離宮での晩餐〈3〉


 ♦♦♦



 案内された部屋で皆が席に着き、晩餐の始まりをリシュは緊張とともに迎えた。




 料理が運ばれてくるまで、もうすぐはじまる豊穣祭について話すロザリアに、ロキルトは話を合わせていた。



 ───そして、



 料理が運ばれてくるのと同時に、毒の香りが漂うのをリシュは感じた。



『毒の匂いを感じたら、左手で左の耳に触れる』



 そう約束をしていたので、リシュは目の前に座るロキルトに合図を送った。



 続いて目の前に運ばれてきた料理に目をやり、おもわずため息がこぼれそうになるのをリシュは我慢した。



 和やかな雰囲気の中であっても、明らかにリシュの目の前に置かれた料理には毒が盛られていた。




 紫の色が。


 わたしにははっきりと視えていた。



 そして気付いたことがもうひとつ。


 手押し車に料理を乗せて運び、配膳などを行う小間使いの一人が、自分と同じくらいの年齢に見えるその娘の指先に、紫の色が着いていた。



 この子……毒に触れてる。




 リシュは隣に座るオリアルを意識した。



 昼間のお茶会では彼女の指にも紫色が着いていた。



 あのお茶会で付き添っていた オリアルの侍女は、あの娘ではなかっただろうか。



 リシュは記憶を辿ったが、見覚えのある顔だとも思えず確信は持てなかった。




 けれど最初からずっと、その娘だけがリシュの料理を配膳していた。



 出されたお皿全てに、紫の色が浮かんで視える毒入りの料理を。




 この子が担当?


 わたしの配膳係?


 毒を盛ったの?




 ではその指示を出したのは?



 ロザリアなのだろうか。




 オリアルの指も気になる。



 彷徨わせた視線がロキルトへ向いてしまい、リシュは仕方なく合図を送った。




 わたしに出された料理に毒の色が視えたら右手で右耳。



 途端にロキルトが眉を顰め、何か言いたそうな顔をした。




 ……やっぱり、ロキルトが言っていたように、わたしはロザリアに試されているのだろうか。




 それとも、料理に盛られた毒で私が死ぬのを望んでいる?



 望んでいるのはロザリア?



 それともオリアル……?




 ……わからない。




 ロザリアはロキに悪意があるようだけれど。



 けれど今この場で、自分の立場が危うくなるような行動を わざわざ起こすとは思えなかった。




 とりあえず、ロキルトの前に並べられた料理には 紫の色が視えない。




 リシュはホッとした。





 ロキルトは言っていた。



 私の力をわざわざ露見することはないと。



 だとしたら、わたしの異能を試そうとした者の予想を裏切る展開にした方がいいのだろうか。




 そんなことを考えた瞬間、リシュの中に苦い想いが広がった。




 ああ……嫌だ。



 食事にまでこんな駆け引きが必要だなんて。




『王宮なんてそういうところよ』




 不意に、母の囁きが聞こえたような気がした。





「さぁ、冷めないうちに召し上がってくださいませ。まずは乾杯いたしましょう」




 グラスに注がれた果実酒だけは紫の色を浮かばせてはいなかった。




 口に含むと甘酸っぱさが広がるが、爽やかで後味の良いものだった。




 けれどお酒ばかりを飲んでいるわけにもいかない。



(とりあえず、食べなきゃ始まんないしね)




