よもやまの夜すら明けず その2


「あ……おかえりなさいませ、おじ様」


 部屋に帰れば、寝間着姿ですっかり毛布に包まったアニーゼが出迎えてくれた。

まだ少し寝間着を出すには早い時間帯な気がするが、どうせ今日はもう部屋で休む以外にすることも無いだろう。

旅にパジャマなんて……と思われる諸君も居るかもしれないが、意識して休むための衣装というのは案外大切なのだ。特に、アニーゼのように生真面目な奴にとっては。


「おう、ホットジンジャーを貰ってきたぞ」

「わぁ……いい香りです。大切に飲みますね……けほっ」


 ベッドから身を起こしたアニーゼが、軽く口元を抑えて咳き込む。

いや、ちゃんと温かい内に飲めよ? まぁ、分かってるだろうけどさ。


「しかしなんだ、お嬢、まだ尻尾が濡れると体調を崩す癖治ってなかったのか」

「治そうと思って治る癖でもありませんから……ふふ、守って下さいますか、私の騎士(ナイト)さま」

「騎士ねぇ……ガラじゃ無えわな」


 そりゃ看病くらいはきちんとやりますけどね。騎士と言うよりは従者の方だろう、俺は。

それとも、お嬢が姫だから騎士であってんのか? 一応、勇者の跡取りだしな、アニーゼも。


「……こういうおままごとはお嫌いでしたか?」

「あー、はいはい。なんでもお申し付け下さい、我が姫よ……ってか」

「あら、じゃあ添い寝をお願いします」

「うげっ、くそ、しまった」


 見事に墓穴掘ってんじゃねーか、俺の馬鹿野郎。

はぁ……いや、別にいいんだよ? 俺はなんとも無いんだ、俺自身は。ただちょっと、世間体ってもんがね?


