第二十一話:青と黒の確執

 今夜のバトルの起点となる、八神街道頂上付近。

 つまり、「ロスヴァイセ」の面々その他がよくたむろしている、例のパーキングエリア周辺でのことだ。

 その場所にギャラリーと思われる若者たちがちらほらと集まりだしたのは、いまからおよそ一時間ほど前。

 当事者の片割れ、「弾丸野郎バレットクラブ」二階堂和也の現地入りが遡ること三十分といったところだから、タイミング的には随分早めの起こりと言える。

 いまのところ同地に集っている顔触れは、ざっと数えて二十余人。

 思った以上の人数だ。

 ルートの各所に陣取っている連中をこれに加えたなら、その数は余裕で五十を超えるだろう。

 こんな人気のない街道沿いにわざわざ足を運んでくる五十人以上の数寄者たち。

 それも、間もなく日付が変わろうというこの時刻にだ。

 とりおなおさずその事実は、今宵のバトルが文字どおりの大勝負であるということを何よりも雄弁に物語っていた。

 「現実リアル」対「伝説レジェンド

 滅多に起こりえない両者の激突には、そこまでして見るだけの値打ちがある。

 それこそが、彼らにとっての隠しきれない共通認識であった。

「あと十分……」

 そんな若者たちの熱視線に晒されるなか、愛車ランエボの傍らでじっと仁王立ちの姿勢を崩さなかった二階堂が、ちらりと腕時計に目をやったあと呟いた。

「ひょっとして、逃げちまったのかな」

「莫迦言ってんじゃないの」

 苦笑する彼をすぐその横からたしなめたのは、「青い閃光シャイニング・ザ・ブルー」三澤倫子そのひとだ。

 二階堂の右に並んで立つ彼女は、このどこか不安げに見える「ランエボ使い」をからかうようにこけおろした。

「自分より弱い相手から逃げ出す走り屋が、いったいこの世のどこにいるっていうの?」

「言ってくれるじゃねえか」

 歯をむき出しにした二階堂が、その場で倫子に向き直る。

「だがあの御仁は、自分のことを走り屋なんかじゃねェって言ってたぜ」

「走り屋よ」

 それに合わせた「青い閃光シャイニング・ザ・ブルー」が、まともに彼と対峙した。

 そしてきっぱり断言する。

「誰がなんと言おうと、あのひとはれっきとした走り屋だわ。たとえ本人のオツムがどれだけそれを拒んだとしても、スピリットがまんま走り屋である限り、あのひとはそんな自分からは逃れられない。だから、絶対にあのひとはここに来る。戦いの待つ、この場所にね」

「ぜひとも、そうあって欲しいもんだ。俺だって、憧れだった伝説の走り屋が実はタマなしのチキン野郎だったなんて現実を受け入れたくはねェからな」

 二階堂の口振りには、かすかに皮肉の色があった。

「だが、もし来なかった時はどうするよ?」

「そんなありえない可能性には答えようがないわね。でも」

 目をぎらつかせつつ倫子が答える。

「もし万が一そうなったとしたら、その時は、このわたしが責任持って壬生さんの代わりをしてあげるわ」

おまえさんシャイニング・ザ・ブルーがかい?」

「ええそうよ。あのひとには、芹沢の件で代役を努めてもらった借りがある。その借りを今度はわたしが代役で返すっていうのも、ちょっと劇的で悪くない話だわ」

「なるほど。確かに筋は通ってるわな」

「わたしが相手じゃ不満かしら?」

「まさか」

 不敵に笑って二階堂が言った。

「『魔術師』との対戦が流れたら、そん時ゃ、待っているのが『閃光』との対戦か。こりゃあ俄然面白くなってきやがったぜ!」

「あら? そんな素直に喜んでいていいの?」

 どこか嬉しそうな彼を見て、倫子はわざとらしく両肩をすくめる。

「壬生さんに負けちゃうのはまあ仕方ないとしても、もしわたしにまでおくれを取るようなことになったら、あなたの持ってるタイトルホルダーの面子なんてもう丸潰れ状態になっちゃうんじゃない?」

「なんだと?」

「だからさ、ここは一度正直になって、『ミブローさん。どうか私めのために、この場所へと来てやってください。格下に負けるような醜態を、私は晒したくなどないのです』ってお願いすべきところだと思うんだけどな。いまのあなたの立場からすると」

