに組み敷かれた状態では届くはずもない。

とは言え、アニーゼもそろそろ堪能しただろうしもう離して……コイツ今よだれたらしやがった。やだー! 誰か助けてー!




「……って、何やってるのよアナタたちはー――ッ!」

「へっぶし!」




 その時、俺の願いが通じたのかは分からないが、一筋の白閃と共に龍が舞い降りた。

なんだかデジャウ感のある叫びと共に、デュティが顔を真っ赤にし、俺たちに向かって刃の付いた鉄塊を投げつける。

何かと思えば特鋼剣ディファレンチェイター……彼女、わざわざ探して持ってきてくれたのだろうか。

ついでに言えば、格好つけて去ろうとしていたトロワも再びこっちに叩き返されたが、まぁこいつの事はいい。


「アンフィナーゼェェェ! アナタ急に居なくなったと思ったらなんてこと……! 今日と言う今日はッ! 絶対に許さないわよッ!?」

「わ、ディーちゃん」

「わ、じゃない! さっきまで居た! バトルしてた! あーもう憎たらしい忌々しい許せない……!」


 まぁ当然だが、アニーゼを好物で釣ってぶっちさせる俺の作戦は大変彼女の怒りを買ったらしい。

濁々と黒い輝刃を滾らせて、デュティは俺たち――いや、アニーゼに向かって一歩一歩距離を縮める。


「……おじ様、私……」

「……お嬢よぉ、さっき『なんか悪いし負けても良いかな』って考えてたろ」

「わう……いえ、それは……」

「胸張れよ。お嬢は勇者で、『勇者』っつー看板を背負うんだ。誰がどう世界を救おうが関係ねえだろ? 余計な事考えずに行動すりゃ、お嬢なら大概うまくやれるはずなだ」


 先程までの様子が見る影もなく消沈したアニーゼを見て、俺は思わず溜息をついた。

「勝ちたい」と思った相手にしか勝てないのが、【光刃貴剣エンチャントノーヴル】の弱点と言えば弱点だ。

普通なら、んなもん弱点になるかふざけんなと言いたい気分になるが、アニーゼだって別に落ち込まない訳じゃない。

どこに刃を向けていいか判らなかったり、そもそもそういう気分にならない時だってある。今回みたいに、自分を責められることだってあるだろう。



「それでもずるいチートって言われた時のために――お前のがんばりは、ちゃーんとノートに書いとくからよ」



 ああ、懐かしい台詞だなぁ。いつか、泣きじゃくるガキ相手に結んだ遠い約束。どうだ? 俺はちゃんとやってるよ。

燃え残っていた煙草の最後の煙を胸いっぱいに吸い込んで、そっとアニーゼをこっちに向かせる。


「んなっ――!」

「おお、大胆」


 そして、唇からこぼれた煙が空に登って消えた。

虹彩や毛先といった微細な部分からまで金色が溢れて、さながらアニーゼ自身が煙を吐いたようでもあった。


「……わ、ふ」

「夜が明けるまでに決着付けて戻ってきたら、この続きを教えてやる。出来るな?」


 こくん、と首が縦に落ちるのを見届けてから、俺はアニーゼの下から這い出るように抜けだした。

少女はそのまま不確かな足取りでふらふらと立ち上がると、音を割ったような風切り音を立てて剣を振るう。


「この続き……夜明けまで、続き……ディーちゃん、ごめんね? 私、いま、ちょっと急いでるので」

「ふ、ざ、け、る、なー――ッ!!」


 ズドンと音を立てて、少女たち二人を中心に金と黒の柱が星々まで貫いた。

いや、そりゃあ怒るよな。あんな事言われたら俺だって怒るわ。焚き付けたの俺だけど。


「……よし。じゃあ後は、夜明けまでデュティが粘れるよう祈りながら逃げるか」

「君について色々と言いたい事はあるが、とりあえず女の扱い方が最低なのは確かだと思う」


 鼻を擦りながら冷たい目でこちらを見るトロワの視線が、俺の背中に突き刺さった。

やかましい、男女平等と言え。それとも、顔にハイキック食らわせたのを未だに根に持ってるのか?

なぁに、戻ってきたらとは言ったが俺が逃げないとは言ってない。それに怒り心頭のデュティならば、きっとアニーゼの事もいい感じに朝まで足止めしてくれるだろう。

近場で我関せずのまま草を食んでいた馬の縄を解き、俺は再び鞍上に登る。こいつ、何気にかなりの大物かも知れんな。


「それより、今度は巻き込まれない保証が無いぞ。乗ってかないのかエトランゼ?」

「なんだい、アニーゼちゃんじゃ背中に押し付けるおっぱいがもの足りないかな? 仕方ないにゃぁ……」

「分かった置いてく」

「待って乗せて助けて」


 それで良い。俺は手早くトロワを引き上げると、可能な限りの速度で馬を走らせた。

幸い樵の手が入った道は、森の中と言えど馬を走らせるのに支障が無い程度には整備されている。

そういえば、樵の男はあのへんに置いてけぼりだったような。……まぁ、仮にも勇者候補同士だ、死にゃあせんだろ。


「【光刃エンチャント】――」

「――【黒白アマルガ】ァァァム!!」

「アジンド、今なんか背中灼けた! ほら走って! もっと速く走ってー!」


 山ごと抉り取るような轟きと、必死に俺を急かしてくる手の平の硬さを背中で感じながら。

俺はその夜、ただひたすらに馬を走らせた。

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