「分かった分かった、そこまで言うなら仕方ねえ。……ったく、お嬢もう幾つだってんだよ」

「子供じゃないから駄目というなら、子供でいいです。ほら、はーやーくー」

「何が嬉しいのかねぇ、そんなに」


 男の身体なんぞ臭くて暑苦しいだけだと思うんだが。俺もまた濡れた服を吊るし、ダブルベッドの片端に身体を入れた。

アニーゼの首がことりと傾いて、肩に触れる。少し湿った髪と耳が、ちょっと擽ったかった。

ちなみに俺は寝間着なんて小洒落たものは持っていない。男の着替えなんて最低限で良いんだ。


「……あったかい」

「そうかい」


 寝転がった状態で比べるとよく分かる。小せえ身体だよな、本当に。

だが、今の状態でもアニーゼは俺よりよほど強い。おそらくは人類の誰よりも。

その力に振り回されないだけの精神を――人格を――幼い頃から鍛えあげられ、大婆様に認められたからこそ勇者としての名乗りが許されているのに。

俺に対しては妙に人間くさいのは、身内だからと言うだけだろうか。


「まさか、なぁ」

「どうかしました?」

「いや、やっぱまずいわこの状態。湯を持ってくるって使用人の婆が言ってたんだ。地上の奴らに誤解なんぞされちゃ、たまったもんじゃないからな」

「……分かりました、寝る前の楽しみにとっておきます」


 なんかもう、意地だな。あるいは身体が濡れたことで弱気になってんのか。

こいつは変なとこ頑なだから、おそらくテコでも考えを改めるまい。大人しく今日は抱きまくらになってやるしかなさそうだ。

毛布から抜けだして、予備の服を着込んだところで扉が開く。

盥を抱えて入ってきたのは、使用人夫妻ではなく食堂で会ったガキであった。


「お邪魔するのー」

「……? おじ様、この子は?」

「もう一組の客の子供だと。なんだ、おてつだいか?」

「メリーはメリーなのよ。おてつだいするとね、お駄賃を貰えるの。おじさんもくれて良いのよ?」

「やらねえよ」


 堂々と報酬の二重取りとは、やるじゃねえかこいつ。

しかしどうやら、メリーの体格で湯の入った盥を抱えるのは相当無理があるらしい。

フラフラとよたついて、どうにもみてて危なっかしいったら無いぜ。


「お姉ちゃんの身体をおじさんが拭く訳にも行かないでしょ。私、おてつだいよ」

「まあ! ありがとうございます、メリーちゃん」

「おじさんはお婆さんからもう片方の盥を受け取って、パパたちの方に持って行って。メリー、さすがに2ついっしょには運べなかったから」

「ったく、面倒くせぇなぁ」


 とはいえ、ここでじっとアニーゼが身体を拭かれるシーンを見てる訳にもいかねえしな。アジンドおじさんは紳士に去るぜ。

そうなりゃ、どうせ手持ち無沙汰なんだ。盥の一つ運ぶだけで宿代になるってんなら、喜んでやらして貰おうじゃねえの。

廊下を進んでエントランスに入ると、キッチンの方から空腹を刺激する匂いが漂ってきた。

香りからするとミルクときのこ多め。ひょっとしたら獣肉も多少入ってるかも知れんな。


「お、いい香り……山のシチューかねぇ。良いね、腹が空いてきた」


 寒い雨のなか実にありがたいメニューじゃねえか。こりゃタマランぜ、よだれズビッ。

となりゃあとっとと一仕事済ませてメシにしようじゃねえの。盥がどこに置いてあるかはわからんが、まぁ湯を沸かしたってんならキッチン周辺だろう。


「おーい婆さん? ……居ねえのか?」


 と、俺はてっきりそう思っていたんだが、食堂を抜けて目的のキッチンに入っても、家政婦の婆さんの姿は見当たらなかった。

シチューもまだ火にかけてるってのに、なんとも不用心なものだ。視線を彷徨わすうちに、卓の上に置かれた盥が目に入った。ちょいと指を付けてみれば、まだ随分と温かい。むしろ熱いくらいである。


「……しゃあねえな、勝手に持っていくか」


 まぁ、鍋をかけている火は弱めてあるし、ちょっとした用事で出て行ったんだろう。焦げさえしなけりゃ、まぁ問題無いか。

俺もアニーゼもシチューの野菜が煮崩れたところでそう気にも留めないし、むしろそっちのが美味いという意見もある。

それにしても、湯がたっぷりと入った盥ってのは中々重いもんだな。あのガキ、結構根性あったようだ。


「ちょっと失礼しまーす。よろしくいたしてたりしてませんよねーっと」


 仮にそうだったら、気まずいにも程があるぜ。流石に冗談にしても下世話過ぎたのか、中から反応が帰ってくる様子はない。

宿でもなし、扉に鍵はついて無いな。そっと中を覗きこむと、一つのベッドの上で毛布がこんもりと盛り上がっている。


「なんだ、おやすみ中か? そろそろ夕飯ですよ、準備しといて下さいよー……っと」


 廊下に置きっぱなしにする訳にもいかんで入らせて貰うが、旅人って割には随分と不用心なもんだな。

ま、起きないなら仕方がないさ。サイドチェストに盥を置いて、とっととズラかろうとした、その時。

毛布の隙間からズルンと手が伸びて、俺の腕を握りしめるように掴んだ。


「あン」


 予想もしてなかった不意の事態に、あっさりと俺はベッドへ引き倒される。

なんだよ奥さん、寝ぼけてんのか? それとも旦那さんじゃ満足しきれねぇか?

旦那さんだったら勿論ノーサンキューだ。あ、口の中に牙が付いてるヒト? そりゃあノーサンキューだよ。赤い瞳がチャーミングだって?


「……オイオイ」


 こりゃ「血吸い屍ブラッドサッカー」じゃねえか、なんでこんなトコに居るんだこんちくしょう!

