第二十話:魔術師出陣

 夜の十時を余裕で回っているというのに、遠目から見える「エム・スポーツ」の店舗兼ガレージには、まだ電気の灯りが煌々と点されていた。

 同店が店を閉めるのは、一応午後の八時と定められている。

 その閉店予定時刻からすでに二時間。

 本来ならば、通常営業が続いているはずもない時間帯だ。

 ひょっとして、何か残業に相当する作業が行われているのだろうか。

 だが、この店の従業員である倫子の口から、そんな情報はもたらされてない。

 それは、彼女があえて伝える必要を感じなかったからなのか。

 それとも、単に作業予定を知らなかったからなのか。

 どちらにしろ、いま店内に人気があるという事実だけは、まず間違いないものと思われた。

 緑色の「スターレット」が目的地めがけてハンドルを切ったのは、眞琴と純がそのことに気付いて間もなくのことである。

 ラフなブレーキングとともにクルマは左折。

 併設された歩道を一気に横切り、敷地の中へと進入を果たす。

 勢い余って縁石を引っかけた後輪が、ガツンと不快な音を立てた。

 夜の帳の向こう側で、ヘッドライトに照らし出される来客用の駐車スペース。

 ネットフェンスに沿って設けられたその面積は、普通サイズの乗用車が三台並べて停められる程度だ。

 いや、縦列駐車を駆使すれば無理矢理六台はいけるだろうか。

 そんな殺風景な空間の中、眞琴はを現認した。

 視界の中にぽつんと佇む、一台の「レガシィB4」

 間違いない。

 翔一郞の愛車だ。

「いたあッ!」

 「スターレット」が止まるや否や、眞琴は助手席から飛び出した。

 純の当てずっぽうが実を結んだことに対する驚きなど、その表情には欠片もない。

 脇目も振らず地面を蹴って、ポニテの少女は灯りの点いた事務所の中へと問答無用に駆け込んでいく。

「翔兄ぃ!」

 業者のロゴがいくつも貼られたアルミの扉を開け広げ、一気呵成に眞琴は叫んだ。

「なんでこんなところで油売ってんの? 今日は約束してたバトルの日じゃない! まさかまさか、この期に及んで『行かない』なんて言い出すつもり?」

 さほど広いとは言えない「エム・スポーツ」の事務所。

 床面積は、あってせいぜい六坪から七坪といったところか。

 クルマ関係の雑誌が詰まった腰の高さの本棚が、事務用のスペースと接客用のスペースとを面積比一対四ぐらいの割合で隔てている。

 事務用のスペースにはコンパクトなレジスターが。

 そして接客用のスペースには、低いガラステーブルを囲むような形で、くの字に置かれたソファーがあった。

 翔一郞がいたのは、言うまでもなく接客用のスペースだ。

 彼はその一角に腰を下ろし、テーブル越しの斜め前に座る水山オーナーを相手に、何やら世間話に興じている様子だった。

 少なくとも、眞琴の目にはそう映った。

「おう、眞琴か。どうした、こんな時間に」

 「八神の魔術師」が口を開いたのは、その一瞬あとの出来事だった。

 窓越しに純の愛車の来訪を認めて、こうなることを予測していたに違いない。

 突如として空間を満たした少女の怒声にも、彼はまったく動じる素振りを見せなかった。

 だからこそか。店主を差し置いて放たれたその台詞は、なんともあっけらかんとしたものだった。

 どこか必死ささえ漂わせる眞琴のそれと比べると、緊迫感がないこと甚だしすぎる。

 そしてその人を食ったような言動は、少女の逆鱗をたちどころに刺激した。

