離宮での晩餐〈4〉
♢♢♢
「姫さま⁉」
部屋を出るとリィムが駆け寄り、とても心配そうな顔を向けた。
「あぁ、リィム」
見知った顔にリシュはホッとした。
「気分が悪くて。……少し寒気がするのよ。部屋で休むことにしたの」
「歩けますか? 私に掴まってください」
「ありがとう」
案内係の手前、部屋に着くまで演技を続けなければと思い、リシュはいくらか身を屈めるような姿勢でリィムの腕に掴まるようにして歩いた。
やがて部屋に通され二人きりになったところで、リシュは大きく深呼吸した。
「姫さま、どうぞ横になってください。お薬はどういたしましょう。医師を呼びますか?」
「ごめんね、リィム。心配かけて。実は仮病なのよ」
「え ⁉」
「リィム、お願いがあるの。給仕係の中でわたしの配膳をしていた子の名前が知りたいの。リィムなら調理場への出入りもできると思うし……。お茶を貰いに行くふりをして、なんとか聞き出してほしいの」
「あの、でもなぜ……」
「………リィムはわたしに…………わたしに毒視姫という呼び名があるのは知ってるよね」
「……はい」
「あれは本当なの。 噂なんかではなくて、わたしは毒を視たり感じたりする力を持っているの」
リィムが小さく息を呑むのが判った。
「……怖い? わたしのこと……」
怖いよね……。
やはりリィムには話すべきではなかったと、リシュは少し後悔した。
「毒入りを食べても平気なんて。怖いし、気持ち悪いよね。恐ろしいと思ったらいつでも辞めていいのよ、わたしの侍女を。スウシェさまにはわたしから言うわ」
「嫌です」
「え……?」
「辞めたりなんかしません。恐ろしいとか怖いとか……。そりゃ今、一瞬思っちゃいましたけど。でも、きっともう二度と思いません」
「リィム……」
「姫様、王宮は私の居場所なんです。私、小さい頃からとても貧しい暮らしで……。両親が病気で亡くなってから伯父夫婦に引き取られたんですけど、暴力の多かった伯父に娼館へ売られそうになっていたところをスウシェ様に助けてもらいました。………私にはここ以外に行くところも帰るところもないんです。ここは……王宮は……私には夢みたいな場所です。華やかで綺麗で……でもそれだけじゃないけど。嘘や欲望や妬みも多いところ。綺麗に着飾っても醜い人、美しくても恐ろしい人がたくさんいることをここで覚えました。でも………」
リィムは黒目がちな愛らしい瞳を真っ直ぐにリシュへと向けた。
「でもリシュ様は違う。王宮の中では誰もが煌びやかに着飾ろうとするのに、姫さまはお洒落もなさらないで。でも不思議といつも……私にはいつも輝いて見えるんです。私、そんな姫さまにお仕えできること、嬉しく思います。
……私はあなたの侍女です。どうかいつまでもお傍に置いてください。毒視の力のこと、話してもらえて嬉しいです」
「……リィム。あなたに話そうかどうしようか迷っていたけど……。 話してよかった。ありがとう、リィム」
「ではもしかして、その配膳係だった子が姫さまに毒を?」
リシュは頷いた。
「わかりましたわ、姫さま。ではさっそく行ってまいります」
「名前だけでも判ればいいのよ。 決して無理をしないでね」
♢♢♢
リィムを見送り一人になった部屋で、リシュは崩れるように長椅子へと腰を沈めた。
身体中を支配していた緊張感がまだ残っている。
部屋の隅にある寝台に横になりたいと思ったけれど。
このまま寝台へ上がったら、自分はきっと眠ってしまう。
不快なほどのこの眠気は果実酒のせいもあるけれど、その大半は毒による後遺症のせい。
食べる量は加減ができるが、漂う香りを絶つことはできない。
嗅ぎすぎたかな……。
呼吸した分だけ身体に染み込み、なかなか抜けてくれないような気がした。
───それにしても、あの子。
リシュの脳裏に、あのとき視た光景が甦る。
床に落として割れた破片を拾おうと、屈んだ姿勢になったあの配膳係の娘が身につけていた仕事着。
エプロンの、ちょうどポケットの辺りがリシュの座る位置からよく視えていて。
その部分に赤黒い紫色が視えた。
同じ仕事着を着ている他の誰も、ポケットにそんな模様はない。
