よもやまの夜すら明けず その1


「だぁー、ちくしょう! 土砂降りじゃねえかッ!」


 視界も覆い尽くされるような冷たい雷雨の中、俺とアニーゼが乗る魔導二輪車は、懸命にぬかるむ地面を掻き分けていた。

道が有るとはいえ山の中だ。元から全速力には程遠いスピードだが、それでも非常にスリリングなのは、足元の不安だけじゃねえ。


「くそ、本当にこのまま直進で大丈夫か、アニーゼ? 足を滑らせて坂の下に真っ逆さまとか、冗談でもゴメンだぞ」

「はい、しばらくは足元さえ良く見ておけば大丈夫です。どうもこの辺、一度人の手が入ったみたいですね」


 俺の目にはもはや道すら録に見えず、電照筒は水滴に阻まれて頼りにならん。

まったく、今日中には山腹の砦町にたどり着く予定だったのに、どうしてこうなったのか。

こうなってくると、もう頼れるのは己の目よりアニーゼの感覚である。彼女からピョコンと飛び出た犬の耳は、地面に当たる水音を聞き分けてソナー代わりになってくれるわけだ。

正直高性能過ぎる気もしないでも無いが、まぁ勇者ブーストかかってるからな。基礎能力がダンチ。


「……んん? ねぇ、おじ様」

「なんだ! ちょっと今、俺には余裕が無えぞ! 手がかじかんできてんだ!」


 懸命に俺の身体を抱きしめていたアニーゼが、急に俺の身体をペシペシと叩いた。

それは別に良いんだが、今の俺は最新の注意を払って不安定な二輪をこかさないようにしている最中である。

これをこかすと、アニーゼの尻尾や耳についた泥を丁寧に洗い落とす非常に面倒くさい作業が待っている。それはそれでお嬢が上機嫌になるのだが、俺は夜くらいゆっくりと1人で寛ぎたい。


「いえ、なんだか左手に建造物が有りませんか? こう、お屋敷みたいな」

「……何?」


 一度バイクを停止させ、俺は「魔導」の家の奴らが造り上げた電照筒を左に振り向けてみる。

この世界の技術に頼らず、完全にカガク技術だけで創りだされたらしいそいつは、見事雨霧の向こうに蔦に覆われた鉄柵を照らしだしてくれた。


「ビンゴだ! なんでこんなとこに立ってるかは知らんが、避暑用の別荘か何かかね」

「うう、助かりました。正直、先程から身体が冷えてきてて」

「この雨の中だしな。持ち主には悪いが、柵を壊してでも雨宿りさせてもらおう」


 予期せぬ極限状態に、少々思考が強盗寄りになりながら。しかし備え付けの扉は、拒むこと無く俺たちを迎え入れてくれた。

見れば、ぬかるんだ地面には他にも幾つかの掠れかけた足あとが残っている。この家の主人か使用人かは知らんが、他にも何人か使用者が居るらしい。


「すんませーん! 誰か、開けてくれませんかー!」


 こうして俺たちは、嵐の中その洋館に足を踏み入れる運びとなったのである。

……ま、後になって考えてみればイベントにならないわけが無いんだよなぁ。こういうのがさ。






 □■□






「まぁまぁ、この雨の中大変だったでしょう。ささ、タオルをどうぞ」

「いやどうもすいませんね、至れり尽くせりで」


 館の使用人らしき老夫婦に迎え入れられ、俺たちは玄関で服を絞る。

たっぷり水を含んだアニーゼの尻尾なんかは特に難敵で、渡されたタオルで荒っぽく拭き取ってやると少しくすぐったそうな顔をしていた。


「あいにく主人は留守にしておりますが、避暑のシーズン以外は管理を一任されておりまして。たまにこうして、不意のお客様をもてなすのも楽しみのうちなんですよ」

「ははぁ、なるほど。妙に手入れされている山だとは思いましたが、領主様の所有地でしたか」


 そりゃ、道にモンスター避けも仕込まれているわけだ。どちらかと言うと、山の中に道を整備するついでに自分の別荘も作った、といった感じである。

兵は居ないが近くに砦もあるし、わざわざ領主の屋敷に手をつける馬鹿な山賊もおるまい。これが革命軍辺りにまで育つと一気に占拠されそうだが、その時は既に避暑に行く余裕なんぞ存在しないとふんでいるのか。