 半日近く無駄足を踏み続けた反動だろう。

 彼女の中で、三十路男の存在が激怒の矛先へと成り果てる。

 眞琴の口調から、すっと激情が消失した。

「翔兄ぃ。いまのボクに、いつものボケは通用しないよ」

 凍り付くような目付きでもって、ポニテの少女が狼に告げる。

「もしかして、本気で逃げるつもりだったの? あの二階堂さんの挑戦から」

「だったらどうする?」

「そんなの絶対に許さない」

 翔一郞の言葉に眞琴は応えた。

 ひと呼吸置いて、懐に歩み寄った少女の両手が「魔術師」の胸ぐらを掴み上げる。

 そのまま眉間にしわを寄せ、眞琴は力強く言葉を紡いだ。

なんて、このボクが絶対に許さないし認めない。翔兄ぃは今夜、何がなんでもあのひとと戦うの。それ以外の選択肢なんてないものと思ってよ」

 全身からオーラのように吹き上がる眞琴の熱気。

 それは、この場にいる当事者たち以外、店主の水山やあとから入ってきた「ロスヴァイセ」の純でさえをも、一瞬たじろがせるだけの代物だった。

 事実両名は、このふたりの遣り取りに対し、傍観者としての立場をしか取れていない。

 ある意味で、「闘志」と言い換えても構わないその気迫。

 これが喧嘩のいち場面であったとしたら、間違いなく優れた武器となったはずだ。

 しかし、この時の翔一郞にその圧力は通じなかった。

「おいおい」

 迫る眞琴をさらりとあしらい、いつもの調子で彼は言った。

「何そっちだけで勝手に盛り上がってんのかは知らないが、俺はな、あんなふざけた挑戦受けるつもりなんかさらさらないぞ。

 第一だな。奴が八神下りのタイトルホルダーであろうがなんだろうが、この勝負を受けたところで俺にいったいなんのメリットがあるってんだ? 赤の他人めがけて平気で手袋投げ付けてくる狂犬野郎の言うことなんざ、大の大人がいちいち真面目に聞いてられるか。

 あんなのはな、まともに相手するだけ時間の無駄だ。

 眞琴。もしおまえがこれから八神街道に行くってんなら、この俺がそう言ってたって、一字一句違わずあの男に伝えとけ」

 それは、先日のそれとまったく変わらぬ、取り付く島なき拒絶の言葉だ。

 普通なら、相手にここまで言い切られてしまえば、差し出した要求を引っ込めるのがあたりまえといったところだろう。

 もちろん、その文言に納得いくかどうかはまったく別の問題として、である。

 されど、眞琴は一歩たりとも退かなかった。

 その不退転が、いったい何を根源においているものかは定かでない。

 しかし、少女は諦めることなく再度「魔術師」に食い下がった。

「そんなわけにはいかないよ」

 着衣を掴む眞琴の手に、なお一層の力がこもる。

「もし今日、八神に翔兄ぃが行かなかったら、それが『翔兄ぃはバトルから逃げた』っていう立派な証拠になっちゃうんだよ。『ミッドナイトウルブスのミブロー』は負けるの怖がる腰抜けだって、みんなから見なされることになっちゃうんだよ。翔兄ぃはそれでもいいの? 悔しいとかって思ったりしないの?」

「全然」

 半ば哀願にすら近くなった彼女の台詞を、翔一郞はただひと言でうっちゃった。

 わざとらしく肩をすくませ、せせら笑うように彼は続ける。

「言いたい奴には、好きに言わせとけばいいんだ。たとえこの件でミブローの評価が地の底に墜ちたとしてもだな、しょせんそんなのは走り屋界隈限定の話さ。どうせ一月も経てば、綺麗さっぱり忘却の彼方ってことになる。こっちとしちゃあ、特段なんの問題もない」