間違いない。
あれは毒の色。
きっとあそこに毒粉を仕込んでいたのだろう。
彼女の指先にも、紫の色が付いていたのだ。
けれど分量に関しては致死量などを把握していたとは思えないほど、ばらつきがあり適当に盛った様子が伺えた。
誰かに指示されたのだろうか。
もっと深く考えようとしてみても。
眠気で思考が働かない。
とにかく今は彼女の情報を何かひとつでも得られたら。
彼女に繋がる何か。
背後に存在する何者かの影を知ることができたら。
ロキルト……どうしたかな。
怪文書とマーシュリカの毒のことなど。
ロザリア様から何か催促されているだろうか。
あの解毒剤については、ラスバートに調合法を教えてある。
宮廷の薬学師たちに任せてもいいと思っている。
「そういえば……」
宮廷の薬学師たちと、リシュはまだ面識がなかった。
母リサナと王宮で暮らしていた頃は幼かったせいもあり、薬学師のことなど気にすることもなかった。
それに、薬を含め毒に関しての知識が豊富だったリサナは奇異な妃として孤立していたのだ。
薬学師たちと母が顔を合わせる機会は少なかったのではないだろうか。
けれどロキルトの暗殺未遂事件がきっかけで、王宮へ呼び戻されてからのリサナはきっと否応なしに薬学師たちと関わる羽目になったとは思う。
母様、その辺りのこと、なにも話してくれなかったなぁ。
土産話といえばロキルトのことばかり。
それ以外でよく話してくれたことといえば。
………王宮の書物庫のこと。
───リシュ、
………いつか あなたに ……
あれだけは…………見せてあげたいわ ……
……あそこ に は ………
懐かしい記憶の中へ微睡みそうになり、リシュは慌てて頭を振り、瞳を瞬かせた。
(……いけない、寝ちゃいそう)
閉じてしまいそうになる目を何度もこすり睡魔と闘いながら、ようやく扉を叩く音とリィムの声が聴こえた。
リィムはティーポットとカップを乗せたトレーを持って部屋へ入り、テーブルに置いてからリシュへと向いた。
「厨房に彼女の姿はなかったのですが、お喋り好きな使用人から話を聞くことができました。リシュ様の配膳を担当したの子の名前はミレアというそうです」
「ミレア……」
「二ヶ月程前にロザリア様の御友人からの紹介で雇われたそうですが、使用人たちの間ではあまり評判が良くないようですね」
「なぜ?」
リィムはティーカップにお茶を注ぎながら話を続けた。
「まだ新入りなのにロザリア様に贔屓にされているから、だそうです。わりと頻繁にロザリア様の部屋へ呼ばれることが多いようですね」
───やはり、ロザリアが毒の指示を?
「ね、リィム。ミレアのことはまだ誰にも言わないでほしいの。陛下にはわたしから言うから」
「承知いたしました。 さぁ、どうぞ、姫さま」
ふわりと良い香りが漂い、リシュの目の前にお茶の入ったカップが置かれた。
「ありがとう、嬉しいわ。凄くいい香りのするお茶ね」
リシュの言葉に、リィムは不思議そうに首を傾げた。
「そうですか? 普通の紅茶ですけど?」
毒の香りよりずっとマシよ。
心の中で呟きながら、リシュは温かなお茶を口にした。
「姫さま、どうか少しお休みになってくださいませ。顔色がよくありません」
心配そうに言うリィムに、リシュは首を振って答えた。
「ここでは眠りたくないのよ。早く宮へ戻りたいわ」
「そうですか。厨房ではそろそろデザートを用意するようにと言ってましたから、晩餐ももうすぐ御開きになると思いますわ。きっと陛下も姫さまのことが心配でしょうから」
デザートか。
毒入り料理の夕飯では、ろくに味わうこともできずにいた。
「いいなぁ、デザート」
多少の空腹感もあったせいか、つい言葉を口に出してしまったリシュを見てリィムは一瞬目を丸くしたがすぐに頷き、そして言った。
「宮へ戻られたら何か召し上がってください。御用意致しますね」
「お願いするわ、リィム」
首を竦めて照れ笑いを浮かべたリシュに、リィムもつられて微笑んだ。
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