俺は素早くホルスターからハンド・ガンを引き出して引き金を絞る。案の定、「魔導」の奴らが作り出したレプリカ品で、西部だか南部だか言ってたけど要は銃だ。

弦の代わりに火薬を使ったクロスボウみたいなモンで、鉛球を吐き出すときにBLAMと鳴くのが特徴だ。

BLAM! 弾丸が眼孔の隙間から潜り込み、頭蓋骨を貫通していく!


「オイオイオイオイッ!」


 だが、ドタマをぶち抜いてやっても、動く死体が動かない死体に変化する様子は見られなかった。くそ、やっぱり貫通するようじゃ駄目か。アンデッド相手には破壊力が足りてねえぞこれ。

ブラッドサッカーの厄介なところは、噛み付いて仲間を増やす点。こいつに血を吸われて死ぬとゾンビーの仲間入りと言うわけだ。

まぁ、それと怪力以外には大した能力が無いから、近づかれさえしなきゃ余裕なんだけどな。つまり俺、いま超余裕無い。


「くそったれ! なんだ突然! せめてメシ食ってからにしろっつーの!」


 んなこと言ってる間にも、相手は生の渇きを癒やそうと牙のある口を近づけてくる。

ふざけんな! こっちだって腹が減ってるってのに、死体のメシにされてたまるかってんだ!

狙いを眉間から手首に変えて、BLAM! BLAM! BLAM! お腰につけた鉛球、一つと言わず全部持っていけや!


 BLAM! 5発目の弾丸をかましながら蹴り飛ばしてやると、ようやく相手の手首がちぎれ飛ぶ。ああ、おかげで随分趣味の悪いブレスレットができちまった。

弾丸は……ちっ、流石に予備までは持ってきて無えな、荷物がある部屋の中だ。とにかく一度距離が取れた今、トドメを刺さなきゃ怖くて仕方ない。

俺は手近にあった金属製の燭台を引っ掴むと、思い切り力を込めてブラッドサッカーの頭にぶん投げる。

このくらいの距離ならチートも要らねえ。つか、俺のチートは下手するとチートを使った時ほうが外す可能性がある。2割というのは案外馬鹿にならない確率でな、能力劣化の悲しいとこだ。

金属塊が頭蓋に直撃し、今度こそ頭部が潰れて屍は動かなくなった。


「なんだってんだホント……いきなりホラーか? 勘弁してくれよ、日常系最高だよ」


 タイミングとしても、着替えた直後ってのが最悪だな。流石に盥を運ぶだけで換えの弾薬までは持ってきて無えぞ、おい。

幸いと言っていいのか、頭がひしゃげた死体がそれ以上動く様子は無い。


「状況的に考えて、最低もう一体サッカーがうろついてんだよなぁ……ほんと、貧乏くじだ俺」


 毛布が跳ね除けられ、シーツが乱れたもう片方のベッドを調べながら俺は呟いた。

アニーゼ……は、心配要らねえか。多少体調を崩してるとはいえ、ブラッドサッカー程度でどうにかなるタマじゃない。

だがこの屋敷に他に居る、他の一般人にとっちゃあ充分過ぎる脅威だろう。特にガキはヤバいな。親がゾンビになってる姿とか、一生モンのトラウマだ。

最悪、あの爺婆が最初から俺たちを動く死体にするつもりで歓迎してたってセンもあるが……んなもん、否定する材料も肯定する材料も有りはしない。

趣味の悪い疑惑で助けられる奴も助けられないってんなら、そいつは幾らなんでも勇者として情けなさすぎるわな。


「あー! ちくしょう、面倒臭えなー! メシ食いてえなー! でも万が一毒茸とか入れられてるとヤベェから口つけれないんだちくしょう!」


 もっとも、それは疑いを捨てる訳じゃない。俺はそもそも、どちらかと言えば疑り深い方なんだ。部屋の中の燭台を幾つか投擲武器として拝借しながら、俺は部屋の戸を蹴破った。

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