「そう……わかったよ」

 眞琴が翔一郞から手を離したのは、それからすぐのことだった。

 かがめた腰をゆるりと伸ばし、「魔術師」の眼前に屹立する。

 血の気の引いた顔付きが、その心理状態をものの見事に表していた。

「それが、の翔兄ぃの本音なんだね」

 「ふぅん」と鼻を鳴らしてから、念押すように少女は言った。

 絶対零度の眼差しが、上から斜めに翔一郞を突き刺す。

 そんな目線ビームに射貫かれて、さしもの彼もたじろいだ。

 初めて遭遇する妹分の態度に、「うッ」っと一瞬息を呑む。

 しかしそれでも、翔一郞はおのれの言を曲げなかった。

「ま……まあ、そんな感じだ」

 けんを反らして彼は応えた。

 口調がどこか弱々しいのは、意固地が発したそれだったからなのか。

 眞琴の身体が一瞬ふくれあがったように見えたのは、その次の刹那の出来事だった。

「翔兄ぃの、莫迦ァァァァァァッ!!!」

 部屋全体を震わすような大音量が炸裂した。

 鼓膜をまともにぶち抜かれ、純が、水山が、そして言うまでもなく翔一郞が、思わず我が身を硬直させる。

 まさしく感情の核爆発だ。

 もはや絶叫というレベルには収まるまい。

 そしてそれは、その一撃のみでは済まなかった。

 少女の口腔から、続けざまに次の火焔が吐き出される。

「莫迦ッ! 莫迦莫迦莫迦莫迦莫迦、莫迦ァッ!」

 固く左右の拳を握り、頭を振りつつ彼女は叫んだ。

「翔兄ぃなんてもう知らないッ! そんなに負け犬になりたいんなら、勝手にひとりでなればいいんだッ!」

 一気にそれだけ言い放つと、眞琴はその場で踵を返した。

 事務所を飛び出す彼女の目尻に、きらりと小さく涙が光る。

 極小のビーズにも似た、どこか儚い無色の煌めき。

 たとえ視界に留まらずとも、責められる謂われはどこにもあるまい。

 だがこの時、純も、水山も、翔一郞も、不思議なことに、そのほんの些細な光の粒を見逃さずにはおかなかった。

 それを目の当たりにした面々のひとりは「まいったな」とばかりに頭をかき、もうひとりは苦笑いを浮かべ、最後のひとりは腹立たしげに唇を引き結んだ。

 音を立ててドアが閉められると同時に、ソファーの上で翔一郞の腰がずるりと滑る。

 前後して水山が放った「泣かせちゃいましたね」という台詞に、「そうっすね」とその口が応えた。

 抑揚のない無気力な口調だった。

 どこかしら、棒読みのそれに近い。

 一秒、二秒、と、気まずい沈黙があたりを満たした。

 その異様な停滞を打破したのは、純の発したプレーンな怒りだった。

「見損ないましたよ、壬生さん」

 はっきりと眉を吊り上げ彼女は怒鳴った。

「あの日の夜、眞琴ちゃんにあんな真似までさせといて、あなた、男としてなんとも思わないんですか? 男として、自分のために女が暴力振るうことの意味、少しでもわかってたりするんですか?」

「……」

「わかってるはずないですよね。もしわかってたら、いまみたいな態度、絶対に取れるわけないですもんね。あたしだって、眞琴ちゃんができないことをあなたにやれって押し付けてるんならこんなこと言いませんよ。でも違う。あなたは、あの二階堂と戦えるだけのテクを持ってる。いいえ、戦えるなんてもんじゃないわ。バトって勝てる、それだけの実力を備えてる。じゃあ、なんであのの期待に応えてあげないんですか? あなたは『ミッドナイトウルブスのミブロー』である以前に、あのにとっての『英雄ヒーロー』なんですよ」