……無理に扉をこじ開けずにすんで、本当に良かったな、うん。


「雨と言うものがあるとは聞いていましたが……まさか、こんなに空から水が落ちてくるなんて」


 アニーゼが自身の身体を震わせて、ぶるりと水気を切る。

そういや、こいつは普段雲より上の街に住んでいたんだった。ここまで本格的な雨は初めての体験だろう。


「この世界はまだまだ、不思議なことでいっぱいですねえ」

「ここの領主サマサマだな、まったく……いや、それにしても剛気だと思うがよ」

「町でも大きな不満は聞きませんでしたし、良い領主さんなんでしょうね」


 ま、そうなると中々勇者としての仕事が無いってことでも有るんだけどな。

俺が言外に滲ませた意味にまでは気付かなかったのだろう。年配の執事は上品な程度に口を開けて笑い、アニーゼの言葉に繋げる。


「いやはや、実際大したお方なのでございます。あなた方のような旅人も、もしお困りのようなら躊躇せず泊めてやれとお許しになられるほどですから」

「そりゃーまた、心が広いお方で。女神の祝福もざんざか降り注ぐことでしょう」

「はっはっは、そうなったらそうなったで、また『この光を我が領民にも行き渡らせよ』と大きな鏡でも用意してきそうですな」


 本気で言ってんだろうなぁ。まったく、どうやらこの辺では本当に、勇者の出る幕は無いらしい。

もっとも、一時期途絶えていた魔物退治の収入は復活したし、大きな問題が起きてないんなら無理に出しゃばることもないさ。

雨が止むまで逗留させてもらい、バイクの整備が終わったら早々に次の町へ向かうとしよう。俺はこの時、すっかりそう思って居たんだが、どうも物事ってのはそう簡単に片付かないようだった。


「……1部屋しか残ってない?」

「ごめんなさいねぇ、もともとあまり大きな屋敷では有りませんで……客人用の部屋も、賓客用とそれより少し小さい使用人用の部屋しかないのよ」


 つまり、この老夫婦で使ってる部屋を除けば残る寝室は3つ。

主人の部屋と、客人の部屋と、客人の使用人の部屋しか無いと言うわけらしい。

ま、当然と言えば当然か。宿でもあるまいに、たかだか避暑地の別荘にそこまで部屋をくっつける意味もない。

幾らなんでも主人の部屋に客を泊まらせる訳にも行かないだろうしな。そこはまぁ、許容できるラインではあるんだが。


「あー……まぁ、休ませて貰えるなら使用人用の部屋でも全然構わないが」

「いえ、先に来られたお客様が、賓客用の部屋を見て萎縮してしまいまして。残ってるのはそちらだけでございます」

「……ベッドはツインだよな?」

「ダブルベッドですな」

「まぁ」


 こいつが本当に参ったもんだ。

妙なことするつもりは無いし、そもそも押し倒せる気すらしないが、嫁入り前の娘……それも本家から預かった飛び切り血の濃い相手との同衾となると、あまりに血族への体裁が悪い。口に手を当てて驚いてる場合かね、アニーゼ。

元から世間体など気にしないタイプだろと言われればそうなんだが、悪評にもベクトルってもんがあるんだ。アウトロー気取りってんならともかく、ロリコン野郎と指さされるのはノーサンキューである。


「……お貴族様の家だけあってカーペットも柔らかいしな。最悪、床で寝れんだろ」

「ダメですよ、おじ様。おじ様だって雨に濡れてるんですから。ちゃんと暖かくしないと風邪を引いてしまいます」

「あのなぁ、お嬢。お嬢ももう14なんだ、もうちょい男女のなんとやらにも気を使ってだな」

「分かってますよ。私だって、いつまでも子供では無いんですから」


 だから言ってんだよ。大人ってのはな、何かしら社会に責任を負うもんだ。

お前に押し付けられた責任は重いぞ。それが分かってんのか、勇者筆頭?