 時折、何か言いたそうに、こちらにチラチラと視線を送るロキルトを無視して、リシュは料理を口へと運んだ。



♦♦♦



 出されてあった料理を一通り味見した結果、毒はどの皿にも同じものが含まれていた。




 この毒の成分は確か……。



 覚えのある植物がリシュの脳裏に浮かんだ。



 毒の成分も少なく、そんなに珍しい植物ではない。



 春に山へ入れば見つけられる野草の一種。



 葉を乾燥させて粉末にしたものだろう。



 摂取しても、すぐに命にかかわるほどの毒ではないはず。




 ……けれど。



 けれど毒は毒。



 大量に摂取するものではない。



 即効性はないけれど、このまま長時間摂り続ければ……。



 普通の人間であれば体調を崩し、適切な治療を受けても、四、五日は寝込むことになるだろう。





 それにしても。



 リシュは盛られた毒の分量に違和感を覚えた。




 毒の扱い方が雑な気がする。



 皿に盛った料理の上に、毒の粉末をふりかけただけのように思えた。



 料理の皿によって毒が多かったり少なかったりと、ばらつきがあった。




 人の目を盗んで毒を盛る行為は容易いことではないだろう。



 でも、だからこそ、毒殺や暗殺には入念な計画が必要で。



 毒を仕込むならもっと用意周到に調理の段階で加えるなどしたほうが効率がいいのに。




 どの皿も毒の分量が均一でないことに、この行為の計画性のなさをリシュは感じた。




 例えば、美しく盛られた一品、彩りも鮮やかな野菜のゼリー寄せには毒粉と思われる紫の残影が、白い皿へはみ出すようにリシュの眼には視えていた。



 スープの器にも、付着したような紫色が残っている。



 それはまるで慌ててふりかけたように思えた。




 首謀者の目的が、私の体調を悪くすることだけを考えての行為なのか、毒視という異能を試すことが目的なのか。




 どちらにしてもここはやはり、平気な顔をせず、気分が悪くなったふりをした方がいいのかもしれない。



 演技をすることはロキルトも承知の上。




 演じるなら今?



 それとももう少し様子をみようか。




「リシュ姫さま」




 思案していたリシュにロザリアが話しかけてきた。




「いかがでしょう、お口に合いますか?」




「はい。とても美味しくいただいてます」




「明日はいよいよ前夜祭ですわね。姫様は陛下のお傍に付き添われるとお聞きしていますけど、お招きしてあるお客様方への御挨拶だけでも時間がかかりますし、なにかと気苦労も多いかと思いますわ。

 ですからお食事は今のうちにしっかりと、たくさん食べておいたほうがいいですわよ」




「……はい、そうですね……」




 毒入りじゃなければね。



 胸の中で呟きながら、リシュは頑張って笑顔を作った。





「……どうした、リシュ。笑顔のわりにはあまり進んでないな。いつもより食べてないじゃないか。………薬は飲んだのか?」



(え?)




 意味不明なロキルトの言葉に、リシュは口に含んだ果実酒に咽せ返りそうになった。




「お薬とはどういうことなのです?」




 ロザリアがロキルトに向いて訊いた。




「ああ、実はな、姫は今朝から風邪気味でな。微熱が続いているのだ」




「まあ。姉上さま、そうだったのですか?」




 オリアルが驚いたようにリシュを見つめた。




「宰相主催のお茶会に出席した後も気分が悪いと言っててな。本当はここへはあまり連れて来たくはなかったのだが」



「まあ……。そうでしたか……。それは心配ですね、どうかあまりご無理なさらずに」





 ロキルトの言葉もロザリアの言葉にも、リシュは突然で返事も出来ず、頷くのが精一杯だった。




「ご気分が悪いようでしたら遠慮なくおっしゃって、姉上さま」



「ありがとう。オリアルさま」



 心配そうに声をかけてきたオリアルにも ぎこちなく答えながら、リシュは思った。




 今しかない。演じるなら今しか。



 ロキルトの嘘はわたしが退室するのに好都合な理由だ。



 これ以上毒入り料理を食べなくても済むし、晩餐も早めの御開きとなるはず。






「あの、わたし……」




 リシュが言いかけた瞬間、室内に硝子の割れる音が響いた。




「───⁉」




「もっ、申し訳ございませんっ!」




 悲鳴のような叫びに視線を向けると、リシュの配膳をしていたあの娘がワゴンから床に落ちて割れた皿を拾おうとしていた。



 どうやら料理が乗っていた小皿ごと落としたらしく、床には硝子の欠片以外に中身も散乱していた。───紫の影も一緒に。



「早く片付けなさい」



 ロザリアの声音からは苛立ちが感じられた。



 そんな声に、すぐさま他の配膳係たちも集まり、片付けを手伝い始めた。




「姫様に新しいものを用意なさい」




「は、はいっ。すぐに持ってまいります!」



 あっという間に片付けられた場所で、娘は頭を下げると慌てて出て行った。




「お見苦しいところを……。申し訳ありません、姫様、陛下も。あの娘はまだ新入りなもので。教育し直します、お許しくださいね」



「いえ……」




「姉上さま、スープのおかわりはいかがですか?」




 リシュの横で、オリアルが気遣うように声をかけてきた。




「………いいえ」




 もうたくさん。




「おかわりは結構です。……わたし……」




 確信した。



 あの配膳係の娘……。




「姉上さま?」




 リシュはそっと胸に手を当てて言った。



「陛下……ロザリア様、オリアル様。申し訳ありません、席を外してよろしいでしょうか。気分が……胸が……少し苦しいのです………」




「まぁ、大変!すぐにお部屋へ案内させましょう」




 ロザリアの言葉ですぐさま使用人がリシュを室外へと促した。




「リシュ」



 出入り口に近付いたとき、ロキルトが呼び止めた。




「無理せずによく休め」




「……はい、陛下……」





 振り向き、軽く腰を折りながら会釈して、リシュは部屋を後にした。






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