「……『英雄ヒーロー』?」

「もういいです」

 どこか弛緩した翔一郞の眼差しを振り切り、純もまた、素早くその身を翻した。

 向けた背中で決別の意を示し、眞琴を追って事務所の中から駆け出していく。

「『英雄ヒーロー』ねェ……」

 走り去る純の愛車スターレットを遠く窓越しに眺めながら、翔一郞はぽつりと呟き自嘲した。

「まったく。どいつもこいつも」

「壬生さん。本当にいいんですか、あのままで」

 それを聞いた水山が、おもむろに口を開いた。

 どこか詰問調の口振りであった。

 声色の裏にはっきりとした意志を込め、彼は淡々と言葉を重ねる。

「あのらに教えてあげたほうが良かったんじゃないですか。俺は、新品タイヤのセッティングにいままで時間をかけてたんだって」

「それを伝えたところで、特にどうなるってもんでもないでしょう」

 突き放すように翔一郞が応えた。

「俺はもう、とっくに走り屋辞めちゃってる身ですから……」

 その態度の端々には、一貫して部外者を装おうとする、そんな魂胆が見え隠れしていた。

 だがしかし、そうした彼の目論みは、自分自身の了承をすらまるで得ていないものであるのだろう。

 膝の間で組まれたその両手には、明らかに不自然なほどの力がこもっている。

 手の甲に突き刺さる八本の指先。

 それが、この男の本心をあからさまに表していた。

「もしかして、まだあの時のことを引きずってるんですか」

 知人の心情をすかさず悟った水山が、責めるがごとくそう言った。

「これまで何度も言いましたけど、あの件は単なる事故に過ぎ──」

「水山さん」

 そんな水山の諫言に翔一郞が割って入る。

 およそひと呼吸ほどの空白を置き、「伝説の狼」は振り絞るように問いを発した。

「こんな時、あいつなら……たかしなら、いったいどうしたと思います?」

長谷部はせべさんなら、じゃありませんよ」

 何かに気付いた水山が、口調を変えて断言した。

「『ミッドナイトウルブス』のメンバーに、挑まれたバトルから逃げ出すような人間はひとりだっていやしませんて」

「ですよねェ」

 そう応じながら、翔一郞は立ち上がった。

 何やら吹っ切れたような面持ちで、ぽつりひと言言い放つ。

「たまんないな。これだから走り屋って連中は……」

「壬生さん」

 さも嫌そうに店の外へと足を向ける「魔術師」に向け、水山が明るい声で語りかけた。

「レガシィの足回りは、むかしのあなたに合わせてアンダー傾向にしてあります。その点だけ気を付けてくださいね」

 その言葉がエールであると悟ったのだろう。

 翔一郞は振り向きもせず、右手を挙げてこれに応えた。


 ◆◆◆


 純と眞琴を乗せた「スターレット」が改めて八神街道に向かったのは、彼女らが「エム・スポーツ」を飛び出してより、余裕で十数分が過ぎたころのことだ。

 街道の登り口、通称「八神口」へと通じるこの県道に乗るまで、純の操る軽量小型のハッチバックは、夜の市街をあてどもなくふらついた。

 文字どおり、時間の浪費を図ったのである。

 もちろん、現場に直行しなかったのには、ちゃんとした訳がある。

 それは、まがりなりにも看護師免許を持つドライバーが、同乗者眞琴の感情が落ち着くのを優先させたがゆえだった。

 その甲斐あって、一時の興奮から回復した眞琴は、いま冷静におのれの思いを口にするようなっていた。

 もっともそれは、「壬生翔一郞」への不満と不平という、いささかいびつな方向性を取ったのであるが──…

「あーッ、もう。いま思い出しても腹が立つ!」

 スナック菓子を立て続けにほおばりながら、ポニテの少女は思うがままをぶちまけた。

 バリバリという下品な咀嚼音が、否応なしに車内を満たす。

 その不作法極まる振る舞いは、年頃の少女としては目も当てられない惨状だ。

 しかもこの時、「スターレット」のウインドウは全開状態になっていた。まず間違いなく、その有様は外界の知るところとなっていただろう。

 だがしかし、彼女は一向にそれを改めなかった。

 それどころか、運転席の純めがけ、なお一層の毒舌を放つ。

 感情をむき出しにして少女はわめいた。

「どうしてあのひとは、いつだってああなんだろ。自分を売り出す絶好の機会だっていうのに、それをわざわざ自分から放棄しちゃうなんて。あれだけの腕と実績持ってて、プライドってものがないんですかね? ボクだったら絶対にありえないことですよッ!

 そりゃあね、むかしからあのひとがあんなだってのは、ボクだって全然わかってることでしたよ。伊達に付き合い長いわけじゃないですもん。こうなることぐらい、実は頭の片隅でしっかり覚悟してましたよ。

 でもそれにしたって、あんまりにももったいなさ過ぎる話じゃないですかッ! 流れが来てるんですよ、せっかくの流れがッ!

 ここはもうズバっとそれに乗っちゃうことこそが伝説の走り屋としてあのひとがやるべき最低限の義務なんじゃないかって、ボクはどうしても思っちゃうんですよッ! 思わずにはいられないんですよッ! もちろん、純さんだってそう思いますよねッ? 走り屋ですもんねッ? そう思わないわけないですよねッ?」