「それに、おじ様から手を出すなんてことしないのでしょう?」

「そういう話じゃ無くてな」

「こんな山の中です。おじ様が秘密にして私が秘密にすれば、誰にバレる話でも無いではありませんか……くちゅっ」


 多少は水気を絞ったとはいえ、俺たちはまだ濡れた服を着っぱなしだった。

それで言い争ってんだから、幾ら勇者でも身体も冷えるってものか。まったく、普段はお前が窘める側の癖に、今日は随分攻めてくるじゃねえの。

仕方ない、一旦折れたフリして後でなぁなぁにしてやる……と考えたのは良いが、こういう思考も見透かされてんだろうなぁ。女ってのはそう言うとこばっかり鋭いから怖い。


「あーもう分かった分かった。なんか温かいもん貰ってきてやるから、とにかくお嬢は着替えて布団に入れ。勇者様に風邪ひかせたとか、何言われるか分かったもんじゃない」

「……隣で寝てくれなきゃ嫌ですよー……うー、鼻が効きまぜん」

「へいへい」


 やれやれ、ポケットに入ってたウェットシガー(薬巻たばこ:火をつけないタイプを指す)も既に湿気ってんだろうな。

あと三本、まだ口を付けて無かったのによ。あー、もったいないったらねえや。






「すんませーん、爺さんら居ますかーっと……」


 2、3ほどノックし、紳士的に入室。客とは言え無料で泊まらせてもらってる身だしな。

ホールの階段を上がって向こう、てっきり従業員室かと思っていたそこは、俺の予想に反して食堂であった。爺婆2人で管理できる範囲とはいえ、流石は貴族のお屋敷だな。

赤い絨毯に大きなガラス窓、重厚なカーテン。なんと暖炉まであると来たもんだ。濡れた身体に暖かさがジーンと染みこんでいく。

そこに一番近い席、これまた上等そうな椅子に浅く腰掛け、女のガキが退屈そうに足を揺らしていた。


「……? どうしたの、おじさん。なんか用?」

「いや、そういうお前は何だよ」


 使用人夫妻に孫が居るというわけでもなさそうだったし、何より夫妻の髪はくすんだ赤毛だが、このガキは目を見張るようなブロンドだ。

まぁ、となると消去法で残る一組なんだろうが。


「わたしメリー。お父さんもお母さんも、疲れて眠っちゃってるの。わたし、退屈なのよ」

「あー、俺たちの他にもう一組居るっつー客の? 子供連れとは、ご苦労なこって」

「おじさんは子供連れじゃないの?」

「おめーくらい子供だったら、まだ楽だったんだろうけどなぁ」


 いくら勇者としての能力があろうと、こんくらいの年齢なら諸国漫遊のイニシアチブは俺が握っていただろう。

だが、アニーゼもそろそろハイティーンになろうとしている。既にある程度の自己判断は出来ると見なされる歳だ。

おかげで、意見を言うことはできても最終的な意思決定権は俺には無い。人に指図されるのが嫌って訳じゃないが、男のアレやコレやにもうちょい理解が欲しいもんではあるな。

夜、寝静まった頃に美人のネーチャンが居る酒場に行こうとしても、毎回宿を出る前に声かけられるんだよ。アイツどういう直感してんだ?


「それはそれとして、執事の爺さんどこだ。知ってるかガキんちょ?」

「名乗ったのに全然名前で呼ぼうとしないその姿勢は、いっそせいせいするの。お爺さんの方は知らないけど、お婆さんの方はキッチンでおゆはん作りよ」

「うーむ、連れに白湯でも持って行ってやろうと思ったんだがな。邪魔するのも悪いかね」

「あら、だったらメリーがおねだりしてきてあげるわ。子供は駄々をこねるのが仕事だもの」

「お前もお前で、嫌なガキだな……」


 もし俺に子供ができたら、こんなのを四六時中相手せにゃならんのだろうか。独身貴族バンザイだな。

だがまぁ、断る理由はないので遠慮無く行ってもらう。爺婆にしても、俺のようなおっさんが頭を下げるより孫のような娘におねだりされたほうが気分よく働けるだろうさ。


「すみませんねぇ、気が利きませんで。言われてから気付くようでは、またお爺さんに叱られてしまいますわ」

「いやいや、金も払ってないのにこれだけしてくれるなんて、むしろこっちが図々しいくらいっすよ」

「おやおやそれは、暗にメリーのことを図々しいと言ってらっしゃる」


 しばらく食堂で待っていると、婆が湯気の立つカップを盆に乗せ運んできてくれた。

はちみつでも入っているのか、生姜の香りが立ち上る中に仄かに甘い匂いが混じっている。うーん、こりゃ美味そうだし、身体も温まるぞ。


「それじゃ、こっちはメリーちゃんのご家族に持って行っておあげ。あの人たちも随分身体を冷やしていたようだからねえ」

「ん。ありがとなの、お婆ちゃん」

「良いのよぉ。私らは子供が居ないから、むしろ甘えられて嬉しいくらいだわぁ。

 たらいに湯を張って持っていきますから、食事の前に身体でも拭いてきて下さいな」


 マジか、そりゃあ本気で有難い。お嬢の着替えに居合わせるわけにはいかんとは言え、いい加減俺も寒くて死にそうだ。


「そだ、おじさん」

「ん? なんだよ」

「おじさんたちの部屋、お姉ちゃんも居るんでしょ? 後で遊びに行ってもいい?」

「あー……ま、良いんじゃないか? お嬢も年下の相手は久々だろうしな」


 この時俺は、目先の暖に釣られてかなり適当に返事をかえしたことを懺悔しておこう。

あるいはここで注意深く行動していれば、あんなことをせずに済んだかも知れなかったのだ。

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