「喧嘩売ってんのかよ」

「それ以外にどう聞こえて?」

 ふたりの間に一触即発の空気が醸成された。

 周囲にたむろう連中が、不穏なオーラを悟りざわめく。

 しかし彼らは、そんな状況などお構いなしに親の敵のごとく睨み合った。

 長身の二階堂が怒りをもって見下ろせば、倫子がそれを反骨心で受け止める。

 これではまるで、新たな遺恨の勃発だ。

 さすがにまずいと思ったのだろう。

 チーム「ロスヴァイセ」の山本加奈子が、両者の会話に割って入った。

 「リン!」と強い口調でひと言放ち、すかさずその肩を掴もうとする。

 プルル、と無機質な電子音が鳴り響いたのは、まさにその瞬間のことだった。

 音源は、倫子の携えていたスマホである。

 その一瞬をきっかけに、ふたりの不毛な諍いは、しばし休戦状態となった。

 ジャケットのポケットから愛機を取り出した倫子が、短く画面を見たあとでためらうことなく通話に出る。

 相手は、よほど親しい知人なのだろう。

 臨戦態勢にあったその表情が、見る見るうちに喜色のそれへと変わっていった。

 「誰から?」という加奈子の問いに、「眞琴ちゃんから」と通話を終えた倫子が答える。

 続いて彼女は二階堂へと顔を向け、さえずるようにこう告げた。

「残念だわ。八神のタイトルホルダーを撃墜できるせっかくのチャンスだったってのに、ちゃんとした先約がもういたんじゃ、さすがのわたしも身を退くしかないわよね。美味しい機会をみすみすなくしちゃうのは心残りだけど、ここは素直に諦めるとするわ」

「おい。そいつァ、どういう意味だ?」

 まどろっこしいその言い回しに、思わず二階堂は憤った。

 そんな彼を、「鈍いわねェ」と「青い閃光シャイニング・ザ・ブルー」が嘲笑う。

 単刀直入に彼女は告げた。

「『魔術師』が来るんだって。あなたとバトルするために」

 それを聞いた刹那、「弾丸野郎バレットクラブ」の顔付きが肉食獣の相好と化した。

 小さく喉で笑いながら、にやりと口元を吊り上げる。

 その目の中に、めらめらと闘志の焔が燃え広がった。

「そうかい。ついに来るかい、俺の獲物が」

 「ランエボ使い」が不敵に呟く。

「待ちくたびれたぜェ」

「あらあら。自分の負けが楽しみだなんて、まったく酔狂なひとね。とても理解できないわ」

 そんな彼を認めた倫子が、両手を腰に呆れてみせた。

 なんとも挑発的な台詞が、薄い唇を突いてぽんぽんと飛び出してくる。

「ドMなオトコはこれまでも結構見てきたつもりだったんだけど、あなたみたいに典型的なのはさすがのわたしも初めてよ。その才能だけで充分ご飯が食べられると思うわ。いっそのこと、そっち方面に転職してみたらどう?」

「ふん。言いたいことはそれだけか」

 はねつけるように二階堂は応じた。

「だが今日のバトル、あんたにゃ悪いが勝つのは俺だ。言っとくが、こいつは自惚れなんかじゃねェぜ。ましてや、あの御仁翔一郞の実力を侮ってるわけでもねェ。こいつはな、技術、経験、クルマのスペック、その他諸々のデータを比較検討した上での妥当な結論だ。

 そういやあんた、以前この俺に、『伝説』を撃墜するのは自分が先約だ、って宣言してくれたよな」

「ええ。確かにそう言ったわ。それが?」

 頷く倫子に彼は言った。

「なぁに、そのことについて先に謝っとこうと思ってな。気の毒な話だが、あんたのその望みが叶うことは百パーセントねェ。せっかくの大一番、横からかっさらう形になっちまって済まなかったな、ってところさ」

「あらそう。もしかして、お心遣い痛み入るわ、とでもわたしに言わせたいのかしら?」

「別にそこまでは求めてねェよ。が、その埋め合わせに、だ。八神街道の絶対王者として、次の挑戦者にはあんたのことシャイニング・ザ・ブルーを指名するぜ。もちろん受けてくれるんだろ?」

「はいはい。ビッグマウスもそこまで行けば立派なものよ。感心したわ」

 不真面目を装った倫子が、小さく肩をすくめてみせた。

 冷ややかな笑みが、その口元にくっきりと浮かぶ。

「でもね」

 そんな二階堂にくるりと背を向け、右手を振って彼女は告げた。

「わたし、あなたと違ってタラレバの世界には生きてないの。可能性ゼロの空手形切られて喜んじゃうほどの世間知らずでもないしね」

「おい、どこ行くつもりだ? まだ返事を聞いてねェぜ」

 言いたいことだけ言い終えてこの場を去ろうとする彼女を、すかさず二階堂が呼び止めた。

 立ち止まり肩越しに振り返った倫子が、斬り捨てるがごとくそれに応じる。

「答えは改めて言うまでもないでしょ」

 冷たい口調で彼女は言った。

「どうしてもそれを聞きたいのなら、いまと同じ台詞、バトルのあとでもう一度わたしに向かって言ってみなさいな。もちろん、言えるものならの話だけどね。わたしはこれから、あなたのそのビッグマウスがいったいどんな結末を迎えるのかを特等席から見守らせてもらうわ。あとあとになって恥かかないよう、せいぜい全力を尽くすことね」

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