「う、うん。そうだよね。眞琴ちゃんの言うとおりだと思うわ」

 初めのうちこそそんな彼女の憤りに熱く合わせていた純であったが、さすがにいまの時点では、それと同レベルのエネルギーを保持することはできていない。

 かろうじて追従だけは適っているが、声の勢いを見るとそれも時間の問題と言えた。

 それにしても──変化のない夜の市道を目的地に向け進みながら、純は、ふと疑問に近い感情を抱いてしまった。

 なんで壬生さんあのひとは、あれほど頑強にバトルへの参加を拒んだのだろう、と。

 それが名誉の類、すなわち勝ち負けの如何に繋がらないことだけは、振り返るまでもなく明白だった。

 負けを嫌う人間であれば、そもそも不名誉な敵前逃亡を図るわけもないし、勝敗を気にしない人間であれば、面倒を回避するため適当にお茶を濁す方向で動いたはずだ。

 そんな推理は素人だってできてしまう。

 ひょっとして、何かあたしたちの知らない理由がそこにあるのかしら。

 助手席で騒ぎ続ける少女の声をどこか遠くに聞きながら、純は湧き上がってきた小さな不審を何度も口内で弄んだ。

 旺盛な好奇心が、真実への探求を後押ししようと蠢き出す。

 だが限りある時の流れは、彼女がその解答に行き着くことを許さなかった。

 それは、純の愛車が信号待ちで停車したおりのことである。

 眞琴が放った「翔兄ぃの莫迦ーッ! へたれ虫ーッ!」というわかりやすい罵倒に対し、左隣に滑り込んできたクルマから応じる言葉が返ってきたのだ。

「誰がへたれ虫だ、この莫迦娘」

 それは、聞き覚えのある男性の声だった。

 思わぬ角度からの奇襲を受け、咄嗟に顔を振るふたりの女性。

 その視線の先にはいた。

「壬生さんッ!」

「翔兄ぃッ!」

 彼女らは、異口同音にその名を呼んだ。

 左車線に並ぶブラックパールの「レガシィB4」、その運転席側の窓から顔をのぞかせていたのは、紛れもなく「八神の魔術師」壬生翔一郞本人であった。

 まったく想像もしていなかった事態に接し、眞琴も純も大きくその目を丸くする。

「天下の往来でひとの悪口絶叫すんのは、あまり褒められた行為じゃないぞ」

 そんなふたりに向け、翔一郞は言い放った。

 窓枠に肘をかけつつ、不敵な笑いを口元に浮かべる。

「まあ、いまの俺は太っ腹だから特別に勘弁してやるがな」

「もしかして、やっぱり八神に来てくれる気になったの!?」

 眞琴の表情にぱあっと目映い光が差したのは、その直後のことであった。

 それは言うまでもなく、「歓喜」という名の輝きだ。

 しかし続く翔一郞の台詞が、そんな少女の想いを文字どおり一蹴する。

 彼は言った。

「いや。俺はこれからファミレスに飯を食いに行こうと思っているのだ」

 期待を裏切るその言葉に、眞琴の相好がたちまち曇る。

 次いで唇が噛み締められ、真っ直ぐな憤りがぬっと鎌首をもたげ出した。

 されど、それもまた一瞬だけのことだった。

 「八神の魔術師」が、さらに発言を続けたからである。

「バトルって奴はな、見るのもやるのもそれなりに体力使うもんだ。腹減ったままじゃ、とてもじゃないがやっとられん」

 次の刹那、「翔兄ぃ……!」と呟く少女の面持ちが、複雑な笑い顔へと変化した。

 提示されたその真意を、曲げることなくきっちりと受け取ったからだ。

 子猫にも似た大きなまなこに、ふたたびじわりと涙が浮かぶ。

 ただしそれは、先ほどこぼした滴とは寄って立つところが完璧に異なっていた。

 辛い失望がもたらしたそれではなく、感極まったがゆえの熱い落涙。

 それを認めた翔一郞が、思わず破顔一笑する。

「まったく、なんて顔してやがる」

 微笑みながら彼は言った。

「いいか眞琴。こんなのは、今回限りの出血大サービスだ。二度目なんてものはないからな。そこんとこ忘れるんじゃないぞ。

 それと長瀬さん。良かったらそいつとふたりで俺の晩飯に付き合いませんか? うちの小娘が迷惑かけたお詫びもかねて、とっておきの情報を教えて差し上げますよ。もちろん、飯代は俺の奢りということで」

 ふたりの答えに否はなかった。

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